閑話 お母さんたちの考察 その1 ~存在し得ないものをどうするべきか~
長くなってしまったので、その1、その2の構成になっています。
ルードが『お母さん』と呼び、慕っている女性が、ウォルガードには数人存在する。
その中の一人は、生みの親でルードがママと呼ぶ、エリスレーゼことエリスのお母さんのお母さん。
狐人族の長であり、フォルクス公国大公。
九尾の狐人族、〝瞳のイエッタ〟こと、イエッタ・フォルクス。
開いているのか、開いていないのかわからないほど、常に細められた、優しい笑みを携える糸目。
両のこめかみより上に鎮座する、黄金色の大きな狐耳と、これまた大きくモフモフした尻尾。
彼女は普段、驚かさないよう、目立たぬように、尻尾を一本だけ存在させているが、本当のところは単に邪魔だから。
ルードは娘の娘の息子で、イエッタから見たらひ孫。
彼女はルードと出会って救われて、親族にフォルクスをまるっと任せて、そのままルードの背に乗り、シーウェールズに移り住んだ。
その道中に、ルードが教えてくれた、憧れの、懐かしの味に心躍らせる。
錬金術師のタバサにお願いして作ってもらった、千年以上思い描いた調味料のお味噌。
これまた千年の間探し求めた、美しく輝く純白のご飯。
エビやカニなどの甲殻類や魚介で出汁をとった、具沢山の味噌汁と、白いご飯の美味しかったこと、美味しかったこと。
ルードでなければ、猫人の集落で米を見つけることもなかっただろう。
ルードがいたから、味噌やしょう油などに再び出会うことができた。
イエッタには前世の記憶があり、どうしても食べたいものが沢山あった。
長寿である獣人種、その狐人の中でもイエッタはさらに長寿なのだそうだ。
それは尻尾の数だけ魔力の器があり、魔力の多い者は長生きすると言われている。
自分が長寿だと知ると、いつかその食べ物に巡り会えると、気長に探すつもりになれた。
だが、長い間民のために、〝瞳〟の能力を使い続けたことと、魔力の薄い地域で、常に枯渇状態だった自身のせいもあり、部屋から出るのもやっとで、屋敷の外へはほとんど出なくなっていた。
それゆえに、国の外に出て探すことなど、叶うはずもなかった。
長きにわたり生を重ねていると、生きるための糧となる、刺激が欲しくなるのは至極当前。
イエッタは、フォルクスの民を守り、家族の成長を見届けるということだけが、生きている証となっていた。
娘のエランローズことローズと、その夫で義理の息子のアルフェルの二人は、交易商人として旅をしていた。
彼らがたまにフォルクスに戻ってくると、お土産を持ってきてくれる。
だがその中に、米や味噌などあるはずもない。
ローズもアルフェルも、米や味噌の話を聞いたことがないと言っていた。
それでも、毎回、珍しいものを持ってきてくれる娘夫婦には感謝していた。
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恋い焦がれるほどに、長い間夢見ていた、ほかほかに一粒一粒が輝くようなご飯と、磯の香りが漂う味噌汁、思ったよりも手間暇かけてくれている一夜漬けの香の物で、視覚も嗅覚も、胃袋までもが満たされ、ここまで幸せを感じられる日が来るとは思っていなかった。
それからルードは、イエッタが驚くような、懐かしの食べ物を再現してくれる。
いつの日かイエッタは、食への渇望に歯止めが効かなくなり、『あれが食べたい。こんなのなかったかしら?』と、ルードとクロケット、エリスやタバサにお願いする。
完全ではなかったが、みんな、満足いくだけのものを再現してくれた。
ルードのおかげで、食に対する欲望が満たされつつあったが、翌朝には新たな欲求が渦巻いているのは仕方のないことだっただろう。
イエッタの持つ、〝悪魔憑き〟としての〝瞳〟の能力。
これは、関わったことのある人の目、そのまたその人が見ている人の目を通して、遠い場所にあるその風景を覗き見ることができる。
見られてしまった事実は隠すことはできず、彼女が口をつぐんでくれているからこそ、国同士の平静が保たれるとすら噂され、〝瞳〟という二つ名は勝手に一人歩きをし、長い間恐れられてきた。
調べようと思えば、貴族や王家、大店の裏帳簿まで、見ることが可能なのだから仕方のないことだ。
長年蓄えた、その情報は、国をひっくり返してしまうほどのものを持っていることだろう。
エリスたちの身に起きた、続けざまの不幸に対し、何もできなかった自分を呪ったこともあった。
そんなイエッタは、ずっとルードの目を通して、周りの家族たち、クロケットやキャメリア、イリスたちの目を通して、ルードたちの成長を、現在も見守り続けている。
その中にはもちろん、イリスやエリス、リーダもいる。
家族として大事にしているからこそ、文字通り危険でないか〝見て〟いるのだった。
だが、そんな彼女の物差しは、ある意味かなりドライである。
ネレイティールズで起きた、ルードの危機を見ていながら、慌てる必要はないと。
ルードが魔獣退治の作戦を決行するあの日まで、彼の身に危険はないと判断していた。
