第九話 再びウォルガードへ。
夕餉が終わり、クレアーナが用意してくれたお茶と、クロケットが作った『温泉まんじゅう』をつまみながら一息ついていた。
ルードは、リーダたち女性陣の『別腹』にいつもながら驚いてしまう。
ルードはクレアーナに向き直って真剣な表情をした。
「クレアーナ」
「はい」
「ごめんなさい。イエッタお母さんに見てもらったんだけど、クレアーナの育った集落はもうないんだって……」
ルードは頭を下げた。
クレアーナはそんなルードの頭を優しく抱きしめる。
「坊ちゃま、そのような悲しい顔をしないでください。覚悟はできていたんです。それに、こんなに優しい坊ちゃま、エリスレーゼ様たち。私には家族がいるんです。だから、だい、じょう、ぶ……」
「クレアーナ。ごめんね」
「坊ちゃまは、わる、くない、んです」
クレアーナをエリスレーゼに任せることにした。
いつもとは逆に、クレアーナはエリスレーゼの膝に顔を埋めている。
「クレアーナのような悲しい思いをする人をこれ以上僕は増やしたくない。イエッタお母さんと話をして、僕がしなきゃいけないことがなんとなくだけど、見えてきたんだ」
ルードの言葉をイエッタが補完する。
イエッタとルードが『悪魔付き』と呼ばれる魂を持つこと。
その特異性からルードはもっと強くならなければならないこと。
「──我は『見る』ことしかできないのです。なので、我はルードちゃんを育て上げることに決めたのです」
「僕はね、僕のお兄ちゃんがくれた力を強くするんだ。右目の力はまだよくわからないけど、僕が頑張れば、頑張っただけ悲しい人を減らすことができるはずなんだ。僕は、そうしていかなければならないと思ってる」
「ルード……」
「母さん。僕、準備が終わったらしばらくウォルガードに行こうと思う。あそこなら、多少無茶をしても回復が早いはずなんだ」
「そうね。あそこなら、そうかもしれないわね」
「うん。母さんの屋敷、使ってもいいかな?」
「えぇ。ルードがやりたいようにやりなさい。わたしは見守るしかできないのだけれどね」
「クロケットお姉さん」
「わかってますにゃよ。家は私に任せてくださいにゃ。これもルード坊ちゃまの許嫁であり『嫁』の務めですにゃ……」
「えっ? まだ早いって……」
「四年なんてすぐですにゃよ」
「もういいや。僕、とにかく強くなる。強くなってエランズリルドの人を解放するんだ」
▼
ルードは出立の準備をするためにタバサの工房に来ていた。
「ルード君。それ、無茶苦茶よ」
「そう?」
「二つ以上の魔法を並列して、それも詠唱短縮とか……」
「普通に小さいころからやってたから、こんなもんかな? って」
ルードは『フェンリルプリン』と『フェンリルアイス』をタバサに作ってもらおうと思っているのだ。
ルードたちの中で、一番魔法の造詣が深いことからタバサが適任だ思ったのだ。
それでもぶつぶついいながらこなしていくタバサもかなり優秀なのだろう。
半日もすると、ルード並みとまではいかないが、二種類のお菓子を作ることができたのだった。
シーウェールズの菓子職人が皆諦めた『フェンリルプリン』と『フェンリルアイス』。
それを菓子職人ではない錬金術師のタバサが作り上げてしまう。
ある意味料理の知識よりも技術的なものが必要だということが、菓子作りにはあるのだろう。
近代的な調理器具がない今の状況下で、これだけのものを作ってしまったルードは非常識だったのだ。
「どう?」
「美味しいですにゃ。ちょっとざらざらするのもまた、新しい食感ですにゃね」
「それ、誉め言葉になってないわよ……」
「んでも、十分合格点だと思うよ」
「ルード君は褒めすぎよ……」
タバサは自分の情けなさにがっくりと肩を落とす。
「それでも魔法なしで『温泉まんじゅう』を作ってしまったクロケットちゃんに負けていられないわ」
「そうですにゃ。一緒に頑張りましょうですにゃ」
「えぇ。『あれ』の開発もあるから。こんなところで足踏みなんてしていられないのよ」
「そうですにゃ。綺麗ににゃりたいのですにゃっ!」
そのあと、ミケーリエル亭へ行き、クロケットが教えているという『温泉まんじゅう』の出来を見に行った。
『温泉まんじゅう』自体は、誰でも作れるようにとレシピの公開をするつもりなのだ。
まず最初にミケーリエルに教えることにしていた。
ミケーリエルの料理の腕はルードも認めるほどであった。
そのため安心してクロケットも教えられるのだった。
「うんうん。美味しいですにゃ。私が作ったのとあまり変わらにゃいにゃ」
「そうですか。この子たちも楽しみにしているので頑張りたいと思います」
