第十六話 「気づくの遅いよ」。
陽も落ちて、辺りは薄暗くなってきている。
ルードはイリスが調べた道順でとある墓地に来ていた。
ここはエランズリルドの王家の代々の墓があるらしい。
イリスの後ろを周りの気配を気にしながら、ゆっくりとついていく。
イリスがある墓石の前で足を止めた。
そこは何も書いていない、ただ四角い石板が置いてあるだけ。
「こちらだと聞いています」
「嘘でしょう。仮にも王位継承者だよ?」
「そうではなかったようですね。わたくしが調べた感じでは、継承権は与えられていないようでした」
「嘘、でしょう……」
ルードはその場に膝をついてしまった。
「周りの墓石は立派なのに。こんなのって酷いでしょう」
「えぇ。これはあまりにも」
「ごめん。これから僕はちょっと無理をするよ。もし僕が倒れたら、猫人の集落へ連れて行って。そこは母さんの友達がまとめている集落だから」
「ルード様、何をされるのです?」
「僕のもうひとつの力を使うんだ。聞いてるでしょう? 僕は『ふたつの属性を持つフェンリル』だって」
「えぇ。お話だけは。でも……」
「本当に持ってるんだ。僕の左目には白い力。そして右目には黒い力がね」
ルードは深呼吸をした。
両目を瞑り、右目に力を集める。
それはフェリスの夫と娘の姿を顕現させたときとは桁が違う強さ。
力をごっそり持っていかれるような感覚がルードを襲う。
それでも力を集めるのをやめない。
「──うぇ……」
急激な力の使い方をしたせいか、少々吐き気が襲ってくる。
「ルード様」
「……大丈夫。慣れてないだけだから」
ルードは左目に左手を被せ、右目を開いた。
そのとき、ルードの足元にある墓石から淡い光が漏れだした。
その光は徐々に形が整っていく。
ルードよりも小さい少年の姿を形どっていた。
ルードよりも幼いように見えるが、その少年の顔立ちは、ルードにそっくりだった。
金髪の猫っ毛のように短めの柔らかな髪。
その光を帯びた少年は目をゆっくりと開いた。
イリスは信じられないものを見てしまったような気持ちになる。
確かにルードにそっくりなのだ。
その少年は口をゆっくりと開いた。
『お兄ちゃん、だよね?』
「うん。エルシードだね?」
『うん。お兄ちゃん、話せてよかった』
「僕もだよ。……あれ? 話せてよかった?」
『気づくの遅いよ。ずっと近くにいたんだけどさ』
「えぇっ!」
イリスはこの光景を一生忘れられないだろう。
亡くなったと言われているエルシードとルードが会話をしているのだ。
イリスの両の目からは、自然と涙が出てしまっていた。
『ママ、元気にしてたね? 見てて安心した。お兄ちゃんが治してくれてよかった』
「うん」
『そっか。よかった。お兄ちゃんが気づいて。ずっと待ってた。でもすぐ傍にいたのに気づいてくれないんだもんね』
「なんていうか、ごめん……」
『お兄ちゃん』
「ん?」
『死んじゃってごめんね』
「な、なんでお前が謝るん……、だよ」
ルードの涙腺もすでに決壊していた。
とめどなく涙が流れている。
『お兄ちゃん泣かないで。僕が失敗しちゃったんだから』
「だってお前」
『うん。だってさ、いくらパパだって言われても、ボクと全然似てないから。豚みたいなあの人をね、美しいだなんて言えないよ。かっこいいだなんて言えないってば。だから言っちゃったんだ。太ってるのに、なんで美しいって言われるの? って』
エルシードは幼い顔で苦笑していた。
「お前も正直だなぁ。豚だもん、指摘されたら怒るでしょう。僕も『ぶひぃと鳴いて謝れ』って言っちゃったときのあの顔……」
『あははは。お兄ちゃんらしいね。聞いてたよ、お兄ちゃんは頭がよくて勇敢だって。でも、そう言って捨てられちゃったって。ママ、泣いてた』
「うん、でもね言わずにいられなかったんだ。ママに酷いことをしたんだ。僕だって失敗したんだ。だからエルシードは悪くないよ」
『よかった。ボクもね、ママが辛そうにしてるの我慢できなかった。だから言っちゃった。そしたらあの豚が物凄い目で睨んで、殴ってきたんだ。気が付いたら、頬が痛くて。階段から落ちてたとこまでは憶えてる』
「そうだったんだ」
『うん。ボク、ママを悲しませちゃった。クレアーナにも心配させちゃった。あとで謝っておいてね』
「僕と一緒に来て自分で謝ればいいよ。僕にはその力があるんだ」
『それ無理だと思う。もう行かなきゃ駄目だし。いっぱいいっぱいなんだよね』
「そんな……」
『ずっとお兄ちゃんの傍で見てたし、ボクはお兄ちゃんより長い間ママとクレアーナと一緒にいられたからさ。お兄ちゃん、ママとクレアーナに、大好きだよ、ってだけ、言ってくれる?』
