第十三話 ウォルガードでの鍛錬の成果。
ルードの特訓はそれから毎日陽が暮れるまで続けていた。
朝起きて、朝ご飯を作るとリーダとイエッタを起こす。
なぜルードが作っているかというと、イリスは料理が苦手らしいのだ。
二人にごはんを食べさせて、『フェンリルプリン』と『フェンリルアイス』を作り置きしてから森へ外出。
目一杯倒れるくらいに力を使うのだが、少し休んでいるとあっさりと回復するのだ。
さすがは大気中の魔力が多いウォルガード。
多少の無理をしてもこれで問題のないことがわかってしまった。
昼に戻ると、昼ご飯を作り、食べさせてからまた森へ潜る。
ぶっ倒れる寸前まで力を使い、回復したらまた続ける。
夕方戻ると晩ご飯を作ってからイリスが準備した風呂に入って就寝。
ルードが鍛錬をしている間、イエッタはフェリスと他種族受け入れの相談を。
リーダは食っちゃ寝生活を堪能しているらしい。
昼食後はさすがに起きていて、イエッタが戻ると二人で商業区へ赴き、本能のまま買い食いをしているそうなのだ。
イエッタもウォルガードの食べ物を気に入ったらしいのだが、『串焼きも美味しいのだけれど、ほかほかごはんが恋しくなるのよね』と米がないのが不満だと少しだけ漏らしていた。
そんな毎日を過ごしながら七日が経ったあたり。
ルードの力は日を追うごとに強くなっていった。
「この辺でいいかな? んしょ」
ルードが地面に座ると、その傍らにイリスが腰を下ろす。
目を瞑り、軽く深呼吸をするとルードは力を前方向に向けて全開で解放する。
『こっちへ来い』
するとイリスの目には見たことのない光景が広がっていた。
嫌そうな目をしたこの間の灰色熊を始めとする、多種多様な獣で辺りが覆いつくされていた。
所狭しとまるで体育館で校長先生の話を聞いている生徒のように、ルードを向いて獣たちが大人しく座っているのだ。
その目は不思議そうにしているのもいるが、恐怖を感じている目も少なくはない。
「ル、ルード様。これは、やりすぎですよ」
「そうかな? でも結構いるもんだね」
「えぇ。軽く百頭はいるでしょうね……」
「でもこれで完成まではいかないけど、僕が思っていたとおりの効果が出始めてると思うよ」
「それはどのような?」
「うん。屋敷全体を外から支配するっていうのが目標だったんだよね」
「……やってみますか?」
「何を?」
「公爵家の屋敷の支配です」
「えっ、嘘でしょ?」
イリスはとんでもないことを口にしたのである。
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イリスに連れられてきた場所は、もちろんイリスの元実家。
ウォルフェルド家の屋敷であった。
それは立派な造りの建物で、建材ひとつをとっても高そうなもので建てられているようだ。
「本当にいいの? ……っていうか、『お願い』にしかならないような気がしないでもないんだけど」
「いいえ。今のウォルフェルドは堕落し、腐りきっています。きっとルード様に『支配』されてくれることでしょう。えぇ、とても楽しみですわ……」
イリスの口元が吊り上がる、その笑みがルードには怖く感じた。
彼女は相当腹に据えかねているのかもしれない。
「あ、ここで待ってるからさ、母さんとフェリスお母さん連れてきてくれる? 何も言わないでやっちゃうと怒られるかもしれないからさ。『こんな面白いこと何で黙ってたの?』ってね」
「フェルリーダ様なら言いそうですね。はい、すぐに行ってきます」
イリスの姿がかき消えるようにぶれたかと思うと、音もなく走り去ってしまった。
それはルードの目で感知できないほどの速さ。
さすがはフェンリルと言うべきなのだろう。
末恐ろしい身体能力であった。
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イリスが馬車で戻ってきた。
連れられてきたのはフェリス、フェリシア、リーダ、イエッタの四人だ。
「ルードちゃん、何やら面白いことしてくれるんだって?」
「別に面白くないですよ」
「ルード、成功したらあれやって、あれ」
「えーっ。やるの?」
「あれってなぁに?」
「とってもかっこいいのよ」
「はいはい」
