第六話 山間(やまあい)の国と腐った匂い。
「怖くないか?」
ぶっきらぼうな、女性とは思えない口調。
だがウルラは、ルードのことを心配している。
それはもう、過保護とも思えるくらいに。
ちらりちらりと足下を見ていた。
ここはおおよそ、地面から百数十メートルはあるだろう上空。
ウルラはそのような高度を、ゆっくりと目的地に向けて飛んでいる。
そんな彼女の足下にあるのは、柔らかく包んだ丈夫な布。
包んであるのはもちろん、ルードだ。
キャメリアの背に乗り、飛び回っていたルードには、とても新鮮に思えただろう。
ルードは今、布のバスケットというか、ブランコ状態で吊されている。
上を見るとウルラがいて、彼女の肩口から背にかけて、大きな美しい翼が見える。
その翼は、弱い風を受けて滑空しているのだ。
その速度は、大型飛龍のリューザが飛ぶときよりも、更にゆっくり。
それでも、早駆けの馬車よりは、速いと思われる。
それはルードを吊り下げて、安全な速度で飛んでいるから。
今のルードの体調を考えたのなら、仕方のないことだ。
「大丈夫ですよ。僕、こう見えても、何度も飛んでるんです。家令さんがね、飛龍なんです」
「家令さんってルード君はやはり、いいところの坊ちゃんなんだろうな。それにしたってまた大げさだな。飛龍なんて伝説の存在、あたしだって見たことないぞ?」
「(そりゃそうか。この大陸にはいないんだろうね)ほんとに、いるんですけどね」
「あたしは自分の目で見たものしか信じないことにしてる。まぁ、ルード君の話は、〝あれ〟を見てしまったから、飛龍だっているんだろう。ルード君を、信じるしかないんだろうな……」
ウルラの言う〝あれ〟というのは、ルードの左目から行使される『支配の能力』だ。
ルードはウルラにとって、庇護欲をそそる、母性本能をくすぐる存在だ。
彼女からしたら守るべき可愛らしい存在だ。
そんなルードを、自分の意思に反して殴ってしまったのだ。
それは、ルードの秘めた能力だと説明を受けてしまった。
カラクリを目の当たりにしてしまったからには、ウルラは信じるしかなかっただろう。
それにルードは、この高度であっても怖がる素振りをみせない。
もしかしたら、一度は空を飛んだ経験があるとも思える。
ウルラが知る限り、この大空を支配しているのは、鳥人種しか知らない。
だがどうしても、ルードが嘘をつくような子には思えない。
だからだろうか?
自分の信念を曲げてでも、ルードの言うことは信じてあげたくなっているのが現状である。
この短い時間見ただけであっても、ウルラが見た感じ、ルードはとても危うく感じたはずだ。
それゆえに、この大陸での常識を教えてあげたいという気持ちもあるのだろう。
だから一度は否定してみせるのは、そんな気持ちの現れなのかもしれない。
▼
ウルラたちは地上に下りて、野営の準備を始めている。
日暮れもとうに過ぎ、辺りは暗くなってしまっていたからだ。
ルードを座らせて、ウルラは薪になる木を拾って重ねた。
何もできないでいたから、ルードは心苦しくなったのだろう。
「薪ですよね? これは僕に任せて下さい――『炎よ』」
短い詠唱をすると、指先にぽうっと火を灯り、その周りが少し明るくなった。
そのままルードは、ウルラが集めてきた薪に火を付ける。
魔力の回復が遅いとはいえ、指先に米粒ほどの火を灯し続けるくらいはなんとかなる。
それを見たウルラは、ルードが魔法を使えることを改めて理解する。
やはりルードが倒れていた理由は、体力の消耗と、魔力の枯渇。無理をさせてはいけないと思っただろう。
「じゃ、ここいらで夕食にしようじゃないか」
現在の移動時間では、目的地に到着するのは明日辺りだという話。
ここで明日に備えて、野営をしようということになったのだが?
