プロローグ その2 ほくほく顔の理由(わけ)。
プロローグと1話の間の閑話のようなもの。
ルードが嬉しそうに出てきた理由はこんな経緯がありました。
ルードたちの住むこの大陸には、〝悪魔憑き〟と呼ばれる人々がいる。
この世界とは違う、別の世界から迷い込んだ魂が転生し、生を受けたとしか思えない、特異な知識などを持つ存在。
その人たちは、ルードが生まれる何千年もの前から存在していたとされていた。
千年の時を重ねる、ルードの曾祖母イエッタもそんな一人。
彼女が生まれるより前に、彼らは存在していた。
その証拠として、人々が当たり前のように使う物の名前。
例えば、ごく一般的なオリーブオイルなどは、元々この世界の呼び方ではないはず。
他にも、長さや重さの単位、その計測の仕方。
ルードたちだけでなく、イエッタも生まれたときには、それらが存在していたと言うのだから間違いはないだろう。
ルードたちが出立する前の日。
ルードはひとり、フェリスの私室を訪れていた。
「フェリスお母さん、いますか?」
「あ、うん。いるわよ。どうしたの? 明日出るんでしょ?」
シルヴィネがいれてくれたお茶が、ルードの前に出される。
話では、シルヴィネは元王女でありながら、身の回りの世話を一切させなかったくらいに、家事も万能だったそうだ。
普段からごく自然に、フェリスの世話もやってくれているとのこと。
自分でお茶を入れ、フェリスの分もお裾分け。
ただ、お菓子については、ルードには敵わないと思っているのか、自分で作ろうとはしないそうだ。
「あ、はい。そうなんですけど――あ、ありがとうございます」
「いえ、どういたしまして」
着ている服が違う上に、背もキャメリアよりかなり低いが、顔の作りがそっくりで、同じ紅の髪。
キャメリアは普段見せることのない、可愛らしい笑顔に違和感を覚える。
だがそれでも、キャメリアがいてくれるような、そんな安心感が感じられ、少しだけ落ち着いた気分になれていた。
「それで、どうしたの? ルードちゃん。そんなに深刻な顔しちゃって」
「あ、はい。あのですね。僕」
「うん?」
「十六歳になったじゃないですか?」
「そうね」
フェリスの表情は、優しくも微笑みながらも、『何当たり前のことを言ってるのかしら?』という、不思議そうな感じ。
「再来年、成人じゃないですか?」
「そうよね」
「なのに、僕」
「うん」
「去年から全く、背が伸びてないんですよ……」
「…………(それを今言う?)」
「…………(あー、これ、フェリスちゃんから聞いてた、あれ、ですね)」
暖かくなってきた春先だというのに、部屋の温度を氷点下に落としそうな、薄ら寒い沈黙が流れる。
▼
この世界には、ミリ単位で身長を計れる技術が、千年以上前に確立されている。
それはその昔、〝悪魔憑き〟が、意図して伝えた技術のひとつだと伝えられている。
その技術を応用した計測器の魔道具を、フェリスがルードにあげたことがあった。
ルードが毎日それを使い、自分の背を測っているということを、イリスから報告を受けている。
可愛らしいとそのときは思っていたのだけれど、それを今持ち出されても、正直困ってしまうだろう。
だからこそ、歳を重ねる毎に、コンプレックスを増長させていたのだろう。
大好きなお姉ちゃんであり、婚約者であるクロケットとの、身長差が縮まらないことを。
「お姉ちゃんたちに『可愛い』って言われるのは、あきら――いえ、もう慣れたんです。でもね、大好きなお姉ちゃんを見上げるのが、もう辛いんです。なんで僕、背が伸びないのかな、って」
「あー、それねー」
棒読みのような、高揚感のない言葉がつい、フェリスの口から出てしまう。
「も、もしかして、原因、知ってるんですか? フェリスお母さん」
シルヴィネと目を見合わして、ぷっと軽く吹き出すフェリス。
「あ、あのね。ルードちゃん。落ち着いて、聞きなさいね?」
「は、はい」
「私ね、身長は、十四歳から伸びてないわ」
「……はぃ?」
「シルヴィネちゃんも、確か。それくらいの歳からだったわよ、ね?」
「はい、昔のことで忘れてしまいましたが、確か私もそれくらいだったかと思います。飛龍の姿のときでも、かなり小さい方でしたね」
ルードは、キャメリアの背に乗り慣れてしまっていたからか?
