第三話 彼もやはり男の子だった。
マイルスたちの疲れが取れ次第、早速狼人の集落との交易も開始された。
懸念していた森の獣は、タバサが同行することで襲われる心配はないようだ。
定期的に豆も入ってくるようになり、ルードは『フェンリル印の薄皮まんじゅう』の販売を始めることにした。
町の木工職人に頼んでせいろを作ってもらう。
そこから始めなければならない。
なにせ、最終的にはこの国の名物にするのだ。
あんができたおかげで副次的なものをいくらでも思いつくことができる。
要は『和菓子の製造ができる』ということなのだ。
レシピに関しては記憶の奥からいくらでも引っ張り出すことができる。
「ルード君、この『コウジ』っていうの、凄いわね」
ルードはヘンルーダの集落へ行き、収穫前の米畑を訪れた。
思った通りそこで麹菌らしきものを見つけて、タバサに培養をお願いしていたのだ。
タバサの魔法による温度管理の技術もあり、まもなくあれができあがる。
「難しくなかったです?」
「問題は温度よね? 大丈夫、魔法があるからね」
「てことは、間もなく?」
「えぇ、週末にはできると思うわ」
米麹を作り、大豆と思われる豆と塩。
そう、ルードがお願いしたのは『味噌づくり』なのだ。
それさえできてしまえば、次に待っているのは『しょうゆ』。
海産物の多いシーウェールズで、唯一納得がいかなかった部分。
それは味噌と醤油だったのだ。
塩味もいいのだが、やはり味噌としょうゆは欠かせない。
料理も菓子作りもバリエーションが広がるはずだ。
麹が作れるようになり、ルードは魚を漬けてみることも考えている。
美味しいものは人々を幸せにできる。
これが終われば今度は燻製に着手する。
そう、かつお節に近いものを作るつもりなのだ。
これで『ねこまんま』を作れるだろう。
クロケットやミケーリエル母子が喜ぶ姿が思い浮かぶのだ。
交易品が多くなれば、どの種族も心豊かな生活ができるはず。
ルードの家族がそうであったように、誰にでも当てはまるはずなのだから。
ルードはそう考えているのだ。
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「ねぇタバサさん」
「どうしたの?」
「あのさ、クレアーナのいた集落ってどこにあるのかな」
「そうね、あたしが知ってる犬人の集落には似てる人はいないわね」
「そっかぁ……」
「坊ちゃま、もういいのです」
ルードたちの話が聞こえてしまったのだろう。
最近エリスレーゼが元気になり、商会の仕事に打ち込むようになってきていて、クレアーナが手持ち無沙汰になってきたらしい。
そんなときはタバサの工房の手伝いもするようになっていたのだ。
今はエリス商会とタバサの工房、二か所の行き来をしてくれている。
「私のいた集落は大きなところではありませんでした。あまりよく憶えていませんが、私が連れさられようとしたとき、父と母はあの男たちの手にかかってしまったのです。もしかしたら、集落ごと……」
「ごめんね、嫌なことを思い出させちゃって」
「いいえ、私のことを思ってなさったことですから」
エリスレーゼもルードも、シーウェールズににる犬人からクレアーナがいただろう集落の聞き取りはもう終えてしまっていた。
クレアーナの毛並みはとても珍しいもので、見たことがあれば印象に残っていてもおかしくはないのだ。
だが、誰も知らないという。
大きく垂れた短い毛並みの耳。
それはシーウェールズにいる犬人の中でも一番大きいのだ。
もしかしたら、エランズリルドに捕らえられているであろう犬人の中に知る人がいるかもしれない。
王城の離れでしか生活をしていなかったクレアーナは、他の犬人とあの国で会ったことはなかったらしい。
「タバサさん、あれからあの魔道具のこと何かわかった?」
「いいえ。調べてはいるのですが、あたしが持っている文献にはありませんでした。そもそも、人間の間でしか必要のないものなのでしょう」
「そうだよねぇ……。そういえば、クレアーナはどうやって外してもらったの?」