「ルードちゃん、ごめんなさいね。母さんたち、面白がってしまって」
「我もルードちゃんの成長が見られるのは嬉しいですよ」
「ささ、ばーんとやってしまってください。ルード様」
「んもう。いいのかな……」
「はい。お願いします」
「お願いされてもねぇ……」
ルードは目を閉じ、深呼吸すると力いっぱい左目の奥に力を集めていく。
ルードが右目に手を当て、左目だけを開くとルードの瞳は怪しく光り始める。
ルードの足元から白い霧状のものが屋敷に向かって伸びていった。
それは屋敷を覆いつくすように広がり、やがて完全に覆ってしまった。
「ルード、やっちゃえっ」
「母さん……」
ルードは息を肺にいっぱいに吸い込んだ。
『表に出ろ』
ルードがそう呟いた。
ややあってから屋敷の扉が開いた。
そこからは驚いた表情をした人々がぞろぞろと歩いて出てくる。
中には『呼ばれた?』と『お願い』レベルの作用をしている人もいるようだが。
「ぷぷぷぷ。ルードしゃま、効いてます。すっごく効いてますよ」
噛みに噛みまくっているイリスが指をさしたその先には、公爵家当主、イリスの父、レオニールの姿だったのだ。
彼は自分が歩かされていることに疑問を感じているようだ。
「こ、これはどうしたことなのだ? イリス、お前、どこに行って──」
「ルードあれやって、あれ」
「仕方ないなぁ……」
ルードは腰に手をあて、低い身長で見下ろすように一言だけ言った。
『跪けぇ!』
総勢三十名ほどが一斉に、男性は片膝を、女性は両膝をついて座り込んでしまったのだ。
それは壮観な光景だった。
悲壮な表情をしている者もいれば、『座ればいいんですね?』という表情の人もいる。
「うぷぷぷ。みっともない……。ルードちゃん最高よ」
フェリスは吹き出しながらルードをべた褒め。
「ぷぷぷぷ。あはははは。元お父様だった方。ざまぁないわね」
イリスは涙を目に溜めながら、腹を抱えて大笑いしていた。
「イリスちゃん、あの話、本当にいいの?」
「はい。こんな家、なくなってしまえばいいんです。構いません、やってくださいまし」
「うん。わかったわ。やっぱりなしは、ないわよ?」
「フェリス様の思うがままに」
フェリスに執事然と礼をしたイリスは、とても晴れやかな表情をしていたのだった。
「な、なんだ。そのガキが何かやったのか?」
「あらぁ。私の可愛いルードちゃんにそんなことを言うのね。もう遠慮しないわよ」
フェリスがルードの横へ並んだ。
彼女のこめかみ近くには『#』の文字が浮かんでいそうな表情をしている。
表情は笑顔だったが、かなり怒っているように感じる。
「フェリスお母さん……」
「ルードちゃん、お疲れ様。いいものを見せてもらったわ。……レオニール、久しぶりね。一度しか言わないわ、よく聞きなさい。ウォルフェルドから公爵の位をこの場で取り上げる決定を下します。一貴族からやり直すことね」
「フェ、フェリス様それは……」
「あら? だって、次期国王のルードちゃんを『ガキ』呼ばわりしたのよ。十分不敬に当たるのではなくて? ルードちゃん、挨拶してあげてちょうだい」
「はい……。僕はフェムルード・ウォルガードと言います。フェルリーダ・ウォルガードの息子で、フェリス・ウォルガードとフェリシア・ウォルガードの息子でもあります」
「……馬鹿な。白いフェンリル、だと? ありえん……」
「ルードちゃんもう一段階お仕置きしちゃっていいわよ」
リーダがルードを後ろから抱きしめてそう言った。
「んー、じゃ。レオニールさんだけ『ひれ伏せ』」
レオニールはその場で腹ばい状態の、最上級五体投地をすることになってしまう。
「あと忘れてほしくないのだけれど。あなたのボンクラ三男坊。幽閉する必要なくなったわけだけど、フェルリーダとルードちゃんの前に姿を現したらね、私が潰すわよ?」
「…………」
低い身長から見下ろすその瞳は、まるでゴミでも見るような冷たい瞳だったのだ。
委縮したレオニールは、それ以上何も言えなくなってしまっていた。
「イリスエーラ……」
レオニールの後ろにいた女性が、悲壮感たっぷりでイリスの顔を見上げている。
「昔母様だった方、わたくしはもうウォルフェルドの子女ではありません。ルード様の執事なのです。わたくしのことはお忘れください」
