第二十一話 もうひとりの黒猫さん。
クロケットたちを助け出し、グリムヘイズへ向かう馬車の中。
キャメリアが飛龍の姿になり、ルードとウルラを乗せて行けば、あっさりと着いてしまうだろう。
だが、そういうわけにはいかない。
キャメリアが空を飛ぶためには、一定以上の魔力が必要となる。
そもそも、キャメリアが飛ぶ事自体、この大陸ではそれだけで事件になる。
それにいくらクロケットや、もう一人の黒猫から魔力を分けてもらえるからと言って、無駄に使うわけにはいかないのである。
クロケットたちを奪還したこともあり、往路よりはある程度、時間的にも気持ち的にも余裕があるから、こうして馬車で戻ることになっというわけだった。
ルードはクロケットを膝の上に乗せていた。
彼女はいまだ、静かに寝息をたてている。
背中を愛おしそうに撫でるルード。
たまに『うにゃぁ……』という寝言を言うクロケット。
もう一人の猫人は、キャメリアが膝の上に抱いている。ウルラがそうしていると、魔力にあてられてしまうのか?
ウォルガードに来たばかりのころのクロケットのように、『魔力酔い』に似た症状になってしまうからだった。
あれだけの敷地にあった魔道具に必要な魔力を、ひとりで賄っていたほどの魔力放出量。
魔力に依存しない体質のウルラには、少々毒とも言えるのだろう。
眠っているクロケットたちは、いずれかの首輪によって魔力を放出し続けているからだろう。
魔力吸収、回復効率の高いこの姿であっても、魔力酔いになることはないのかもしれない。
「……そういえばウルラさん」
「どうした?」
クロケットの背中を撫でながら、ルードはウルラに問う。
「誰だったんでしょう? あのとき僕たちを助けてくれた人は」
おそらくはあの、神殿長を名乗っていた男の腕を、切り落とした人のことを言っているのだろう。
ルードにはやはり、リーダがいたことに気づいてはいなかったようだ。
もちろん、あの場にいたキャメリアもそうだった。
ウルラは腕組みをして、首を傾げる。
「そうだな。あのとき居合わせた冒険者の誰かかもしれんが、もしかしたらあいつかもしれんな」
「あいつ、ですか?」
「あぁ。リンゼのことだ」
「あー、忘れてました。母さんのお姉さんのお姉さんですか」
わかりにくい表現だが、リーダの姉のひとり。
ウォルガード王国、第一王女フェルリンゼのことを言っている。
「そうだ。あいつは、風の魔術が得意でな。まるで剣や槍を振るうかのように、獲物を仕留めるんだよ」
「あー、うん。。あそこでは匂いもわかりにくいですからね。通路の向こうから、魔法で、……なるほど、そうかもしれませんね。でも、なんで名乗り出てくれなかったんでしょうか?」
「どうだろうな。あくまでもこれは、『もしかしたら』だ」
「そうですか。とにかく、会ってみたいですね。もうひとりの僕の伯母様にも」
「あははは。そうか、あいつらはルード君の伯母にあたるんだったな。リンゼのヤツ、いつもあたしより若いとか言ってたり、ひとを『おばさん』扱いしたりだが、全く笑えないじゃないか。国の第一王女が放蕩娘では、ざまぁないな」
ウルラとリンゼは、口喧嘩をする仲なのだろう。
それでいて、ウルラはリーダの姉たちよりも年上。
とてもそうは見えないからか。
「あははは」
獣人種や鳥人種の見た目は、本当にわからないものだ。
ルードはただただ、愛想笑いをするしかなかった。
▼
グリムヘイズの町に、ルードたちの乗る馬車が到着する。
冒険者互助会、通称ギルドの建物前に馬車が止まると、客車のドアが開く。
そこからは、先にキャメリアがタラップを降りてくる。
キャメリアが振り向き、タラップに向けて両腕を広げる。
するとルードが出てきて、二人の黒猫をキャメリアに預ける。
「ありがと」
そう言うとルードはタラップを降りる。
