閑話 前世の匂いの記憶
結い上げた金髪は美しく、どこを見ているかわからないほど、細い糸目の優しい表情をした女性。
正確には、生みの親のエリスの母、ローズの母親。
イエッタは今や数少ない、純血の狐人。
一族を外敵から守るため、千年を超える長い間、自らの特異な能力を使い続けた結果、屋敷から出られないほど衰弱してしまっていた。
それを助けたのが、曾孫にあたるルードだった。
近年は、ルードのおかげか、イエッタは食べ物関係の物欲大魔神と化している。
家族でのひとり、食の錬金術師、狼人のタバサが、進めていたプロジェクトのひとつ。
ルードのお願いしていた、しょう油の開発速度を加速させたのも、実はイエッタの物欲が原因のひとつだった。
イエッタはルードの曾祖母であり、ルードと同じ〝悪魔憑き〟でもある。
ルードの持つ〝記憶の奥に眠る知識〟のように、彼女の持つ記憶もまた、この世にはない情報だったりするのだ。
ネレイティールズでの魔獣騒ぎにルードが巻き込まれた際、同行して同じく巻き込まれてしまったクロケットと、イエッタの特異な能力を使い、密かに連絡を取り合っていた。
その際、魔獣は食べられる生物が元になっているかもしれないという、判断を下す。
リーダ、イリスに同行して、ネレイティールズに向かうことになる。
ルードたちが無事助けられ、その後に魔獣が食用になることが確認された。
イエッタはルードにリクエストをして、たこ焼きを作ってもらった。
だが、現時点ではそれに必要な調味料のひとつが足りなくて、心残りになることとなった。
ルードを助けるのが本来の目的だったはずだが、そこはイエッタらしいというか、なんというか。
物欲大魔神となったほど、遠慮をしなくなった彼女は、リーダの曾祖母〝消滅〟の二つ名を持つフェリスと並ぶ、大陸最凶の称号をもつひとり。
〝瞳のイエッタ〟は、転んでもただでは起きない性格だったのだ。
ネレイティールズ滞在の最終日。
たこ焼きなどを城下の皆に振る舞った後、撤収作業を終えて一休み。
イエッタはルードに近寄り、労いの言葉をかける。
「お疲れ様、ルードちゃん」
「あ、はい。ありがとうございます、イエッタお母さん」
「ちょっとだけ、いいかしら?」
「はい、いいですよ」
「あのね、ルードちゃん。〝ソース〟って、知ってるかしら?」
生みの母、ルードがママと呼ぶエリスも無茶ぶりは凄いのだが、イエッタは彼女の比ではない。
このように、自分の頬に指先を当てて、首をかしげつつ、ルードに『知ってるかしら?』と、尋ねるときは、大概、『この世にないものを知りたがっている』ときなのだ。
察したルードは、すぐさま目をつむると、〝記憶の奥に眠る知識〟に問いかける。
「あー、うん。『揚げ物などに使われる調味料』の、ことですか?」
「そうなの。それよ。そのソースなのよ。どうやって作るか、わかるかしら?」
この『わかるかしら?』はもちろん、確認の意味ではなく、『調べて欲しい』という意味なのは、十分に理解している。
「んー、……けちゃっぷ、お味噌、おしょう油、砂糖に白ごま? で、できるみたいですね」
「あ、ケチャップなのね。んー、かなりめんどくさそう。トマト必須だとして、他に何が必要だったかしら? ルードちゃん。ケチャップのレシピ、わかるわよね?」
「あ、はい。よくわかりませんけど、……とまと? たまねぎ? にんにく? あかとうがらし?」
ルードは、この世界にはない食材の名前を含んだ、材料を続けて言う。
周りの人が聞いたら、まるで呪文の詠唱でもしているかのような、意味不明な内容だったのかもしれない。
「水、酢、塩、砂糖、それと――」
「ふむふむ」
「あと、おーるすぱいす?」
瞬間、イエッタは珍しく『えぇっ?』というような、微妙な表情になる。
おそらくは、前世で使った記憶がない、香辛料の名前が出てきたのかもしれない。
「えっ? それは、……うーん。それは困るわね。代用品、あるかしら?」
「えっと、しなもん? なつめぐ? くろーぶ? で、代用できるってあります。あと、じんじゃー? ほわいとぺっぱー? ……も必要らしいですね」
「これまた、……まぁ、なんとかなるわ」
「でも僕、水と酢、塩、砂糖以外は全部、ちんぷんかんぷん、なんですけど」
ちなみに、この『ちんぷんかんぷん』も、イエッタがルードに教えた言葉だったりする。
「大丈夫です。我はこれでも狐人なのですよ?」
「はい。僕も、フェンリルでもありますが」
「それにね、我たちは、あれでしょう?」
「……あー、あれ、ですね」
イエッタが、二人は〝悪魔憑き〟だ、ということを言っているのに気づく。
「それに我は、前の記憶を持っているのです。もちろん、『匂いの記憶』もね。我たちは、〝イヌ科〟の獣人なのですから」
「あー、そういうことですか」
「さぁ、ルードちゃん。市場へ行って買い出しに行きましょ。香辛料の匂いで、ある程度判断できると思うのよ」
イエッタは立ち上がり、ルードの手を握って引き、立ち上がらせようと急かす。
