第一話 まだ見ぬ東の大陸へ
玄関先で見送る家族の中に、少々ひきつった笑顔を見せるリーダの姿が見える。
フェリスに釘を刺されていたから、エリスと一緒にお見送りをすることになっていた。
彼女は、本当は一緒に行きたかったのだろう。
その理由は知らなかったとしても、目を見るだけで、リーダの感情をある程度把握してしまうルードは、苦笑しつつも二人に手を振る。
ルードたちはキャメリアの背に乗り、いつものように家族に見送られて飛び立っていく。
ルードの背中を見送ると、リーダは隣にいるエリスに抱きつくと、耳元でこう囁く。
「エリス、あとはお願いね?」
「えぇ、リーダ姉さん。あまり無理はしないでね?」
「わかってるわ」
笑顔を見せて、リーダはエリスに背を向ける。
そのままゆっくりと、毎日飛龍たちが飛び立つ、ウォルメルド空路カンパニーの発着場へと歩いて行った。
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ルードとクロケット、キャメリアとオルトレットの四人は、シーウェールズを経由することなく、ネレイティールズへ向かった。
そこから、ネレイティールズ王家も付き合いのある、立派な商船へつなぎをとってもらう。
キャメリアの翼ならば、あっという間の距離なのだが、初めて行く国にいらぬ刺激をしたくないからと、選んだ船旅はこれより二週間ほど続く。
ルードたちは、ケティーシャがあったとされる、東の大陸へ向けて、大海原に出ていた。
ネレイティールズを出て、一週間ほど経っただろうか?
強い潮の香りと、大きく揺れる甲板。
張り付くような湿気のある、強い海風が吹き付けてくる。
甲板に飛沫がかかるほど波も高く、船は上下左右に揺れも大きい。
例えて言うなら、建物の一階から、三階や四階まで目線が移動する感じに。
いわゆる時化という状態であった。
先ほど船員の一人に聞いたところ、『これはまだ緩い方ですよ』と、笑っていたのにルードは驚いた。
今、ルードの頭には、白い髪に混ざって、なぜか黒い毛の大きな耳がぴょこりと覗いていた。
それはクロケットそっくりの耳。
今日一番の、高波を越えた瞬間、ルードの頭から瞬時に耳が消えてしまった。
「ふえぇえええ。今の、すっごかったね」
髪をくしゃくしゃにしながらも楽しそうに、揺れまくる甲板の上で手摺りに捕まり、うまくバランスを取るルード。
この商船は、ルードたちのように、大陸へ渡る乗客が数組乗っているとのことだったが、今日この場にその人たちの姿はない。
ルードが見回しても、航海に慣れた、船員の姿しか見当たらない。
彼らがルードの姿を見て、とても呆れた表情をしているのは仕方のないこと。
誰が好き好んで、このような厳しい状況下に身を置こうとするか?
いるわけがないからこそ、呆れられてしまうのだろう。
ルードはポケットから小さな手鏡を取りだし、自分の頭を見る。
「あー、うん。やっぱり消えちゃったかー。んでも、集中力を高める訓練には、ちょうどいいかも。まだ一週間くらいあるからねー」
ルードの右手人差し指には、黒ずみのある宝玉の填まった指輪。
おそらく、フェリスから借りたものだろう。
周りは軽い濃霧がかかった中、ルードはとある鍛錬の途中だった。
だが、この程度なら、船員たちも驚くことはないのだろう。
ルードは、背後に覚えのある匂いを感じてふりむいた。
その先には、執事服に身を包んだ、大柄な黒髪猫人族の男性。
ルードより軽く五十センチは背の高い、彼の家のもう一人の執事、オルトレットだった。
「お楽しみのところ、大変申し訳ございません。姫様方がまた――」
「あ、はい。今行きます」
波しぶきに濡れて、滑りやすくなっている甲板の上を、ルードはスキップするように足取り軽く戻っていく。
船内へ入ると広いホールがあり、ホールの外側に沿って二階へ繋がる階段がある。
階段を上り、突き当たりを左に折れて、ルードたちが宛がわれた続きの部屋。
手前がルードとオルトレットの部屋。
奥がクロケットとキャメリアの部屋。
ルードは、奥の部屋の扉をノックする。
「僕だけど、大丈夫?」
すると奥から、力のない声が返ってくる。
「は、……い。ルー、ドさ」
「無理しなくていいから、入るよ?」
ドアを開けるとそこは、一等船室のため、通常の宿屋より広い部屋。
入り口から見て左側、窓が見える場所に、ソファが二つ。
その横にテーブルと、椅子が二つ置かれる、ゆったりとした空間。
奥の両壁沿いにベッドが二つ。
天蓋はないが、造りも寝具も立派なものだ。
右側の壁沿いのベッドに、半ば身体を起こし、褐色の肌がそれこそ紫になってしまわないかと心配するほどの、辛そうな表情をしたキャメリアがこちらを見ていた。
ルードには、申し訳なさそうな表情を、彼の後ろのオルトレットには、黙礼で感謝の意を示したようにも見える。
左側のベッドには、うんうん唸りながら、眉と眉の間に皺を寄せて、辛そうにしているクロケットの姿が見られる。
「私よりも、クロケットを――」
彼女自身も辛いはずなのだが、それでも心配なのだろう。
普段は『クロケット様』と言うところなのだが、彼女も余裕がないのか、プライベートでの呼び方になってしまっている。
「いいからいいから。すぐにキャメリアも看てあげるからね」
ルードはクロケットのベッドの横に椅子を持っていき、その場に座る。
オルトレットは、心配そうにクロケットを見ている。
オルトレットの尻尾は、小さく細かく動いていた。
猫人族の不安の表れとも言われている状態。
彼はかなり心配しているようだが、ルードは彼に声をかける。
「大丈夫です。この症状は、病気じゃないんですかよ」
イリスに続く、ルード家の執事(実際はクロケットやヘンルーダの世話ばかりしたがるのだが)として、彼の言葉を信じないわけにはいかない。
ルードが心配ないというのなら、間違いはないのである。
それでも、顔は平静を装っているが、目に現れる不安そうな感じは、隠すことができていないため、ルードは苦笑するしかない。
クロケットの額に張り付いた脂汗を、ルードは優しく拭う。
ルードの匂いを感じ、安心したのだろうか?
