第九話 私は、彼から笑顔を奪った輩を許さないだろう。
ルードはウルラの提案もあり、ギルド直営の宿をとってもらった。
直営だけあって、ギルドから近い――というより、同じ建物の三階にあった。
一人部屋の宿の部屋。
窓の外には、賑やかな町が見下ろせる。
このグリムヘイズは、エランズリルドやシーウェールズよりも、魔力の薄い土地だった。
おそらく、この大陸はどこへ行ってもこうなのだろう。
魔力の枯渇を起こしたルードの状態は、回復具合はあまり良いとは言えない。
ウルラの過保護な扱いにより、体力的に余裕があったのは助かってはいる。
一人で出歩いたり、簡単な魔法であれば行使できるほどにはなっていたようだ。
ルードはベッドに座り、目を瞑って集中する。
手の指先から脚の指先。
体中から魔力を集めるようにイメージしてから、慣れた呪文詠唱を口ずさむ。
『祖の衣よ闇へと姿を変えよ』
化身の呪文をルードは唱える。
けれど、魔法が行使される感じ、魔力が消えていく感触はなかったようだ。
おそらくはそこまで回復していないのだろう。
普段から、当たり前のように使っていたこの呪文。
今の姿よりもフェンリルの姿でいた方が魔力の回復効率は良いはずだ。
とはいえ、試した変化の術が、ここまで魔力が必要だと思ってはいなかった。
それならば、こちらはどうだろう?
魔法に慣れていなかったエリスでも、簡単に行使できた方だから。
「『祖の姿、印となる証を顕現させ――』じゃなくこっちだ『狐狗狸ノ証ト力ヲココニ』」
やはりだめだった。
狐人の耳と尻尾がでている今の状態。
それを引っ込めるには出す時と同じこの呪文が必要になる。
その発動に必要な魔力すら、まだ回復しきってはいない。
ルードは頭を抱えた。
これから行う予定の、『人間至上主義のグルツ共和国への潜入』。
それには、耳も尻尾もあるとまずいのであった。
手持ちのお金はまだ余裕はあるが、荷物がポーチに入っていた金貨や銀貨、銅貨だけ。
これでは、ギルドに預ける報酬などまかなえるはずもない。
それよりも、明日着る着替えすらない状態。
ルードの身長は、この町でも低い方。
子供向けの服を探せばいいのだろうが、それはできるだけ避けたいと思うルードだった。
ルードたちが最初に訪れた港町リングベルにも、ここと同じギルドがあるようで、ギルド間で連絡をとってもらうことになった。
ルードの探し人は『褐色の肌に深紅の髪。
乳白色の角を持つ、髪と同じ色の侍女服を着る年若い女性』と、『黒い髪と身の丈二メートルに迫る巨躯を持つ、執事の服を身に纏うの初老の猫人男性』。
二人とも目に付くことから、探すのは容易いだろうと、ギルドの受付でエルフ女性のナイアターナは言ってくれた。
これで少なくとも、キャメリアとオルトレットに連絡が行くだろう。
鳥人種の中でもイリスのように速度自慢を誇る人がいるらしく、職員兼冒険者が文を届けてくれる。
早ければ今日の昼にでも届くとのことだ。
さすがはこの大陸の大空を支配する鳥人種だ。
ルードを抱えて飛んだウルラの状況とは違い、飛び方は違えど、一人で飛ぶ場合はかなりの速さになるのだそうだ。
部屋を出て階段を降り、一階の受付に来ると、ナイアターナが声をかけてくれる。
「ごきげんよう。フェムルードさん」
「あ、はい。……その、僕のことはルードでいいです」
ルードは、大きな商家生まれで狐人族の少年という認識だ。
「はい。でしたら、ルード君? ――でよろしいでしょうか?」
「はい。構いません」
ナイアターナの話では、あの後すぐに、人種と鳥人種の混合チームが、グルツ共和国へ出向いたとのこと。
早々に潜入をして、情報収集にあたってくれているそうだ。
ルードはすでに、潜入する方法を決めていた。
それは一番慣れていた、商人としてだ。