降りきったところで、回れ右。そこにはウルラが降りてくるところだ。
「はいっ」
「お? なんだなんだ?」
ルードがウルラに向けて、手を差し伸べる。
彼女はつい、つられてルードに右手を差しだしてしまう。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。これはあまりにも……」
ウルラには珍しく、頬を染めて恥ずかしがってしまう。
恥ずかしそうにしながらも、ゆっくりとタラップを降りるその姿は、まるで大店の女将か、はたまたどこかの貴族の女主人のような貫禄だった。
ウルラは確かに、顔立ちは整っている。
だが、服装が服装だ。
ルードたちと同じ、いかにも商人という様相をしているのだから。
「あ、そっか。母さんと間違っちゃった。あははは」
そうして後ろ頭をかくルード。
「お前なぁ……。ていうか、ルード君の母親は、いつもこうなのか? どれだけ王女様なんだよ」
「よろしいではございませんか? ルード様は、リーダ様とご一緒のときのように、落ち着いていられた、ということでございます」
「そ、そうか。それはそれで、悪くはないんだな。うんうん」
妙に納得してしまうウルラだった。
「じゃ、あたしは報告してくるから」
「あ、はい」
照れ隠しなのだろう。
ウルラは走って建物に入っていった。
「ルード様」
「あー、うん。ありがと」
キャメリアから、クロケットを受け取る。
ギルドを背にして、町を見回す。
「お姉ちゃん。ここがグリムヘイズだよ。見てよ。猫人さんだって、犬人さんだっているんだ。まるでシーウェールズみたいでしょ?」
ルードはクロケットに話しかける。
「――うにゃぁ」
まるで返事をするように、相づちを打つように聞こえる声。
だが、ルードの腕に抱かれたクロケットは、いまだ目を覚まさない。
それどころか、今のようにときおり寝言を言うほど、気持ちよさそうに眠っている。
「ルード様」
「あ、うん。わかってる」
キャメリアに促され、ルードはギルドへ入っていく。
中は思ったより人が少なく感じる。
それは仕方ないだろう。
冒険者たちの大半は現在も尚、グルツ共和国だった町で、対応にあたってくれているのだ。
受付を見ると、ナイアターナと話しをするウルラの姿が。
ルードの姿を見かけたナイアターナは、手を振って笑顔。
ルードも同じように応える。
横に視線を移すと、すぐに目に付く巨漢の執事。
ルードと目が合うと、深く会釈をするオルトレット。
「お帰りなさいませ。ルード様」
見送ったときの、何かを思い詰めたかのような目と違っているのが見えたのか?
報告を受ける前から、悪い結果になってはいないことを感じ取ったのだろう。
「あ、はい。ただいま」
「ところでルード様。その、姫様は?」
「ここにいますよ」
そう言ってクロケットを見る。オルトレットはルードの視線を追う。
そこには、黒く艶のある毛。二股に分かれた尾を持つ、黒い猫。
ルードはオルトレットにクロケットを預ける。
彼はまるで赤子でも抱くかのように、細心の注意を払う。
「こ、これは。……なるほど、そういうことでございましたか」
オルトレットは、彼女の首にある複数の首輪に気づいたのだろう。
もの凄く辛そうな目をしている。
「ところでルード様」
「はい?」
「そちらの方は。どなたでございましょうか?」
「そちらのって――あぁ。お姉ちゃんと一緒にいた人だよ」
ルードはキャメリアの腕に抱かれた、黒猫を見て言う。するとどうしたことだろう。
ルードが見たとき、黒猫の首元から『ぷつり』と、何かが弾けるような、千切れるような小さな音が聞こえた。
同時に、黒猫のゆっくりと目が開いていく。
「――ふぁああああっ。んぅ。……ほんとぉ、酷い夢だったわぁ」
大きくあくびをしたと思うと、半分開いた寝惚け眼で左右をきょろきょろ。