「うん。おまんじゅう大好き」
「うん、美味しいもんね」
ミケーラとミケルも母親の作った甘いお菓子を頬張って嬉しそうにしている。
「そういえば、お父さんと仲良くしてる?」
「うん。お父さん優しいよ」
「うん。強くてかっこいいよ」
「もう、この子たちったら……」
「羨ましいですにゃ」
「クロケットさんもいずれそうなるのでしょう?」
「まだ四年もあるのですにゃ」
「クロケットお姉さん、四年しかないって言ってなかったっけ?」
「あら? そうでしたかにゃ?」
「ほんと、仲がいいのね。二人とも」
「いやぁ。あははは」
「はいですにゃ」
▼
現在シーウェールズで売り出しているルードが作っていたお菓子はこれでルードがいなくても作れることがわかった。
やっと安心してウォルガードに行くことができるのである。
二日もしないで駆け足で準備を終えたルードは、家でクロケットのわがままを聞いているのだった。
「ルード坊ちゃま。逃げたら怒りますにゃよ?」
「はいはい。今日はクロケットお姉さんの言う通りにしますよ」
「うにゃっ。嬉しいですにゃっ。その耳と尻尾を触らせてほしいにゃ」
「うん、いいよ。優しくお願いね」
「大丈夫ですにゃっ」
ルードは今狐人の耳と尻尾を出している。
ルードの尻尾をモフモフしようとクロケットは手を伸ばした。
そのとき、膝枕をされていたルードの顔が、むぎゅっとクロケットの大きな胸に押しつぶされる。
「うにゃっ。逃げるにゃ。尻尾沢山あるのに動いて捕まえられにゃいにゃ」
「むぎゅ。く、くるしいって」
「うにゃっ。うにゃっ」
クロケットはルードの尻尾を追うのに夢中になっていて気づいていない。
ふかっとした胸に包まれて、ルードも嫌というわけではない。
むしろ、嬉しいというのが知られるのが嫌なのだ。
その辺は年頃の男の子の辛いところ。
結局食事を作っているときと、風呂の時間以外はクロケットにべったりとくっつかれていたのだった。
▼
翌朝、出立の時間が迫っていた。
今回はルードにリーダとイエッタが同行することになった。
ウォルガードに他種族が入るのはこれが初めて。
フォルクスの大公でもあるイエッタであれば、最初の他種族として誰も文句を言わないだろうという考えもあったのだ。
これが無事こなせれば、家族を連れて行っても大丈夫だろうという考えだ。
イエッタが入国するという事実が今回は大事なのだ。
反対派もいる中、イエッタの立場であれば余計なことはしないだろうというリーダの考えもある。
表向きはフェリスとの会談という建前で訪問するという形をとることになったのだ。
『温泉まんじゅう」をエリスレーゼの作った持ち帰り用の箱数個に詰めてお土産として持っていくことに決めた。
荷物もルードとリーダが分けて背負っている。
リーダとルード、イエッタは家族に見送られて家を出ていく。
「こうして家族に見送られるというのも感動するわ」
「えぇ。いいものですよね。わたしもルードがいなければこうなるなんて思いませんでしたし……」
「うん。家族がいるから。ここに帰ってこようって思えるんだよね」
イエッタがシーウェールズにいたのはほんの数日だった。
それでも町の人々と触れ合い、ミケーリエル亭へ遊びに行ったりしながら、家族というものがどういうものなのかを実感したのだろう。
「アルフェルたちも元気に移動してるみたいね。ローズが心配しているから見てみたのだけれど、あの子は昔から心配性でね……」
「あのあたりの盗賊はわたしがちょっと脅かしておいたから大丈夫だと思うの。だからもうこっそりついて行ってないのよね」
「母さん。人死にはしてないよね?」
「えぇ。それらしいのが出てこようとしてたから、死なない程度に可愛がってあげたわよ」
実に怖い可愛がり。
リーダにとって盗賊程度は、犬が手先で虫か何かを転がしている程度にしか思っていないのかもしれない。
ルードは不幸な事故だと思うことにするのだった。
そもそも、盗賊などやっている方が悪いのであるから。
リーダが荷物を持ち、ルードがイエッタを乗せていくことになった。
『『祖の衣よ闇へと姿を変えよ』』
ルードとリーダが唱えた呪文。
これはリーダの祖母、フェリスに教わったものなのだ。
「これはね。前にも見せたけど、服を破らないで首輪にすることができるんです」
「考えたわね。確かに質量の変化はなくても身体は大きくなるから服が破けてしまうのは納得するのよね。それを無駄にしない魔法ね。大したものだわ」
「これはフェリスお婆さん、あ、今度からはフェリスお母さんって呼んであげないとだね」
