第二十四話 解決方法は二通り。
ルード家の朝。
あちこちから、家人たちの気配を感じることはできるのだが、屋敷の中からはリーダの匂いがしない。
厨房をそっと覗いても、朝食の準備に忙しい、大型飛龍のエライダとシュミラナの姿し見えない。
そこにクロケットの姿はないが、少し遠い場所から彼女の匂いは感じられる。
方角で言えば、ケティーシャ村。
昨夜から、そこにいるのだから当たり前だろう。
彼女の存在は感じられるのに、『おはようございますですにゃ』の声を聞くことはできない。
それを実感するとルードは、現実に引き戻される感覚を覚えてしまう。足下を見てしまうと、じわっと涙が滲みそうになる。
だから、無理をして上を向いてみた。
これはイエッタから教わった、『男の子なのですから』という、やせ我慢の方法のひとつである。
洗面所から、中空を器用に浮かびながら出てくる姿があった。
背中に天使のような翼を持ち、綿毛のようなくるくるもこもこした純白の巻き毛の、唯一ルードより背の低い女の子。
飛龍の国の王女様、けだまことマリアーヌだった。
「お兄ちゃん、どうしたの? どこかいたいの?」
「あはは。おはよう、けだま。大丈夫だよ。欠伸をして、涙が出てきちゃっただけだからさ」
けだまはもう四歳になったはずだ。
飛龍の子供は早熟で、初めて出会ったときからすでに、幼少のころのルードのように、意思の疎通ができたほどである。
そんな彼女は天然さを装ってはいるが、かなり計算高く思慮深い面も持ち合わせている。
もちろん、ルードがクロケットのことで、心を痛めていることは承知しているはずだ。
だからこうして、とぼけた振りをしながら、心配してくれているのだった。
ルードにとってけだまは、妹と同じ存在で庇護の対象だ。
可愛い妹に心配させてはいけないと、笑顔で誤魔化す。
「エラちゃんとシュミちゃんがね、もうすぐご飯だからっていってたの?」
「あー、うん。わかった、後から行くからね」
「うん、わかったのっ」
背中の翼をはためかせ、重力を感じさせないかのようにぴょんぴょん飛び跳ねながら、ルードに背を向け居間へ行くけだま。
ルードは両の手のひらで、自分の頬を軽く叩き、ほんの少しだけ気合いを入れ直す。
「うん。もっとしっかりしなきゃ、駄目だよね」
そういえば、キャメリアの姿が見えない。
いつもならば、用事がなければルードの行く先々で待っていたりするものなのだが……。
居間に出てきても、そこにはイエッタ、フェリス、黒猫姿のオリヴィア。
先に来ていたけだまとイリス。やはりここにもいないようだ。
「あらおはよう。ルードちゃん」
イエッタがルードに声をかけてくれる。
「おはよ、ルードちゃん」
朝から元気なフェリス。
「おはよう。ヘンルーダとクロケットちゃん。オルトレットは村にいるわよぉ。昨日はしっかり眠れたかしらぁ? ルードちゃん」
「あ、はい。おはようございます」
気遣いをしつつ、ルードの質問の先回りをして、必要な情報をくれるオリヴィア。
ルードは三人の傍に座る。
彼は何も言わずに、正座をしてじっと三人を見ている。
「誰もルードちゃんをしかろうとしてるわけではないの。そんなに畏まらなくてもいいのよ? とにかく、朝食にしましょう。ルードちゃん」
「はい、イエッタお母さん」
▼
朝食が済み、お茶を一気飲みするフェリス。
「早速で悪いのだけれど。あのね、ルードちゃん」
フェリスが口火を切る。
「はい」
「今日、あっちに戻るでしょう?」
「はい」
「あの神殿長とかいう人間。あれの尋問をするとしてね」
「はい」
「おそらくだけど、何も知らされていないはず。『そういうものだ』と教えられて、魔道具を使ったと思うのよね」
「あ、はい」
「私たちが話し合った結果なんだけどね。クロケットちゃんを目覚めさせるには、二つの方法しかないと思うのよ」
実にストレートな言葉だった。
「はい」
「ひとつはね、この四つの魔道具を作った人。この、『アーライト・ヴァレンテン』ってヤツか、そいつの取り巻きを捕まえて、魔道具の解除方法を聞き出す」
「……はい」
「ただ、ルードちゃんの能力は、効かないと思うわ。きっとそいつも、ルードちゃんたちと同じ『悪魔憑き』なはずだから」
「……はい」
「これを見て」
フェリスが腰につけているのは、キャメリアが偽装のためにつけていた『魔法袋』だ。
