第十二話 ルードの鍛錬。
本日二回目の更新です。
ルードは機嫌よくキッチンで、フェリスに頼まれたプリンを作っていた。
この国の食材はシーウェールズと比べ物にならないほどの品質の良さを誇っている。
機嫌よく作っているとき、持ってきたものを思い出した。
「母さん、『温泉まんじゅう』出してあげてー」
「えぇ、わかったわーっ」
これでとりあえずプリンができ上がるまで時間が稼げる。
ルードはそう思ってプリン作りに集中した。
この国の牛乳と卵は味の濃さと風味が段違いだ。
それだけ手をかけて育てたものなのかもしれない。
これだけのものをシーウェールズあたりで探そうとしても、おそらくは見つからないだろう。
おまけに砂糖の白さも段違いだ。
雑味が全くなく、これだけの商品開発力にルードは改めて驚かされた。
ルードはタバサに学ばせたいと思うのだった。
ややあって十人分のプリンが出来上がった。
これはもう、シーウェールズで売っている『フェンリルプリン』とは比べ物にならない代物だ。
作る工程やレシピは同じでも、器の見た目と材料の違いで別物ができ上がってしまっている。
これはもう、名前をつけるのも勿体ないほどのものに思えた。
ルードは料理を移動させるカートのようなものを見つけると、その上に陶磁器に入れて作ったプリンを乗せて持っていく。
「おまたせしましたー」
「ルードちゃん。これ、あまり甘くなくて、もちもちしてて美味しいわ。聞いたところ、ルードちゃんが作ったわけじゃないんですって?」
「はい。僕が考案して、誰でも作れるようにしたんです。それはクロケットという名前の僕の許嫁のお姉さんが作ったんです」
「許嫁、ねぇ? フェルリーダ、聞いてないわよ? よかったわ、こちらでそういう話が出たら困るものね」
「ごめんなさい。フェリスお母さま。ルードにも秘密だったのよ」
「なるほどね。ルードちゃん、フェリシアだって結構遅かったのよ。だから焦らなくてもいいんですからね」
「お母様、何を言ってるのですかっ! ごめんなさい、ルードちゃん。変な話になってしまって」
「ううん。いいんです。変な話になってしまってすみません。フェリスお母さん、フェリシアお母さん」
ルードはでき上がったプリンの配膳をしようとした。
イリスもそれに気づいてルードの手伝いを始める。
ひとりにひとつずつ。
どうせフェリスはおかわりするだろうと踏んで、多めに作ってきたのだ。
「そういえば、イリスエーラちゃん。どうしてルードちゃんといるの?」
「はい。あの家と縁を切ってきました。こちらへお邪魔する前にルード様に執事になることを許可していただいたのです」
「あら、そうだったのね。んー、確かに見切りをつけてしまっても仕方ないかもしれないわね。あのままいたら、きっと政略結婚で終わってしまうかもしれないし」
「そうです。あの愚兄の尻を拭くなどありえません。そんな道具にされるくらいであれば、わたくしは剣を抜きます」
「苛烈ねぇ。でも、一番しっかりしてるのよね、あなたが……」
「本当に申し訳ございません……。ささ、そんなくだらない家の話ではなく、ルード様がお作りになられた美味しそうなものをいただいてください」
「あの、イリスさんも食べてほしいんだけど」
「いえ、わたくしが頂くなど、滅相もありません」
『ほんとめんどくさい人だな』とルードは思った。
「『お願い』してでも食べてもらうよ? それでもいいの?」
「わ、わかりました。あのような醜態を晒すくらいであれば……」
渋々下座に座らせてもらい、何やら落ち着かない様子のイリスだった。
「では、改めて。今日のこれも、なかなかのでき上がりですよ。さすがはウォルガードの食材ですね」
「ルードちゃん、いただきます」
「はい。皆さんもどうぞ召し上がってください」
フェリスはひとくち食べると、匙を咥えながら右手を口元へ持っていき、久しぶりの快感を味わっていた。
「これ、ルードちゃんってとんでもないわね。料理に魔法を使う人なんて過去も現在もいないのだから」
「えぇ。我も驚きました。そんな方法があるなんて知りませんでしたし。それよりも、ルードちゃん。これ、前に食べたものとは比べ物にならないくらい美味しいのですけれど」
「はい。ウォルガードの食材って凄いんですよ。味わいも品質も。僕も最初驚いたんです」
