第十八話 クロケット救出作戦、その2
クロケットの捕らえられていると思われる、地下室へと続く扉を守っていた白い魔獣は、ウルラとキャメリアの手によって倒された。
今ルードたちの行く手を阻む者はいなくなったというわけだ。
魔獣の守っていた扉に、鍵穴はない。
ということは、このまま開けられるようだ。
ルードはゆっくり、慎重に扉を開ける。
そこには、神官に聞いたとおり、そこには地下へ伸びる階段があった。
「あ、ルード君……、って遅かったか」
「どうしましたか?」
「いや、何でもない。あれが守っていたんだ。そうそうあるもんじゃないよな」
ぶつぶつと、独り言のように何かを思い出しては、自らを納得させようとするウルラ。
階段の下からは、二種類の魔力の流れを感じる。
ルードはすぐに降りようとはせず、匂いを確かめるようにする。
同時に感じる、ふたり分の、獣人の匂い。
それ以外の、余計な人の匂いはないようだ。
「ルード様?」
「あ、うん。片方は間違いなく、お姉ちゃんの匂いだと思う。もう一人はよくわからないかも。獣人だと思うんだけどさ、その……、知らない人の匂いだから」
ここまで来ると、硫黄の匂いもほぼ感じられない――ということは、ルードの嗅覚も戻っている。
ルードが言うように、クロケットを含む、獣人種二人の匂いを感じたのは、間違いないのだろう。
ルードは確信を持って足を進める。
一歩、また一歩。
慌てて失敗したりしないように。
最下層だと思われる場所にたどり着く。
壁や天井を走る、金属製の管。
その収束する場所。
そこにはまた、一枚の扉。
クロケットの匂いもそこから漂っている。
間違いなくここにいるはずだ。
まるでどこかの商会の倉庫のような、この感じ。
やはりここは、ルードたちが知る、世間一般的に言われる神殿などではないのだろう。
その証拠に、この異様とも思える管と、祭壇に続くとは思えない殺風景なこの場所。
「どうだ? ここで間違いないか?」
ウルラも辺りの気配を探る。
自分たち以外の、人の気配が他に感じられないことが彼女にもわかっただろう。
「はい。間違いないと思います」
「ちょっと待て」
ルードが扉に手をかけようとしたとき、ウルラが彼の手を掴んで止める。
「は、はい?」
ウルラはルードと体を入れ替えた。
「さっきの扉は、あの魔獣が守っていた。あの魔獣自体が罠と考えれば、あれ以上は不必要に罠を設置する必要もないだろう。だがな、これはどうかわからん」
ウルラは扉をよく見る。
扉が魔道具でないかどうか。
罠があるかどうか。
それこそ嘗めるように、目を凝らしながら隅々まで調べた。
「お前は迷宮に潜ったことがないだろう? あたしはあるんだ。もちろん、盗賊のねぐらにもな」
「はい。ありません」
ウルラは扉の引き手を指差した。
「迷宮や盗賊なんかの暗部には、外部の者を拒むようなものがある。例えば扉のこの部分にな、針や刃物が仕組まれていることがあるんだよ。薄く小さな刃が隠されていたり、それには毒が塗られているなんて、質の悪いものもある。最悪の場合、指先がなくなることや、毒が回らないように、その場で指を落とす選択を迫られる――なんてこともないとは限らん。ルード君は治癒の魔法が使える。だがな、欠損は魔法でも簡単に治らないこともある。知らないわけじゃないだろう?」
そう言われて初めて、ぞっとするルードだった。
「……そ、そこまでは考えていませんでした」
ここは、『隷属の首輪』が流れてきたとされる国だ。
ルードも連れ去られようとしていたとき、首にはめられていた。
ウルラの言うことも確かに頷ける。
キャメリアも迷宮に潜ることなどの経験はない。
だからルードを止めることができていなかった。
「私もそれは気づきませんでした。申し訳ございません」
「なに、気にするな。これから経験すればいいだけのことだ。わからなければ聞け。そのときあたしたち、わかるヤツが教えればいいだけの話だ」
それこそ、手戻り後戻りするわけにはいかない。
慎重には慎重を重ねる。
これまで時間をかけて調査してきたことが、無駄になってはならないのだから。
「――よし、罠はないようだ。あとは鍵だけだな」
ウルラは鍵穴をのぞき込むと首をひねる。
「ルード君。これ、少しだけ明るくできるか?」
地下だけあって、やや薄暗い。
