プロローグ その1 旅立ちの準備
ルードたちが住むウォルガードのある大陸より、遙か東の海に存在する、海底王国ネレイティールズ。
そこで起きた魔獣騒ぎにルードたちは巻き込まれてしまい、しばらくの間滞在することとなった。
ルードは周りの人の協力を得て、脱出に向けて行動するのだが、魔獣より痛手を受けてしまう。
そのとき、間一髪のところをリーダたちに助けられ、事件を解決することができた。
ネレイティールズは、ルードたちと親交の深いシーウェールズ王国の姉妹国であったこともあり、ウォルガードとの間に、正式な国交が結ばれることとなった。
この国の王女であるレラマリン・ネレイティールズは、ルードの唯一の友達。
彼女より正式な要請もあったことから、早々にシーウェールズ空港からネレイティールズへ行き来する定期便が運行されるようになった。
レラマリンや城下町の人々の話により、シーウェールズで見せてもらった海路図や地図にも載っていなかった巨大な大陸が、ネレイティールズの東に存在することを知った。
もちろんその大陸への空路も考えたが、しばらくネレイティールズに滞在していたことで、海路を使って物資を輸送することを生業とする人たちの存在を知ることとなった。
同じ輸送業を経営するルードだからこそ、『そんな彼らの仕事を取り上げるようなことはしてはいけない』という考えに至る。
ウォルメルド空路カンパニーの活動圏は、特別な要請がない限り、今のところはネレイティールズまでにしようということになった。
現在ウォルガードに留学している、シーウェールズ王女のレアリエールの機転により、レラマリンとアルスレットは無事婚約することができた。
定期便のおかげで、アルスレットはネレイティールズに、レラマリンはシーウェールズに、お互い時間が取れる方が訪れているそうだ。
レラマリンからもアルスレットからも、共に感謝され、ルードは照れ笑いをしたのは記憶に新しい。
あれからルードは、公私ともに忙しく動き回り、あっという間に新しい冬が訪れる。
新年を迎えると、ルードは十六歳に、クロケットは二十一歳になった。
ウォルガードにおける成人まであと二年。
王太子であるルードがもし、学園に通っていたならば、十六歳から帝王学に近い教育を受けるはずだった。
ただルードは、学園に通う子女よりも、濃密な物事を日々学んでいたのと同じだ。
ルードの口から『学園に通いたい』という言葉が出ない限り、その必要性が感じられないのも仕方のないことと、家族は思っていた。
その代わりについ先日、フェリス、イエッタ、シルヴィネたちによる、少々重たい話を含んだ集中講座が行われた。
ルードが大人になることで起こりうる、周りへの影響。それは初めて聞かされる衝撃の内容ばかりだった。
それでもルードは、自らの糧となるよう一生懸命咀嚼し、理解していった。
そのようなこともあり、昨年はとても忙しい一年だった。
新年に問題を持ち越さぬよう必死に動いたこともあって、ルードが前々から思っていたことを実行に移すことが可能となった。
クロケットの母であり、いずれルードの義母となるヘンルーダは、既に亡国となってしまったケティーシャという国の元王女であった。
亡くなったクロケットの父と、彼女たちはその昔、遙か東方にある大陸から、大変な思いをしてこの地へ渡ってきた。
その際、追われる彼女たちを逃がすため、盾となり散っていったとされる、ケティーシャの勇士たちが、大陸で眠っていると聞く。
クロケットの祖母や祖父にあたる人たちの埋葬も、まともにできなかったと悔いる話を、ヘンルーダの元執事であり、従兄のオルトレットから、ルードは聞いていた。
彼の記憶を頼りにその地へ向かい、形だけでも埋葬し直そう。
その地が荒れていないことを、自らの目で確認し、荒れていたとしたら、きちんと整えよう。
そうして、全てが綺麗に片付いて、安全が確保された後、ヘンルーダに彼らのお参りをしてもらうために連れてこようという話をしていた。
ヘンルーダやクロケットは、猫人族の中でも希少種と言われている、ケットシーという種族だ。
オルトレットや猫人の集落にいた黒髪の猫人さんたち、けだまと仲の良いクロメもまた、同じ血を引いているのだという。
ルードは、クロケットのルーツでもある、ケットシーやケティーシャのことを詳しく調べたい。
併せてクロケットの不思議な体質についても調べ、正しく把握したいとも思っていた。
