第十話 飛龍である彼女の矜恃のようなもの。
「キャメリア殿、そろそろよろしいですかな?」
「はい?」
「わたくしも、ルード様に用事がありますゆえ」
ルードが落ち着いた後、タイミングを見計らっていたのだろう。
オルトレットがルードの傍にしゃがむ。
「あ、はい」
キャメリアは、ルードを抱きしめたままだという状況に気付く。
慌てて両腕からルードを解放する。
「ルード様。わたくしはキャメリア殿のようなことはできませぬが」
「あ、うん。」
オルトレットはキャメリアに好々爺然とした笑みを浮かべる。続けてルードを見ると、少々悲しそうな顔をし、彼の右手を両手で握る。
「今できる精一杯を、させていただこうと思ったのです」
オルトレットの両肩あたりから、漆黒のうねりが両手に移動する。
ゆっくりとルードの全身を、黒色の魔力が包み込んでいく。
「あ、これ」
オルトレットから、魔力が流れてくる。
力強い、それでいて温かなもの。
「はい。『いざというとき』のために、姫様に教えていた――」
「でもそんなことしたら、オルトレットさんが……」
「今がその、『いざというとき』でございます。わたくしは現在、足手まといでありますゆえ」
オルトレットは両手を離す。
ルードの身体の中には、魔力がほぼ満たされていた。
オルトレットが内包する魔力より、ルードの方が多かったのか?
それとも、キャメリアにも分け与えていたのかはわからない。
「『祖の衣よ闇へと姿を変えよ』」
「え? それって」
同時にオルトレットは、ルードもよく知る呪文を詠唱する。
黒い靄に包まれたのち、晴れたそこには姿を表すのは、ルードの膝丈ほどの大きさで、がっしりとした感じの長毛で黒い猫の姿。
身の丈二メートルはあったオルトレットが、ルードも両腕で抱えられるほどの大きさになってしまった。
ルードたちフェンリル、フェンリラの化身とは、法則が違っていたのだろう。
「え? あれ? オルトレットさん、だよね?」
ルードは目をゴシゴシと擦る。
まるで幻でも見ているかのような、呆気にとられた彼の表情。
ルードの曾祖母の一人である、同じ〝悪魔憑き〟のイエッタから、猫人族からの流れの話で、猫という愛らしい獣がいると教えてもらった。
ルードも〝記憶の奥にある知識〟に照らし合わせ、その姿を見て『確かに可愛いね』と、話が弾んだことがあった。
そのためたまたまだが、ルードは猫の姿を知っている。
だからといって、これが予想できていたわけではない。
十分に驚いてしまっていたのだった。
「左様にございます。これまで必要性がなかったもので、お見せする機会がございませんでした。ですがこの姿であればこの地でも、一日ほどで魔力が回復するのです」
「そ、そうだったんだ、……ということはさ、キャメリアは知ってたんだよね?」
「えぇ。私も昨日、ルード様のように魔力をわけていただきました。それはもちろん、驚きましたよ。……クロケット様やエリス様ならば、飛びついてしまったでしょうね」
キャメリアが苦笑する。
彼女もルード同様、呆気にとられたということなのだろう。
確かに、ルードのフェンリル姿はクロケットもエリスも大好物だ。
おそらく、オルトレットのこの姿も、琴線に触れることだろう。
「あ-、うん。正直言ってびっくりしたよ。僕たちフェンリル以外も、獣化できる種族がいるとは予想していたんだけれど、まさかあの化身の術を使うと思わなかったんだ」
「元々、わたくしたちケティーシャの民も、同種の術を用いることがございました。ですがわたくしたちの化身は、この通り身体が小さくなってしまうのです。その上、ルード様もご存じかと思いますが、少々困りごともございました」
「あ、そっか。着替えだね?」
「えぇ。イリス殿から詳しく教えていただき、この術の便利さに驚かされたものでございます」
ルードはキャメリアを見た。
彼女はすぐに察したようだ。
「ちなみに、私は無理でございました」
「あ、やっぱり?」
フェリスも以前、飛龍の龍人化と獣人種の化身は、メカニズムが違うと言っていたから。
「もちろん、試したことはございます。この通り、『祖の衣よ闇へと姿を変えよ』」
ルードが見た感じ、魔力の揺らぎが全くない。
魔法が使えないのに、呪文を詠唱しても顕現しないのと同じ理屈なのだろう。
