第五話 もうひとりのひいお婆さん。
詰所に入るとそこには暖炉あり、中は温かい温度になっていた。
男はもこもこの上着を脱ぐと、筋骨隆々ながらも大きな尻尾と大きな耳を携えていた。
あきらかに狐、とわかる感じなのだが実に微妙。
暖かいお茶を持ってきてくれたその男は、ルードの微妙な表情を読み取ったのか。
「坊主。お前さん、正直者だって言われないか?」
「えぇたまに言われますけど」
「『可愛くない』って思ってるだろう?」
「あ、ばれました?」
「見たらわかるよ、その微妙な表情を……。俺だってな、この体格にこの耳と尻尾は似合わないと思ってるんだよ……」
「なんていうか、すみません……」
そう言いながらもルードに温かい飲み物を勧めてくれる。
「まぁいいさ。ほら、とりあえず飲みな。温まるぞ」
「ありがとうございます」
香りのいいお茶のようだ。
口に含むと少しだけ甘い。
「あ、美味しいです」
「そうか。この茶と中に入れてある蜂蜜は国の名産品なんだ。よっと……」
ルードの前の椅子に腰を下ろす男。
「俺はこの検疫所、外門とも言うが、衛士長でな、ハモンズっていうんだ。お前さんは?」
「僕は、フェムルードって言います」
「そうか。お前さん、人……、じゃないよな?」
「わかりますか?」
「あぁ。匂いが違う。この国にはな、行商に来る人が沢山いるんだ。だがな、その人たちとお前さんは違う匂いがするんだよ」
「そうですか。それなら言っちゃいますね。僕、おじさんと同じ血が流れているんです。ひいお婆さんが狐人で、お婆さんが人との間のハーフ。そのまたハーフの母。クォーターって言うんでしたっけ。そのまたハーフなんです」
「ほう、薄いとはいえ同族だったのか。……っていうか、おじさんって言うなっ! 俺はまだ三十歳だ」
「あ、すみません」
「まぁいい。それで、イエッタ様という名前を出したが、それはどういう意味だ?」
「はい。困ったらこれを見せるようにと、言われましたけど」
ルードはエランローズから借りた指輪を見せた。
するとみるみるうちに、ハモンズの顔色が変わっていく。
「お、おま、いや。君、この指輪をどこで手に入れた?」
「僕のお婆さん。んー、ママのお母さんから借りたんですけど」
ハモンズは立ち上がって大声で人を呼んだ。
「おい、誰かいるか? すぐに伝令を伝えてくれ。大変なことが起きた」
「はい?」
ルードはぽかんとしてしまう。
ハモンズの横に同じような姿をした若い男が近寄る。
ハモンズに一礼すると、直立不動で指示を待っている。
「はい、なんでしょう? ハモンズ衛士長」
ハモンズが耳打ちをすると、その男の顔が真っ青になっていく。
「はいっ。今すぐ行ってきますっ」
敬礼すると同時に走って行ってしまう。
「こ、これはお返しいたします。フェムルード様、少々お待ちください。イエッタ様の親族の方とは……。迎えのものがこちらへ来ますので」
「……あれっ?」
指輪を受け取ったルードはまたぽかーんとしてしまった。
「あの、ハモンズさん」
「はい、何でしょうか? フェムルード様」
「その、僕のことフェムルード様って、なんでですか?」
「いえ、私のような者にはちょっと……」
ニコニコと引きつりながら、何かを誤魔化すように場を持たせようとしているハモンズ。
そのとき、表に何かが停まった音が聞こえた。
誰かが降りてくるような音と共に、詰所に場違いな服装をしている初老の男性が入ってきた。
その男性は執事のような服装をしている。
それはとても寒そうな恰好にも見えるのだ。
「フェムルード様、お迎えにあがりました」
「お待ちしておりました。このお方がそうです」
「はい?」
ルードは何やら厄介ごとに巻き込まれたかと思ってしまう。
ただその辺はルードだ。
リーダの息子はこれくらいでは驚かない。
「確かによく似ておいででいらっしゃいます。私はイエッタ様の執事をさせていただいています。エドワールと申します、エドとお呼びください」
「はい。フェムルードと申します」
つい釣られて同じ口調で返事をしてしまう。
「フェムルード様。どうぞ、ご案内いたします」