「それはそうよ。美味しいものを作るために頑張ってくれている人たちがいるんですからねっ」
フェリスはその小さな胸を張って、ドヤ顔しているのだ。
もちろん、口の端には匙を咥えていたりする。
皆が食べながら幸せそうにしている中、イリスひとりが食べようかどうか迷っているように見える。
仕方なくルードがじーっと『食べないとまたお願いしちゃいますよ』という目をしながらイリスを見た。
ルードの視線に気づいたイリスは、渋々匙で掬って口へ持っていく。
すると頬に手を当て、『ぱぁああ』っと花が咲いたような表情になってしまう。
「お、おいしいれふ……。生まれて初めて食べました」
こうして、イエッタとフェリスの顔合わせは無事に終わった。
フェリスが二度おかわりをしたのは、ルードには予定通り。
多めに作ってよかったと、思ったのだった。
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フェリスたちは話すことがあるということだったので、ルードは早速外の森まで散歩がてらに出てみた。
王城区を抜け、商業区に入ったあたりでやたらと注目を浴びているような気がしていた。
ルードは首をひねりながら不思議に思っていたのだが、それは気にしないことにしようと思った。
おそらく白い髪が珍しいのだろうと思っていたからだった。
「あの、ルード様」
「あ、ついてきてたんだね?」
「はい。執事ですので」
「まぁいいんだけどさ。僕、注目浴びてるっぽいんだけど、何でだろうね?」
「いえ、普通目立つと思うのですが」
「何で?」
「フサフサの可愛らしい耳と可愛らしい七本の尻尾です……」
イリスは頬に手を当て、顔を若干赤くしながらそう言うのだが。
「えっ? あー、それか。……ていうか、イリスさんも目立ってない?」
「皆、口々に『可愛らしい』と……、いえ、わたくしは目立っていません。執事ですし」
「……まぁいいです。気にしないことにします」
「本当に可愛いです……」
執事は目立たない、イリスはそう思っているのだろうか。
森に出てくると、ルードは地べたに座ってみた。
ルードは気配を薄くして目をそっと閉じる。
おかしい、獣の気配がまったく感じられないのだ。
それはそうだろう。
後ろから大きな気配を感じてしまう。
「あのー」
「はい。何かご用ですか? お腹が空いてたりしませんか?」
「いや、イリスさん」
「イリスとお呼びください」
「んー、じゃ、イリス」
「はい」
「気配消してくれないかな? 獣が寄ってこないんだよね」
「あっ……。も、申し訳ございません」
イリスもぺたんとその場に座る。
目を閉じて深呼吸をしていた。
するとどうだろう。
イリスの気配が薄くなっていくのだ。
その状態で暫くすると、目の前にイノシシに似た獣が横切ろうとしていた。
ルードに気づくと、嫌悪感を向けてくる感じがする。
縄張りに入っているからだろうか。
だが、その獣はびくっと跳ねるように身体を震わせると、一目散に逃げてしまった。
ルードがイリスを見ると、やはり、獣を睨んでいるではないか。
「イリス。駄目だよ、追い払っちゃ」
「も、申し訳ございません……」
また暫く待つと、同じような獣が通り過ぎようとする。
おそらくこのあたりは獣道になっているのだろう。
獣はこちらを睨んだ。
ルードは左目の奥に力を集める。
白い霧状のものが獣に向かって、影のように伸びていく。
獣を覆った瞬間。
『転がれっ!』
イノシシに似た獣はその場で腹を上にして服従のポーズのように転がっていた。
『起きろ』
獣は飛び起きた。
『回れ』
獣はその場でくるくると回り始める。
『跳ねろ』
獣は恨めしそうな目をしながらその場で跳ね続ける。
『後ろ足だけで立て』
とても辛そうに恨めしそうな目をして、ぷるぷると痙攣しながら後ろ足でなんとか立っている。
ルードは力を抜いた。
すると、獣は『こ、これくらいにしといてやらぁ』という感じに睨んでから、走って逃げていった。
「……ふぅ」
「今のがルード様の?」
「うん。結構疲れるんだけどね」
「もしかして、プリンのときも?」
「そうだよ。僕に敵意を感じない人には『お願い』にしかならないみたいだけどね」
イリスはぽかーんとした表情でルードを見ている。
