第十六話 潜入開始。
グルツに到着したのは昼過ぎあたり。
ルードたちは、前に来たとき滞在した宿を取る。
そこで日が落ちるのを待つことにした。
「ウルラさん、これ『わかりますか?』」
ルードは、ウルラに話しかけた最後の方は、獣語を使っていた。
『あぁ。これでもあたしはギルドの長だ。上の者が理解できないと下の者に指示できやしないからな』
全ての種族が公用語を使えるとは限らない。
ルードも、ウルラの考えは最もだと思った。
「よかったです。キャメリアも理解できますので、神殿に入ったらこれを使いますね」
ルードは、前のエランズリルドがそうだったように、『排他主義の人間は、獣語を理解しようとしないだろうから』と、そう説明する。
「あぁ。わかった」
この国の見取り図を前にして、最後の打ち合わせをする。
ややあって、日が落ち始める。窓の外は、魔道具の街灯が灯り始めていた。
ウルラはこの町の明かりを初めて見るだろう。
多少驚きはあっても、彼女は未だに集中を切らしていない。
ルードから借り受けた偽装の指輪の効果は消えず、足も翼の腕も、うまく隠せているようだ。
ウルラは窓から見える、報告にあった街灯に目をやる。
魔道具から支柱に延びる管。
ルードたちの方向へ延びていながら、それは最後に、地中へ潜っているように見える。
その行く先は間違いなく、この先にあるであろう、神殿へと続いてるのだろう。
ルードたちは宿を出ると、町の外れを目指した。
神殿にほど近い場所にさしかかる。
最後の十字路から先は、建物が一切ない。
前に見えるのは、切り立った崖と、それを背負うように立てられた、白い大きな神殿の建物。
神殿の入口には、ルードが前に来たとき対応した神官がひとり。
ウルラとキャメリアはその場に残り、ルードだけが足を進める。
「おや? この間の。確か、保存食を売ってた、……エルルード君だったかと?」
「はい。前はお世話になりました」
「こんなに遅く、どうしたんだい?」
神殿は、町の人にはあまり縁のない場所なのだろうか?
幸い、ルードの背後にいる人は、ウルラとキャメリアしかいない。
正門前にいるのは、この神官ひとりだけのようだ。
ルードの足下からは、彼の魔力が白い靄として立ち上ってくる。
ルードの白い魔力が、神官を包み込んだ。
『質問します。声を低くして答えてください。「魔力猫様」は、ここにいますか?』
「はい。この奥に、中庭がありまして、そこに、地下に繋がる通路があります。階段を降りますと、突きあたりの部屋があります。そこにお二人は、いらっしゃいます」
神官の話が本当であれば、クロケットはここにいる。
ルードは嬉しさのあまり、口元が緩みそうになるが、再度気を引き締める。
『(二人? ――ってことは、お姉ちゃん以外にもいるってこと?)そう、ですか。では、ここを通して下さい。でも、ここには誰も来なかった。僕たちを忘れてください。しばらく目をつむって、耳を塞いで後ろを向いて、しゃがんでいてください。いいですね?』
「はい。お通り下さい」
大きな正門は閉まったまま。
神官は、少し離れた場所にある、勝手口のような通用門と思われるドアを開ける。
するとその場で回れ右。
壁に向かって彼は立った。
その場にしゃがみ込み、耳に指を差し込んでしまう。
ルードはキャメリアとウルラに手招きをする。
二人共実際に、ルードに『お願い』を聞いたことがある。
こうして改めて、ルードの能力の効果に驚いただろう。
こうして思ったよりもあっさりと、神殿に潜入することが叶ってしまった。
ルードも、頭を低くしてくぐらなければならない高さの通用門。
門をくぐってもそこは、硫黄の匂いが弱くなく、匂いによる捜索は困難に思われた。
だが、気配だけは察知できる。
通用門の傍にいる、神官の気配はある。
正面にも数人、気配を感じられた。
『さっきの話、聞こえましたか?』
『あぁ。「魔力猫様」は、二人いると』
『えぇ。「そういうこと」なんです。ただ、お姉ちゃんともう一人なのか、そうでないのか。とにかく、望んで魔力を提供しているとは思えないので、二人とも助けるつもりではいます』
『そうだな』
『なるべく気配を殺しながら、僕の後ろを少し離れて、ついてきてください』
『わかった』
ルードはキャメリアを見る。
すると、彼女も静かに頷いた。
彼女はルードのように、気配の消し方を心得ている。
以前、何故できるのか聞いたことがあった。
すると彼女は、『侍女の嗜みです』と言う。
ルードはそれを聞いて、呆れたことがあった。
きっとイリスあたりから教わったのだろう。
夜だから静かなのか?
それとも別に理由があるのか?
