第二話 新たな『食っちゃ寝さん』。
「ルード様」
「だからそれやめてください。僕が偉いわけじゃないんですから」
「では、ルード君、でいいんでしょうか?」
「はい。それでいいです。それでお願いします……」
「俺の妹がいるのですが、連れて行ってもらえないでしょうか?」
「はい?」
「いい年して嫁にもいかず、わけのわからない調べものをしているだけの情けない妹なのですが。狼人ですので、獣は寄ってこないかと思います。ルード君の家でこき使っていただいても構いません」
「いや、その……」
「今連れてきますので会ってみてもらえませんか?」
ルードが返事をする前に、ガルムは走って行ってしまった。
ガルムなりに何か理由があって焦っているのだろうが、ルードにはわけがわからない。
「兄さん、離してって。逃げないから」
「うるさい。いつまでも嫁に行かずにブラブラしやがって、この『食っちゃ寝』がっ!」
「あたしより頭の悪い男に興味ないんだから仕方ないじゃないの。悔しかったらもっといい男を連れてきてよっ」
入口あたりから兄妹のやりとりが丸聞こえだった。
ルードは苦笑し、カルフェは何やら申し訳なさそうな表情をしていた。
「聞こえてますって……」
「なんていうか、すみません……」
兄妹のやり取りを聞いて、いたたまれなくなってしまったルードとカルフェ。
ガルムが連れてきた女性は確かに変わっていた。
大きな丸い眼鏡をつけて、ぼさぼさの長い銀色の髪を三つ編みにしている。
ルードと同じくらいの身長で、線が細く、頭に狼人特有の耳がなければ、言われないと人と間違ってしまうような感じだった。
「こいつは俺の妹で、今年二十七歳になるというのに変なものにのめり込んでいて……」
「変なとは何よ。せめて学問と言ってよ。そこいらの変人と同じにしないで」
「何が学問だ。そんなもので食べていけるわけないだろう。……すみません。こいつは名をタバサと言いまして」
「あら、頭の良さそうな可愛らしい子ね。兄さん、こんな小さい子に嫁がせようっていうの?」
「いや、違うから。失礼なことを言うなっ。お前、この方の実家の商会で働いてこい」
「えーっ。働きたくないです。仕事なんて嫌いです。頭脳労働以外は負けなんです」
「お前な、この方はウォルガードの王族だから失礼なことは」
「えっ? ウォルガードの……?」
「はい。僕、フェムルード・ウォルガードと申します」
「あ、はい。私、タバサともうし……。申し訳ありませんっ!」
タバサは瞬時に服従のポーズをしてしまう。
またか、とルードは思った。
ルードがとれる反応は、もう苦笑するしか残っていなかった。
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「あたしは、錬金術という学問を学んでいまして」
「錬金術って、卑金属から金を作るっていう?」
「あら嫌だ。そんな大層なことはできませんよ。あたしが得意としているのは、腐敗と熟成。例えば、穀物からお酒を造ったりですね」
タバサの話から考えるに、この世界の錬金術というものは生物学や化学に近いということになる。
おまけに、料理などの商品開発には欠かせない技術である醸造が得意だということなのだ。
タバサはルードが欲しかった技術を持っていたのだ。
ルードの考えのうちのひとつ『美味しいもので家族を幸せにしたい』。
そのためだけでなく、この集落と交易を結ぶためにもタバサ協力は不可欠なのだ。
「それ、凄いじゃないですか」
「ほら、兄さん。わかる人にはちゃんと理解してもらえるのよ。今まであたしのこと言いたい放題言ってくれて、もう……」
「そう、なのか?」
「はい。熟成というのは例えば肉を寝かせて、旨みを引き出したりできるんです。そうですね……、海で捕れる物も、一度乾燥させた方が美味しいものもありますし」
「そうよ。それも兄さんには言ったのだけれど、信じてくれないのよ……。捌いた肉をすぐ食べるなんて美味しくないって言ってるのに。最低限、二晩は寝かせないと美味しくないのにね。……あ、すみません。余計なことを……」
「いえ、いいんです。できればうちで働いてもらえると助かります。僕もやってほしいことがたくさんありますから。あと、こちらへ物を輸送する際だけ一緒にいてくれたら、あとはシーウェールズで好きなことを研究していただいても構いません。研究のための建物を準備しますので」
「それ、本当ですか? ほら、兄さん。あたしのやってきたことは間違っていないの、わかってもらえたかしら?」
「わかったって。俺が悪かったよ……」
こうしてエリス商会に新しい仲間が増えたのだった。
「ところでルード君は今おいくつなんですか?」
「僕ですか? 十四歳ですけど」
「十三歳年下……、駄目だわこれ……」
キラキラとした尊敬の眼差しを向けてくるルードを見て、タバサはがっくりと肩を落とした。
鈍感なルードは何を言っているのかわかっていないだろう。
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この集落で採れる豆は、やはり小豆と大豆のようだ。
名前は違っていたが、ルードの記憶の奥にあるものと同じものだと思った。