それはイエッタひとりだけで判断したわけではない。
この場にいるもう一人の、ルードがお母さんと呼ぶ、リーダのお母さんのお母さん。
ウォルガードの前女王、〝消滅〟こと、フェリス・ウォルガード。
ルードを甘やかすのはいいが、育てることも必要。
肉体的にも精神的にも、強くなってもらわねば困る。
だからこそ、彼女とも相談の上で、『大丈夫でしょう』と判断されたことにより、慌てることは全くなかったのだった。
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イエッタは、ルードが作り置きしてくれた、甘いお菓子をお茶請けに、自分でいれた濃いめのお茶を啜りつつ、日向ぼっこを堪能している。
時折こうしてひとりで、ぼうっと思案に耽るように映るときがある。
ルードが〝記憶の奥にある知識〟へ働きかけているときのように、家族の間では暗黙の了解。
そっとしておくのが、お約束になっている瞬間でもあった。
それはイエッタが、ルードたち家族に起きうる懸念を心配し、〝瞳〟の能力を使い、思考をフル回転させているとき。
彼女は距離的にいえば、今現在いるここウォルガードから、遠く離れたネレイティールズに至るまで、鮮明に見ることができる。
消費する魔力に応じて、その距離をなかったことにできるらしい。
フォルクスにいるときは、命を削るように能力を使っていたが、今現在は魔力の濃いウォルガード。
無理なく制限なく、能力を行使することができている。
なにせ、枯渇するまで使おうにも、僅かばかりの時間でも、魔力の補給が叶ってしまうのだから。
過去に見たものを脳内で反芻し、心配に思った視界を手に入れる。
イエッタはルードと違って、あちらにいたときの記憶や常識を持ち合わせている。
この世界にある、気になったそのものが、『元々この世界にあって良いものなのか』の判断ができるのも、〝悪魔憑き〟である彼女だからできることだったりする。
ルードと出会うまでは、それをひとりで考え、誰にも相談できずに消化しなければならない辛い時期があった。
「(そうね。悩んでいないで、相談しましょ)」
思い立ったイエッタは、ルードの屋敷を出る。
足取り軽く、ところどころで手を振り振りしながら、商業区画を抜けていく。
「(いい天気ねぇ……)」
最近この区画でだけ、フェンリル以外の種族もちらほらと見かけるようになった。
その殆どが、エリス商会や、タバサの工房、ルードの経営するウォルメルド空路カンパニーの関係者、後は猫人の集落にいた人々も、ここまで買い物に来るようになったようだ。
初めてここに来たころよりは、この辺りの雰囲気も変わった感がある。
リーダに初めて会ったときもそうだったが、イエッタは獣人種で狐人族でありながら、最上位種であるフェンリルに恐れおののくことはなかった。
ルードがフォルクスに来る前から、フェリスのことは知っていたし、〝悪魔憑き〟ということもあってか、嗅覚は優れてはいるが、普通の犬人系獣人のような反応が起きることはない。
実を言うと、ここウォルガードでも、学園などに通うものの中には、〝瞳〟の逸話を知っているものもいる。
イエッタが学園の書庫で調べ物をしていた際なども、まさか目の前に〝瞳のイエッタ〟その人がいるとは思っていなかったと、人づてに聞いたことがあったくらいだ。
イエッタは、挨拶してくれる全ての人に笑顔で応えながら、まるで散歩をするかのように王城へ入っていく。
こうしてあっさり入れてしまう理由は、フェリスが周知していたからである。
そのおかげで、王家の最重要人物のひとりとして、ほぼフリーパス状態であった。
すれ違う人々に笑顔で会釈をしながら、最上階へ上がっていく。
「フェリスちゃん、いるかしら?」
「はいはい。いらっしゃい」
今のイエッタには、相談できる大親友がいる。
それが彼女、フェリスであった。
お互いに『フェリスちゃん』、『イエッタちゃん』と呼び合う仲であり、数々の秘密も共有している間柄。
今日は彼女の魔道具開発のパートナーであり、イエッタともお友だちになった、キャメリアの母、シルヴィネがオブザーバーとして同席していた。
彼女もまた、フェリスやイエッタ同様、千年以上の齢を重ねる女性。
フェリスのような研究者肌であったことから、古い文献などが大好物。
先ほどまでイエッタは、ある事柄を思い出すように考えていて、ひとりドツボに嵌まりそうになった。
それに見切りをつけて、キッチンを漁って作り置きのお菓子と、先程までに目の前にあった、食べかけのお菓子も風呂敷に包んで手土産にし、ここ、ウォルガード王城にある、フェリスの私室兼研究所にやってきたのだ。
こうしてここで、今年何度目になるか数えることが面倒になるほどの回数である、包み隠さぬイエッタが命名した井戸端会議が、突発的に開催されることとなった。
フェンリルは長きにわたり、この大陸では無敵の種族と噂されていた。
だが、フェリスは、遠い昔に人間の手により失ってしまった夫と娘、二人への後悔の念により、自分たちが無敵ではないことを痛感していた。