「あの、イエッタお母さん。口調がいつもと違いますけど……」
「あら、いけない。ほほほほ……」
空いている手の指先を口元にあて、明後日の方向を見て、わざとらしく笑って誤魔化す、イエッタだった。
ネレイティールズは元々、船による交易の盛んな国。
それだけに、市場には乾燥された香辛料などが、豊富に揃っているようだ。
ルードも見たことがない香辛料がかなりある。
そんな中、ルードがひとつずつ教えていく。
「イエッタお母さん、最初はくろーぶ、です」
「そう。まずは、クローブね。んっと、確か……、〝バニラ〟に近い甘い香りで……」
イエッタがつぶやく意味は、ルードにはさっぱりわからないようだ。
ルードが指示する香辛料の名前を元に、イエッタは匂いや特徴で近いものを探していく。 匂いが該当すると、味を確かめるべく、ひとつぶ味見させてもらう。
わかりにくいものや、判断の難しいものは、その都度ルードに調べてもらい、特徴のある匂いをや味を探し続け、当たりであれば購入していった。
結局、ネレイティールズだけでは、全ての材料が揃わなかったため、シーウェールズ、ウォルガードでも探すこととなる。
その際は、ルードも用事があったので、足りない材料のリストアップしたものと、ソースの作り方を書いた紙をもらい、イエッタがゆっくり探していった。
ルードがアルスレットとレラマリンを引き合わせていたころ。
イエッタは、タバサの錬金術工房に到着。
もはや食品工業の研究所と化したこの場所は、様々な食料品関係の実験器具や、材料が所狭しと並べられている。
今開発が進められているものは、イエッタがリクエストをし、ルードが提案したものがほとんど。
工房には、工房及びエリス商会のお手伝い兼、錬金術見習いのラリーズニア。
彼女はウォルガードにいるときは、工房に隣接している宿舎に泊まり込んでいるので、宿舎と工房、エリス商会の間を歩くだけで住んでしまうことから、飛龍のくせに最近あまり空を飛んでいない。
そのほかに、シーウェールズから連れてきた助手やスタッフ。
ウォルガードの学園研究施設で採用した、フェンリラやフェンリルの学術研究員。
皆が日がな一日、新しい食べ物や調味料、錬金術に関する研究などを続けている。
ちなみに、食品関連だけではなく、エリスがルードから聞き出した、化粧品やコスメ関係の研究も続けられ、開発した商品は、エリス商会で販売されていたりするのだった。
イエッタが選んで買った材料は既に空輸され、この工房に運び込まれている。
「イエッタさん。こんなに買い込んできて、今度は何を作るんです?」
「ふふふふ……、今度はね、あの夢に見た、ソースなのよ」
「あ、前に言ってたものですか。それにしても、いつも『夢に見た』なんですね。でも、美味しいので大歓迎です」
イエッタはどれだけの食べ物を夢に見たのだろうか?
試行錯誤を重ね、数日後には少量ではあったが、プロトタイプができあがる。
もちろん、ルードも呼ばれ、まだ在庫のあるタコ肉を使った、つけ汁なしのたこ焼きを焼いてくれた。
焼きたて熱々なたこ焼きに、小さな壺に入ったソースを、ルードが刷毛で塗っていく。
立ち上る香りに、ルードはなんとも言えない表情を見せる。
「……イエッタお母さん、これ、すっごくいい匂い」
ルードが目を輝かせ。
「はいっ。これはたまらない匂いですね」
タバサは、尻尾ふりふり。
「(こくこく)」
ラリーズニアが無言で頷く。
ルード、イエッタ、タバサ、ラリーズニアの四人がソースのかかったたこ焼きを前にして、おあずけ状態で『待て』をしている。
「そうよ、これよ。この匂いこそ、本当のたこ焼きなの。じゃ、いただきましょう」
「「「「いただきます(こくこく)」」」」
爪楊枝に似たもので、ぷすっと刺して、口に放り込み、ほふほふむぐむぐと、もぐもぐしていく。
「っ!」
熱くて火傷しそうな口の中にも、旨味が増したたこ焼きが楽しくて仕方がない。
鼻に抜ける、ソースの香りもたまらない。
ルードは追加でたこ焼きを焼きに行き、タバサは尻尾を思いっきりぶんぶん。
ラリーズニアは無言だが、目尻が垂れ下がり、満足そうな表情をしていた。
そんな中、歓喜に打ち震えていたイエッタだったが、爪楊枝を指先で持ち、立ち上がって空を見上げる。
「……違うわ。これじゃないの。美味しいわ、確かに美味しいのは認めなければいけないと思うの。味も香りも文句なしなのだけれど、ちょっとさらさらしすぎなの。私が求めたのは、〝ウスターソース〟じゃないの。濃厚などろりとした、〝とんかつソース〟がよかったのよぉ……」
落ち着いた、威厳のあるイメージを持つ、いつものイエッタはそこにいなかった。
そこにいるタバサも、ラリーズニアも、追加のたこ焼きを持ってきたルードも、不思議そうな表情をするしか、なかったのだろう。
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