小豆は餡を、タバサの知識があれば大豆であの調味料が作れるかもしれない。
燻製の技術もあれば、クロケットに『ねこまんま』を食べさせることができるかもしれないのだ。
布袋に小豆を少し分けてもらい、ルードはタバサを連れて一度シーウェールズに戻ることにする。
エリスレーゼに狼人との交易をするための相談をしなければならない。
「タバサさん。荷物はそれでいいんですか?」
「えぇ。あたしの財産はこれらの本だけですからね」
馬車に積まれた文献などの書籍。
本当にタバサは研究者だったのだろう。
「僕はあることが終わったら、美味しいものを家族に食べてもらいたいだけなんです。そのためにもこの集落とは交易をしたいんですよ」
「なるほど。あたしはただこうして本を読みながら『それ』にお付き合いするだけで、あとはあたしのしたいことをしていいということなんですね?」
「はい。タバサさんにはちゃんとした部屋を用意します。もちろん、必要な機材もできるかぎり用意しますので」
「それは助かるわ。こちらこそお願いしたいくらいです。兄さんはあたしのしてることを今日まで理解してくれなかったので……。今もわかってるのか半信半疑ですけどね」
「あははは」
ルードもタバサもお互い『変わり者』という意味では似たもの同士。
ルードもお菓子を作り始めると周りが見えなくなるところはそっくりなのだから。
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タバサがシーウェールズに来て一週間が経った。
彼女はエリス商会からそれほど離れていない場所に倉庫を借りてもらい、そこでルードから頼まれたものを調査している。
「タバサさんいます?」
「はいはい。ルード君。頼まれてたあれ、調査終わってるわよ。あなたの予想通り、小麦を加熱させると膨張させる効果のあるものが含まれているわね」
「そうですか。やったーっ」
ルードはシーウェールズの源泉のうち、塩分があまり含まれていないものが湧いているという話を聞いていた。
そこからお湯を汲み上げ、タバサに成分の分析をお願いしていたのだ。
ルードの記憶の奥底にあるもののうち、温泉水に含まれていると予想していた成分。
この国では知られていないもの。
炭酸水素ナトリウム、『重曹』のことだった。
温泉は大きく分けて『硫黄泉』『食塩泉』が多いが、ここにあるのは『重曹泉』ではないかと思ったのだ。
重曹と言えば、菓子作りに欠かせない『ふくらし粉』とも言う。
ルードは実は、シーウェールズで『温泉まんじゅう』を作りたいと思っていたのだ。
小麦に水と卵を入れて焼いても、薄いものしか焼きあがらない。
だからどうしても欲しいものだったのだ。
ルードは家のキッチンで早速作ってしまった『粒あん』と『こしあん』。
これらはエリスレーゼが大はまりしてしまうほどのものだった。
「ルード、甘すぎないで美味しいわ。しっとりと滑らかな舌触りも心地よいわね。私はこっちのつぶつぶも捨てがたいわ。リーダ姉さんもきっと喜ぶと思うわ」
米を粉状にして蒸して作ったひと口大の団子に、あんをかけただけのもの。
エリスレーゼがこれだけ喜んでいたものができた喜びもあったが、その横で涙を流しながらもくもくと口を動かしていたクレアーナを見て、ほっこりしたり、大げさに喜ぶクロケットの胸元を間違って見てしまって顔を背けたりもした。
ルードはこんなことばかりしていたわけではない。
タバサにある調査もお願いしていたのだ。
「そういえばタバサさん。あのことですけど」
「ルード君はとんでもないことを考えていたのね。えぇ、できるかぎり調べてみました。あれは『主人の命令に逆らえない』という噂まではわかりました。誰が作ったのか、どういうものなのかはまだ何とも言えません。ですが、魔法が作用しているとしか思えませんね」
ルードが調査をお願いしていたのは『隷属の魔道具』のことだった。
エランズリルドへ攫われたと言われている獣人たちの首にあると聞いていたもの。
クレアーナから少しだけ話を聞いたことがあったのだ。
力押しで彼らを助けることは可能かもしれない。
ただ、その場で『死ね』と命令されたらどうなってしまうか。
ルードの『限られた空間を支配する』という力。
それがあるからこそ、その魔道具は恐ろしいと思える。
これがルードが考えなしに助けにいけない理由のひとつだったのだ。
彼らが受けている扱いを想像すると心が痛い。
クレアーナの話では、死んでしまうような虐待は受けていないだろうという。
長年に渡って行われてきた『悪習』をルードひとりでどうにかできるかはわからない。
それこそエランズリルドを解体でもしない限り難しいはずなのだ。
それを何とかして助け出し、解放するにはルードひとりの力ではどうにもならない。
かといってリーダやフェリスたちは、それ自体に興味があるわけではないのだ。
これはルードが思っただけのこと。
この世にルードを嫌う者もいるだろう。
そのひとりがあの豚だ。
獣人たちを人質に取られでもしたら、それこそフェリスのような方法を取らない限り、圧倒的な力でひれ伏させない限り無理だろう。