「うん。わかった。でもさ、お前、他にやりたいことなかったの?」
『……お兄ちゃんのあれ、食べてみたかったな。プリンとアイスとおまんじゅうだっけ? お兄ちゃんと遊んでみたかったな。お兄ちゃんと……』
「そっか……」
『でもね、一番ね、お兄ちゃんと話をしたかった。だからね、ボク、満足した』
いい笑顔だった。
双子だからなんとなくわかった。
「僕もエルシードと話したかった。遊びたかった。ずるいよ。これで終わりってさ」
『お兄ちゃんにはやらなきゃいけないこと、あるんでしょ? ボクも半分の半分の半分。狐だったんだね。だからさ、救ってあげて。ボクと同じ獣人さんを』
「うん。約束する。たぶんあっちには、僕のお兄さんがいるよ。僕と同じフェムルードって」
『うん、知ってる。そっか。仲良くしてくれたら嬉しいかも。……あのね、お兄ちゃん』
「ん?」
『何もあげられないけど、ボクに残ってるのを全部あげるから』
「ちょっとまて。その力があれば一緒に帰ってママと話せ──」
『ううん。いいんだ。ボクもう満足した。願いが叶ったんだもの。嬉しかったよ。ありがとうお兄ちゃん。じゃぁね……』
「ちょっとま──」
エルシードの光は、小さく収束してルードの右目に突っ込んできた。
『ずしん』という衝撃とともに、右目が熱くなるほど痛くなる。
その痛みが治まったとき、ルードの右目の色が変わっていた。
そのとき、エルシードの姿だったものがゆっくりと消えていったのである。
その表情は、とても満足しているように笑っていた。
「あーあ。エルシード行っちゃった。ほんと、ずるいよなぁ。どっちがお兄ちゃんだかわかんないじゃないか……」
「そうですね」
「僕そっくりだったでしょ?」
「はい。エルシード様、可愛らしかったですね……。あ、ルード様。右目、黄金色になってますよ」
「うん。さっきのエルシードと同じ目だね。左目は母さんと同じ。変じゃない?」
「いいえ、可愛いですよ」
「……ありがと」
ルードは脱力感を感じて、その場に尻餅をついてしまった。
やっとエルシードと会えた。
短い会話だったが、初めて交わした兄弟の会話だったのだ。
「イリスにも聞こえてたでしょ?」
「はい。事件の全容でしたね」
「うん。もう駄目だ。あの豚、許すわけにいかないわ」
「そうですね」
「死ぬよりも辛い目に遭わせてやる。考えていたことがあるんだ」
「どのようなことでしょう?」
「ちょっと耳こっちに」
「はい」
イリスが耳をルードの口元へ寄せると、ルードはぼそぼそと呟いた。
「──そ、それは。確かに死ぬより辛いかもしれませんね。いい考えだと思います」
「でしょ? これがいいと思ってたんだ」
ルードはもう主のいない墓石に手を置き、目を閉じて祈った。
『エルシードがフェムルードお兄さんと仲良くできますように』と。
ルードは力なく立ち上がった。
ルードの頬を流れていた涙を、イリスが胸元から取り出した布で拭った。
ルードはちょっと恥ずかしそうにしていたが、イリスの優しさが嬉しかったのだ。
「やっぱり力を使いすぎちゃったみたい。イリス、悪いけど猫人の集落へ連れて行ってくれる?」
「シーウェールズでなくてよろしいのですか?」
「うん。今、ママに会ったら泣いちゃうから」
「……かしこまりました。では、失礼します」
イリスはルードの気持ちを汲んでくれたのだろう。
そのまま身体を入れ替え、足元へしゃがむとルードを背中に背負って、夜の闇を走り始める。
イリスはルードのお願いの通り、猫人の集落へ向かっていった。
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ルードが目を覚ますと、周りには猫人の子供たちの顔があった。
「あ、ルードお兄ちゃんー」
「ルードお兄ちゃんこんにちはー」
「イリスお姉ちゃん、お兄ちゃん起きたー」
「はい。ありがとうございます」
イリスの笑顔も皆に混ざっていた。
笑顔に囲まれて起きるなんて、これほど贅沢なものはないかもしれない。
「はいはい。お兄ちゃんがごはん食べられないでしょう? ちょっとだけごめんなさいね」
「「「はーい」」」
子供たちが部屋から出て行った。
聞き覚えのある声の方を見ると、ヘンルーダがお膳のようなものを持ってきてくれたようだ。
「おはようございます。すみません、突然来てしまって」
「ルード君。ここはあなたの故郷みたいなものですから、遠慮はいりませんよ。エリスレーゼさんたちのおかげでお魚をいっぱい食べられて、皆喜んでいるのですから」
「そうですか。よかったです」
「はい。これおいしくないかもしれませんけど、食べてくださいね」
「いえ。いただきます」