少しだけクロケットの辛そうな表情が、和らいだようにも見える。
クロケットの左手を、両手でそっと握る。
『癒やせ』
適当であっさりとした、呪文詠唱。
それでもルードにとって、『治ってほしい』という願いを込めた、一番短い詠唱だ。
握った手を伝って、ルードの魔力の色、白い光がクロケットの全身を一瞬だけ包んでいく。
荒い呼吸が収まっていき、緩やかな寝息へと変わっていく。
「とりあえず、これでまた数時間持つでしょ」
「はっ、ありがとう、ございます」
背中から、感極まったオルトレットの声が聞こえる。
「だから大げさだってば」
ルードは立ち上がると、椅子を持ち上げる。
今度はキャメリアの傍に座る。
クロケットと同じように、キャメリアの額の汗を拭っていく。
「ルード、さ――」
申し訳なさからくるのだろうか?
慌てて身体を起こそうとするキャメリアの、両肩をやんわりお押さえ付けて寝かせる。
「いいって。苦しいんだから無理しないの」
ルードはキャメリアの右手を握ると、同じように詠唱をする。
『癒やせ』
ルードは医者ではない。
だからはっきりとした原因はわからないが、船長に症状を説明すると、『それはおそらく船病でしょう』と言われる。
同じような症状がないかと調べたら、いわゆる『船酔い』の症状だった。
なるほど、船病とは言い得て妙。
船酔いのような乗り物酔いは、普段慣れない船などの動き。
揺れなどに慣れていないことから、脳が混乱を起こし、自律神経が乱れてしまい、吐き気などが発生してしまう症状のこと。
病というわけではないのだが、簡単には解消できるものではない。
だからこうして、ルードが癒やすことで、暫しの間、症状が和らぐということだった。
本来、ルードが使う、治癒の魔法は、外傷を治癒するためのものであって、病を治すものではないと、レラマリンからも『変だ』と言われたことがある。
ルードの祖母である、フェリシアの能力が、病を治すものに近いと言われている。
イエッタを治し、エリスを、エヴァンスたちを治したのも、治癒魔法ではありえない結果だったようだ。
それ故に、ルードの治癒魔法は、何か違うのだろうと、フェリスの研究材料と目をつけられ、様々な人体実験に付き合わされることがあった。
ルードは自分の怪我を治すことはできるが、失った体力を補完することはできない。
検証の結果、フェリスたちは『治癒魔法と平行して、フェリシアの治癒に似た能力を発動させている可能性がある』という結果で、落ち着くこととなった。
その後しっかりと、ルードには『やり過ぎないように。力を使ったあとは、ちゃんと休むようにしなさいね?』と、注意がなされた。
先ほどの、クロケットと同じように、キャメリアをルードの光が包んで消える。
顔色の悪かった彼女は、呼吸も楽になり、ゆっくりと身体を起こしていた。
「申し訳ございません。この体たらく。情けないです。とても悔しいです……」
空の強者である飛龍であっても、船酔いには勝てなかった。
「いつも僕の方がお世話になってるんだから、こんなときくらいは、頼ってくれていいんだってば」
二人は、乗船したその日の夕食後、急に体調を崩し、立っていられなくなってしまう。
胃の中が空になるほど嘔吐したおかげで、喉が胃酸で焼けるような炎症を起こしていた。
即座にルードは治癒を施したのだが、その後、通常の食事が摂れる状態ではなかったため、危うく栄養不足になってしまうところだった。
かろうじて食べることができたのが、キャメリアに持ってきてもらったプリンだった。
クロケットもキャメリアも、最初の三日ほどの間、プリンとスープ以外喉を通ることがなかった。
心配したルードがおかゆを作り、なんとか食べてもらうことができた。
治癒魔法の効果が数時間持つことから、こうして定期的に治癒をし、ルードが作った食事を摂ってもらい、再び治癒をして眠ってもらう。
このくり返しで、最初の一週間を凌いできたのだ。
船旅の途中は、魔力が多い地域ではないが、クロケットの調子の良いときは、魔力をわけてもらうことができる。
クロケットはどんなに具合が悪くとも、魔力が溢れる体質は変わらない。
目を覚ましているときは、魔法の鍛錬に当てている。さもないと、倒れる可能性があるからだ。
その分ルードは、治癒のためにしっかり食事を摂り、休息しなければならない。
病ではないとはいえ、苦しむ二人を見たくないからだった。
慣れない船旅だったはずだが、オルトレットだけは、ぴんぴんしていた。