「は、はい」
案内してくれるというのだ。
探すよりはいいだろうと、ルードはエドに勧められて馬車に乗り込むことにした。
馬車に揺られながらルードは外を見てみる。
陽が暮れているというのに、町は活気があって行き交う人も多い。
エランローズは小さな国だと言っていたが、シーウェールズくらい賑わっている感じがするのだ。
きっと交易が盛んに行われていたりするのだろう。
行き交う人々は、耳のある人もいればない人もいる。
この国は元々狐人の国なのだろうが、移り住んでいる人もいるのかもしれない。
雪明りに照らされた地面は、踏み荒らされているはずなのに、積もった雪は融けていない。
確かにこの国に近づくにつれて、寒さは増していった。
真夏のはずなのに吐く息は白く凍る。
ルードの記憶の奥に『常夏』という言葉があるのだが、その反対の『常冬』。
この国にはきっと四季がないのだろう。
馬車は大きな屋敷の前で停まった。
客車のドアが開けられる。
「こちらでございます」
エドがドアを開けてくれたようだ。
ルードはタラップを降りると、圧雪の地面を踏みしめた。
「ここは?」
「はい。イエッタ様のお屋敷にございます。ご案内します、どうぞこちらへ」
驚いたことに、この屋敷は木製だったのだ。
太い柱で組まれた複雑な造りをしており、この世界にはない様式の建物に見える。
雪の重さに負けないしっかりとした重厚な建物。
ルードは生まれて初めて入る場所なのだが、そこはなんとも懐かしい感じのする場所だったのだ。
ルードの知識ではわかる建具もあった。
門ではなく観音開きの扉。
ドアではなく襖。
純和風の建築様式の家屋なのだろう。
何をもって和風というのかは、ルードにはわからない。
何故見たことのないこれらをルードは知っているのだろう。
今まで疑問に思ったことは何度もあるが、『知ってるのだから仕方ない』と思っているのだ。
ルードはそれは天から与えられた稀有な力だと思っている。
この知識は、人々を幸せにすることができる。
それを使って人々を幸せにする。
それがルードの願いなのだから。
「イエッタ様、お連れいたしました」
「……お入りなさい」
部屋の奥から聞こえる女性の声。
エリスレーゼの話からは『千歳を超えてから数えてないわよ』という言葉があった。
ということは少なくとも、フェリスと同じかそれ以上の年齢の女性だということなのだが。
聞こえてくる声は若々しい。
「どうぞ、お入りください。フェムルード様」
「はい。では失礼します」
エドが襖をそっと開ける。
その先にいたのはルードの記憶の奥にある言葉で言えば『九尾の狐』。
ふわりとした感のある金色の髪。
その頭にある大きな耳。
同じ色のふさふさとした長く太く、モフモフしそうな九本の尻尾だった。
年のころはエリスレーゼやエランローズとそれほど変わらなく見える。
見た目は二人を質素な感じにした綺麗な女性、なのだが。
白い着物のようなものに真っ赤な袴。
それはまるで『巫女装束』といってもいいのではないか。
イエッタは正座をし、背筋を正してルードをまっすぐ見ているのだ。
その迫力にルードは飲まれそうになる。
「フェムルードちゃんですね。そこにお座りなさい」
「はい、フェムルードと申します。初めまして」
ルードは同じように正座をし、まっすぐにイエッタを見る。
そうしないといけないような気がしたからだった。
「あら? あなたも同じなのですね。これは驚いたわ」
「……同じ、ですか?」
「えぇ。そうね。この世界の言葉で言うところの『悪魔付き』と言えばいいかしら?」
ルードは身体を雷に打たれたような衝撃が走った。
それはあの豚が発した言葉。
ルードが捨てられた理由のひとつだったからだ。
「あの、イエッタ……、さん」
「いいのよ。あなたは、エリスレーゼの息子なのでしょう?」
「なぜそれを?」
「こうやってぽわーっと見ているとね、なんとなくわかるのです」
イエッタは常時微笑んでいるかのような糸目でルードをじっと見ている。
「エリスレーゼはあの国の王家に嫁いだのは知っていました。ですが、相手に恵まれなかったようですね。双子のあなたの弟を亡くし、あなたまで捨てられてしまったのですね」