「はい。エリスレーゼ様があの豚に頼んで外していただいたのですが、鍵で外していたとしか憶えていませんが」
「鍵?」
「はい。気味の悪い、嫌な感じのするものでしたね」
「タバサさん」
「えぇ。施錠と開錠に魔法は必要ない。鍵自体に魔法の効果があったかもしれない。ということでしょう」
「うん、そうだね。それと、魔法が使えない人でも使えるってことだね。鍵自体が魔道具の可能性も」
「そうですね」
「そもそも、魔道具ってどういうものなんですか?」
「……簡単に作れるものではないということしかあたしは知りません。ただ、あたしのような錬金術を生業としたものが関係しているのは否定できません。あたしは呪いのような危険な研究はしていませんが、なかにはそういう人もいるという話を聞いたことはあるんです」
「呪い、かぁ……」
「少なくとも、人々のために、なんて考えで作られたものではないでしょう」
「誰かが作らせたもの。なんだろうね」
「えぇ」
世の中にはルードのように幸福を願う者もいれば、人の不幸を求める者もいるということなのだろう。
思ったよりもこの世界の闇は浅くはないということなのだ。
▼
ルードはエリス商会でエリスレーゼたちと一緒に昼食をとっていた。
最近の彼女はよく食べ、よく働く。
以前にもまして元気になってきていて、ルードは安心していたのだった。
「ママ」
「なぁに?」
「僕ね、ママのお婆ちゃんに会ってみたいんだけど」
「どうしたの? 急に」
「僕ね、母さんの国では珍しい力を持ってるみたいなんだ。それがもしかしたら、ママの血筋が関係してるのかなーって」
「狐人ね?」
「うん」
エリスレーゼはエランローズの方を見る。
「お母さん、お婆ちゃんって何か特別なことできたのかしら?」
「そうねぇ。母さんはちょっと変わったことができたかしら」
「変わったこと?」
「えぇ。ものをなくしたときね、それがどこにあるか探したりするのは得意だったわよ。あと、行商にいった人たちが今安全に旅をしているか、そんなこともわかっちゃうの」
「それってお母さんもできるようなことなの?」
「いいえ。私はできないわよ。特別なことは教えてくれなかったの。私が不幸になるからって」
「不幸に?」
「そうよ。『化身の術』も教えてくれなかったわね。『あなたには耳もしっぽも必要ないわ』って。人と違うといろいろ危険だから教えてくれなかったのかもしれないわね……」
そういえば、ガルムが『化身』という言葉を使っていた。
人と違う。
要は獣人であると身の危険があることをエリスレーゼの祖母は知っていたということなのだろう。
ガルムたち狼人のような強い種族ならいざ知らず、クロケットたち猫人や、クレアーナたち犬人は強い種族とはいえないのだ。
ルードが無意識に使っている姿を変える力を『化身の術』というのだろう。
「『化身の術』って、ルードちゃんがフェンリルの姿になるみたいなもの?」
「そうね。多分同じだと思うわ」
「そうなのね。私もクレアーナみたいな人たちのような、不幸は嫌。今もエランズリルドにはそのような人たちがいるのは知っているわ」
「えぇ。私たちにはどうすることもできないのだけれどね……」
「僕が」
「ルードちゃん」
「僕がいつかみんなを助ける。だから今は僕に何ができるか知らなきゃいけないんだ。ママ、お婆ちゃん。僕、ひいお婆ちゃんに会ってみたい」
「そう。場所は教えてあげられるわ。でもね、遠いの。私とエリスは一緒にいけないわ。ルードちゃんの邪魔になるからね。これを持っていきなさい。これは私の母さんがくれた家族の証なのよ」
エランローズがルードの手に握らせたもの。
それはさっきまで彼女がしていた指輪だった。
銀色の網目状の細かい糸のようなもので編まれたもの。
銀糸なのだろうか。
それを何かで固めて指輪状にしたものだった。
「これは?」
「これを母さんに見せれば、私の孫だってわかってくれるはずよ。いってらっしゃい。私たちは元気だって伝えてくれたら、嬉しいわ」
「うん。それでそこはどこにあるの?」