だからこそ、二度と油断しないよう、常に外の国の情勢を、密偵を使い、探り続けてきた。
イエッタはその名の通り、千年を超える〝見て〟きた情報を持っている。
シルヴィネは自ら退いたとはいえ、元はメルドラード王族の王女である。
メルドラードにいつか訪れるであろう、最悪の状況を遙か昔から予測して、いつか役に立つからと、国宝でもある変化の指輪をこっそり持ち出しては、自ら空を飛び、身振り手振りで情報や書物などを集めて回ったことがある。
ある意味、この大陸の大賢人と言われてもおかしくはない三人が揃っていた。
ルードとイエッタは、この大陸で〝悪魔憑き〟と呼ばれる、特殊な存在である。
フェリスもシルヴィネも、文献からある程度の情報は得てはいたし、イエッタ本人から、十分な説明を受けており、今現在は〝悪魔憑き〟がどういうものかを、十分に理解している。
ウォルガードを始めとして、シーウェールズやエランズリルドにも、〝悪魔憑き〟がもたらしたものは溢れていた。
例えば、プリンやケーキ、おまんじゅうなどは、その名すら存在していなかった。
イエッタやルードが広めたものも、少なくはなかったりするのだが、オリーブオイルなどは元々その名で呼ばれており、二人が広めたものではない。
そのように、物の名称や習慣なども、イエッタのいた『あちらの言葉』としか思えないものが普通に使われているのもまた事実。
元々、メートルやセンチ、ミリなどの単位などの便利なものは、誰が伝えたかわからないほどに、遙か昔から浸透している。
三人の共通の認識から、彼女らが生まれるよりも遙か前からあったとされていた。
いつから〝悪魔憑き〟と呼ばれるようになったのかは不明だが、彼らは、この世界に昔から干渉していたと思われる。
ルードが米の存在や、野菜炒めや味噌汁などの調理法を知っていたことなど、元々持ち合わせていた、簡単な知識などから察するに、二人は同じ場所に存在していた魂が転生したものと、イエッタは考えていた。
本日の議題は、『イエッタの知らない技術による魔道具の存在について』。
要は、ルードが忌み嫌う魔道具である、隷属の首輪のことであった。
フェリスも、その存在は文献で知っていた。
イリスがサンプルとして、持ち帰ったものを手に入れ、あれこれ分解したり検証したりしたこともある。
それでも、さすがに使用するまでには至らず、危険なものとして、認識せざるをえない状態だった。
唯一解析できたことは、首輪に対して純粋に魔力を流すと吸収し、何らかの作用が起きていると思われる程度に留まった。
イエッタも、自らの能力で見て、映像としては知っている。
エリスの救出の際、ルードに付き従っていたイリスエーラことイリスの報告から、できる限りの詳細な情報は手に入っていた。
鍵を回した者に反逆したと思われる状態になると、痛みを伴う効果が発現するらしい。
自ら試したわけではないので、どの範囲で効果が現れるのかは、正確にはわからない。
さらにその、『隷属に反する。反逆ととられる』行為に対する設定の、わかっている範囲があまりにもアバウトなのだ。
イリスが行った聞き取り調査では、『建物から外に出ると発動する』ものや、『ある場所から一定の距離を離れると発動する』などがそれに該当すると思われる。
それだけで痛みを伴う罰という結果が発動することから、実際に痛みを感じた例は、逃亡しようとした際が多いと聞く。
その痛みは、正気の沙汰とは思えないほどと伝えられており、そのため、主人に逆らっても発動するものと、曲解されていたのだろう。
フェリスが得意とする、魔法の効果には、痛みのみを発生させるものは存在する。
精神に働きかける系統の魔法も、使ったことはないが、存在することは知ってはいる。
フェリスは、メルドラード王家に伝わる指輪を解析し、龍人化の指輪を作り上げ、言語変換の指輪も作り上げた。
ただこの二つの指輪は、装着者の魔力を吸い上げて、常に発動するタイプの魔道具。
だがフェリスは、何かの要因を引き金に、遅延的に魔法を発動させる方法は知らない。
魔法関連の書物も、読み漁っている錬金術師のタバサにも聞いてみたが、見当もつかないとのことだった。
存在しない魔法を、魔道具の核である宝玉に刻み込むことは不可能。
フェリスやシルヴィネにとって、作り上げることが不可能な魔道具であると考えられる。
「常時発動型ならまだしも、条件的発動型の遅延自動詠唱術式なんて、今の私には考えつかないわ。とてもじゃないけど、隷属の首輪を作るのは、無理よねぇ。どうかしら? シルヴィネちゃん」
「えぇ。フェリスちゃんの言う通りかと思います。私の集めた文献にも、影すら存在していません」
この大陸最強ともいえる、魔法の研究開発者の二人が、このように言う。
二人が苦笑する中、イエッタはいつものように、頬に左の手のひらをあてて、ぼそっと呟く。
「そう――それじゃまるで、〝オーバーテクノロジー〟としかいいようが……」
「「おーばーてくのろじー?」」
お読みいただき、ありがとうございます。