キャメリアには必要はないのだが、フェリスたちの研究に役立つだろうと、ウルラから譲ってもらったものの一つ。
そこからフェリスが取り出したのは、小さな黒い宝玉の嵌まっている、無骨な指輪だった。
それを右手の指に填める。
「ルードちゃん。私に『支配の能力』を使ってみてくれる?」
「……はい?」
「いいから」
「あ、はい。わかりました」
ルードは左目の奥に魔力を集め、魔力の白い靄でフェリスを柔らかく包み込む。
「ルードちゃん。そのまま、無理目なお願いをしてみて?」
「んー、そしたら。『僕の頬を、おもいきり叩いてください』」
ルードはそう言うと、目をぎゅっとつむる。
いくら覚悟をしていても、痛いものは痛いのだから。
「……あれ?」
ルードは目を開けて、きょとんと見上げる。
「やっぱりね。この指輪がそうだったみたいだわ」
「これって?」
「オリヴィアちゃんに『読んで』もらったの。『耐性の指輪』って言うんだって」
「えぇ。そうですねぇ。なんでも、『隷属の首輪』のね、試験をするために作られたそうですよぉ」
オリヴィアはそう、おっとりした口調で説明してくれる。
「そう、『書いてあった』んだって。世の中、広いわ。私には絶対に作れないから」
あの神殿長を名乗る男に、ルードの支配の能力が通じなかったのは、この指輪せいだった。
「怖い、ですね」
「(ルードちゃんの能力も大概なんだけど)ね、これでわかったでしょう? もしかしたら私の炎の能力も、全く通用しない魔道具が存在するかもしれない」
フェリスは『消滅』の能力も絶対ではない、そう言っているのだ。
「はい」
「話が逸れちゃったわ。あともうひとつはね、私が作ってる未完成の魔法。『時空間制御の魔法』。シルヴィネちゃんたちの『隠す』をね、再現しようと使った魔法なんだけど、ちょっと違ってたのよ。えっと、……説明がめんどくさいから、やってみせるわね」
こくりと頷くルード。
フェリスの目の前にある、食後のデザート。
浅いワイングラスに似た陶器製の器。
いわゆるデザートグラスと呼ばれる類いのもの。
その上に乗った、大きなプリン。
フェリスは、右手の親指と人差し指で輪っかをつくり、少し能力を入れるとグラスを指先で弾いてしまう。
軽く『カタン』と音を立てて、グラスはテーブルの上に倒れる。
その勢いで、テーブルの表面へ崩れるように、プリンは落ちてしまった。
「あぁああああ――フェリスお母さん、何やってるの? 今、拭くのを持ってくるから」
ルードはちょっと慌てる。
フェリスが自分の大好物に対して、こんなことをするなんて思っていなかったのだろう。
「いいわよ。ちょっと見ていなさいって」
フェリスは目をつむり、深く息を吸って、ゆっくりと吐く。
崩れてしまったプリンに両手をかざしながら、口で呪文を紡ぎ始める。
「『我願うは――』物凄く長いから省略。『どっこいしょっ!』」
何度も何度も、繰り返し詠唱したから強くイメージできる。
起動になるきっかけさえあれば、顕現させられるのだろう。
ルードは目を疑うような、現象を目の当たりにする。
「あ、あぁああああ……?」
勝手にグラスが立ち上がり、そこにプリンが『戻っていく』のだ。
まるで、時間を巻き戻したかのような、映像を逆転再生しているかのような。
あり得ない現象。
フェリスの額には、脂汗が滲んでいる。
顔色も、唇まで若干青ざめていた。
右手にグラスのステムを握り、小さな口を大きく開けて、つるりとプリンを一気飲み。
無理をしてルードに笑って見せる。
「――ふぅ。今はこの程度が精一杯なのね。全身から魔力が抜けて、気持ち悪くなっちゃったわ」
かなり辛い枯渇状態。フェリスは一度の魔法の行使で、魔力を使い切ってしまったわけだった。
「い、今のが?」
「そうよ。まだ完成していない、……というか、私でも魔力が足りなくてね、ここまでしかできないの。でもね」
「はい」
「これを応用すれば、首輪の例の部分を、切り離すことも可能かもしれないわね」
「…………」
実に物凄い、末恐ろしい魔法。ルードは生唾を飲み込んだ。
「ルードちゃん」
「はい」
「私もイエッタちゃんから教わったのだけれど。『魔法はどう顕現させるか、強くイメージすることが大事』というのを、忘れてないわよね?」
「はい」
空港を地ならしするときに使った、土の魔法もそうだった。