「そうね。ウォルガードよりももっと北。夏でも雪が溶けないと言われてる寒い地域にあるわ。エランズリルドよりも小さい、フォルクスという国なの」
「フォルクス……。うん。行ってみる」
「ルードちゃん。気を付けて行ってくるのよ?」
「わかってるよ。ママ」
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ルードが木製のせいろを持ち上げると、湯気がもあっと立ち上がった。
「それでね、クロケットお姉さん。こうして、蒸し上がったらね、でき上がりだよ」
「思ったよりも難しくにゃいのですにゃね?」
「うん。これはね、誰でも作れるように。シーウェールズの名物になればいいなって作ったんだ」
「この『温泉まんじゅう』は。私が作ったのですにゃね……」
今回、クロケットが粒あんから、生地まですべて一から作ったのだ。
ルードはすべての手順を丁寧に、ひとつひとつ教えながらクロケットだけに作業をさせたのだ。
クロケットは、できあがった茶色くて丸いものを見て、感慨深さを感じているのだろう。
「うん。小さくて食べやすいし、安くできるからね」
「……ルード坊ちゃま。また私、留守番ですかにゃ?」
「ごめんね。一緒に行きたいけどさ、これを作れる人がまだ少ないから。クロケットお姉さんにお願いしたいんだ。僕の夢だし」
クロケットは『ルードの夢』ということで納得する。
それはクロケット自身の夢でもあるのだから。
「わかりましたにゃ」
蒸し上がった『温泉まんじゅう』をつまみながらリーダはクロケットにウィンクをする。
「うん、ルードが作ったのと同じくらい美味しいわ。クロケットちゃんには頑張ってもらわないとね。将来のこともあるのだから」
「そんにゃ……。恥ずかしいですにゃ」
「ねぇ、ルード。十八歳になったら、ちゃんとお嫁さんにもらってあげるのよ?」
「ちょっと、母さん。いきなり何を言い出すの?」
「あら、ルードはクロケットちゃんのこと嫌い?」
「大好き、だけど……」
クロケットはルードに抱き着いた。
大きな胸で押しつぶされそうになっていたルードは苦しそうに嫌がっている。
「く、苦しいよ。クロケットお姉さん」
「うにゃっ、うにゃっ。ルード坊ちゃまから直接聞いたのは、初めてですにゃ。嬉しいですにゃっ」
クロケットはぼろぼろに涙を流しながら、ルードの頭に顔を埋めていた。
「……でも、私にゃんかでいいのですかにゃ? 私、にゃにもできませんにゃ」
「むごむご……」
「あ、ごめんにゃさいですにゃ……」
クロケットは少しだけ力を緩める。
ルードは苦しそうに、それでいて嬉しそうに顔を赤くしている。
「──ぷはっ。く、苦しかった。あのね、ごめんなさい。僕、ママや母さんに言われるまで、クロケットお姉さんがいるのが当たり前だと思ってた。クレアーナに『大好きの意味の違いを考えて』って言われて、それから海辺でクロケットお姉さんと話をして、ちょっとだけわかったんだ」
「はいですにゃ」
「クロケットお姉さんの黒い髪、僕、好きだよ」
「うにゃっ」
「それに、その……」
「うにゃ?」
「柔らかくて大きくて、いい匂いがして、僕──」
二人を見ていたリーダがつい茶々を入れてしまった。
「そうね。ルードはおっぱい大好きだものね」
「ちょっと、母さん……」
「えぇ、ルードちゃんは赤ちゃんの頃からそうだったわね」
「ママまで……」
リーダの隣にいたエリスレーゼまで楽しそうにルードをいじり始める。
「あら、前からそうだったのね?」
「リーダ姉さんのときも?」
「そうね。胸元で抱いてあげると機嫌がよくなるのよね。あの姿のときも、ルードったら触ったまま寝ることも多かったのよ」
「そうそう。抱いてあげると嬉しそうな顔をして眠るのよね。クレアーナも憶えてるでしょ?」
「はい。エリスレーゼ様がいらっしゃらないときは、私が抱いてあげていましたけど、確かに幸せそうな顔をしてましたね。坊ちゃま、変わってないんですね……」
クレアーナも優しそうな目でいらないことを言ってしまう。