「そっかぁ。何度も姿を変えてくれてるからさ、もしかしたらって、思ったんだよね」
「魔力を消費するという意味では共通点はございますが、別物ということなのでしょう」
「で、ございましょうな」
三人揃って苦笑する。
ルードもやっと、笑えるくらいに落ちついたのだろう。
「わたくしは、この大陸の生まれでございます。多少ではございますが、お役に立てるかと思いますので――」
オルトレットは、ルードの隣に部屋を取ってもらい、魔力の回復に努めるという。
回復を待つ間も、互助会と情報の共有をしてくれるのだそうだ。
ルードもキャメリアもオルトレットのおかげで、現在は魔力が満タンな状態だ。
「うん、じゃキャメリア」
「はい」
「僕と一緒に、一階に来てくれる? ナイアターナさんにさ、依頼した分の報酬を預けておきたいんだ」
「かしこまりました」
「じゃ、オルトレットさん、ありがと。またあとで」
ルードとキャメリアは階段を降りて一階へ。
オルトレットは隣の部屋へ。
ルードたちは一階へ降りてくると、そのままの受付へ。
受付担当でエルフのナイアターナの姿を見つけると声をかけた。
「ナイアターナさん」
「あら、ルード君。キャメリアさんもご一緒なのですね?」
「はい。その、報酬を預けておこうと思いまして、どちらに置けばいいでしょうか?」
ナイアターナは首を傾げる。
ルードは手ぶら。
もちろんキャメリアもそうだ。
「あの、どういうことでしょう?」
「いえその、依頼の報酬の――あ、そうか。キャメリア、金貨でいいから」
「かしこまりました」
キャメリアは、ナイアターナのいる受付カウンターの上で、左手の手のひらを上に向ける。
同時に金貨の入っているだろう、麻の袋が出現する。
右手に袋を持ち替え、カウンターの上に置く。
その瞬間、ミシリと軋む音。
かなりの重さがあったのだろうか?
「ここに百枚はあるかと思いますが、あとどれほどご入り用でしょう?」
「あ、そうだね。んー、あと一つくらい? ナイアターナさん、足りなかったら言ってくださいね?」
「…………」
ナイアターナはフリーズしてしまったような状態。
ややあって、ごしごしと目を擦る。
「――あの。キャメリアさんは、どこからその袋を? 魔法袋をお持ちのようには見えないのですが? そもそも、手のひらに物を出現させることができる魔道具も、なかったかと思うのですけれど……」
「あ、そっか。あのね、キャメリアは飛龍でね、物を隠しておける魔術を使うんですよ」
「『隠す』でございすか? ――いえそれよりも、飛龍ってわたくし、書物でしか読んだことがございませんので」
「あ、んー。場所が場所だし、大きさもあるし。あの姿になってもらうわけにもいかないよね? それに魔力の関係で、……そうだ。キャメリア」
「はい、何でございましょう?」
「翼だけ出せる?」
「それでしたら、魔力消費もさほどではないかと。邪魔にもなりませんからね」
そう言うやいなや、キャメリアは背中に深紅の翼を出現させる。
それも一瞬の出来事だった。
「……美しい」
ナイアターナはぼそっと呟く。
「「はい?」」
「はっ、失礼いたしました。なるほど、わたくしも見たことのない翼でございます。鳥人種の翼とは違いその、美しい鱗でございますね、本当に」
「そんな、褒められても何もでません……」
何気にキャメリアは照れてしまっていた。
「(そっか。飛龍はそんな風に、翼を褒めるといいんだね)それで、二百枚あれば足りますか?」
「あのですねルード君」
「はい」
「金貨二百枚って、多すぎますよ……」
「あれ? そうかな? でも大丈夫ですよ。これは僕が今まで稼いだお金ですから」
「だーかーら。あなたはギルド丸ごと召し抱えようとする、お貴族様か何かでしょうか?」
そう言って微笑むナイアターナ。
彼女は、冗談を言ったつもりなのだろう。
「お貴族様って、ねぇ?」
ルードはキャメリアを見て、当たらずとも遠からずと苦笑する。
「えぇ。ルード様は、ウォルガード王国で商会を営んでおりますが」
「存じております。〝消滅〟の言い伝えのある国からいらしたのですね? でもたしか、あそこはフェンリルの……」
「はい。ルード様は狐人族とフェンリルの混血でございます」
