第六話 ルード、失言する。
ルードの頭では理解できない話が続いていた。
それでも一生懸命聞くだけは聞いていたのである。
「我の『見る』力。ルードちゃんの『知る』力。このような力がですね、『悪魔付き』である証なのです。『悪魔付き』と呼ばれる人々には少なからず不思議な力が宿っていました。この世界の魂ではない人にしか宿らない、この世界の人にはない力のはずです。少なくとも我が『見た』限り、それが『悪魔付き』と呼ばれる所以なのです。この力は、家族以外には知られてはいけませんよ?」
「……はい。よくわからないけど、わかりました」
「ふふふ……。素直でよろしいです」
あの『豚』が言っていた『悪魔付き』の意味がなんとなくわかった。
イエッタはルードの治癒の甲斐もあり、顔色がよくなっていた。
エドにお茶をいれさせ、ルードが土産に持ってきた『温泉まんじゅう』を堪能している。
「あぁ、たまらないわね。まさかお饅頭が食べられるなんて」
「ママもお婆さんも、母さんたちも喜んでくれています」
「そうよね。女性は甘いものが好きだもの。そういえばルードちゃんは、いつ頃の時代から来たのかしら?」
「時代……、ですか?」
「えぇ。我と同じ日本から来たのでしょうから」
「僕は、日本という言葉は知っています。ですが、僕が何者だったかはわからないんです」
「そう、ルードちゃんは憶えていないのね。確かにそういう人もいたわ」
「えっ? 前にも『悪魔付き』と呼ばれた人がいたんですか?」
「我はこう見えても、一千年から生きてるのよ。今まで色々な人を見てきたわ。我の目はね、その人と合わせた目を通して沢山の人を見ることができるのよ。もちろん、フェルリーダちゃんも知っているわ。あなたをどれだけ愛しているかもね」
「そうですか。僕が何も言わなくてもわかってくれるんですね。あの豚を『ぶひぃ』と鳴かせたいことも」
「えぇ」
「凄い。凄いです、イエッタお婆さま」
ルードは感動しすぎて、つい口を滑らせてしまう。
その瞬間、部屋の温度が急激に下がっていった。
「──なぁんですってぇ? わたくしのどこが『お婆さま』だというのです?」
「……あ」
そういえば、イエッタに『お婆さん』は禁句だとエリスレーゼから聞いていたのをすっかり忘れていた。
イエッタから発せられるあまりの迫力に飲まれてしまったルードは、何がどうなったかわからないまま、気が付いたら正座している彼女の膝の上にうつ伏せに寝かされていた。
ルードのお尻を叩く音と共に、泣きながら謝る声が部屋の外まで響いていたのだ。
それを外で聞いていたエドが、手を合わせて震えていたのを二人は知らない。
「ご、ごめんなさぁああああいっ」
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『癒せ、癒せ、もういっちょ癒せ』
「本当に器用な子ですね……」
ルードは真っ赤に腫れあがったお尻に治癒魔法をかけている。
痛みはひいてきたのだが、精神的ダメージは回復できるわけがない。
十四歳にもなって、お尻を叩かれ続けた。
ルードは過去に叱られたのは、エリスレーゼに一度だけなのだ。
彼女に忠告を受けておきながら、油断してしまった。
それも、『泣くまでお尻を叩かれる』というのが本当だとも思っていなかったのだ。
とにかくイエッタに『お婆さま』は禁句だと身をもって感じたのだった。
「イエッタ……、さん」
「もう、いいですよ。好きな呼び方にしなさい」
ルードはお尻を押さえながら恐る恐る聞いてみる。
それを見たイエッタは苦笑していた。
「あの、イエッタおば──」
「何ですってぇ?」
「ご、ごめんなしゃい……」
「嘘よ。同じ境遇なのだから好きに呼んでもいいの。もう怒ったりし・な・い・わ・よ?」
「イエッタさん。あの。僕のママの侍女をしてくれているクレアーナなんですが」
「はいはい。クレアーナちゃんね」
「はい。彼女の生まれた集落ってわかりますか?」
「……ごめんなさい。もう、ないわ」
「やはり、そうだったんですか……」
「えぇ。小さな集落だったみたいですね。彼女が連れ去られた日に、すべて……」