感じられる気配は、進行方向右側に一人。
左奥に一人。
全く動いてはいないが、人間以外の気配も感じられる。
それが何なのか、今の時点ではわからない。
ただ少なくとも、敵意を感じられることはないとだけ確信は持てる。
ルードは、グリムヘイズで見たここの見取り図を思い出す。
一番奥には、コの字型に囲われた外壁が確かにあった。
先程通った通用門は、おそらくそれだったのだろう。
外壁一枚隔てられた場所は、二十メートルほどの外壁と同じ形の中庭のような空間になっている。
その奥には、高くそびえ立つ岩山を背にした、神殿本体と思われる建物が見える。
ただ、ルードもウルラもその違和感を覚えただろう。
その建物は、とても宗教的なものではないように思えたからだ。
『ウルラさんこれ。神殿って、こんなに殺風景なものなんですか?』
『あ、あぁ。これでは単なる倉庫だ』
ウルラの言葉通り、建物は縦一メートル、横二メートルほどのブロックで積まれたような立方体に見える。
ただ確かに、建物から地面を通って外壁の外へ、細い何本もの、『魔力の通り道』が感じられた。
間違いなく、あの金属の管が埋まっているのだろう。
正面に入口はない。
ルードたちは右側からぐるりと迂回するように、慎重に音を立てないよう歩いて行く。
すると崖側近くに、入口を発見。だがそこには予想通り、神官の姿をした男が座っていた。
そこは慌てず騒がず、支配の能力を使い、『お願い』で切り抜ける。
『眠らせておかなくてもいいのか?』
『えぇ。まだ「最悪の場合」ではないと思いますから』
当初の予定通り、『最悪の場合』を想定して準備が整っていた。
その『最悪の場合』、ルードたちは攪乱のために騒ぎを起こす予定だ。
現在グルツの町の外には、獣人種や鳥人種たちが待機し、町の中には人間の冒険者たちが待機している。
だが、何があっても、町の人に被害を出してはいけない。
一般の人たちに迷惑をかけるのは、ギルドとしても本意ではないからだ。
『ルード様。魔力は大丈夫ですか?』
『あー、うん。大丈夫。まだ二人だから。心配かけてごめんね』
『いえ。ですが、辛いときはお申し付け下さい。私もクロケット様から「習って」いましたので』
キャメリアも、オルトレット同様。
クロケットから魔力を分ける方法を習っていたのだろう。
偽装の魔術で姿を変えてでも、ルードについてきたのはそれが理由だったのかもしれない。
『ん? よくわかんないけど、わかったよ』
倉庫のような建物に入ると、少々驚いた。そこには硫黄臭が薄くなっていたからだ。
『あれ? 温泉の匂いが薄くなってる』
『あぁ。おそらくは、建物が遮蔽しているのかもしれないな』
『ですね』
ルードはすんと、鼻を鳴らす。
すると正面からうっすらと、人間の匂いが感じられる。
だが、ここにいる人の、全ての匂いが感じられるわけではなかった。
背中からは優しげなウルラの匂い。
キャメリアからは、クロケットと同じ香油の匂いが感じられる。
『鼻が戻ってる? そっか。うん』
ウルラも、獣人種の嗅覚は知っている。
『……前の方に、人が一人。背中からの硫黄の匂いが強くて、その奥はわかんないや。でももしかしたら、地下に繋がる場所へ行くには、まだ何かあるのかも』
『何か、というと?』
『はい。さっきみたいに、隔離された空間というか。部屋をいくつか経た場所にあるのかもしれません』
『そういうことか。とにかくここは、あたしが知るような「神殿」だとは到底思えない』
『はい。僕が書物で読み知ったものとも違うようです』
ウルラの認識とルードの認識は、多少の違いはあれど同意見。
ここが神殿と呼ばれているだけで、ヴァレント教の施設というにはあまりにもおかしい。
魔道具の明かりは続いてはいるが、左右に扉がない。
おそらく部屋も存在してはおらず、ただ通路があるだけなのかもしれない。
気配的には、罠があるような感じではないとのこと。
その辺りは、ウルラの方が詳しい。
もちろんここに至るまで、『敵意』や『害意』のようなものも感じられてはいない。
薄暗い通路が終わる。
正面に扉があり、その扉には鍵がかかっていない。
『ウルラさんこれ』
『あぁ。あたしが先に開ける。ルード君は、例の能力の準備を』
『わかりました』
『いいか?』
『はい。いつでも』
ルードはキャメリアを見る。
頷いた彼女も、何が起きても大丈夫な心づもりはできているようだ。
ウルラは右手をルードの前にかざす。
突入のタイミングを図っているのだろう。
指を三本。
二本。
一本――ウルラは扉を開いた。
『ふぇ?』
『なんだこりゃ?』
『…………』
ここはどこなのだろう?