そこで、商材を何にするか考える。当たり前のものでは、注目を浴びることはできない。
お客さんを多く集めなければ、情報収集もままならない。
注目を浴びて信頼を得て、仲間意識が芽生えれば、聞ける話も多くなるだろう。
ルードはちょっとだけ気になったことを聞いてみる。
「あの、ナイアターナさん」
「何でしょう?」
ここで様々な依頼の受け付けを長く務めているということだから、きっと詳しいことも多いだろうと思った。
「あのですね、魔力を補うというか、回復を促進するような、そんな薬って知っていますか?」
「そうですね。怪我や病の回復を促す薬は存在しています。ですが、魔力は――どうだったかしら? あまり聞かないと思います」
「そうなんですか」
「えぇ。魔力の少ないこの地で生きていくためには、精霊と共に生きるのが当たり前です。私たちエルフも、精霊と契約して魔術を行使します。その際、魔力はきっかけになるだけあればいいのです」
呪文や魔方陣などの概念を用い、力業で魔力を消費して現象を起こす魔法。
精霊を媒介として、現象を起こしてもらう魔術。
それはルードたちの言う魔法と、キャメリアたちの言う魔術のように、名称だけが違うわけではなく、現象を起こすための手法が根本的にに違っているのだ。
なるほど、枯渇するほどの使い方をしない。
魔力や魔法に頼り切った生活になっていない。
そういうことなのだろう。
「あの」
「何でしょう? ルード君」
「はい。その、精霊さんって、見えるんですか?」
「そうですね。私たちエルフも、契約していない精霊は、見ることができません」
そう言うとナイアターナは、ルードの前に左手の手のひらを差しだす。
彼女の手のひらの上には、確かに『何かがいそうな気配』は感じられる。
「この子が、私の契約している精霊です。精霊は契約した人にしか姿を見せません。ルード君、指をここに出してみてください」
「はい」
ルードは恐る恐る、彼女の手のひらの上に、右手人差し指を近づけていく。
すると、指の腹を叩かれたような、優しい感触があった。
「あ、ほんとだ。誰かが叩いたような感じがありました」
同時に、ルードの目には、ナイアターナの手のひらが歪んで見えた。
確かにそこに、誰かが存在している。
飛龍がいるのだから、精霊がいてもおかしくはない。
ルードがそう思えたのは、実際に精霊が風を起こすのをウルラに教えてもらっていたからだろう。
「いつもありがとう。もう大丈夫だから」
ナイアターナは精霊に言葉をかけたようだ。
『わたくしはシルシルベルイット。わたくしの可愛いナイアターナ、仲良くしてあげてね?』
「あ、はい。シルシルベルイット、さん? ありがとうございます」
目で見ることは叶わなくとも、ルードに耳には彼女の声が届いていたようだ。
「え、ちょっと待ってください。私、ベルの名前を教えてなかったと思うのですが? もしかして、彼女の声が?」
「あ、はい。僕、そういうの得意なんです」
ナイアターナは開いた口が塞がらない状態。
ややあって、戻ってきたかのように、笑ってごまかす。
「――あ。こほん……。ほんと、驚いたわ。話は元に戻るけれど、その、力になれなくて、ごめんなさい」
「いえ、大丈夫です。(んー、どうしよう――とにかく市を見てくるかな)ちょっと僕、明日以降のために買い出しに行ってきます」
「案内は必要ですか?」
ナイアターナは心配そうに言う。
「大丈夫です。僕は見たとおり獣人族です。他の種族の方々より、嗅覚が優れています。材料を探す予定なので、匂いでなんとかなりますから」
「材料ですか?」
「はい。僕は、グルツ共和国に、交易商人として堂々と入国するつもりです。その際に持ち込む、商材を作っておこうと思ったんです」
「そう、なんです? ……くれぐれも、お気をつけ下さいね?」
ナイアターナは、首を傾げてしまう。