「そうだったんですね。それで狐人族特有の、ふさふさとした耳も尻尾をお持ちだったと」
「えぇ。ナイアターナさんも、ルード様の可愛らしさに気付かれたのですね?」
「それはもちろん。まるで王子様のような気品のある可愛らしさが滲み出ていましたから」
「よくおわかりですね? ルード様はウォルガード王国の、王太子殿下でもあるのです」
ドヤ顔で、ルードの素性を説明するキャメリア。
「え? 王太子殿下ってその、本当の王子様ですかぁっ?」
キャメリアとナイアターナ。
まるで学園の女生徒が、ガールズトークに花を咲かせるような、そんな感じになってしまう。
もちろんルードには、この状況をどうすることもできるわけはない。。
「あははは。もうどうでもいいや」
▼
ギルドの一階受付奥。ギルド長室の隣にある、会議などで使われる一室。
大きなテーブルに広げられた、縦横一メートル以上はある大きな見取り図。
そこに描かれているのは、グルツ共和国なのだという。
幅、奥行き、おおよその広さや長さ。
実に精密にかかれた道や建物。
それはまるで、航空写真でも撮ったかのようなものだ。
ルードも初めて見る、精密な地図だった。
ウルラの説明では、以前鳥人種が上空から調査をして清書したものだという。
そこに今回、人族が徒歩で潜入し、掴んだ情報を書き込んでいる段階らしい。
「あたしらができるのはここまでなんだ。グルツには人間しか入れないからな」
「それにしても、すごいですよ……」
「これくらいは普通にやるよ。あたしらの中には、調査の得意な者もいる。依頼の中には、盗賊の殲滅、攫われた人の救出なんかもあるからな。まぁ、それほど多くはないけど。あたしも二度ほどかな? ただ、困ったことにな――」
グルツ共和国のような、人族至上主義を掲げる国や町には、ギルドの支部が存在しない。人族の冒険者の中には、グルツの町で物資を調達したこともあるらしい。
そんな以前の記憶で書き込んだ情報。
ついさっき戻った者たちが、書き込んだ情報。
それをまとめ役が書き入れていく。
ウルラは地図の一番上を指差す。そこは、切り立った崖に沿って、建てられている真四角の巨大な建物。
「町までは潜入できるんだ。だがここから先は神殿と呼ばれる建物でな、関係者しか立ち入ることができないらしい。情報が全くないんだ。以前、興味本位で潜入したやつがいてな」
「はい」
「とっ捕まりそうになって、命からがら逃げてきヤツがいたんだ。そのとき嫌な言葉を聞いて帰って来たんだそうだ」
「それはどんなものです?」
「『改心していただかねばなりません』と言われたらしい。意味不明だよな」
「はい。よくわかりませんね」
腕組みをして考え込むウルラ。
同じように考え込むルード。
なんとなく、似ているこの二人。
「ルード君はどうする?」
「はい。僕は、交易商人を演じてみようと思っています」
「それは、大丈夫なのか?」
「はい。僕には母が二人いて、一人が商人の出で、今も商会を営んでいます」
「確かにそんな服を着ていたな」
「というより、僕は商人でもあるんです。僕も商会を経営していますので」
「は? 君みたいな子供がか?」
ウルラにとって、まだルードは保護対象の少年なのだろう。
「あはは。そうですよ。ね? キャメリア」
「はい。そうでございます。ルード様は以前に何度かですが、商人として新しい国や町を訪れた実績もございます」
キャメリアは、魔力の消費を抑えるため、出した翼を戻していない。
ここに来たとき、一番最初にウルラに質問攻めにあったのは、言うまでもなかった。
「なので、僕一人で商材の実演販売をして、情報を集めようと思うんです」
「いえ、ルード様お一人では危険でございます。私も一緒に――」
「だってキャメリア、その姿じゃ」
キャメリアは、即座に翼を隠した。
「いや、駄目だって。角あるじゃない? 人じゃないってすぐわかっちゃうよ」
「いえその、これは私の『あいでんてぃてぃー』でございまして……」
ルードと一緒に、新しい町を訪れる際も、キャメリアは決して角を隠そうとしなかった。
そのため、狐人族姿をしているルードとは、まったく違った種族にしか見えなかった。
同時に、普段着ている深紅のメイド服風の侍女服。
