第七話 大お母さまたちの、判断基準。
ルードはウルラに諭されて、無理にグルツ共和国へ乗り込むことをやめた。
その代わりにウルラの勧めもあって、彼女が拠点としているグリムヘイズへ身を寄せることになった。
あとしばらく飛べたなら、グリムヘイズへ着くという距離まで来ていた。
だがその晩は、満丸大星の光が届かない夜。いわゆる新月だった。
薄明かりでも視界を保つことができる目を持つウルラでも、明かりの届かない夜は目が働かない。
フェンリルと狐人の目の特性を持つルードも、薄暗いところでも活動できる。
だがウルラと同様、真っ暗闇はどうにもならない。
たき火の明かりの下、ルードはウルラから、この大陸のことを教えてもらった。
「ルード君の話から察するにだな。この大陸は、ルード君の住む海向こうとは少々違う」
「どう、違うんです?」
「そうだな。ここはどの国、どの町に行っても人間――人種の方が多い。ルード君のような獣人種。あたしのような鳥人種もそうだ。純粋な人種と呼ばれる種族以外は、全体の一割いれば良い方だな」
鳥人種は獣人種よりも少ない。特にウルラたち、梟人族は希少な種族なのだそうだ。
「ここから遥か北東。人種が踏み込めないような、切り立った岩山の奥に、あたしたち梟人族の集落はある。あたしたちは空を飛ぶことができるから、そんな辺鄙なところでも生活ができるんだ」
この大陸では、ウルラたち鳥人種だけが空を制しているのだろう。
だから人や獣人が住み着かないような場所でも生活できる。
そう言っているような気がした。
「あ、そういえばなんですけど」
「ん?」
「ウルラさんは、どうやって空を飛ぶんですか? 僕の家令さん。キャメリアという名前なんですけど、翼に魔力を作用させて飛ぶんですよ」
ルードはキャメリアから教えてもらった、空を飛ぶために必要な仕組みを話す。
ルードの話を聞いたウルラは、意外そうな表情をしていた。
「飛龍だったか? そうか、飛龍はそうやって飛ぶんだな。あたしたちは、魔法が使えない。その代わりに、精霊と契約して力を借りる。それを、精霊術と言うんだ。ルード君と同じで、魔力を媒介とするんだけどな。魔法と違って、そこまで魔力を必要としないんだ」
「精霊術? 精霊ってなんですか?」
「地、水、風、火の四大精霊というのがいてだな――って、そこから話すと長くなっちまうからなぁ」
一瞬身を乗り出しそうになった魔法大好きはルード。
彼には、実に興味深い話だった。
まるで肩すかしをくらったかのように残念そうな、それでいて少し拗ねたような表情を見たウルラは嬉しくなる。
実に可愛らしく思えたのだろう。
「――そうですか。残念です……」
この世界には様々な種族がいるのだから、もし精霊がいたとしても不思議ではない。
「そう肩を落とすなって。だからまた今度な。さておきルード君。この大陸に魔力が少ないのは気づいてるだろう?」
確かに、これだけ長い時間経っても、まったく回復していない感じがするから。
「はい。ものすごく、少ないんだと思います」
「そうだな。あたしら鳥人種は、風の精霊と相性がいい。契約してる風の精霊の力を借りる代わりに、あたしが持ってる魔力を渡すんだ。そうして風を起こしてもらう。それをこの、あたしの翼で捉えて上昇するんだ」
ルードがキャメリアから教わった、飛龍の飛ぶ原理とはまったく違うもの。
飛龍の飛び方がどれだけ力技かと思えてしまう。
「そうなんですね。えっと、魔力の薄いこの地域でも、この地表から大空へ上がることができるんですね?」
「あながち間違ってはいないな。上昇したら、風の精霊に、上昇気流を探してもらうんだ。それに乗って、さらに上へ行く。そのために、この翼はあるんだ」
魔力の少ないこの地域では、ここならではの方法があるということ。
もし、キャメリアがここにいたとして、飛び続けることは難しいのだろう。
自ら枯渇している状態だからこそ、ルードはそう思った。
「そうするとですね。この土地にある、微弱な魔力をどうしたら――」
ルードの唇に、ウルラは人差し指で待ったをかける。首を左右に振った。肩をすくめると、少し呆れたような、困ったような表情になる。
「あたしたちのことは、いずれ話してやる。それよりも今は、グルツ共和国のことだ」
ルードの知識欲に、若干引き気味のウルラ。
「……はい」
ウルラは、グルツ共和国には近寄れないと言っていた。
種族的な差別があるからだろうと、予想はできる。
「この大陸にはな、人種とそれ以外の種族が共存してる国や町は少ないんだ」
「寂しい、ですね」
「寂しい?」
「はい。僕は海の向こうの大陸で、人種と獣人種の間を取り持とうと、活動していましたから」
「本来なら、それが理想なんだろうけどな。ただここでは、棘のある草木のような道だな。あたしたちが向かってるグリムヘイズには、人種もいればそうでない者もいる。もちろん、共存共栄してるぞ?」