フェリスから教わった魔法は、とにかく制御が難しい。
同時に魔力を馬鹿食いするのだ。
「もう少し使いやすく調整するわ。そしたら教えてあげる」
「はい。フェリスお母さん」
少しだけ先が明るくなったと思うと、ルードの表情も前向きな感じになってきていた。
「ただね。私の魔力を全部使っても、あの程度しかできないの。もしかしたら、私よりも多くの魔力が必要かもしれないのよね……」
「まぁ、その点は大丈夫だと思うのよねぇ」
オリヴィアがフォローする。
「そう?」
「あのねぇ、私が見るとね、全部数値で書いてあるのよぉ。フェリスちゃんも、まだ伸びしろはあるのだけれど」
「この歳になってもまだ、成長してるのね」
フェリスは自分で自分に突っ込んでしまう。
「ルードちゃんはね、フェリスちゃんよりも、伸びしろがあるみたいなのよぉ」
「それ、ほんと?」
「でもね、今はまだ、フェリスちゃんの五分にも、満たないのですけどねぇ」
「あ、やっぱり?」
オリヴィアが言うには、魔法を使っている頻度が違いすぎるとのこと。
毎日、鍛錬するかのように、使い続けていけば、いずれ器は大きくなる。
実はクロケットの方が、今のルードよりも、体内に内包する魔力の総量は多いそうだ。
「そう、だったんだ……」
よくよく考えて見たらおかしいはずだ。
ネレイティールズの一件で、ルードとキャメリア二人に魔力を分け与えても、けろっとしていたのだから。
クロケットもとてつもない成長を遂げていたとしても、おかしくはないのである。
▼
イエッタが今後の予定を、ルードにも教える。
「今まで通り、我が『見て』、フェリスちゃんとシルヴィネちゃんとで判断します」
「はい」
「その結果がね、実はルードちゃんの『情報』にある『備考欄』の、我の『項目』に反映されているようなのです」
「えっとその。何を言ってるのか、よくわかりません……」
イエッタの言っていることが、ルードにはさっぱり理解ができていない。
「要はねぇ。私とイエッタちゃんの間でなら、〝ショートメール〟みたいな〝双方向通信〟に似たことが可能なのですね」
「あー、うん。さっぱりわかりません」
ルードは両手を挙げて降参する。
「私がイエッタちゃんに伝える方法を、もう少し工夫しないといけないのですけどねぇ」
「それは我も考えてみたのですが、良い方法があれば――」
「あ、キャメリアちゃんに代わってもらうなりすれば、どうにでもなると思うわよ」
「「フェリスちゃん、それ採用」」
『悪魔憑き』同士の二人の会話。ちんぷんかんぷんな状態のルード。
「とにかくね、ルードちゃん」
「はいっ」
フェリスが総括する。
「グリムヘイズに戻るのは、ルードちゃんとキャメリアちゃん」
「はい」
「あとは、オリヴィアちゃん。この三人で行ってもらうわ」
「はい」
「クロケットちゃんは、こっちに残さないと怖いし。こっちにいたら、首輪を調べ続けることもできるから。それにね」
「はい」
「辛くなったら、オリヴィアちゃんから魔力をもらいなさい。そうすればね、キャメリアちゃんもあっちで飛ぶことができるはず」
「あ、でも。大丈夫なのかな?」
ルードが腕組みをして心配そうな顔をする。
そんな表情を、笑い飛ばすようにフェリス。
「このことでしょ?」
魔法袋から取り出したのは、『隷属の首輪』の対になる腕輪。
「『隷属の首輪』はね、昨日のうちに外しちゃった。安心していいわよ」
よく見ると、オリヴィアの首には三本の首輪しか存在しないようだ。
「あれも立派な研究資料だからね。キャメリアちゃんにね、『あの部屋』のを全部持ってこさせたのは英断だったわ。よくやった、ルードちゃん」
クロケットとオリヴィアが捕らえられていた部屋の、魔道具を全て持って帰らせたことを言っているはずだ。フェリスは膝立ちになって、ルードの頭を撫でる。ルードはちょっとだけ、気持ちよさそうな表情になった。
「現状、私には何もできない。魔法研究をする者として、確かに悔しいわよ? でも悔しいなりに、私も足掻いてみせるから」
『時空間制御の魔法』の調整のことを言っているのだろう。
「はいっ」
▼
「お姉ちゃん。行ってくるね」
ヘンルーダの腕に抱かれて、規則正しい寝息をたてるクロケット。
「お母様。ルード君をお願いします」
「えぇ。任せてちょうだい。クロケットちゃんの面倒。しっかりお願いね、ヘンルーダ」