「わかりました。僕は最悪、そのような輩を排除しなければならないと思っています。そのために、僕は自分の力を知らなければならなかったんです」
「力というと? 『知る』力のことかしら?」
「いいえ。僕の両目の奥に二つの力があるんです。ひとつは白い力。これは僕のおにいちゃんがくれた力だと、フェリスお婆さまから聞いています。ただ、もうひとつの黒い力。これはわからないと言っていました」
「フェンリルの属性のことね?」
「はい。黒い力はよくわからないのですが、力を込めると、亡くなった人を見ることができ、その人たちと会話ができるみたいなんです」
「魂を見る。会話。珍しい力ね。白いのはきっと『支配』なんでしょうね」
「はい。ただ、ふたつの属性をもつ人が過去にいなかったのと、フェンリルの色ではないと言われました。正しい使い方を知れば、僕の目標に近づけるのかと思っているんです」
「獣人たちの解放でしょう?」
「はい」
「それはあなたが負わなければならない責務なのかしら?」
「……違うと思います。でも、できる力を持っているのにそれをしないのは僕にはできません。猫人さんたちや、犬人さんたち。狼人さん、狐人さん。その人たちも、人間と言葉が通じないとはいえ、人なんです。人間が獣語を知ろうとしないのがいけないんです」
「そうかもしれないわね」
「ママだって、エランローズお婆さんだって、狐人の血が流れています。耳と尻尾を見せていたら、どうなってしまっていたか。それを心配してイエッタさんは『変化』を教えなかったと聞いています」
「えぇ、そうね」
「僕は人間が憎いわけではないんです。僕の住むシーウェールズでは、人間と獣人の皆さんが仲良く暮らしています。おかしいのはエランズリルドみたいな国なんです。腐っているのはその一部の『豚』たちなんです。僕はひどい目にあってる人たちを助けたい。それは僕のわがままですけど、色々な種族の人たちとこれからも仲良くなりたいと思っているんです。僕はいずれウォルガードの王になる約束をしています。なので、その程度のこともできないのでは、皆を幸せにすることなんてできないと思っています。だからこそ、見て見ぬふりはできないんです」
ルードはきちんと正座をして、イエッタの目をしっかりと見ていた。
その目を見たイエッタは、大きくため息をついた。
うっすらと開いたその目は『仕方のない子ね』という感じの優しい金色の瞳をしていた。
「フェルリーダちゃんはいくら自分が女王になりたくないからといって、ルードちゃんをとんでもない子に育てたのね。この歳でもう、王の器として育っているなんて、ね」
「はい?」
「ルードちゃん。あなたの覚悟はわかりました。あと、あなたの懸念している『隷属の魔道具』ですけどね」
「はい」
「なんとかすることはできるわよ」
「本当ですか?」
「あなたのその『支配』の力で、鍵の持ち主に外させればいいのですよ」
「……そんなに簡単にいきますか?」
「えぇ。難しいかもしれません。ですが、磨いているのでしょう? 力を」
「はい……」
「効果範囲を広くすることができれば、屋敷ごと支配できるようになるのではないかしら?」
「あ……」
それはルードが考えていなかった方法でもあった。
目から鱗というか、そこまで大胆な考え方ができるとは思ってもみなかったのである。
「ね? 難しいかもしれないけれど、簡単なことでしょう?」
「は、はい」
「あなたのその白い力。『支配』の力はそれだけ強力なものなのですよ。今は難しいかもしれませんが、努力でなんとでもなるかもしれません」
「イエッタさん、僕、会いに来てよかったと思ってます」
「あのね、ひとりで悩んだりしてはいけませんよ? あなたには家族がいるのです。優しくて聡明な女性が多いですけれど、あなたを慕ってくれる年上の男性もいるではないですか。それはあなたが真っすぐに生きてきた証でもあるの。誇ってもいいことなのよ」
ルードはマイルスたちのことを思い出した。
イエッタはルードの目を覗き込んでこう答えた。
「そう、その三人ですよ。その人たちはあなたに真の忠誠を誓っています。憶えているでしょう? 身を挺してあなたを守ろうとしたその青年のことを」