「食べたら部屋の外に置いておいてくださいね」
部屋を出ていくヘンルーダにイリスは深々と礼をする。
それは魚の干物を焼いたものと、ほかほかごはん。
根菜のスープだった。
ルードはイリスの補助で身体を起した。
焼けた魚の匂いがとてもいい。
「ルード様、どうぞ」
「大丈夫だって。自分で食べられるから」
「……どうぞ」
「……うん。あーん」
「美味しいですか?」
「うん。やっぱりヘンルーダさんは魚の美味しい食べ方を知ってるみたいだね。シーウェールズにいるミケーリエルさんもそうだったし。猫人さんって凄いって思う。このスープもさっぱりして美味しいし。ごはんは僕が炊き方を教えたから普通においしい」
「ルード様が寝ておられたときに話をききましたが、ここが、あのお米の産地だったんですね」
「うん。牧草になっててわからなかったんだよね。麦よりも栄養があるのに」
ルードが食べ終わると、イリスもやっと自分の分を食べ始める。
「冷めて美味しくないんじゃないの?」
「いえ、美味しいです。わたくしたちは肉料理が多かったのですが、魚はシーウェールズに来てから食べるようになりました。ただ塩を振って焼くだけなのに、こんなに美味しいなんて知りませんでした」
もくもくと食べ続けるイリス。
「一緒に食べればよかったのに」
「ルード様は具合が悪かったのです。元気になられましたらご一緒させていただきますので」
「そっか、それならいいよ」
ルードはほどなく動けるようになった。
ヘンルーダに近隣の犬人の集落であったであろう、誘拐の事実を伝えて警戒してもらうことにした。
「そうですか。そのようなことが」
「はい。でも、僕がそういうことをできないようにします。皆には安心してくらしてほしいから」
「フェルリーダに初めて出会ってから、ルード君。あなたに出会って明るくなっていったわ。フェルリーダに助けられ、ルード君にも助けられ、こうしてエリスレーゼさんたちに村を豊かにしてもらいました。それに……」
「クロケットお姉さんのことですよね? 僕の許嫁、……ですから」
「やっと認めていただいたのですね。ありがとうございます」
「いえ、母さんたちに認めさせられたというか、その……。ここに来る前に、クロケットお姉さんを攫った男は懲らしめてきました。もうひとりの男はいなかったけど、その男を見たらもう悪さはしないと思います。これからその元凶を叩いてきます。それでやっと、ここのみんなが安心してくらせるようになるんです。僕ががんばらないと」
「ルード君。あなたがそこまで背負う必要などないのではないですか?」
「ここはクロケットお姉さんの故郷ですよ? ヘンルーダさんだって僕の故郷だっていったじゃないですか。だったらみんな、僕の家族なんです」
そう言ってルードはヘンルーダに笑顔を見せた。
ヘンルーダはリーダからルードのことを聞いていて小さなころから知っていた。
ルードの服を作っていたのも実はヘンルーダなのだ。
クロケットが手伝い始めると、クロケットに任せるようになる。
縁を大事にしてきてよかったと、このとき改めて思ったのだった。
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半日ほど身体を休めると、ルードはベッドから降りることができた。
ルードは軽く屈伸して身体の状態を確認している。
使い切った力の回復ができていたようだ。
イリスが見た感じ、ルードの表情はかなり緊張している。
これから行われるであろう、獣人の解放に向けて気持ちを切り替えているのだろうか。
ルードはイリスを見た。
イリスは無言で笑みを送り、会釈で応える。
部屋を出た。
ヘンルーダを含め、集落の人々は話を聞いているのだろうか。
遠巻きにルードを見送ってくれるようだ。
ルードは皆に向けて少し無理をして笑顔を作る。
ぺこっと頭を下げると踵を返し、集落の外へと出ていく。
イリスは集落の皆へ会釈をすると、ルードの後をついて行くのだった。
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ルードとイリスはエランズリルドの城下へ来ていた。
まずはミーシェリア商会を探すことだ。
「イリス」
「はい」
「例の商会の場所はわかる?」
「はい。昨日、ルード様が眠られている間に調べておきました」
「そっか。イリスは優秀すぎるよ」
ルードは振り向いて苦笑をする。
「誉め言葉として受け取らせていただきます」
もちろん呆れられていることはわかっているのだ。
イリスはルードのためならば全力でその才を使う。
それはルードに執事であることを認めてもらったからだけではない。