「そうなんですかっ。それなら僕も行って、お願いします。お姉ちゃんを助けてもらうために……」
「大丈夫。お前の能力を信じろ。クロケットさんは、無事なはずだ」
「はい。そう思えるようになりたいです」
「本当に、強情なヤツだな。お前はあたしに事実を見せたんだ。だからあたしはお前を信じる」
ウルラが抱きしめた感じ、ルードの鼓動がやっと落ちついてきたように思える。
ルードはウルラを見上げる。
「そういえば、『グ』という頭文字のつく場所なのに、グリムヘイズではないとなぜ、思ったんですか?」
「グリムヘイズには、神官はいない」
「そうなんですか?」
「あぁ。孤児院はあるけど、教会が運営してるわけじゃない。神に仕えるような信徒はいないんだ。神に祈ったって、生活が楽になるわけじゃない。その点精霊たちは、魔力を分ければ仕事をしてくれる。生活手助けをしてくれるからな」
「なるほどです」
ルードはうんうんと頷く。
「グルツ共和国はな? 実に性質の悪い国だよ。あたしも一度だけ入ったことがある。あそこはな、城がないから城下町じゃないんだ。教会が中心となってる国。表向きは衛兵もいない、城壁も門もない町。誰でも入れるんだ」
「そうなんですか。それなら」
ルードは『僕一人でも捜せる』、そう思ったのだろう。
「あの国にはな、『人間以外を見えない存在として扱う』という決まりがあるんだ」
「それは……」
「買い物をするために入ったことがある。だがな、物の見事に無視された。あちらさんは、気づいてはいるんだ。それでも必至に、見えないふりをするんだよ。滑稽というか、哀れというか。可愛そうに見えちまった」
ウルラは言う。
この大陸には、グルツ共和国のような『人間至上主義』を掲げるところがいくつも存在する。
一部の人種とは折り合いが悪く、グルツ共和国のようなことが起きている。
いずれの種族も、肩身の狭い想いをしながら、慎ましく暮らしているようだ。
以前のメルドラードも、似たような環境だった。
地上を移動する他種族ではたどり着けない場所に存在していた。
言葉の壁と、習慣の壁。
どの大陸も、問題を抱えながら生活をする人たちがいるのだろう。
ルードは、自分の生まれたエランズリルドであったことを話す。
「そうか。そのエランズリルドという国は、グルツのようなところだったんだな」
「はい。僕が生まれたときはまだ、そうだったんです」
そこから自分の生い立ち。どのようにして、人と獣人との間を取り持ったか。
十六歳のルードが、何倍も、何十倍も濃密な人生を送ってきたことが、ウルラにも理解できるだろう。
ルードが話していることは、嘘偽りはないはずだ。
真っ直ぐに自分を見つめる、彼の目がそう言っている。
▼
手に持つ宝玉緑色に光っている。
数回、同じ感覚で点滅を繰り返す。
「緑が二回点滅して、一回紅。リーダちゃんから定期連絡ね。色の感じからいつも通りの『変わったことはありませんか?』だと思うけど。イエッタちゃん。どう?」
新緑色の艶のある、くるくるした巻き毛。柔らかそうな髪に、ちょっと異質な力強い感じの二つある耳。
同じ色のふさふさの尻尾。
紅い瞳を持つフェリスが、正座をしてじっと自分の握っていた宝玉を見ていた。
対照的に、金髪の美しい髪に大きく立った二つの耳。
九本の大きな尻尾を携え、優しげな糸目のイエッタ。
「――ふぅっ」
そんな彼女が眉間に皺を寄せるほど、辛そうな表情をしている。
懐から手ぬぐいを取りだし、額にじわりと浮かんでいた脂汗を拭う。
「大丈夫?」
糸目を更に細くし、無理に笑顔を作って首をこてんと捻る。
「えぇ。海一つ越える距離が、ここまで辛いとは思わなかったわ。ウォルガードでなければ倒れていたでしょうね」
「そんなに……、それでどうだったの?」
イエッタが言うくらいだ。体内の魔力を一気に使い切るほど、無理をしていたのだろう。
「そうねぇ。我が思うに……。まだ、緑でいいと思うのね。フェリスちゃん、緑をお願いできるかしら?」
「――まだ。ねぇ? いいの?」
「えぇ。緑で」
イエッタの言う通り、フェリスは右手に持っていた、大きな緑の宝玉に魔力を込めた。
すると、フェリスの魔力をごっそり持っていくような、燃費の悪い気持ち悪さが身体を襲う。
「うわっ、これ。調整がまだまだ必要ね。この距離だと、結構辛いわ」
「フェリスちゃんで、そうなのであれば、私たちでは難しいでしょうね」
隣に座るシルヴィネが淡々と感想を言う。
イエッタもシルヴィネも、この大陸では五本の指に入る魔力量を持つ。
そんな彼女らからしても、フェリスは段違いなのだろう。
「クロケットちゃんの身に何かがあったのは――間違いないわね。それでもまだ、安全みたいね。気持ちよさそうに寝ているわ」
イエッタが見た通りの情報を明かす。
「そっかそっか。それで、ルードちゃんは?」