「はい。驚きました」
「大事にしなければいけません。それはあなたの宝物ですから」
「はい」
「あなたを慕う人たち。あなたを愛する女性たち。そして、我もいるのです。自分のしたいようにしてみてごらんなさい。我もできるだけお尻を拭いてあげますからね」
「ありがとうございます。今の僕には何もできませんが。受け取ってください」
「何を、です?」
「今の僕のすべてを、です」
ルードはイエッタの目の前に座りなおすと、両手でイエッタの手を握った。
『すぅっ』っと深呼吸すると詠唱を始めた。
『癒せ。万物に宿る白き癒しの力よ。我の願いを顕現せよ。我の命の源を……、すべて残らず食らい尽くせっ!』
イエッタはそれがどれだけルードの身体に負担をかけるものか、瞬時にわかってしまったが、ルードを止めることなどできなかった。
それはルードの感謝の形であり、家族への思いでもあり、愛だったのであるから。
イエッタの手から全身に広がり包み込む、ルードの解放された魔力。
それは今まで味わうことのなかった安らぎでもあり、まるで母親に抱かれたような抱擁感でもあった。
イエッタの身体の奥底にまで届くような癒しの力。
身体に力が漲ってくる。
今日まで立ち上がるのすら辛かったのだが、全身の辛さが抜けて行くのだ。
光が収まると、ルードはぽてっとイエッタの膝の上に倒れ込んでいた。
「ルード……、ちゃん?」
「あははは。力、使い切っちゃいました……」
顔を青ざめたルードが照れ笑いをしている。
辛そうだが、何かをやり遂げたような満足した顔だった。
イエッタは腕に力を入れる。
ルードを軽々と抱き上げることができた。
それはエランローズが生まれたときも、エランローズがエリスレーゼを抱かせようとしてくれたときにも感じなかった力強い感覚。
腰から足へ力を流す。
立つことが容易にできる。
ありえない。
力を使う代償として、常に疲弊しきっていた今日までの身体とはまるで別物だった。
遥か昔。
全盛期の、力の溢れていた頃に戻ったような無敵感。
ルードを抱き上げ、立ち上がったイエッタ。
「エド、そこにいるのでしょう? 床を用意しなさい」
「はいっ、イエッタ様」
ルードを抱いたまま部屋を出ていく。
身体が軽い。
力強く一歩一歩歩くこともできる。
これがルードから与えられた全力の愛情だったのだろうか。
「馬鹿ね、こんなに無理をして……」
眠ってしまったルードを見て、涙がぽつりと彼の頬へ落ちていった。
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ルードは日本風の敷布団の上に寝かされている。
水鳥の羽でできた柔らかく軽い掛布団をかけてもらっていた。
そこも純和風の日本間。
イ草かどうかはわからないが、畳が敷かれている。
床の間もあり、掛け軸がかけられていた。
「我には息子がいなかったからこんな感じなんでしょうね。この世界でも子供は皆娘だったから、これが息子を持つ気持ちなんでしょう」
ルードの額にかかる白い髪を指先で右に左に分けながら、安らかな寝息を立てているその顔を眺めるように見ていた。
イエッタの娘たちも彼女にそっくりだった。
自分に息子が生まれれば、こんな感じに育つのだろうか。
ルードの無茶な治癒の魔法をかけてもらってから、身体の調子はすこぶる良い。
まるで若いころに戻ってしまったかのように、身体の奥から力が湧いてくる。
ルードの治癒の魔法は本当に無茶苦茶だ。
『どう治せ』というわけではなく、『癒せ』の大雑把な方法でこれだけの治癒を完了させてしまう。
イエッタが知る治癒術を使う者の中で、異常なほどの高い治癒効果。
これも『悪魔付き』のなせる技なのだろうか。
「我も非常識と言われましたが、あなたはその枠を超えるくらいの常識はずれなのでしょうね。こんなに可愛らしい男の子なのに、こんなに小さい身体に、背負えないくらい重たいものを自分から……。本当に馬鹿な子ね……」
ルードは聞こえているのか、それともいい夢を見ているのか。
魔力の枯渇で苦しいはずなのに、嬉しそうな表情で眠っているのだった。