そう思えてしまうほど、異質な広い空間。
天井は見上げるほどに高い。
外側から見た神殿以上の高さになっている。
左右に数十メートル。
奥行きはその倍以上あるだろうか?
目の前に広がるのは、予想もできない光景だ。
右側も左側も、削ったと思われる壁。
正面も同じ。
ただ、ルードたちの予想に反して、建物が見当たらない。
もしかしたらここは、神殿の背後にあった岩盤の中なのだろうか?
壁がまっ白。
天井もまっ白。
床もまっ白。
全体に薄暗いのだが、あたり一面気味の悪い白さだけはわかる。
壁の四方には、魔道具と思われる明かりが見える。
左右正面の壁一面に張り巡らされた、クモの糸のような細い管。
おそらくは魔力を送り出しているものだろう。それはある一カ所へ収束するように集まっていた。
正面に違和感を感じる。
嗅いだことはないが、獣と思われる匂いがする。
何かの定期的な呼吸音。
それに合わせて、白と灰色の塊が上下しているようにも見える。
『ルード君、あれ』
『はい。何かがいますね。それと僅かですが、お姉ちゃんの匂いがします……』
間違えるはずがない。
この先に間違いなく、クロケットがいる。
彼女の匂いと、もう一人。
獣人だと思われる匂いが混ざっている――ということは、ここに地下への入口があるはずだ。
『ルード様。あれ、何かの毛ではありませんか?』
キャメリアは、大きな塊が上下しているのは、毛に包まれた何かだと言っている。
辺りの色に似ているためか、まっ白な獣なのだろうか?
定期的に聞こえる呼吸音は、目の前の大きなものの寝息だろう。
目をこらして見ると、やはり大きな獣のようだ。
ルードたちは、音を立てないように足音に気をつけながら、右側へずれてみる。
すると、その毛に包まれた何かの先に、地下への入口のような、閉ざされた扉が見えてきた。
『もしかしたら、あれが地下への入口かもしれませんね』
壁から集まる、管が扉の周りに収束するように配管されていた。
間違いなく、地下から魔力が吸い上げられているのだろう。
『あぁ。だがこれは』
『はい。困りましたね』
横から見ると、影になって体躯に沿って影が落ちたこともあり、それの姿がはっきり見えてきた。
大きな獣が寝ている。
伏せている状態で、体高が軽く五メートルはある。
それはまるで、門番でもしているかのように。
その姿は何となく見覚えがある。
大きさは馬鹿げているが、岩猪や山猪に似ていた。
地下への入口に繋がると思われる、扉の前一メートルもない場所に、寝そべっているのだ。
口から見える、二本の巨大な牙。
メルドラードにいた岩猪そっくりの、白い体毛。
白い床、白い壁に溶け込んだようなこの感じ。
雪に隠れて見えづらい、あのときとそっくりだった。
ただ、三人の目に留まった、違和感がある。
それは首元に巻かれた、幅二十センチ。
いや三十センチはある、太い銀色の金属で編まれた分厚い首輪。
とにかく、あの獣をどうにかどかさないと、正面の扉を開けることはできないだろう。
『ここはあたしが――』
『待って下さい。僕が先にやってみます』
『あぁ。「お願い」か。あれは獣にも通じるんだったか?』
『はい。そのはずです』
ルードは左目の奥に魔力を集める。
足下から広がっていく、ルード色ともいえる、まっ白な魔力の靄。
ゆっくり、目の前の獣を起こさないように、ルードは魔力の靄で包んでいく。
全て包んだその瞬間。
『そこをどいてほしい』
すると、獣の顔の上にある目が開く。それはルードをじっと見る。
大きく鼻息を吐いたかと思うと、目を閉じてしまった。
ルードを見たその目は、敵意を感じないというわけではなかった。
少し前に見たことがある目に似ている。
ルードの能力に反応したというより、彼の匂いと気配に反応したこの感じ。
『ルード様。これはもしかして、あのときの魔獣と同じではありませんか?』
忘れもしない、ネレイティールズの魔獣災害の大元。オオダコの魔獣のことだ。
あれと同じ様な、敵意と言うより害意に似た目つき。確かに似ていた。
『ルード君。あの能力を使ったのだろう? それなら、「どいてくれる」んじゃないのか?』
『はい。敵意がなければ、お願いとして聞いてくれます。僕に敵意や害意を持っていたとしたら、命令になるはずなんです。ですが……』
キャメリアの言う通り、これが魔獣だとしたら、『知能指数が低くなってしまっている』可能性が高い。
『前に同じ様なことがありました。魔獣になると、頭の良かった獣もその、……鈍くなるようなんです』
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