人しか入れない。
おそらくエルフのナイアターナでも入れないグルツ共和国。果たして『どのようにしてルードが堂々と入国するのだろう?』、彼女はそう思ったはずだ。
自信満々なルードの表情で、余計に困惑してしまっただろう。
「はい。ありがとうございます」
▼
ルードがこのグリムヘイズに到着した翌日の夕方、ギルドの建物前に馬車が到着する。
御者を務めるのは、人族の青年と、黒い毛を持つ大柄な猫人族の初老男性。
青年が客車のドアを開ける。
そこからは、紅い服を着た、紅い髪を持つ女性が降りてくる。
青年が先頭になり、ギルドの入口をくぐっていく。
ナイアターナのいる受付に青年が書類を提出した。
「お疲れ様でございました」
「では、後をよろしくお願いします」
そう言うと青年は、ナイアターナと連れてきた二人に会釈をする。
老紳士は腰を折り、紅い髪の女性は丁寧に会釈をする。
「初めまして。自由交易の都、グリムヘイズへようこそ。私はこの『グリムヘイズ互助会――別名、ギルド』の総合受付を任されています。ナイアターナ・ハーグマンと申します。お気軽に『ナイアさん』とお呼びくださいね? こう見えましても森の妖精種、エルフの里の出で――」
「あ、あの。ルード様は、今どこに?」
「やはりあなたがたが、『そう』なのですね? ルード君から伺っておりました。ご安心ください。彼は、魔力の回復に努めるため、三階のお部屋で安静になさっています」
「そうでしたか。それでその、クロケットは?」
「落ちついてください」
キャメリアは、かなり感情的になっていたようだ。
それに気付かされ、少々恥ずかしくなったのだろう。
「も、申し訳ございません。私は、ルード様の侍女、キャメリアと申します。彼は、クロケット様の執事である、オルトレットです」
オルトレットはゆっくりと会釈をする。
「あの、ですね。ルード君はやっと、落ちつきを取り戻した状態です。ですからその、クロケットさん、の件につきましては、ギルド長からお話があるそうです。こちらへどうぞ」
ナイアターナは、二階にあるギルド長室へ二人を案内する。
▼
ルードが宿泊する部屋。そろそろ夜になろうとしていた。
お腹が空いてきたから、一階の食堂で何かを食べようと起き上がる。
そのときドアがノックされた。
ドアの外から感じる匂いですぐわかった。
キャメリアとオルトレットだ。
「あ、うん。入っていいよ」
「失礼いたします」
思った通り、聞き慣れたキャメリアの声。
後ろにいるのは、オルトレットだった。
「あ、その目。ウルラさんに聞いたんだね?」
ルードは、キャメリアとオルトレットの瞳を見て、ある程度察してしまう。
「はい。伺いました」
「左様にございます」
「ごめんね。僕がついていながら、その、僕ね――」
頬を伝い止めどなく、ルードの目から涙が溢れてくる。
慌ててキャメリアはルードに駆け寄り、隣に座ると彼の頭を胸に抱く。
「ぼ、ぼぐね、お姉ぢゃんを……」
嗚咽を漏らすルード。
キャメリアの胸元を涙で濡らしながら、声を押し殺して泣く姿は、彼女自身初めて見ただろう。
ルードは悔しかったはずだ。
キャメリアの姿を見た安心感と同時に、何もできなかった敗北感が湧き上がってくる。
もし、彼女の身に何かあったら、ルードにその力があるかどうかは別として、それこそフェリスと同じ行動に出ていたかも知れない。
悔しいのはキャメリアもオルトレットも同じ。
それでも年上のキャメリアは、ルードの悔しさを受け止めなければならない。
今はただ、抱きしめてあげることしかできない。
こんなに大切なルードをどん底まで落とし込んだ相手が憎い。
フェリスやイエッタ、シルヴィネが言った通り、キャメリアですら相手がわかれば、聞いていたフェリスの身に起きた話のように、あらゆる炎の魔術を駆使し、炎帝飛龍の全てをもって、灰燼と化してしまうことだろう。