「そうねぇ。クロケットちゃんとは別口で連れ去られたみたいだけれど、自力で脱出したみたい。少々無理は、したみたいだけれどね。今は、珍しい種族の女性と一緒にいるわ。鳥? いや、梟よね? あの毛の感じは」
「おそらくは、梟人族なのでしょうね」
淡々と答えるシルヴィネ。
彼女の知識量は、フェリスやイエッタを凌ぐほどだ。
「どっちにしてもね、あの地は我たちには相性が悪すぎる。フェリスちゃんも知ってるでしょう? フォルクスどころの話ではないほどに、魔力が薄すぎるわ。でもね、まだまだリーダちゃんが出る場面でもないし。ルードちゃん、キャメリアちゃんで、十分に対処できる状態だと思うの」
フェリスは腕組みをしながら、うんうんと頷く。
確かに、〝消滅〟の名はあの地が原因だったこともあるのだ。
「イエッタちゃんが言うなら、そうなんでしょうね。このスパルタさんが」
今回の判断方法は、イエッタの提案だった。
ルードの傍にリーダを行かせておきながら、自分の判断で『異常なし』の指示を送った。
リーダには、『安全だから近寄るな。自分の仕事をしろ』と言ってるようなものである。
「あらぁ? フェリスちゃんよりはマシですよ。そりゃクロケットちゃんは、どちらかといえば被害者でしょうけれど、それでも我たちが出ていくわけにはいかないものね」
フェリスもシルヴィネも、イエッタの言うことは理解している。
「それにね、ルードちゃんやキャメリアちゃんには、もう少し大人になってもらわないと駄目でしょうから」
「状況から察するに、キャメリアもまだまだですね。なんとも嘆かわしい」
「シルヴィネちゃんも、言うわねぇ」
「えぇ、私の娘ですからね。『言葉以外の壁』より低い障害程度で、身動きをとれなくなるようではまだまだです」
過去に何度も、身振り手振りだけで情報収集を行ってきたシルヴィネだから言えるのだろう。
「あー、それは言えてるかもね」
フェリスはお茶を一口含み、喉に流していく。その仕草は、ただの美少女ではありえないほど優雅で洗練させていた。
「まったくです。ルードちゃんはもう十六歳。此度は、敵地に乗り込んだかもしれないという、自覚が足りていないのです。それに、自分で判断して自分で責任を負える人になってほしいというのが、我たちの考えでもあるのですからね」
正座をしたまま、ルードに作ってもらった特注の湯飲みで、渋めのお茶を啜るイエッタ。
「そうね」
「はい。そうですね」
長老三人は、案外ドライに今の状況を判断していた。
「あら、キャメリアちゃんからみたい」
こうして一休みしている間も断続的に、イエッタは常にルードたちのモニタリングを続けている。
何か変化があれば逐一こうして、検知できるのだから。
「えっとね。『ルード様、クロケット様が行方不明になりました。どうしたら良いでしょうか?』んー。あらぁ。お手紙に涙が滲んでるわよ。でも、まだまだ自分で――」
「あの子も炎帝飛龍の末孫です。ここでくじけるような子は、資格なしとしか言いようがありません。この程度の試練で進めなくなるようでしたら、飛龍を代表してルード様にお仕えするなど、片腹痛いというものですわ」
つんと明後日の方向を向くシルヴィネも、ミルクティをゆっくり飲みながら、ため息をついた。
きっと心配なのは間違いないのだろう。
だが、顔色一つ変えない、ドライなシルヴィネ。
イエッタもフェリスも、彼女のスパルタぶりにはちょっと苦笑する。
シルヴィネの指す『炎帝飛龍』というのは、紅飛龍の祖。
シルヴィネたちの先祖にあたる、飛龍最強の女性だったという。
イエッタたちは、『もし三人が乗り込まなければ、キャメリアが自分で解決できると判断しなさい』と教えてある。
もちろん、三人は乗り込むつもりなどさらさらない。
彼女たちが乗り込んだ後には、どこかの国や町が丸ごと火の海に沈むのだから。
フェリスだってイエッタだって、ルードのことを、クロケットのことを、キャメリアのことも、可愛くて仕方がないはずだ。
それでも、まだ若い彼らは、成長しなければならない。
特にルードは、あと二年で成人を迎える。
子供で居られる時間は、もう残り少ないのだから。
「イエッタちゃん。今日もとりあえず、現状維持ね?」
「えぇ。そうねフェリスちゃん」
「じゃ、晩ご飯にしましょ。シルヴィネちゃん、何食べたい?」
「そうですね。とりあえず、デザートはプリン。でしょうか?」
「我も、最近タバサさんが作るプリン、味が上がってるのですよ。その上にカットしたフルーツと、ホイップした生クリーム。食後が待ち遠しいわ」
「なにそれ、私も」
「えぇ。ご一緒させていただきたいです」
晩ご飯のメニューよりも、デザートが気になる長老三人だった。
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