背中に乗っていたのがフェリスだったから、違和感を感じなかったのだろうか?
言われてみれば確かに、キャメリアと並んで飛んだとき、彼女より小さかった覚えがある。
「昔は龍人化になるとですね、幼い子供の外見に見えたようでして。……行く先々で、皆さん優しくしてくれたものです――」
遠い目で懐かしむ、今も見た目が美少女なシルヴィネ。
言葉の話せない彼女でも、身振り手振りで一生懸命何かを伝えようとしている、可愛らしい子供がいたら、優しくしてくれるのは当たり前のことだろう。
「ルードちゃん、聞いたことない? 獣人種はね、ある一定の年齢で、外見が固定されるって話」
「……あります。でも普通は、二十歳から三十歳くらいの外見になるって……」
「普通の人は、そうなのよね。私も昔、納得いかなくて、調べたことがあったわ。シルヴィネちゃんが来たとき、情報のすり合わせをしたの。そしたらね、わかったことがあったの」
「――それって、どんなことですか?」
食い気味に詰め寄るルードの勢いに負け、フェリスは少し引き気味になってしまう。
「魔力の制御が苦手な人ほどね、外見の固定が遅いらしいわ」
「はい?」
ルードには、フェリスの言っている意味がわからない。
「よーく思い出してみて? リーダちゃんがね、ウォルガードの外では、人の姿をしてなかったでしょう?」
初めて出会ってから、ルードが支配の能力の特訓をしたときまで、リーダは確かに、ウォルガードの外ではあの姿だった。
「……確かにそうですね」
「人の姿でいるのはね、魔力の消費効率がすっごく悪いの」
「はい。シーウェールズやエランズリルドでは、フェンリルの姿でいる方が、楽ですね」
「でしょ? でもね、魔力の消費を抑える方法があったのよ」
「それって?」
「そうよ、これこれ」
フェリスは両耳に手をあて、尻尾をフリフリ。
それは、『祖の衣よ闇へと姿を変えよ』という、ルードやリーダ、イリスもよく使う魔法の呪文。
イエッタの教えた、『狐狗狸ノ証ト力ヲココニ』という詠唱の『変化の祝詞』を解析し、彼女が自ら作り替えた『化身の術』。
フェンリラ、フェンリルが獣化する際、服を破いてしまうという、致命的な欠点を解消した画期的な呪文。
それを更に進化させた、『祖の姿、印となる証を顕現させよ』という、獣人化の術とも言える呪文。
その結果が、彼女の今の姿だった。
ルードは、フェンリルの姿に迫るほどの、身体能力を無理やり引き出す手法として、『変化の祝詞』と『獣人化の術』を重ねがけし、フェンリルの毛質で七尾の尻尾を出すことがあった。
「あ……」
「フェンリル以外の獣人種。クロケットちゃんたちのような猫人さんもそうね。生まれたときからこの姿で、無意識に魔力の消費を抑えながら生活してるわ。イエッタちゃんも、大人の姿でしょう? だから『それ』に気づいたのよ。フェイルズなんて、リーダちゃんより魔力制御がへたっぴなのよ。だからあんな姿になれるのよ、きっとね」
フェリスの言葉には、不思議な説得力があった。
ルードは、耳と尻尾を出した姿で、身体能力を向上させたまま、支配の能力を使ったこともあった。
そう考えてみると、確かに効率は凄く良いのかもしれない。
「千年とちょっと前に、この姿になれていたなら、……私ももう少し大人になったかも、しれないわね」
遠い目をするフェリス。
「そういえば母さんは、魔力の制御が上手だったのではないですか? 雷撃の効果を自由に押さえ込むことができるようですし?」