「お婆さま、喜ぶわよ、きっとね」
「そうだね、イエッタお母さんもびっくりするよ。フェリスお母さんに会えばね」
「お姿はルードちゃんを通して見たことはあるのだけれど、かなりお若い姿のようですよね」
「えぇ。わたしも呆れるくらいに若いのよね……」
とにかく、ルードに横座りにイエッタは座った。
リーダは二人分の荷物を首から下げて、準備は終わる。
「じゃ、行きましょうか、ルード」
「うん」
「二日かかるから疲れたら言うのよ?」
「大丈夫。行けるところまで行ってみたいんだ」
「ルードちゃん、ごめんなさいね。我、何もできなくて」
「いいんですよ。イエッタさん。ウォルガードが遠いのが悪いんですから」
リーダはそう言ってくすりと笑うと、最近『食っちゃ寝』状態だったから少しだけ気合を入れて走ることにした。
ルードは置いていかれないよう一生懸命走ったのだが。
「母さん、速すぎる。追いつけないってば」
「あら、ごめんなさいね」
リーダはルードの倍近い速度で走っていたため、追いつけるわけがなかったのである。
▼
結局一昼夜走り続けたのだが、ルードは眠さの限界を迎えてしまいリーダの背中でイエッタに抱かれて眠ることになったのだ。
「こんなにまだ可愛らしいのに、この背中にはルードちゃんの背負うべきでないものまで背負ってしまっているのですよね」
「えぇ。わたしが女王になるのを嫌がってしまったこともあるのです。それだけではなく、人々が笑って暮らせればなんて壮大な夢に突き進んでいるから、やめろだなんて言えないんですよ……」
「えぇ。だからこそ、誰もが助けてあげたい、そう思ってしまうのでしょうね」
「そうですね。わたしがお腹を痛めて産んだ子ではないのですけれど、あの子もルードに期待していると思うのです。だから亡くなってまでルードと出会い、力を託したのだと」
「優しいというのは、それだけで強いということなのです。優しくあるために強くなりたい。この子がそれを願うのならば、そうなるよう育ててあげたくなるのも我の我儘なのでしょうね」
「ありがとうございます。この子と同じ境遇だと知って驚きました。良き理解者でいてくれて助かります」
「いいの。これは、息子が欲しかった我の夢でもあるのですから」
子を持つ母親同士の語らいだった。
ルードという可能性がここにあるのだ。
自分ができないことをやろうとしている、まだ小さな幼い子。
この二人を含め、家族全員、ルードのためなら何でもするだろう。
そう思わせてしまうほど、ルードは真っすぐだったのだから。
▼
「……ん」
「おはようルード」
「おはよう、ルードちゃん」
「母さん、イエッタお母さん、おはよう」
リーダの屋敷で朝を迎えたルード。
これから猛特訓が始まるのだろう、と思ったその前に。
「僕、朝ごはん作ってくるね」
「ごめんねルード」
「ごめんなさいね。ルードちゃん」
案外料理が苦手な二人は、朝からルードに頭が下がる思いだった。
ルードは持ってきた食材を鞄から出すと、キッチンで朝食を作り始める。
魔法を使う料理だから時間もそれほどかからない。
鼻歌を歌う暇もなくできあがった朝食。
簡単な海産物をふんだんに盛り込んだ具だくさんのリゾットだった。
「いただきます」
「ルードちゃん、いただくわね」
「はい。どうぞ」
魔力が濃いところだからか、リーダは朝早いというのに元気がいい。
ナイフとフォークを器用に使ってもくもくと食べていた。
イエッタにはルードが作った箸を用意してある。
「これ、パエリアかしら? それともリゾット? 具だくさんのお雑炊にも見えるわね」
「適当に作ったので、名前はないんです。でも、味はいいですよ」
「……あっ。これ、『ねこまんま』にそっくり」
ルードは具だくさんの味付けに薄く味噌を使っている。
ごはんに味噌汁をかけた、『汁かけ飯』や『ぶっかけごはん』『犬飯』とも呼ばれるものに近いの味に思えたのだろう。
イエッタはおそらく西日本出身なのかもしれない。
東日本では『ねこまんま』はごはんの上にかつお節をかけて醤油をかけたり、そのままかつお節を混ぜ込んだものを言うことが多いのだ。
もちろんこれも、嬉しそうにイエッタは食べていた。
「お味噌が隠し味になってるのね。美味しい……」
「本当に朝からこんなに美味しいのを食べていいのかしら……」
「ほら、食べたらフェリスお母さんに会いに行くんでしょ?」
「そうだったわ」
「えぇ、そうね」
ルードは家族に、味噌の味を受け入れてもらえてうれしかった。
会談と特訓の、ウォルガードでの朝は始まったばかりだったのである。