クロケットとお揃いのデザインで、クロケットとクレアーナの手縫いということもあったのだろう。
それ以外の服を着ようともしなかったのである。
ちなみに、ルードが見ることがない、寝間着もクロケットとお揃いだったりするのだ。
それは、飛龍であることの矜持であるのか。
彼女にとって曲げられない何かがあるように思えたのだ。
「でしょ? だったら駄目じゃないの?」
「……仕方ありません。今回だけですからね?」
「はい?」
キャメリアは目を瞑ると、あっという間に彼女のこめかみにあった消えてしまう。
「少々失礼いたします」
脱兎の如く、部屋を出て行くキャメリア。
ややあって戻ってくると、ルードとお揃いの商人風の服を着ていた。
それは以前、リーダが着ていた服そっくりであった。
「おまたせいたしました」
「……やればできるじゃない?」
「だから、今回だけですって」
一連のやりとりを見ていたウルラ。
キャメリアの角が消えたときは驚いてはいた。
だが今は、椅子に座ったまま腹を抱えて笑い転げていた。
こうして、キャメリアもルードと一緒に潜入することになったのだが、ウルラの表情は困ったような感じになっていた。
「本当はあたしも、ルード君についていきたいんだ。無理をしそうだし、心配だからな」「ウルラ殿の言うことは、もっともでございますね。ルード様いつも無茶をしてしまいます。その上少々、意地っ張りでございますから」
「そんな風に見えちゃいますか?」
「あぁ。だがあたしは、この姿だ。どう変装しようにも、人には見えやしない。グルツに近寄ることすらできゃしない。何もできないこんなあたしが、情けないよ……」
ウルラの過保護なところはリーダに似ている。
彼女は本気で落ち込んでいた。ウルラの瞳がそう言っている。
ルードだから、本心がわかってしまう。
ルードはふと思い出す。
そういえば船に乗って、こちらの大陸へ向かっていたとき以来、ポケットから出していなかったものを取り出す。
そこには、黒ずみのある宝玉の填まった指輪。
「あの、僕のお母さんたちが気まぐれに作った指輪があるんです。もしかしたら、ウルラさんの悩みが解消されるかもしれません。これ、使ってみますか?」
お母さんたちとは、もちろん。
フェリス、イエッタ、シルヴィネのことである。
シルヴィネにからはお母さんと呼んで欲しいと言われていないから、そう呼んでいないだけ。
それも、大好きなキャメリアの母親だ。
そう呼んで欲しいと言われたら、ルードはシルヴィネのこともお母さんと呼ぶのだろう。
「これは?」
ウルラがルードの指先に摘ままれた指輪を覗き込む。
「僕がやってみますね」
ルードは左手の中指に指輪をはめる。
指輪に右手を置き、座った状態で目をつむる。
指輪に魔力が微量に流れるような感じがあった。
「あまり魔力は消費しないんですけど、結構難しいんですよね。えっと、うんっと。『こうなりたいって頭に描いて』。んんんんんんっ……」
するとどうだろう?
ルードの背中から、ウルラの腕と翼に似たものがふわりと現れる。
「こ、これは? ルード君は獣人族だったよな? いや、梟人族の血も混ざっているのか?」
「あはは。驚かせてごめんなさい。これ、『偽装の指輪』という魔道具なんです。あくまでも、そう見せているだけなんですね」
「そ、そうなのか?」
「はい。あくまでも『そう見えるように空間をゆがめている』らしいです。僕にはよくわからなかったんですよ。フェリスお母さんは『ルードちゃんにはまだ早いわ』って笑われちゃったんですけどね。触るとほら、感触はあります。ですが、集中しているときだけ顕現させることができるんですよ。ウルラさん、触ってみてください」
ウルラはルードの翼を触ってみた。
たしかに、そこにはないはずの翼の感触があった。
だが、若干固いような気もする。
「僕もうまく制御できないんです。それで、柔らかさとかあまり気持ちを込められなくて。凄く大変で、難しいんですよ、これって」
そうやってみせたのち、ルードは苦笑しながらも、集中を解く。
するとルードの背中から、先程まで見えていた翼が、まるで雲で日が陰るような感じに消えていった。
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