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第八話 夢にまで見たごはん。

 フォルクス公国を抜け、山頂を駆け下りていく。

 徐々に寒いという感じから、涼しいという感じに風は変わっていく。


「風が、温かいわね……」

「あのね、イエッタお母さん」

「何かしら?」

「今ね。味噌、作ってるんだよ」

「えっ? それ、本当なの?」

「うん。僕の家族にね、錬金術師のお姉さんがいて、僕がお願いして作ってもらってるんだ。もうそろそろ食べられるようになってるはずなんだよね」

「そ、」

「そ?」

「それは嬉しいわ。ほかほかごはんにお味噌汁。物凄い贅沢な、夢のような話ね」

「うん。海産物の乾物もあるから、貝柱かなんかで作ってあげるよ」

「えぇ。とても楽しみだわ……」

「お米はもう少し精米しないと真っ白にはならないんだけど、糠の匂いがきつくないから栄養がある状態で食べてるんだ」

「玄米ご飯も美味しそうね。もう、よだれが出そうで困ってしまうわ。温泉に温泉まんじゅう。お酒も美味しいのでしょうね……。夢のような生活が待っているのね……」

「プリンとアイスもあるよ」

「……もう死んでもいいかもしれないわ」


 ▼


 そんな食べ物の話をしながら、日が暮れたあたりでシーウェールズへ着くことができたのだった。

 シーウェールズでは、ウェルダートがいつものように迎えてくれる。


「ルード君。お帰りなさい」

「ただいま。ウェルダートさん」

「あの、その女性は?」

「はい。僕のお母さんです」

「ルードちゃんの母です。よろしくお願いいたしますね」


 笑顔で会釈をするイエッタ。

 いつものように混乱を始めるウェルダート。


「あれ? お母様って、あれ?」

「お母さん。いこっか。いつものことなので」


 苦笑しながらイエッタの手を引いて先へ進む。

 ルードの目を通して見たシーウェールズよりも、イエッタの目には輝いて見えている。

 真夏だというのに暑いというより暖かい。

 人々に笑顔が絶えない町。

 あちこちから漂う湯の香。

 町並みとしては西洋風なのだが、雰囲気は賑わいのある温泉街。

 ルードを見かけるたびに挨拶をしてくれる人たち。

 ルードの人気の度合いが見て取れて、嬉しくもなってくるのだ。

 この町の雰囲気に合っているイエッタの姿。

 思ったよりも溶け込んでいて目立つという感じではなかった。


 イエッタの目には珍しいものが多く、『あれは何かしら?』『これはいい匂いがするわね』とルードに聞きながらゆっくりと町を歩いていく。

 和服を着ているイエッタの歩幅に合わせて歩いてくれているルードの優しさに感動を覚えながら、イエッタはエリス商会の前までたどり着いた。

 ルードはいつも通り裏手にある勝手口のドアを開けた。


「ママ、ただいまー」

「あら? 思ったよりもかかったわ──」

「おかえりな──」

「二人とも久しぶりですね」


 そこにいるはずのないイエッタの姿に二人は驚いた。

 最後に会ったのは、エリスレーゼが生まれたときだっただろう。


「「イエッタ(母)さんっ!」」


 さすがに怖いという記憶があるのだろう。

 エリスレーゼは、間違っても『お婆さま』とは呼ばなかったのである。


「あははは。連れてきちゃった」


 ▼


 エリス商会の人が少ないので聞いてみると、アルフェルたちはヘンルーダの集落へ行っているらしい。

 ルードはイエッタの身体が弱っていて身動きが取れなかったこと。

 イエッタをエリスレーゼのように全力で治癒をしてしまったため、七日ほど倒れてしまったこと。

 その間はイエッタが面倒を見てくれたこと。

 そんな向こうであったことを話し始めた。


「ルードちゃん、私と同じ方法でイエッタさんを助けてくれたのね」

「ううん。僕がイエッタお母さんに元気になってほしかったからね」

「イエッタお母さん?」

「うん。そう呼んでほしいって」

「えぇ。我がお願いしたのですよ。エリス。エランズリルドのこと、何もしてあげられなくてごめんなさいね……」

「イエッタさん、いいの。私はルードちゃんを産めただけでも幸せなの。豚は、ルードちゃんが鳴かせてくれるって約束してくれたから」


 エリスレーゼは、そう言ってルードをきゅっと抱きしめた。


「そうね。我も、あの豚の始末はルードちゃんに任せるつもりですよ。ルードちゃん」

「はい」

「『支配』の力。とにかく使いまくりなさい。そうね、倒れるまで使い続けるのが近道だと思うわ。ですが、回復が遅いのでは時間が……」

「あ、いい方法があります」

「それは?」