右前足で、猫が顔を洗う仕草で、目元をごしごし。
「…………」
目の前のオルトレットを捉えると、ふにゃりとした、微笑むような目元を見せる。
「オルトレットじゃないの。あららぁ? どうしたの? 一晩でそんなに老け込んじゃって? まぁたヘンルーダが、いたずらでもしたのかしらぁ? 苦労かけてしまって、ごめんなさいねぇ……」
おっとりとした口調。彼女の口から、ルードも聞き覚えのある名前が飛び出てきた。
「…………」
そのとき、黒猫から『くぅっ』という可愛らしい音が聞こえた。
「あら嫌だ。ごめんなさいね。でもしかたないのよぉ? お腹が空いてしまって、いるんですものね。私のせいじゃ、ないんだからねっ。うふふ。〝ツンデレ〟って、こんな感じなのかしらね?」
お腹の音を誤魔化すように、愛想笑いをする。
「オルトレット。あの人とヘンルーダは、もう、起きてるのかしら?」
クロケットを抱いたまま、キャメリアの前に歩いて出てくるオルトレット。
「お……」
「お?」
首をこてんと傾げる仕草。どこかクロケットに似ている感じがする。
キャメリアの目にも、そう映ったことだろう。
「王妃殿下っ! 生きておられたのですねっ?」
クロケットを左腕に器用に抱き、右手を背中に回して片膝をつく。
「「王妃殿下ですか?(なのですか)?」」
ルードとキャメリアが驚く。
「あのね、オルトレット」
「は、はいっ」
「朝っぱらからね、声が大きすぎるわよ?」
「申し訳ございませぬ」
「生きてるもなにも、大げさねぇ。私はこうしてぇ、……ってあらぁ?」
自分の肉球のある右手の手のひらを見て、左の爪の先でつんつんとつついている。
「何かしらね? このぷにぷにした、〝肉球〟? みたいなものは。まるで、魔法使いの〝使い魔〟にね。なってしまったようじゃないの。そう思わない? オルトレット」
彼女の言葉には、ところどころルードには聞き覚えのない単語が出てくる。
▼
「――そう。あれは、夢じゃなかったのね?」
「はい。あのような事態になってしまい、申し訳ございませぬ」
ギルド受付の奥、ルードたちが打ち合わせをしていた部屋。
ここには、ルードと彼の膝の上にクロケット。
キャメリアにウルラ。
オルトレットと黒猫の女性。
オルトレットが言うには、彼女はケティーシャ最後の王妃。
クロケットの祖母にあたる人らしい。
黒猫姿の彼女は、テーブルの上に置かれた、草木で編まれた籠の中。
柔らかな布に包まれて横になっている。
「それで? あの人はもういない、可能性が高いのね?」
「……左様にございます。弔いはまだでございますが。陛下は最後まで、貴女をかばっておられましたので」
彼女の言う『あの人』というのは、亡くなったとされるケティーシャ王国国王のこと。
「ヘンルーダは? あの子は、どうなったのかしら?」
「はい。ご存命にございます。残念なことに、ジェルミス殿下は、二十年ほど前に亡くなったとのことでした」
「そうなのね? あの子たちは、幸せだったのかしら?」
「はい。そこに御座します方こそ、ヘンルーダ王女様のご息女、クロケット姫殿下にございます」
「あらまぁ、〝コロッケ〟だなんて、美味しそうな名前ですこと。……ところでその、可愛らしい男の子は、誰なのかしら?」
ルードはまっすぐに彼女を見る。
「はい。僕は、フェムルードです。お姉ちゃんとはその……」
「そう。手を見せて、くれるかしら?」
ルードは首を傾げながらも、彼女の言ったようにする。
「もう少しこちらに。そう、ありがとう」
そう言うと、ルードの手の上にそっと両の前足を乗せる。
目を瞑ると、彼女の身体からクロケットに似た色の魔力が立ち上る感じが見て取れた。
「ふむふむ。なるほどなるほどぉ? 十六歳。フェンリル。お母様の名前はフェルリーダさん。お婆さまがフェリシアさん。あらやっぱり、『消滅』さんの曾孫ちゃんなのね? それも、王子様だなんて驚きよねぇ」