ケットシーの存在に関しては、フェリスやシルヴィネ、錬金術師で読書家でもあるタバサも、種族名や噂しか知らないと言うほど、謎に包まれていた存在だった。
ヘンルーダも色々あったのだろう、クロケットにはあまり語ろうとしなかったそうだ。
クロケットは集落の人からは『姫さん』、『姫さま』と呼ばれることはあったが、それは彼女が族長の娘であり、あだ名のようなものだと思っていたそうだ。
オルトレットから『姫様』と呼ばれても、未だに、『にゃんのことですかにゃ?』という感じだ。
一時期彼女は、レアリエールに対して『王女様である』ことに嫉妬したこともあり、レラマリンの王女であることに、羨ましさを感じることもあった。
王太子のルードの婚約者になり、『はたして自分は相応しいのだろうか?』と、悩んだこともあったようだ。
だが、『時が時なら、自分は王女だったかもしれない』ということに、クロケットは全く
気づいていない。
ルードと一緒にいられることが、彼女にとっては重要。
どうすれば、いつまでもルードと一緒にいられるか、それ以外の細かいことは考えないようにしたのだろう。
そんなクロケットが、珍しく我が儘を言った。
「ルードちゃん。私は絶対について行きますにゃ。もう、おいてけぼりは嫌にゃんですにゃっ」
初めての土地ということと、いらぬ刺激を与えたくないということもあり、海路で海を渡ることになったと、夕食後に説明をするルード。
まずは、ルードとオルトレット、キャメリアの三人で半月ほどかけて行ってくると言おうとしたとき、クロケットから反論を受けてしまったわけだ。
リーダの影響もあって、クロケットも自己主張がやや強くなってきたのか?
彼女は元々、猫人の集落の長を継ぐべく、ヘンルーダからそのための教育を受けていたはずだ。
元々そういうしっかりとした面があり、文字通り『猫人を被っていた』のだろうか?
天然さんのように見えたり、普段は一歩引いた感じのある彼女だったが、今回は違っていたからこそ、ルードはその勢いに押し切られてしまう。
クロケットの護衛は、ルードが近くにいないときは、常にオルトレットかキャメリアが傍に付くこと。
知らない土地に行くからこそ、オルトレットとキャメリアの言うことを聞くことなどを約束させた。
「いい? お姉ちゃん」
「わ、わかりました、……にゃ」
オルトレットからすれば、クロケットは姪。
とにかく可愛いと思っているのだろう、猫可愛がりをしたいと思っているようだが、あの巨体では、クロケットも若干鬱陶しいと、思ってしまうのも仕方のないこと。
キャメリアは慣れているのだろうが、嬉しそうに漢笑むオルトレットに、クロケットは露骨に嫌そうな表情をしていたのは、皆も苦笑していた。
以前よりイリスは、けだまを含め、猫人の村で子供たちを集め、読み書きなどの基本的なものを教えていた。
そんなイリスの頑張りもあり、けだまはこの春から、猫人のお友だちクロメたちと、学園の初等部に通うこととなった。
けだまの歳では少々早いようにも思えるが、成長の度合いが飛龍はとても早熟で、クロメたちとあまり見た目も変わらない。
そんな飛龍の中でも、けだまは見た目以上に、精神的にも育っている。
「学校、行ってくるのっ」
「けだま。それ、学校じゃなく、学園だからね」
ルードも、そんなどうでもいい突っ込みを入れてしまうほどだ。
同時に、彼女の成長を嬉しく思い、頭をくしゃくしゃと撫でる。
けだまは、ルードの手の感触に、目を細めていた。
「わかってるのっ。いつまでも、子供じゃないのっ」
きっとけだまは、ルードに心配をかけたくないと思っているのだろう。
大人しく留守番ができるくらい、大人になったんだよと、アピールして褒めて欲しいという部分もあるはずだ。
ネレイティールズの一件より、ルードに対して我慢をしなくなったはずのリーダは、今回珍しく、ついてくると言わなかった。
それはおそらく、数日前。
『ルードちゃんを可愛がるのは構わないわ。私だってそうだもの。だけどね、ルードちゃんが大人になるのを、妨げちゃ駄目。リーダちゃんは少し、自重することを覚えなさい。それにね、あなたにはやらなきゃならないことも、あるでしょう?』
フェリスがこのように、釘をさしたことも影響していたのだろう。
リーダから見たら、ルードはいつまでも心配になるほど小さな息子。
だから『わたしがついていないと――』とフェリスに意見をしたとき、フェリスから見たリーダも同じだからと窘められる。