実際に目の当たりにすると、ここまでの能力を見たのは初めてなのだろうから。
「これがあの、昔話に出てくる『白の力』なのですね……」
「イリスさんも知ってるんだ?」
「イリス、です」
「あー、うん。ごめんね」
「ルード様はわたくしのご主人様なのです。もっと堂々と──」
「それでその昔話って?」
「あ、はい。建国の祖と呼ばれる女性がその力を持っていたと古い書物で呼んだことがあります。その昔、フェンリル同士で争っていたときがあったらしいのです」
「なるほどね。それで力を使ってこの国を治めたってことなんだね」
「詳しくは書かれていませんでしたが、おそらくは」
ルードは今度は気配だけ感じる方向へめいっぱい白い力を伸ばしてみる。
すこしくらっとするが、そこは我慢。
これ以上辛い、というところで。
『こっちへ来い』
ルードの声に応えるように、今度はルードよりも大きな熊そっくりの獣がのっしのっしと身体を揺すりながらこちらへ歩いてくる。
「あ、珍しいですね。灰色熊です」
『座れ』
灰色熊はルードの前まで出てくると、テディベアのようにペタンと座った。
自分が何をしているのかわかっていないのだろう。
きょとんとした目をしている。
「灰色熊っていうんだ」
「そうです。比較的おとなしい獣ですね」
「比較的ね」
本来灰色熊は、好戦的で危険な獣のはず。
だが、イリスたちフェンリルからしたら『大人しくなってしまう獣』扱いなのだろう。
「はい。頭のいい獣で、わたくしたちには絶対に近寄ることがないのです。ですので、珍しい、と」
「へぇ」
ルードが近寄ると、嫌そうな目をしている。
「うん、ちょっと臭いかな」
「汚れますのであまり近寄らない方がよろしいかと」
「大丈夫。もう放すからさ」
ルードはにこっと灰色熊に笑いかけると左目の力を抜く。
それと同時に『お、おぼえてろ』という感じに『グァッ』と吠えると、熊なのに脱兎のごとく逃げ出したのだった。
その後、ルードは数回同じように獣を呼び寄せては操るを繰り返してみる。
ウォルガードでは魔力の回復も速い。
限界まで白い力を伸ばしても、倒れるようなことはないようだ。
「イリス」
「はい」
「退屈じゃない?」
「いいえ。楽しいで……、いえ、執事ですので」
こちらを見て微笑むイリス。
彼女は執事に憧れていたのか。
「そういえばさ、母さんに昔断られたんだよね?」
「はい。実にあっさりと……。『わたし、女王になりませんから。無理です』と……」
「あははは。母さんらしいね」
「わたくしは公爵の家に育って、王家に仕えるのが夢だったのです。ですが、その言葉で夢も希望もなくなりまして。おまけに愚兄が、フェルリーダ様へあのようなことまでしてしまい、腹に据えかねて絶縁してしまったのです」
「大変だったんだね」
「いいえ。ルード様のお話を耳にしてからは、少しだけ希望が戻ってきたのです。それでこの度、こちらへ来られたことを知りまして、その……」
「いいよ。もう家族なんだから」
「ありがとうございます。そう言っていただけるだけでも嬉しくて仕方ありません。それに、こんなに可愛らしいなんて思ってもみませんでしたし」
「んー、それは嫌だなぁ」
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鍛錬を終え、リーダの屋敷に戻ってきたルードたち。
何やら賑やかな話声が聞こえてくるのだ。
「あ、ルードちゃん戻ってきた。見て見て、可愛いでしょ?」
フェリスが走ってきて、ルードの前でくるんと回って見せた。
齢千年を超える最強のフェンリラが、可愛らしいドレスを着ているだけでもどうかと思ってしまうのだが、これは驚いた。
なんと、フェリスの頭には緑色の毛の可愛らしい耳と、お尻からは綺麗な尻尾が生えているではないか。
「フェリスお母さん、これ、どうしたの?」
「あのねあのね、イエッタちゃんから聞いた『変化の呪文』をね、解析して作り直したのよ」
「凄い……」
服を破らずに首輪にする呪文だけでも天才的だと思っていたのだが、ここまでとは思っていなかった。
「か、可愛らしいです……」
ついイリスもぼそっと呟いてしまった。
彼女はきっと可愛らしいものが好きなのだろう、ルードはちょっとほっこりするのだった。