ルード、クロケット、キャメリアから、口をそろえて『お化け』と言われ、後ろ頭を掻きながら高笑いする姿があった。
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「ひ、久々の陸地、ですにゃっ」
少しほっそりとした感じのある、空元気のクロケット。
「ルード様、本当に申し訳ございませんでした」
「ルード様。姫様。何もできずに申し訳ございません」
「いいってば。あの状況は仕方ないって」
「ルードちゃんルードちゃん。あっちから、良い匂いがしますにゃっ」
ルードの手を引いて、クロケットが降船を促す。
ルードは後ろを向き、船長を始め、船員たちに手を振る。
皆、笑顔で四人を送り出してくれていた。
昨日聞いた情報では、この国はリングベルという、大きな港町を有する、交易が盛んな国。
シーウェールズのように、様々な種族の人たち、ルードも初めて出会う種族の人たちが行きかう、活気のある城下町。
遠くには、背の高い城が見え、そこを中心に町が、港が広がっているように見える。
ルードたちは、この国に正式に招かれたわけではない。
あくまでも、ネレイティールズ王家より紹介された、『商家』の扱いだ。
入国審査も、紹介状があったため、スムーズにことが運ぶ。
ルードはアルフェルとローズの孫、エリスの息子。
商人を演じるのは、慣れたものだ。
ただ、キャメリアとオルトレットを連れていたため、大きな商家の息子という設定で、なんとか乗り切ることができた。
ひとまず、近場の商店で話を聞き、この町で一番大きく、立派な宿から比べて、一ランク落とした二番目の宿を手配することになった。
キャメリアは文句を言うのだが、ルードはしっかりと理由を言う。
一番立派な宿より、ここ『海竜亭』の方が、料理が美味しいとのことだったから。
呆れるキャメリアと、喜ぶクロケット。
そんなクロケットを見て、満足げな爺馬鹿オルトレット。
側から見たら、実におかしな四人だっただろう。
ゆっくりと二日ほど休息をとり、船旅の疲れが抜けたあとに、ケティーシャの勇者たちが埋葬されているとされる場所へ、向かう手はずになっている。
翌朝、キャメリアは、旅に必要な物資を買い付けに、オルトレットは馬車の手配に出ることになる。
オルトレットの匂いと、キャメリアが普段つけているクロケットと同じ香油の匂いで、ルードは二人の位置関係を把握することができている。
何かあったときには、この宿屋にすぐに戻るよう、打ち合わせをしていた。
二人が用事を済ませている間、ルードとクロケットは、リングベルの城下町の散策にでることとなった。
要は、デートのようなものである。
ここしばらく、ルードが忙しく仕事をしていたため、クロケットも我慢していたようだったから、キャメリアが勧めてきたのだ。
遅くまで打ち合わせをしていたせいか、泥のように眠る、ルードやキャメリア、オルトレット。
彼らと違って、クロケットだけ『(楽しみで、にゃかにゃか、眠れませんですにゃっ)』と、遠足の前の子供のような心境だったようだ。
記憶に刻まれた、クロケットの匂いと香油の組み合わせ。
遠くに感じる、香油の香り。
はっきりと嗅ぎ分けができているのを確認すると、ルードは。
「じゃ、いこっか。お姉ちゃん」
「はいですにゃっ」
走り出しそうになる、クロケットの手を軽く引っ張って制御しつつ、ゆっくりと歩くように促す。
ネレイティールズのときもそうだったが、クロケットは、知らない町を散策するのが好きらしい。
鼻をすんすんと動かし、甘い香りや香ばしい香りが漂う先を、あっち向いたりこっち向いたり。
「ルードちゃん」
「ん?」
「あっちから、美味しそうにゃ匂い。お肉の焼ける匂いが、しますにゃ」
「あ、はいはい。お昼ご飯食べられなくならないように、気をつけようね」
「あー、それは怖いですにゃ。キャメリアちゃんに、怒られてしまいますにゃ」
「食べ物だけじゃなくさ? ほら、あれ、綺麗じゃない?」
ルードは、クロケットの持つ、漆黒の髪に似合いそうな髪留めを指差す。
ルードも見たことがない、キラキラと光る素材で作られたものだ。
「んー、とっても可愛いけれど、あっちの美味しそうにゃ匂いには、敵いませんにゃ」
花より団子。
いつも変わらない彼女の様子に、安心するルードだった。
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船旅ならではの、ありがちなトラブルでした。