「……へ?」
ルードは素っ頓狂な声をあげる。
それもそのはず。
先ほど目を覚ましたばかりの彼女が、ここまでルードの素性を知るわけがないのだから。
「あらあら。クロケットちゃんと、婚約してるのね? そうそう。遅くなってごめんなさい。私はオリヴィア・ケティーシャ。フェリスちゃん、イエッタちゃん、シルヴィネちゃんのようにね。『オリヴィアお母さん』って、呼んでくれると嬉しいわ。あら、シルヴィネちゃんのことは、お母さんって呼んでなかったのね? でもね、シルヴィネちゃんもね、『シルヴィネお母さん』って、呼んで欲しいみたいなのよ?」
ルードは自分のファーストネームしか名乗っていないのに、もはや情報がダダ漏れだった。
「な、なんで僕のことをそんなに?」
「それはね。〝備考欄〟に、書いてあるのよねぇ」
「びこうらん、ですか?」
ルードはもはや、ちんぷんかんぷん。
「ルード様。申し訳ございませぬ。その、王妃殿下には、『隠し事』ができないのでございます……」
「大丈夫よ。私はね、『瞳のイエッタ』ちゃんのような、特殊な能力はないの。こうしてね、両手で触れたときだけ、全部頭に浮かんでくるの」
「それって、もしかして」
「そうねぇ……。あなたの称号の一つと同じ、『悪魔憑き』と言えば、納得してもらえるのかしら?」
ルードの後ろに立つキャメリアだけは、『十分に特殊な能力でございますよ』と、心の中でツッコミを入れるのだった。
▼
ところ変わってウォルガード王国。王城にあるフェリスの私室。
「『同級生』さん。目を覚ましたみたいですね」
糸目を薄く開けて、少々驚きの表情を浮かべるイエッタ。
「ほんと? それでそれで?」
「これで一安心でございます」
フェリスは、興味ありげにイエッタに詰め寄る。
シルヴィネは笑みを浮かべてお茶をこくり。
「オリヴィアちゃんって言うのね。あら? これはどうしたことかしら?」
「どうしたの?」
「あのね。オリヴィアちゃんは、我と同じ『悪魔憑き』だと自ら言ってるのです。彼女の魂は、我やルードちゃんと同じところから来たのかもしれませんね」
「ほほー」
「それは興味深い」
「これは朗報かもしれません。彼女の能力は、『読む』ことのようです。ルードちゃんの手を両手で触ると、『全部』わかってしまうようですから」
「全部って?」
「我たちの名前も、もうわかっているみたいですよ? 『フェリスちゃん』って言ってるわ。それにね、シルヴィネちゃんが、『シルヴィネお母さん』って呼ばれたいって、バレているみたいなのね」
「(ぽっ)」
シルヴィネのツボはそこだったのか?
少し恥ずかしそうにしていた。
「あははは。それはすっごいわ。それにしても、よく悪用されなかったと思うわ」
「えぇ。そうですね。ですがもし、強要されたとしたら、彼女は自ら命を絶つでしょう。そのようなリスクよりも、魔力を吸い出した方が利益になるとなったのかもしれません」
「だと思うわ。彼女も私と同じ辛い思いをしてるのね……」
「こちらに来られたら、仲良くしてさしあげたら良いと思いますよ」
「えぇ……」
「――あ」
そこで何かを思い付いたかのような、フェリスの声。
「そういえばさ、彼女の能力であの魔道具触ったら、どうなるのかしらね? あーでも、こっちからそれを伝える方法がないわ」
「大丈夫でしょう。聡い彼女ならば、きっとそこにたどり着くかと思うのですよ」
「えぇ。わたくしもそう思います」
「んー、もしかしたらなんだけど。オリヴィアちゃんの能力なら、こっちから意思を伝える手段が可能になるかもしれないのよね」
「それは実に興味深いです」
「もちろん、イエッタちゃんの能力コミなんだけれどね」
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