「ウォルガードは大気中の魔力がここの数倍、いえ、数十倍はあるんです。あの周辺の森で鍛錬すれば、回復も早いと思います。それに、母さんの屋敷もあるから」

「それはいいかもしれないわね。フェルリーダさんに相談してみるといいと思うわ。それと……」

「はい?」

「ルードちゃん、ごはんとお味噌汁……」

「はいはい。ママ、イエッタお母さんと先に家に戻ってるね」

「えぇ。仕事が終わったら私も真っすぐ帰ることにするわ」

「うん。クロケットお姉さんとごはん作って待ってるね」

「それは楽しみだわ」

「エランローズお……、んー。ローズお母さんもアルフェル……、さんがいないからひとりでしょ? 一緒にごはん食べようね」

「ありがとう。私もお母さんって呼んでくれるのね」

「うん。だって、みんな若くて綺麗だし」


 ルードは嘘をつかない。

 だからこそ、この正直さも好かれる要因なのかもしれない。


 ▼


 ルードは家にイエッタと先に戻ることにした。

 もちろん、いつものように出迎えてくれるのは。


「お帰りにゃさいですにゃ。ルード坊ちゃま」

「お帰りなさいませ。坊ちゃま」


 まずはクロケットとクレアーナ。


「ルード君。味噌、できてるわよ」

「ただいま。クロケットお姉さん。クレアーナ。タバサさん、それ本当?」

「えぇ。三日ほど前にいい状態になったと思うの。例の髪の油も順調に進んでるわ」

「それは凄い」

「ルード坊ちゃま、その方は?」

「あ、イエッタお母さんだよ。フォルクスから連れてきちゃったんだ」


 奥からリーダの声と共に走り寄る足音も聞こえてくる。

 はしっとルードを抱きしめるリーダ。


「ルードぉ。やっと帰ってきたのね。あら? 狐人の女性。もしかして、イエッタさんという?」

「はい。イエッタお母さんだよ」

「初めまして。わたし、フェルリーダ・ウォルガードと申します」


 リーダは、ルードを抱きしめたまま無理やり頭を下げる。

 直接会うことは初めてなのだろうが、リーダはフェリスと似たようなものをイエッタから感じ取ったのだろう。


「あら? 本当にエリスとそっくりなのね。イエッタです。ルードちゃんの母にしてもらいましたのよ」

「えぇ。ルードがいいのであれば、わたしも歓迎いたしますわ」


 さすがリーダだ。

 肝はしっかり据わっている。

 伊達に『食っちゃ寝さん』ではないのだ。


「よろしくお願いしますね。……それにしても、物凄い力を内包されているのですね……」


 リーダの目を覗いたイエッタは、若干だが冷や汗をかいてしまった。

 ルードの目を通した姿からは思いもしない圧倒的な力を読み取ったのだろう。


「いいえ、わたしなんてまだまだです。祖母にくらべたら……」

「なるほど。フェリス様のことですね」

「ご存じでしたか」

「えぇ。あの事件は我も知っていますからね。実に不幸なことだったと……」


 悲しみに暮れたフェリスが国を一瞬で消滅させた話だろう。

 イエッタはその時の話を直に知っている世代だったのだ。


「母さん、僕料理始めるからちょっと離して」

「あら、ごめんなさいね。久しぶりだったから」

「うん。美味しいの作るからさ。クロケットお姉さん、手伝ってくれる?」

「はいですにゃ」

「ルードちゃん、クロケットちゃんってもしかして?」

「はい。僕の許嫁、です」


 ルードは顔を真っ赤に染めてそう答えた。

 フォルクスへ旅立つ前にしっかりと認めたからだったのだろう。


「あら? そうだったのね。クロケットちゃん。イエッタです。ルードちゃんをよろしくね」

「ひゃ、ひゃいですにゃっ!」


 許嫁と言われて、どろどろに溶けそうになっていたクロケットは、イエッタの声で正気に戻った。

 もちろん、話には聞いていたので緊張しまくっていたのは言うまでもない。


 ルードは早速タバサの作ったと思われる味噌の味見をしてみた。

 塩分は控えめで、魔法で熟成させたこともあり、見た目はしっかりできているように見えた。

 知識では知っているとはいえ初めて味見をするのだ。

 匙でひと掬いして、口に運んでみる。


「うわぁ。これ、美味しい。タバサさん。すっごく美味しいよ」

「それはよかったわ。作った甲斐があるってものね」


 この世界の料理の味付けは素材からとれる出汁以外、基本は塩と香辛料しかない。

 これほどの旨みとコクがある調味料はそれこそ新発見の類だろう。

 ルードは氷室を覗いた。

 そこにはエビとカニがある。


「あ、カニがあるんだね。これをぶつ切りにして、出汁をとって。うん、いいいかも。クロケットお姉さん。これ洗って四つにぶつ切りにしてくれる?」

「はいですにゃ」