ウルラが指差したのは、扉の鍵穴。彼女は、鍵の構造を調べようとしているのだろう。
「あの、これ普通に開けて、構わないんですか?」
「あぁ。ただ、鍵がな――」
ルードは扉の四辺を見る。
すると、キャメリアを振り向く。
「あー、うんうん。これなら大丈夫です。キャメリア」
「はい」
「僕をちょっと抱き上げてくれる?」
「こうで、よろしいでしょうか?」
キャメリアは、ルードの背後から両脇に手を入れる。
そのままひょいと持ち上げてしまった。
「うん。ありがと。ウルラさんは、この扉があちらに倒れないようにお願いできますか?」
「あん? それは、どういうことだ?」
『炎よ(細く、細く、高温に。そう、もっと青白くなるくらいに)』
ルードは、指先に針のような細さの炎を灯した。
あの馬車の中で首輪を切ったときのように、出力を調整して、無駄のないように念じた。
「よし、これをこうして」
扉の頑丈と思える、蝶番部分に指をゆっくりと這わせていく。
四角い端の部分まで指を移動させたところで、金属の弾ける音がする。
「よし。キャメリア、降ろしていいよ」
「はい」
下の蝶番を切り落とし、最後に鍵があると思われる部分に指を通す。
「ウルラさん、外れますよ?」
「お、おう。……しっかしまぁ、こんな大胆な解錠があるとはな」
扉自体は木製だった。
だから軽々と外れていく。
ウルラはその逞しい腕で持ち上げ、横に立てかけてしまう。
扉が外れた瞬間。
ルードにはやっと、クロケットの匂いがはっきりと感じられた。
「お姉ちゃん、送れてごめん。助けにきたよ――って、……え?」
薄暗く広い部屋だが、どことなく息苦しさを感じる。
四方の壁には、見たこともない魔道具のようなものが張り巡らされている。
奥には棺のようなものが二つ。
右側から、クロケットの匂いがする。
だが、どう考えてもおかしい。
なぜならその棺が小さすぎるから。
その棺からは複数本の太い、金属の管が伸びており、壁にある大きな何かの魔道具に繋がっている。
そこから先は、部屋の外へ無数の管が繋がっていた。
棺の大きさは、縦が一メートルと少し。
横が五十センチほど。
高さが三十センチはあるだろうか?
とてもではないが、クロケットが入れる大きさのものではない。
蓋は閉まっていなくて、棺から天井に向けて、うっすらと明かりが漏れているような感じ。
だから『棺のようなもの』としか表現できないでいる。
棺は、複雑な彫刻が施された、黒い木製のもの。
木製の棺から、金属の管が伸びているのだ。
ただの棺ではなく、魔道具だとしか思えない。
棺と棺の間は、人が二人並べる程度の隙間。
おおよそ一メートルくらいだろうか?
ルードはその間に立った。
左には小さな黒い獣。
右にも小さな黒い獣。
彼にも見覚えがあるはずだ。
それは、獣化したオルトレットにそっくりだったから。
イエッタから教わった、物語の中にあった、魔女の使い魔として可愛らしい黒い猫の話。
そんな愛らしさのある二人の姿。
右側に丸くなって眠る黒い猫。
尻尾が二本あった。
左側に伏せて眠る方は尻尾が一本。
二人とも、オルトレットのように黒くて艶のある長い毛を持っている。
「あ、尻尾が二本。こっちがお姉ちゃんだ。匂いもそうだし、間違いないと思う」
背中を見ると、ゆっくりと上下している。
おそらくは、何らかの方法で眠らされているのだろう。
ルードの耳にも、彼女たちの規則正しい呼吸音が聞こえてくる。
「で、ではこちらは?」
左側にいる黒い猫も同様、眠らされているようだった。
「お姉ちゃんと同じ姿をしてるということはさ。たぶん、ケティーシャの人、だと思うんだ」
ルードはどうしたらいいか悩む。二人とも、首に細さも色も、素材も違う、首輪が四本繋がれているから。
目を開けていないから、表情は読み取れない。
それでもさほど、苦しそうな感じは見て取れない。
「ルード君」
「はい」
「二人とも、首輪から魔道具、……と言っていいのかわからんが。棺に無理に、縛り付けられているわけではなさそうだ」
「えぇ。お姉ちゃんのあったかい魔力を感じます。僕は何度も何度も、近くで見てましたから。何度か、分けてもらったことも、ありますからね」
ルードが思案している間に、ウルラが棺を調べてくれたのだろう。
三人とも、見たことのない魔道具だらけだった。