「……夕食、ですか?」
どこからどう見ても、ウルラは手ぶらにしか見えない。
鞄を背負っているようにも見えない。
昔のリーダを思い出す。
おそらくこれから狩りをするのかと、ルードは思っただろう。
ウルラは拾ってきた大きな石で薪の周りを覆い、竈と同じ状態にする。
「そうだけど。あたしが料理をしたら、おかしいか?」
「いえ、そういうわけでは」
ルードにそう返事したときには、彼女は鍋を持っていた。
石の上に鍋を置き、右手に持っていた瀬戸物らしき瓶から水を注ぐ。
その後、竈に鍋をかけた。
「あれ?」
ルードは目をゴシゴシと擦る。目の錯覚かと思っただろう。
ウルラは、続けて干し肉のような固まりを、手のひらの上に出現させた。
沸騰し始めた湯に、いつの間にか持っていたナイフで、肉を薄くこそぎ落とす。
乾燥した野草のような固まりをいつの間にか持っていて、それも鍋に入れる。
ぐつぐつと煮え始めると、これまたいつの間にか持っていた、大きな木製の匙で、灰汁をせっせと取り始める。
左手に持っていた蓋を閉めて、暫し待つ。蓋を開けると塩らしきものをパラパラ。
何かの粉をパラパラ。
匙で左手の小皿に少量掬うと、味を見て『うん』と頷く。
ルードは再度目をゴシゴシ。
「あ、あの」
「どうした? ルード君の家と、味付けが違うかもしれない。けっして美味いものじゃないかもしれない。けれどな、丁寧に作ったスープが、もうじきできるから」
「いえ、その。ウルラさんは、『隠せる』――じゃなくて。どこにそんな沢山の荷物を……?」
ルードはかなり驚いていた。まるで手品でも披露しているかのような、一連の出来事。「ん? あぁ、そっちのことか。ルード君は知らないんだな? これはな、『魔法袋』って魔道具なんだ」
ウルラは、腰に提げた小さなポーチをぽんぽんと叩く。
何かの細かい鱗がびっしりと敷き詰められた、手のひら程度の大きさに見える袋。
ウルラが言うには、魔法の空間が袋の中に存在している。
かなりの量の物資を入れることができる。
重さが軽減される魔法がかかっているなど、魔法袋のことを話してくれる。
「あたし自身も、よくわかってないんだけどな。かなりの荷物が運べて便利だ。ちなみに、どれくらいするかというと」
「はい」
「大きな邸宅が一軒買えるくらいはする」
「……はい?」
「まぁ細かいことはいいんだよ」
ウルラは丼のような深めの小皿に、スープを入れる。
「このパンは少々固い。だからスープに浸して食べるんだ。味は悪くない、いい小麦を使ってるからな」
一緒にパンを取り出すと、小さくちぎる。
スープの中に入れてふやかしてから、ルードに手渡す。
「はい、ありがとうございます。じゃ、いただきます――あちっ」
「だから言っただろう。ほんと、目を離せないったらありゃしない……」
自分の匙で、息を吹いて冷ます。
ルードの口に近づけると食べさせようとする。
ぶっきらぼうで、男と間違うような口調。
それでいて、母親リーダみたいな女性らしさを持つギャップに、ルードも少々驚いている。
「ほら」
優しい目で笑うウルラだった。
「あ、はい。いただきます」
「どうだ?」
「はい。美味しいです」
「よかった。味が合わなかったらどうしようかと思った」
▼
翌日ルードは目を覚ますと、自分の身体の具合を確かめた。
ルードの回復具合は、ウルラからご馳走になってるご飯のおかげで、体力的には回復したように思える。
だが、魔力的には目眩が残る感じから、ほとんど回復していないのだろう。
今朝目を覚ました後、『化身の術』を使ってみたが、姿が変わる気配すらなかった。
無理に支配の能力を使ったせいもあり、少しだけ回復していた魔力も、消耗してしまったようだ。
指先に火を灯すくらいは可能だろうけど、他のことができるかは、微妙なところ。
ウルラは、ルードの身体に障らない程度に、できるだけ速く飛んでくれた。
そのおかげもあって、日暮れ前には目的地近くまで来れたようだ。
ウルラはルードが怪我をしないように、地面すれすれに着地する。
低く短い草の生える草原。この高さであっても、遠くに町が見えていた。
「ルード君見えるか? あれがグルツだ」
ウルラの指差す先に、高く険しい山が見える。
その山のふもとに、町らしきものがあった。
あの神官らしき男の話が本当であれば、クロケットはあの国のどこかに捉えられているはず。
ルードならば探し出すのは容易いはず、そう思っていた。
上空からは気づかなかったが、地に下りると匂いを感じる。風向きが変わり、山から降ろすような向かい風になったからか、匂いが強くなってきた。
そのときルードの確信は、覆されてしまう。
なぜなら、グルツ共和国と思われる場所からは、『玉子の腐ったような匂い』が漂ってくるから。
風向きが変わってこちらへ吹く度に、強烈な匂いが漂ってくる。