「……はい」
「それでもあなたはすぐに行動したのですね。偉かったですよ。エルシードのことは残念だと思っています。我もあの『豚』は憎いのですよ」
「『豚』もご存じなのですね……」
「えぇ。『見る』ことだけはできるのです。ですが、我はここから出ることができないのです。長年この国の民のために使い続けた、この力の副作用なのでしょう。実はここから動くことも結構辛いのですよ」
イエッタは、ちょっとだけ苦笑いをするような表情を見せる。
「そうでしたか」
「あら、そんな他人行儀な言葉遣いでなくてもいいのよ?」
「はい。これ地ですから」
やっとルードは笑顔を見せることができたのだ。
「いい笑顔ね。ローズとエリスそっくりだわ」
「そうですか。よく言われます。あの」
「『悪魔付き』のこと?」
「はい。あれ?」
「あのね。目を見ると相手の考えていることがある程度わかるの。気持ち悪いでしょ」
そう言って、イエッタはコロコロと笑うのだ。
「いいえ。何もやましいことがなければ、言わなくても意を汲んでくれていると思えて、嬉しくも思います」
「そう。本当にいい子に育ったのね。フェルリーダさんはいい母親なのですね」
「そこまでわかるのですか?」
「そうね。あなたの中に少しの狐人の血、大半のフェンリルの血が流れているのは……、いいえ、違うわ。これはフェルリーダさんの母乳から血を受け継いだ、悪い言い方をすれば感染といってもいいかもしれないわね。それと彼女の亡くなった子、あなたのお兄さんの魂。珍しい育ち方をしたのね……」
すべて見通されていた。
ちょっとだけ肩の力を抜いたのだろう。
正座だった足を少しだけ崩してイエッタは辛そうにしていた。
「大丈夫ですか?」
「えぇ。力を使いすぎたのかもしれないわ。でもね、これは『悪魔付き』を説明するのに必要だったの」
ルードはイエッタの近くに寄ると、彼女の手を握る。
「あら?」
「ちょっとだけごめんなさい『癒せ』」
イエッタの手を伝って身体全体を優しい光が包んでいく。
彼女の辛そうだった表情が和らいでいった。
「あら、凄いのね。かなり楽になったわ。……癒しの力ですか。これは?」
「はい。フェルリーダ母さんから教わりました。純粋な魔法です」
「そう。我が会得できなかったこの世界の理なのですね」
「はい。得意なんですよ」
そう言ってルードはイエッタに笑顔を向ける。
イエッタも優しい笑顔を返してくれる。
「『悪魔付き』とはですね」
「はい」
ルードは継続的に癒しの魔法を続けていた。
ルードの額にはうっすらと汗が出ている。
そんな優しさをイエッタが気づかないわけがない。
「ルードちゃん。でいいかしら? ありがとう。無理しなくてもいいのよ?」
「それでいいです。ママからもそう呼ばれています。それにこれくらいでは大した消費にはなりませんから」
「優しい子に育ったのね。あの『豚』の血はフェンリルの血が喰らいつくしたのかもしれないわね。恐ろしいやら、ありがたいやら。……そうそう、話の続きですが」
「はい」
「魂と言うのはね、何もないところから湧いたりはしないの。輪廻転生という概念があってね。人が死んであの世に還った魂は、この世に何度も生まれ変わってくると言われているのよ」
「その言葉は知っています」
「そう。『知っている』のね。我の『見る』と一緒の意味なのかしら?」
「……どういうことです?」
「あのですね。『悪魔付き』とは、この世界ではないところの輪廻の輪から外れた魂がこちらの世界で生まれた子供に宿った人のことを言うの。この世界での『この世ならざる力』を持つ人のことを指すことが昔あったと言われているわ。我の魂もこの世界の輪廻の魂ではないのよ」
「うん、よくわかりません」
ルードはイエッタの手から癒しの力を流しながら、こてんと首を傾げて苦笑いをした。
その可愛らしい仕草にイエッタもつい笑みがこぼれてしまう。
「うふふ……。わからなくて当り前よ。これはこの世界の錬金術師でも理解できない概念ですからね」