 ルードはクロケットに任せて、米をとぎ始める。

 いつもより多めにしっかりと米をとぎ、釜に入れて水を吸わせておく。

 その間に、根菜とクロケットの切ったカニで味噌汁を作り始めた。

 わかめと昆布を足して割ったような海藻の乾物を水で戻し、さっと出汁をとる。

 そこにカニを入れて、ゆっくりと煮込んでいく。


「いい匂いですにゃね」

「うん」


 しっかりと灰汁をとりながら、頃合いを見て根菜を入れる。

 カニの色も赤く変わり、根菜も徐々に柔らかくなっていく。

 柔らかめのわかめそっくりの海藻も水で戻して一緒に入れる。

 くつくつと弱火で煮込みながら、味を見てみた。


「うん。いい感じ、かな? これに味噌を裏ごししながら入れてと」


 ついでに米も魔法で一気に加熱。

 加圧しながら炊き上げるので、圧力釜で炊いたように早く炊けるのだ。

 この方法はおそらくルードしかできないだろう、裏技である。

 まもなく炊きあがってしまう米を見て。


「相変わらず、ルード坊ちゃまは非常識ですにゃね」

「誉め言葉として受け取ります」


 ルードとクロケットは見つめあって笑い始める。

 あれ以来、二人の仲は良好のようだった。

 キュウリに似たウリ科の野菜を薄く切って、塩もみをしておく。

 魚の干物も鍋に入れ、味噌を入れて煮ていく。

 味噌と砂糖を混ぜ、ちょっと甘めにして味噌煮をつくる。

 これも蓋をして魔法で加圧しながら加熱する。

 ルードにかかってしまえば、まるで五分間料理でできてしまうのだ。

 塩もみした野菜を水でさっと洗って皿に盛りつける。

 煮込んだ魚も大皿に盛り付ける。

 そのとき、ふわっと魚と味噌のいい匂いがキッチンに充満していく。


「うわぁ。いい匂いですにゃね」

「うん。いい感じにできたと思う。クレアーナ、ごめん。これできたやつから持って行ってくれる?」

「はい。とても美味しそうですね」

「うん」


 ルードが久しぶりに腕を振るった料理。

 作り始めてありえない速さでできあがってしまった。


 ルードたちもテーブルについた。

 クロケットはごはんをよそって、クレアーナが配膳を始める。


「今日の晩御飯は、魚の味噌煮、カニと根菜の味噌汁。それに野菜の塩もみとほかほかごはんです」

「……夢にまで見た日本食ね」


 イエッタはぼそっと呟いた。


「ママ、ローズお母さん、お帰りなさい。間に合ってよかったよ」


 遅れて二人も帰ってくる。


「ごめんなさいね。あら、美味しそうね」

「えぇ。すみません。本当に美味しそう」

「エリス、ローズ。手を洗ってきなさい」

「はい、イエッタさん」

「ええ、母さん」


 二人はイエッタから見たら娘扱いなのだ。

 そそくさと手を洗って戻ってくる。


「これがあの味噌で作れるのね。凄いわ。いい匂いだし、美味しそう……」


 タバサも眼鏡の隙間から目を輝かせていた。


「じゃ、いただきましょう」

「「「「「「いただきます(にゃ)」」」」」」


 イエッタは味噌汁を軽く啜る。

 と、同時に涙を流してしまった。


「これよ。これが食べたかったの。千年以上夢見ていたのよ。ルードちゃん、本当にありがとうね……」

「いやぁ。イエッタお母さんが喜んでくれたなら、それで十分です」

「謙遜しなくてもいいわ。これはもう、至福の瞬間。もう死んでもいいわ」

「やだよ。もっと元気にいてくれないと。まだまだ聞きたいこともあるんだし」

「馬鹿ね。言葉の綾というものよ。それにこのほかほかごはん。塩もみのチョイスも泣かせるわね。カニの出汁もよく出てるし。この魚も柔らかくて脂が乗ってて……」


 イエッタはとにかく、涙を流しながら、それを拭きながら器用に箸を使って食べていた。

 エリスレーゼもエランローズも、イエッタの嬉しそうな姿に満足していたようだ。

 タバサは曇った眼鏡をはずしてひたすらもくもくと食べ続けている。


「こ、これは止まらないわ。クロケットちゃん、ごはんおかわりいいかしら?」

「はいですにゃっ」


 クロケットは苦笑いをしつつ、ごはんをよそってタバサに渡す。


「あぁ、本当に駄目になりそう……。ルードはわたしをこうして堕落させてしまうのね……」


 リーダは『食っちゃ寝さん』が加速していきそうな葛藤をしながらも、美味しそうに食べている。


 ルードは家族の嬉しそうな笑顔で十分満足しているのだ。


「ルード坊ちゃま。これ、作り方教えてくださいにゃね?」

「うん。ちゃんと教えるからね」


 こうしてフェルリーダ家の夕餉は楽しく過ぎていくのだった。


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