ルードにも覚えがある、シーウェールズでも嗅いだことのあるこの刺激臭。
「間違いない。あの国からは『何かが腐ったような』そんな匂いがするんだ」
獣人ほど嗅覚の優れない梟人族であっても、この特徴の有る匂いは覚えている。
ルードは、ウルラの言葉に肩を落とす。
クロケットの匂いを辿れば、探し出すのは難しくないと思っていたからだった。
「(この匂い、硫黄? まさかこんな場所だとは思わなかったよ……)」
風からも、地面からも、硫黄の強い匂いしか感じられなくなってしまった。
どうやっても他の匂いを嗅ぎ分けるのは難しい。
後ろに居るウルラの匂いも、もはやわかりにくい。
それほどの状況。
こうなってしまったら、獣人として、フェンリルとして、嗅覚に頼った捜索は不可能だ。
状況証拠から言って、あそこに居ることは間違いないはず。
そう確信していながら、クロケットがあの国のどこにいるのか皆目見当がつかない。
「僕、魔力が戻ってたら、『化身』が使えるんです。耳と尻尾は隠すことができるんです。だからあの国に入っても大丈夫だと、思うんです」
ルードは、自分なら人間たちに紛れることができると主張する。
ルードの脳裏には、あの日クロケットを助けたときのことが浮かんでいるのだろう。
こうしてウルラが一緒に居てくれるおかげで、リーダが居てくれるような気持ちにもなれるのだろう。
「あのな。あたしは無理だ。あたしたち梟人族は、化身が使えない。『人間至上主義』なあの国には、一歩も踏み入れることができやしないんだ。あたし一人の力なんて、たかがしれてる。あの国で、ルード君を守りながら立ち回るなんて、あたしにはできない。力になれなくてごめんな……」
あのときのリーダのように、ウルラはルードに言ってきかせる。
だが、その言葉はリーダとは正反対だ。
リーダならば、全てを滅ぼしてでも助け出すだろう。けれどウルラは、ルードを守りながら無理をするだけの能力を持っていないと言う。
ルードもリーダのように攻撃に特化した能力を持っていない。
支配の能力を持っているとはいえ、国をまるごと包み込めるほど魔力は回復してない。
「僕はフェンリルなんです。姿さえ変わってしまえば、人間なんか――」
もしフェンリルの姿になれさえすれば、腕力も何もかも、人間なんかに負けたりしない。
人間なんてどうにでもできる、ルードはそう思っただろう。
ルードの目は、怯えなのか、それとも怒りなのか。
追い詰められた獣のような、そんな危うさを感じただろう。
「焦るな。怒りに身を任せるな」
ウルラはルードを両腕で抱きしめる。翼のある腕でも覆い尽くす。
「…………」
「よく考えろ。ルード君」
口調は男性っぽいが、ウルラは女性らしい優しく良い匂いがする。
彼女のおかげで、ルードは若干だが落ち着きを取り戻した。
「――あの、僕」
正直言えば、こんな小さな身体に。こんな可愛らしい、優しい子に。あの伝説のフェンリルが眠っているとは思えなかった。
「ルード君。お前は本当に、フェンリルなのかもしれないな。あんな苛烈な面を見せられたら。玉砕覚悟で突っ込みそうな表情のお前を見たら。いくらあたしでも、止めるほかないじゃないか。……落ちついてもう一度考えるんだ。ルード君は『嘘を言えない状況を作り出せる』んだろう? それは本当なんだろう?」
「はい」
「それなら、クロケット、さんだったか。彼女の身に危険が及ぶことはないと、丁重に扱っていると言ったんだろう? それならば、彼女は無事なはずだ。その言葉に嘘はないはずだ。あたしの身に起きたことも真実だ。だからもっと自分の能力を信じろ。自信を持つんだ」
「でも」
「お前の母はどうだった? 迷いがあったか?」
ルードはリーダのことを思い浮かべる。
リーダは迷うことはあった。
それでもフェンリラであることに迷いなどなかった。
フェンリラとしての能力を誇りに思っていた。
自信がないと言っていたエリスですら、自分にできることを精一杯やっている。
フェリスだって、イエッタだって。
ルードが『お母さん』と呼んだ、全ての人は皆、自分の能力に、自分の役割に、自信を持っている。
「ありません」
「そうだろう? あたしだって、この翼を信じられなくなったら終わりなんだ。あたしはこの翼があるから、この大空を舞うことができる。これが、梟人族である誇りでもあるんだ」
「はい……」
「落ちついたな? それならよく聞け。とにかく今は情報が必要だ。そのためにもな? あたしが拠点としてる町――グリムヘイズへ一緒に来るといい。そこで対策を練り直そう。なぁに。そこには、あたしの仲間がいる。人海戦術を使えば、潜入捜査だって可能になる。大丈夫、あたしに任せるんだ」
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