ただ今は、そこまで思い詰める時間はない。
それよりも主人である、敬愛するルードを元気づけなければならないのだから。
キャメリアはとにかく、彼が満足するまで泣かせてあげることにした。
背中を優しく叩き、そっと声をかける。
「大丈夫。私はどこにも行きません。貴方と離れてしまっても、こうして傍へ戻って来ます。何があっても、ルード様の傍にいますので。ご安心を」
十六歳になったルード、二十一歳になったキャメリア。
二人の年齢差は、百年経とうが二百年経とうが変わらない。
姉であることに違いはない。
いつまで経っても、ルードは愛すべき弟なのである。
彼の顔は、キャメリアの胸に埋まったまま。
彼女はルードの背中を、首筋から尾てい骨にかかる部分まで、ゆっくりと何度も何度も、軽く触れた状態で上から下に撫で下ろす。
そうしていたことで、ルードの嗚咽も徐々に治まってきていた。
「ルード様。私の目を見てください」
「う、うん」
キャメリアは、口止めをされていた。
クロケットも知る方法で、一方通行だがフェリスたちと連絡がとれるということを。
だがキャメリアは思った。
彼女の頭に浮かんだのは、『口で言わなければ、約束を違うことではない』という屁理屈だった。
ルードに瞳を見てもらう。
これだけのことが起きているのに、なぜ誰も助けに来ないのか?
人の目を見て、相手の心の中をある程度読めるルードは、キャメリアの意図も理解したはずだ。
彼女の瞳を通して、一言一句ではないが、ある程度意味は伝わってきた。
「(フェリスお母さんたちから、僕に話しちゃダメって言われてるんだね?)あー、うん。そっか。お姉ちゃんはまだギリギリ大丈夫。そういうことなんだね? そっか。ウルラさんが言ってた、『僕の力を信じろ』って、そういうことだったんだ」
キャメリアが言わんとすることを感じ取った。
だからルードは、あることを思い出していた。
「そういえばイエッタお母さんに聞いたことがあるよ。『フェリスちゃんがお尻を拭くときはですね、何もかも灰になってしまうことでしょう。だからそうさせないように、男の子はぎりぎりまでやせ我慢をするのですよ』ってね」
あのときは、大げさな話だと思っていた。
けれど、過去に本当にあった悲しい炎をルードも知っている。
「そうですね。私の母も、同じような存在ですから。フェリス様に突っ込まれているのでしょうね」
キャメリアはわざと、戯けるように苦笑してみせる。
それで落ち着きを取り戻したのだろう。ルードもこれまであったことをキャメリアたちに伝える。
「ルード様の、あのお能力に対する返答であれば、『丁重に扱われている』のは、間違いないかと思います。私も、ルード様の『お願い』には、逆らえません。どれほど精神力の強い人間だったとして、敵対していないと思われるとして、ルード様の『お願い』を無碍にできるとは到底思えません。間違いなく彼の者も、嘘は申せないと思うのです」
「わたくしも、ルード様のお能力は、家人の一人として承知しております。ゆえに姫様は、無事と考えてよろしいかと思われます」
オルトレットもウルラから説明を受けて納得できていたようだ。
「うん。ありがと」
「ルード様も私も本当の意味で、大人にならなければいけない、……ということなのでしょうね」
ルードを胸に抱きながら、キャメリアは言った。
「あー、……うん。だと思う。イエッタお母さんは、今も僕たちを見守ってくれてる。だから恥ずかしいことはしちゃいけない。そうだよね?」
「えぇ」
キャメリアがルードに分かって欲しかったことは、十分に伝わっているようだった。
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