「僕、どんだけおっぱい好きなのさ……。いや、嫌いじゃないけど」
「あ、にゃから、顔を赤くしてそっぽ向いてしまうのですかにゃ?」
「そりゃ恥ずかしいってば。母さんでも、ママでもないんだし……」
リーダ、エリスレーゼのニヤニヤした顔。
クレアーナの笑いを堪えていそうな表情。
ルードはそれ以上何も言えなくなってしまった。
「ルード坊ちゃま。私、帰りをお待ちしていますにゃ。お家のことは任せてくださいにゃ」
「う、うん。お願いね。だから全部教えてるんだし」
やっとこの状況から解放される、ルードはそう安堵するのだった。
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あれから夜までルードはクロケットと『温泉まんじゅう』の作り方のおさらいをしていた。
この作り方を教えたのはクロケットだけだった。
もちろんそれは、手で作る方法。
魔法による料理は彼女にはできないが、ルードが作る料理はすべて彼女に教えている。
彼女には、タバサの作ってくれている味噌のことも教えてあるのだ。
こと料理に関しては、クロケットに味見をしてもらいながら最近は試行錯誤して新しいものを作るようにしている。
今回、一からクロケットに作ってもらったことで、『フェンリル印の温泉まんじゅう』をミケーリエル亭で売り出すことができるのだ。
ルードだけが作れるだけではいけない。
こうすることで、レシピを公開すれば一般の菓子職人でも作れるということになったのだ。
仕事を終えて夕食を食べに来たタバサがお茶を飲んで寛いでいる。
ルードはせっかくだから提案してみようと思った。
この国ですらパンは固い。
だからそれをもっと美味しくする方法だった。
「タバサさん、こういうの作れますか?」
「何でも作るわ。こんどはどんな新しいものかしら?」
「あのですね……」
「本当にルード君の発想はとんでもないわね。確かにこの国のパンは美味しいのだけれど、顎が疲れるくらいに固いのよね。これで柔らかいのが作れるっていうんだから……」
「えぇ、僕の予想では間違いなく柔らかくなるはずですよ」
ルードが作ってもらったのは、リンゴに似た果物と砂糖で作る天然酵母だった。
皮と芯しか使わないため、果肉部分は美味しくいただいたあと、酵母づくりを始めた。
数日するとできるであろう酵母でパンを焼くようにクロケットに指示をすると。ルードは食べることなく旅立つことになる。
楽しみは後にとっておいた方がいいのだ。
「ルード坊ちゃま、竈はミケーリエルさんのところで借りればいいですにゃ?」
「そうだね。うちにはないからね」
「それにしても、これ、美味しいわね。ルード君が作ったのと同じくらい。いいえそれ以上かもしれないわ」
「それはそうですにゃよ。愛情が詰まっていますからにゃ」
「はいはい。ごちそうさま」
「うにゃ」
タバサもクロケットの気持ちは知っている。
食事はルードの家でお世話になっていて、よく女子会とまではいかないが、リーダたちと話をしているからだろう。
エリスレーゼも歳が近いせいか、タバサと仲がいいらしい。
クロケットはタバサを姉のように尊敬してるそうなのだ。
タバサはクロケットの料理が大好きで、種族は違えど妹のように可愛がってくれている。
基本的にルードが作るお菓子はミケーリエル亭で出してもらっている。
最近は持ち帰り用の箱をエリスレーゼが考案して、まるでケーキでも持ち帰るようなシーンが見られるようになったそうだ。
紙であーでもない、こうでもないと試作しているときにルードがぼそっとエリスレーゼの耳元で囁いたことからあっさりと作ってしまった。
「展開図っていって、紙一枚で箱を作っちゃえばいいんじゃない?」
「それってどうやって書くの?」
「んっと、こうかな?」
ルードは絵の素質まではなかったようだが、そのルードの落書きをエリスレーゼが清書して、箱はあっさりとできてしまった。
基本的にエリスレーゼは、商売のことに関しては敏いのである。
そうこうしながら、ルードの出発の日が迫っていたのだった。