「魔力総量の違いと、それを制御することの上手下手は違うのよ。あの子はね、とにかく大ざっぱ。魔法もうまく使えなかったでしょう? 今でも指先に火を灯すくらいが精一杯なはずよ? うまく扱えるのは、フェンリラの能力、雷撃だけだと思うわ――」
フェンリラ、フェンリルは、自らの能力を『息をするように、意識をせず使える』のが、当たり前なのだそうだ。
リーダは王族なのだから、最低限、自らの能力の制御はできないといけない。
魔法が苦手な分、人の見ていない場所で鍛錬していたのを、フェリスもフェリシアも知っているのだそうだ。
反面、イリスは能力の細かな制御が苦手らしく、人前であまり使わないと、前に言っていたのを思い出す。
「エリスちゃんとリーダちゃん。四百歳近く離れてるのに、双子みたいじゃない?」
「そう、ですね」
エリスは、年齢よりもかなり若くみられると聞いたことがある。
そのエリスと同じくらいに見えるリーダ。
エリスもリーダも、世間一般には二十代半ばから、後半あたりの落ちついた感じのある女性だ。
リーダ自身、魔力制御が達者であれば、学園時代の苦労話は聞くことがなかっただろう。
それに、そうであったなら、フェリスのように若く見られる可能性があるということ。
「あとはね、そうそう。タバサちゃんだけど」
「はい」
「彼女、魔法がとても上手よね?」
「そうですね。僕が教えた調理法、あっさりと再現してしまうくらいですから」
「そのタバサちゃんね、エリスちゃんよりちょっと年下だったわよね?」
「あ、はい」
「前髪と眼鏡で、わかりにくいのだけれど。彼女ね、私たちとあまり変わらない感じなのよ?」
「……へ?」
タバサの背は高くはない、というよりルードとどっこいどっこい。
確かに、彼女が眼鏡を外したところを見たことはなかった。
背が低いことは知ってはいたが、あの瓶底眼鏡のせいもあり、彼女の見た目が幼いとは思えなかったのだ。
「固定される外見年齢と、魔法制御の関係性。深く調べてみたくはあるわね」
「えぇ、フェリスちゃん」
クルクルと変わるルードの表情を見ながら、にんまりするフェリスとシルヴィネ。
「そ、それで僕、どうやったら――」
「結果的に言うとね」
「はい」
「あきらめよ?」
「はい?」
「もう伸びないわ。無理。駄目。私も昔、あきらめたんだもの」
「そんなぁ……」
がっくりと膝を折り、地面に両手をついてしまうルード。
楽しくていじっていたのは事実かもしれないが、さすがのフェリスも悪く思ったのだろう。
「そんなルードちゃんに私、いいこと教えちゃおっかな?」
「え?」
フェリスは、シルヴィネを見てひとつ頷くと、懐から少々黒ずみのある宝玉の填まった、指輪を取り出した。
「あのね、これ。まだ試作段階なんだけど。面白い指輪なの。ルードちゃんだから特別に、貸してあげるわ」
ついさっきまで、どん底にたたき落とされたような表情をしていたルードは、目だけキラキラさせながらフェリスを見上げる。
「ど、どんな効果があるんですか?」
「これはね、龍人化の指輪を作ったあと、シルヴィネちゃんから偽装の魔術を詳しく教えてもらって、解析して、作ってみたものなんだけど」
「は、はいっ」
「そんなに期待しちゃ駄目よ。これって、とっても癖のある指輪だから――」
少々残念そうな感のあるフェリスと、希望に胸を膨らませる感の溢れるルードとの対照的な表情を見比べて、くすりと笑ってしまいそうになるシルヴィネだった。
これがキャメリアの見た、スキップでもしそうな感じにほくほく顔だった、ルードの裏話であった。
次は本編になります。