ただ一つ言えることは、彼女らをこの棺から出せば、ここからの魔力供給が止まるだろう。
「なに、気にするな。あたしらは悪人になる準備はできてる」
「それってどういう意味ですか?」
「この、『魔力の供給』を止めちまうんだ。グルツと喧嘩するつもりだってことだよ。鈍いヤツだなぁ」
ウルラは右側の口元を吊り上げ、自慢げにニヤりと笑う。
「もし何かあれば、仲間が雪崩れ込むことになってるからな。多少の混乱は起きるだろうが、魔道具が止まったくらいで、生き死にが起きることはないだろうよ。いいんだ。あたしに任せておけ。お前は二人を救うことだけ考えればいいんだからな?」
「はい、だったらもっと『悪役』っぽくなっちゃいましょうか?」
「ほほぅ? それは?」
「キャメリア」
「はい」
「全部、いけそう?」
彼女はぐるりと辺りを見回す。
「『この部屋にある物を、全て隠せ』と、受け取っても?」
「うん」
「可能かと思います」
キャメリアはあらかじめ右の手のひらを上にし、火の玉のような明かりを灯す。
続いて手当たり次第、左手で触れては設備を片っ端から隠していく。
その姿は、シーウェールズからウォルガードへ引っ越ししたとき。
鼻歌交じりにこなしていた、荷造りいらずのあのときのようだ。
同時に、この部屋にあった明かりの魔道具がゆっくりと消えていく。
キャメリアが設備をある意味破壊しているのだから、魔力の供給が絶たれてしまったとも言えるだろう。
ルードは尻尾が二本ある、クロケットと思われる黒い猫を胸に抱き上げる。
こうして彼女を抱き上げたのは、飛龍と初めて出会ったあのとき以来だろうか?
姿は変わっていても、深く深呼吸するとわかる、大好きなクロケットの匂い。
オルトレットのあの姿を、グリムヘイズで見ていなければ、この小さな黒猫が、クロケットだと信じられはしなかっただろう。
「あはは。気持ちよさそうに眠ってるよ。ほんとお姉ちゃんったら、よく寝坊するよね? でもさ。寂しかったよね? 怖かったよね? 遅くなってごめんなさい。でも大丈夫。もう僕は、ここにいるからね?」
寂しさ。
安堵感。
悔しさ。
様々な気持ちが溢れかえってきそうになる。
だが、それを緩やかに宥めてくれるのが、クロケットの匂いと、魔力の温かさだった。
抱き上げている腕のあたりから、彼女のあたたかな魔力の流れを感じる。
そこから腕に、胸にしみてくるように。
まるであのとき、魔力を分けてもらっているかのような、温かなものが流れ込んでくるようだった。
おそらく、これまでずっと、首元の魔道具のどれかの効果により、無理矢理魔力を放出させられていたのだろう。
魔力を常に、搾取されてきたのだろう。
悔しくは思うが、今こうしてあふれ出している、クロケットの魔力は、誰にも渡したくない。
全部自分で吸収しよう。
そう、ルードは思ったはずだ。
ルードの腕の中で、未だ気持ちよさそうに眠る彼女。
そんな寝顔を見て、安堵感が湧き上がってくる。
だがもう、油断などは許されない。まだ気を抜ける時間ではない。
ここはまだ、敵地なのだから。
「ウルラさん、こちらの方をお願いします」
「おう」
ウルラも、ルードと同じようにその黒猫を抱き上げた。
「ルード様」
「うん?」
「全て隠し終えました」
ルードが声の方向を振り向くと、キャメリアは軽く会釈をしてウィンクをした。
辺りを見回すと、そこにはもう、何も残っていなかった。
「見事なものだな。ここまで綺麗に片付けちまったら、証拠も残りゃしない。キャメリアさん、あんた立派な盗賊になれるぞ」
ウルラは冗談を混ぜつつそう笑う。
ルードの胸に眠るクロケットは、まだ目を覚ます気配はない。
ウルラの抱く猫もそのようだ。
何やら外が騒がしくなっている。
そんな気配を感じられる。
それはそうだろう。
グルツ全体に、魔力が供給されなくなっているはずだから、多少の混乱は始まっているのだろう。
ルードはウルラを見る。
すると彼女はこう言って、ルードを安心させる。
「心配するな。今頃町の人たちは、あいつらが誘導しているだろうよ」
ルードは、白い魔力を張り巡らせる。
おおよそこの神殿と思われる建物を覆う程度の広さで。
「『危ないので伏せていてくださいね』――っと、これでいいと思う。キャメリア、悪いけど先に歩いてくれる?」
「かしこまりました」
キャメリアを先頭に、元来た道を戻っていくつもりだろう。