そう言われてしまえば、反論はできない。
リーダはぐっと堪えて、自分が今、ルードのために何ができるかを、必死に考えるしかなかった。
だからといって、そわそわしながら待つのは彼女の性に合わない。
だから、動こうと思ったのだろう。
▼
キャメリアはひとり、ウォルガードの王城に入ってくる。
いつもならば、ルードと一緒のはずだが、今回は違っている。
目的地であるフェリスの私室に到着する際、入れ違いでルードが出てくるのを見て、慌てて隠れた。
キャメリアの気配に気づかないほど、ルードがほくほく顔で、『いったいどんな嬉しいことがあったんでしょうね?』と、聞いてみたい気持になるが、それは堪えて目的地へ。
彼女は朝食の後片付けをしている際、フェリスから呼び出しを受けていた。
普段であれば、ルードと一緒に呼ばれることが多かったのだが、今回呼び出されたのはキャメリア一人だけ。
フェリスから『絶対に、キャメリアちゃん一人で来るのよ。いいわね?』と、念を押されてしまう。
キャメリアは以前、イリスからこんな話を聞いたことがあった。
イリスがフェリスに『ひとりで来なさい』と言われて、途中たまたまであってしまったルードに、『フェリス様に呼ばれので行ってきます』と話してしまい、結果的に物凄く怒られたことがあったそうだ。
可愛らしい美少女の姿をしたフェリスとはいえ、彼女はあの〝消滅のフェリス〟だ。
伯母でもある、メルドラード女王のエミリアーナが、ビビったほどの存在。
ルードが真っ青な表情で話してくれた、『イエッタに怒られてお尻を叩かれた話』と重ねてしまい、『もしかしたら、怒ると物凄く怖いのかもしれない』と、思ってしまう。
だからつい、ルードから隠れようとしてしまうのだが、ルードはよほど機嫌がよかったのか、キャメリアに気づいていないように思えた。
安心してキャメリアは、フェリスの私室にたどり着くことができた。
背筋を正し、丁寧にノックをする。
「フェリス様。失礼いたします」
「あ、はいはい。入ってちょうだい」
今回は、ルードは一緒ではない。
イリスから、キャメリアだけ来るように、念を押されての呼び出しだったようだ。
そこにいたのは、フェリスとイエッタの二人。
「忙しいときに呼び出して、悪かったわ」
「いえ。大事なお話があると聞きましたので」
「良い子ねぇ。ルードちゃんが信頼してるわけですね」
「いえ、滅相もございません」
「……キャメリアちゃん」
「はい」
「立ったままだとね、すっごく話しにくいんだけど」
「いえ、侍女ですので」
キャメリアは、いつも通り会釈しながら答える。
「いやいやいや。ルードちゃん、いないでしょ? ね? イエッタちゃん」
「そうですよ。ほら、座らないと話が進まないのです。お座りなさいな、キャメリアちゃん」
「……ですが」
「んもう、シルヴィネちゃんを呼んでくるわよ? キャメリアちゃんのあの、恥ずかしい話、してもらっちゃおうかしら?」
「や、ややややや、やめてください」
褐色の頬を、更に赤く染めながら、キャメリアは秒で着席する。
一体、何の話だったのだろうか?
キャメリアは、額にかいた脂汗を拭いながら、必死に取り繕おうとしていた。
イエッタは、そんなキャメリアを見て可愛らしいと思いつつ、改めて表情を引き締め、薄く開いていた細い糸目を更に細くしながら、口を開いた。
「あのね、キャメリアちゃん」
「は、はい」
「ネレイティールズにいるとき、クロケットちゃんから我が、『秘密の報告』を受けていたのを聞いているかしら?」
「……はい?」
キャメリアはこてんと、首を傾げる。
「あははは。凄いわ。クロケットちゃんったら――」
イエッタが反応するよりも早く、椅子に座った足をバタつかせ、お腹を抱えて笑い転げるフェリス。
フェリスをなだめつつ、イエッタが続いて説明を始める。
イエッタはクロケットに、イエッタの〝悪魔憑き〟としての能力、〝瞳〟の〝見る〟能力を利用して、報告してもらっていた。
クロケットが、自分の口元を鏡に映して話をすることで、それをイエッタが読み取ることで、ある程度の状況を理解していたのだ。
だから、絶妙とも言えるタイミングで、リーダたちと一緒にあの場に居合わせることができた。
イエッタは、ルードにもキャメリアにも秘密にするように、女同士の約束をしていたことを話す。
キャメリアが知るよりも、クロケットは強かで、冷静に動けていた。