「そんな、公爵家を潰してしまうだなんて……」
「もう遅いのです。まだいいではありませんか。最下位とはいえ、『貴族』でいられるのですから」
別に取り潰しというわけではない。
ただ、貴族の最下層に落とされただけなのだ。
母親だった女性から、イリスは目線を外して踵を返す。
ルードの傍らに立ち、目を伏せたのだった。
その日、公爵家がなくなったという知らせがウォルガード中に流れた。
元公爵家でイリスの侍女を務めていたものたちは、リーダの屋敷で働くことになるそうだ。
それ以外は今まで通りウォルフェルドの屋敷で働くか、出ていくかをこれから決めるらしい。
フェリシアの夫、フェイルズは伯爵の出自で、ウォルフェルドに頭が上がらなかったらしく、リーダの婚姻の件はそうして決まったのだという話だった。
ウォルフェルドの押さえつけがなくなったおかげもあって、フェイルズの表情は少し楽になっているようだ。
「フェルリーダ、本当にすまなかった」
「いいのよ。もう済んだことなの。わたしにはルードがいるわ。亡くなったあの子も、この子の中で生き続けているのよ」
「すまなかった……」
リーダも思うところがなかったわけではない。
だが、今回のフェリスの決断で吹っ切ることができたのだ。
「フェイルズお父さん。僕には父と呼べる人はあなたしかいないんです。もっとしっかりしてくださいね」
「うむ。わかった。君に恥じないように生きると誓うよ」
「ありがとうございます」
「あなた、責任重大ね」
「あぁ。だが、こんなに立派な息子がいるんだ。この国の未来は明るいと思うよ」
「えぇ、そうですね」
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ルードの力も安定して『支配』できることがわかった。
そのため、明日ウォルガードを離れることにしたのだった。
「フェリスお母さん。お願いがあるんですけど」
「なぁに? 使えないお荷物を片付けられたからね。私、機嫌がいいの。何でも聞いちゃうわよ」
「はい。あのね、僕はこれからエランズリルドをやっつけてしまうつもりです。その後になりますけど、エリス商会をここの商業区に作りたいんです。それでここを拠点に、各種族を繋げて行きたいんです」
「それくらいいくらでもやっていいわよ」
「でも、他種族が商業区に入りますよ?」
「あら。私は大歓迎よ。そうしないとウォルガードには未来はないもの。イエッタちゃんとも約束したものね」
「えぇ。フォルクスと結びつきができたら、我もここに住みますよ」
「ほんと?」
「我の可愛い息子がいるのですからね。それにね、フェリスちゃんというお友達もできたのですから」
「二人とも仲良くなったんだね。よかった。それなら僕、頑張れるよ」
「ルードちゃん、私からもお願いがあるの」
「何ですか?」
「プリン、沢山作っておいてほしいの……」
「あははは」
リーダの『食っちゃ寝さん』は、きっとフェリスから遺伝したのかもしれない。
ルードはそう思ってしまった。
それからルードは、その後寝るまでの間、材料が尽きるまでプリンを作ることになる。
魔法をいくら使っても回復の早いこの国であれば、いくらでも作り続けることができるような気がしていたのだ。
横でイリスの元侍女たちを総動員して手伝ってもらう。
ルードが作ると同時に氷室へ持っていってもらうの繰り返し。
さすがのルードも、二百個以上作ったところで力尽きて眠ってしまった。
翌朝、フェリス、フェリシア、フェイルズと侍女たちに見送られながらウォルガードを後にする。
「ルードちゃん、プリンありがとうね。大切に食べさせてもらうわ」
「あははは。また来ますね」
「なくなる前に戻ってくるのよ」
イリスが持ってきた馬車はリーダの屋敷に置いていくことになった。
さすがに馬車ではシーウェールズまで何日かかるかわからないからである。
イリスも服と首輪の呪文を教えてもらい、安心してフェンリルになることができた。
その姿はリーダと比べてもそん色ないほどの美しい緑色のフェンリラの姿だった。
こうして、イエッタとフェリスの会談とルードの無茶な鍛錬は終わりを迎えた。