ウルラの後ろに立とうとしたルードは背中をぽんと押されてしまう。
「ありがとう、でも大丈夫だ。あたしが殿を務めよう」
そう言うと、もう一人の猫を抱いたまま、翼でルードの頭を撫でる。
言い返せなくなったルードは仕方なく、真ん中を歩くこととなった。
その間、ルードは魔力の出力を調整しながら進んでいく。
途中、明かりの魔道具を手に持ったまま、神官が数人腹這いになっていた。
おそらくは、この騒ぎの原因となるあの部屋を確認しに来ていたのだろう。
「(キャメリアさんに聞いた通り、これは確かに凶悪な能力だ。なにせこのまま、首の後ろに刃を落とせば、全て終わっちまうんだからな……)」
心優しいルードが、それに思い至ることはないだろう。
無防備に急所を晒したまま地面に伏せる神官を見て、ウルラは背筋に薄ら寒いものを感じる。
それはおそらく、イリスがルードの能力を初めて見たときに、感じたものと同じものだったはずだ。
キャメリアの手にある明かりだけで、ルードたちは十分見えている。
元来た階段の暗い足下を、ゆっくり慎重に上がっていく。
もう少しで階段を上がりきる。その瞬間。
キャメリアは何かを感じ取ったのだろうか?
手のひらに灯していた明かりを消すと同時に、右手を水平に上げてルードを制する。
「ルード様ご注意を。何やら様子がおかしゅうございます」
キャメリアの指摘通り、何かがおかしい。
階段を上がった場所には、魔獣が遮っていた扉がある。
だがその扉は、開け放たれていた。
よくよく考えてみれば、おかしいと気づくはずだ。
先ほどうつ伏せになっていた神官と思われる者は、最初からこの階段より下にいたのだろうか?
それとも、『魔力の供給が絶たれた』という異常発生の後に、ここへ様子を伺いに来たのだろうか?
ルードたちは、あの神官の顔を確認したわけではない。
敵意が感じられず、同時にルードの『お願い』により、うつ伏せになっていたから気にしていなかっただけだろう。
もし、後者だとしたら、魔獣がいないことにより、もっと大騒ぎになっていてもおかしくはない。
明らかにそうした、違和感しかないのである。
開け放たれた扉の先からは、複数の人の気配。
その気配がこちらへ徐々に、近づいている感じがするのだ。
それはキャメリアだけでなく、ルードも同じ。
ルードは、左目への魔力を途切れさせてはいない。
その上でこの状態では、予想ができない。
『キャメリア、あのさ』
ルードは獣語で話しかける。
『はい』
『「この先にいる人たち」はさ、「僕のお願い」が効いてない気がするんだけど』
『えぇ。おそらくは』
ここから先にいる者たちの、複数の足音が聞こえてくる。
それは、ルードの支配の能力により、『うつ伏せ』の状態にいないということだ。
同時にルードには、敵意も害意も感じられない。
それでも、能力が通じていないのだけはわかる。
『あー、うん。……そっか。ほんとこの大陸は、僕にもわからないことが多すぎるよ』
いくら綿密に計画していた上での潜入とはいえ、ここまでがあまりにもうまくいきすぎていた。
だからといってもう、ルードは後戻りなどできる余裕はない。
『ウルラさん』
『おうよ』
『ごめんなさい。予想外のことが起きていますので、能力を解除しますね』
先程からずっと、白い魔力の霧の膜を張り続けているのだが、魔力が減っている感じがしない。
おそらくは、胸に抱いているクロケットから、ゆっくりと浸みるように供給されていたのかもしれないのだ。
『わかった。あたしはもうしばらく、この姿でいた方がいいか?』
『すみません。助かります。ですが、有事の際はお任せいたします』
『おうよ。任せとけって』
『お姉ちゃん、もうちょっとだけ、我慢しててね?』
ルードの腕の中で、規則的な寝息を立てる、クロケットにルードは語りかけた。
『キャメリア』
ルードは、前にいるキャメリアの手をきゅっと握る。
『はい』
『ごめんね』
『大丈夫です。ルード様とクロケットは、私が守りますから』
『苦労かけるね、キャメリアお姉ちゃん』
『そんな、いつものことです』
そんなやり取りを聞いて、ウルラも覚悟したのだろう。
『こっちもいいぞ』
『はい。ではまいります』
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