それを今日初めて知ったことで、フェリスはつい大笑いしてしまったということだった。
「――そうだったのですね。クロケットったら、もう」
「我が提案したことなのです。クロケットちゃんを責めてはいけませんよ?」
「はい、十分理解しています」
「それでね――」
イエッタは、何か問題が発生したとき、証拠を残しても大丈夫な場合は文字を、そうでないときは鏡に口元を映して相談しなさい。
フェリスとイエッタ、シルヴィネで協議して、早ければその日のうちに、遅くとも翌日までには空から乗りこむと伝える。
「きっとね、大騒ぎになるわ。誰も知らない飛龍が上空に現れるんだもんね」
「えぇ。ルードちゃんは、そうならないように、海路を使うと言っていましたからね」
「はい。そうでございます……」
「だけどね、次の日までに私たちが現れなかったら、そのときは、ルードちゃんたちだけで解決できる問題だと、判断したと思いなさいね?」
「どんな状況でも、でしょうか?」
キャメリアは、あらゆる最悪な状況を想定した上で、更に質問してみる。
「そうよ。ルードちゃんだって、キャメリアちゃんだって、もう、子供じゃないんだから」
「えぇ。今まで沢山の試練を乗り越えてきたはずですから。我たちも、その物差しで判断することにしたのです。そうしないと、ルードちゃんは、大人になれない」
「えぇ。私たちが、お尻を拭くだけじゃ、駄目な時期にきている。そういうことなの」
「……そう。ですね」
「けっして、突き放すだけじゃないわ。リーダちゃんにだって、自重しなさいって言ったばかりなの。ルードちゃんは今まで、自分だけでなんとかしようとして失敗することがあった。でもね、家族に頼ることを知ったわ。だけど、それだけじゃ駄目。フェンリラ、フェンリルには、生まれ持った能力があるのは知ってるでしょう? 私の炎。リーダちゃんの風と雷。イリスちゃんの氷。そんな私たちと違って、ルードちゃんは能力を二つ持っているの。とても希有な存在なのよ。それなのにあの子はまだ、自分が持つ能力を信じきれていないわ」
ルードの能力があったから、キャメリアと話ができ、こうして今、一緒にいられることができている。
それでもルードは、自分の能力に自信が持てていないのだそうだ。
キャメリアも聞いてはいた。
ルードの持つ、フェンリルの能力は、少々癖がある。
使いどころが難しく、また、攻撃に転化できないことに、悩んだ時期もあったと。
能力を目の当たりにしたイリスは、『ルード様の能力は恐ろしい。ルード様はご理解されていない。きっと時間が解決するとは思うのだけれど……』と、キャメリアにも話していた。
そんなルードが大人になりきれていないというのは、年齢ではなくフェンリルとして、一人前になれていない、そういうことなのだろう。
「我たちがそう判断した場合、キャメリアちゃんも覚悟して努力しなさい。ルードちゃんだけでなく、キャメリアちゃんも大丈夫と、そう判断したということなのですからね」
「リーダちゃんがね、ルードちゃんに言ったことでもあるんだけれど」
「はい」
「キャメリアちゃんも知っての通り、私やシルヴィネちゃんはね」
「はい」
「最悪の場合、相手を消し炭にしてしまうわ」
「……はい。存じております」
「お願いだから、『私たちに、何もさせないでちょうだい』。それは、わかるでしょ?」
「はい」
イリスから詳しく、〝消滅〟の話は聞かされている。
自分の母シルヴィネも、炎の使い手であり、キャメリアが知る限り、母が激怒したのを聞いたことがない。
国家間がどうであれ、そうなってもおかしくはない、歴史的事実があるのを忘れてはいけないということ。
「ルードちゃんが大人になれるように、キャメリアちゃんも、手伝ってあげてほしいの。私が言いたいのはそれだけ」
「はい」
「我は、いつでも〝見て〟いるのですよ。だから安心して、行ってらっしゃい」
「はい」
キャメリアは立ち上がり、元女王と現大公殿下へ最大の敬意をはらい、深々と礼をする。
ゆっくり頭を上げ、やや右に身体を傾けると、二人とは違う方向へ気だるそうに頭を下げると、再び二人に会釈して部屋を出て行く。
キャメリアが見た方向を確かめると、フェリスとイエッタはクスクスと笑い始める。
隣の部屋へと続く扉のほんの少しの隙間から、飛龍の特徴的な瞳が光っている。
そこには、シルヴィネが心配そうに覗いていたのだった。
遅くなって申しわけありません。
新章開始になります。