「わかってるわよ。いつまでも子供じゃないんですから」
「そうかしらぁ? いたずらばかりして、オルトレットを困らせていたのは、どこの誰だったのかしらねぇ?」
「んもう」
ヘンルーダは、珍しい表情を見せる。
「――うにゃぁ」
まるで同意でもするように、クロケットの寝言が聞こえてきた。
「ヘンルーダお母さん、お姉ちゃんをお願いしますね」
「ルード君も、無理はしないようにね?」
「はい。わかってます」
昔ルードが、猫人族の集落と呼んでいた、ケティーシャ村。
族長であったヘンルーダの住む屋敷から、ルードたちは出てくる。
表に出ると、子供たちの面倒を見るイリスの姿。
子供たちにぶら下がられたり、おもちゃになっているオルトレットの姿。
「ルードちゃん」
「ママ」
見送りに来てくれたのだろう。エリスの姿があった。
「クレアーナは?」
「お店にいるわよ。『坊ちゃま、道中無事を祈ってます』って、言ってたわ」
「うん」
「ルードちゃん。リーダ姉さんをお願いね? あの人、やり過ぎちゃうところがあるから」
「あははは。母さんらしいや」
「じゃ、私も商会に行くわね。カンパニーの方は、私が見ているから。安心して行ってらっしゃい」
「はい。ママ」
ルードはケティーシャ村を出ると、ウォルメルド空路カンパニーを覗く。
ちょうど、大型飛龍のリューザが飛び立つところだった。
飛龍の視力はどの種族よりも優れている。
ルードの姿を見かけたのだろう。
いつもより多めに旋回しながら、キャメリアの数倍はあるだろう、そのとてつもなく大きな翼で空へ上がっていく。
タバサの工房に挨拶。
走り回る、黒色飛龍のラリーズニアがこっちを見て会釈。
奥からタバサの声がすると、慌てて工房へ戻っていった。
エリス商会に立ち寄り、忙しそうにしていたクレアーナに、声をかけて手を振ってきた。
彼女も一瞬だけこちらを見て、会釈。
笑顔で見送ると、すぐに仕事に戻っていく。
ゆっくりとした足取りで、商業区を抜けていく。
皆に見送られ、手を振って挨拶を交わす。
「いい町ねぇ」
ルードの肩に乗るオリヴィア。
「はい。母さんが大好な商業区ですから」
「それにしても、不思議なものねぇ」
「何がです?」
「だって、ここに居る人は皆さん。最強の種族の、フェンリラであり、フェンリルなんでしょう?」
そういえば、狼人族のタバサも同じことを言っていた。
親子二代でお世話になっている串焼き屋の店主も、その隣の店員のお姉さんも、ウォルガード王国の民だ。
他の種族からみたら、上位種族ということを忘れてしまうほど皆、優しい笑顔をしてくれる。
「あ、そうですね。すっかり忘れてました」
そうしながらルードたちは、屋敷の中庭に戻ってきた。
そこには、イエッタとフェリスが見送りをするために、屋敷の前に出てくれている。
「あれ? キャメリアがいない」
そう思ったところで、彼女は屋敷からシルヴィネと一緒に出てくる。
何だか彼女は、少しやつれた感じが見受けられた。
「遅れて申し訳ございません」
「そうですよ。ほら、しっかりなさい」
そう言うと、彼女はキャメリアのお尻を、『パァン』と大きな音を立てるように叩く。
キャメリアは、少しシルヴィネを恨めしそうに見る。
娘には案外手厳しい、シルヴィネ。
魔道具の受け渡しや、状況の説明など。
今までかかっていたと、キャメリアは言う。
「あはは。お疲れ様」
「これくらいどうということはございません。ですが、ちょっとだけ失礼いたしますね」
オリヴィアは空気を読んだのか?
イエッタの元へ走って行った。
入れ違いにキャメリアは、あっという間にルードとの距離を詰める。
彼を胸にぎゅっと抱きしめた。
腕の間から覗く、彼の頭頂部に顔を埋める。
そこでゆっくりと深呼吸。
「――すはぁ。なるほどですね。イリスさんの言う通り。『ルード様分』の補給は、元気になれるようです」
「……何言ってるんだか」
フェリス、イエッタ、シルヴィネの三人に見送られ。
飛龍姿のキャメリアは、屋敷の上空へと昇っていく。
第二の故郷となった、このウォルガードへ暫しの別れと言わんばかりに。
『ドンッ』という音を残して、南の空へと飛び去っていった。
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