そうならないためにも、ルードはひたすら考えることしか今はできなかったのだ。
「ルード君の話を聞いて、あたしも腹が立ったわ。兄さんたちも力を貸してくれるかもしれない。でも、考えなしに動いたら、どれだけの被害が出るかわからないものね……」
「そうなんです。それが歯がゆくてたまらないんです……」
ルードにはフェリスやリーダのような『圧倒的な破壊の力』はない。
マイルスが庇ってくれたときの、あのときルードが使った力。
とにかく今は力を磨いて、作用を大きくできるようにするしかない。
あの力の使い方は間違っていないはずなのだから。
うまく使えば相手を傷つけることなく屈服させることができるだろう。
あのときは咄嗟に加減しなかったから、あの男がどうなってしまったのか予想ができないのだ。
もしかしたら精神に異常をきたしてしまったかもしれない。
敵対する相手を心配してしまうほど、ルードは優しい。
それが命取りにならないとも限らないのだ。
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ルードが『フェンリル印の薄皮まんじゅう』の試作に成功したとき、アルフェルたちが戻ってきたとの報告があった。
重曹泉のお湯を冷まして、小麦粉と砂糖を練って作った生地を餡に薄く被せて蒸しあげただけの簡単なもの。
元の温泉水の色もついていい感じの色に蒸し上がっていた。
大きさは子供でもひと口で食べられるくらいの大きさ。
味については、素朴で甘さ控えめ。
ほっとするような優しい味に仕上がっていて、予想通りのものができたと思っている。
それを持ってエリス商会へ向かうことにした。
アルフェルとエランローズが皆を労っているところだった。
マイルスたちは初めての仕事だったのだろうが、思ったよりも元気そうだ。
それを見ていたルードに音もなくリーダが近寄ってくる。
「お帰りなさい、母さん」
「ただいま、ルード」
「どうだった?」
「とりあえず、盗賊の類は出てこなかったわね。一応あの紋章も役にたったのかもしれないわ。ヘンルーダもとても喜んでいたわよ」
「そっか。それはよかった」
「あら? ルード、それは?」
「うん。新作だよ」
リーダはルードの肩越しにひょいとそれを摘まんでひと口で頬張ってしまう。
「母さん、駄目だって……」
リーダは美味しさを表現するまえに、ルードをぎゅっと抱きしめた。
「美味しいっ。何これ。外がもちもちしてて、中はこれ、滑らかなぬとっとした何かが入ってるわ。それほど甘くなくていくつでも食べられそう」
そう言いながら、もうひとつ摘まんで食べてしまう。
かなり多く作ってきたのだが、ひょいぱく、ひょいぱくっとリーダの食べるテンポが止まらなくなりつつある。
「駄目だって、みんなの分がなくなっちゃうよ」
「あら嫌だ、わたしったら……」
リーダは口元を手で押さえて、笑顔で誤魔化そうとしていた。
「あとで沢山作ってあげるから、今はちょっとだけ我慢して」
「わかったわ。約束だからね?」
「はいはい」
商会に入っていくルード。
マイルス、シモンズ、リカルドはルードの姿を見つけると片膝をついて頭を下げる。
「ただいま戻りました」
「やめてってば。とにかくお疲れ様。どうでした?」
「はい。自分はこれほど充実したのは久しぶりでございます」
「そりゃこの後、ミケーリエルさんが待ってるからなぁ」
「うん。新婚さんはこれだから」
「ちょっと、それは関係ないでしょう」
この国での婚姻関係はお互いが認め合えば成立するのだそうだ。
国や集落、村や町などで違うらしいのだが、シーウェールズはそこまで野暮な国ではないということだろう。
出発の前日、マイルスはミケーリエルに受け入れてもらったそうなのだ。
「そうだったんですか。マイルスさんおめでとうございます」
「はい。ありがき幸せに存じます」
「だから、やめてって……」
マイルスはルードをからかっているわけではない。
本心からルードに忠誠を誓っている。
それはリカルドやシモンズも同じなのだ。
ルードの命により、エリス商会の護衛を、サポートをこの国での仕事としている。
ルードだって嬉しくないわけではない。
ただ、慣れていないためくすぐったく感じてしまうのだ。
「これ僕の新作です。『薄皮まんじゅう』って言って、シーウェールズの温泉の成分を使って作ったんですよ」
それを聞いたエリスレーゼが目を光らせた。
両手をルードに出すと、ルードはひとつ手のひらに乗せてあげる。
ひとくち齧ると、笑みがこぼれてくる。
『フェンリルプリン』や『フェンリルアイス』とは違った優しい甘味。
パンとは違う甘みのある皮。
エリスレーゼも何個でも食べられる、そう思ったのだ。
「ルードちゃん。天才よっ!」
「あははは。みなさんもどうぞ。あ、タバサさんもいいところに。新作ができたんです」
「あら、その小さいの?」
「はい。どうぞ」
「はむっ、こ、これは……。とても優しい味ですね……」
このタバサの存在がなければ実現しなかっただろう。
ルードの記憶にある錬金術とは方向性が違うが、人々を幸せにする良いものなのだ。
ルードが欲している『あれ』もいずれできるだろう。
楽しみで仕方がないのだ。




