第二十二話 ルード成分補給中。
キャメリアの、ちょっと自虐的なけだまの話を聞きながら、多少和んで落ちついてきたとき、海面からざばりと、顔を出し、ティリシアが足場へ登ってくる。
彼女の腰から下は、ネレイド特有の美しい鱗に覆われた、尾びれを形取った足の部分。
光に当たると虹色に反射するその姿は、〝悪魔憑き〟であるイエッタには〝人魚〟というキーワードが浮かんだだろう。
だが、ルードたちの目を通して見ていたから、驚くことはなかった。
ティリシアは即座にネレイドの化身を解き、濡れて額にかかる髪をアップにする。
水魔法を駆使して乱暴に頭から真水と思われるものをかぶり、体中の海水を落として水分を飛ばし、見た目を瞬時に取り繕う。
レラマリンがあのとき見せた水魔法の応用は、きっと彼女が教えた方法のアレンジだったのだろう。
ルードの姿を見て安心した表情を見せた彼女は、上着のみ隊服で下は水着という不自然な姿のまま、直立不動状態で敬礼をする。
「このような姿で申し訳ございません。お初にお目にかかります。わたくし、ネレイティールズ王室付き、衛士隊の隊長を務めております、ティリシア・ローゼンバルグと申します。この度は、ルード王太子殿下に対して――」
ティリシアの緊張をとくように、優しげな笑みを浮かべて小首をかしげるリーダ。
「いえ、いいのです。ありがとう。・・・・・・息子が、ルードがお世話になっているようですね。わたしはルードの母。ウォルガード王国第三王女、フェルリーダ・ウォルガードです。わたしの方こそ、このような姿でごめんなさいね」
「いえっ滅相もありません。ルード殿下から、伺っておりますっ」
「そんなに畏まらなくてもいいわ。今は非常事態なのだから。後ほど改めて、ね?」
「はいっ。申し訳ございません。ですが、これくらいはさせていただきたいと・・・・・・」
ティリシアは、水の魔法を操り、海水によりゴワついたリーダとルード、イリスの毛を洗い流す。
リーダとイエッタは魔法が苦手だが、ルードが魔法を行使する様はよく見ていた。
それ故に、ティリシアの操作する水魔法は、見事としか言えなかっただろう。
「ありがとう。わたしの後ろにいるのがね、ルードの執事で、イリスエーラ。それとルードのもうひとりのお母さんのお母さんのそのまたお母さん、イエッタさんと、キャメリアちゃんはご存じのようですね。彼女の部下の、アミライルちゃんです」
フェンリラが二人、キャメリアと同じドラグリーナが一人。
「はいっ、キャメリアさんは存じております。改めまして、フェルリーダ様、イエッタ様、イリス様、アミライル様、よろしくお願いいたします。・・・・・・ところで、イエッタ様、と仰いましたが、もしや〝瞳〟のイエッタ様で、ございましゅか?」
さすがのティリシアも、最後の最後に、盛大に噛んだ。
レラマリンがいたら、突っ込まれ、指を差して大笑いされていたことだろう。
「あらぁ。ご存じでしたのね、嬉しいわぁ・・・・・・」
口元に手のひらをあて、コロコロと笑うイエッタ。
ティリシアはきっと、緊張するするどころの話ではなく、目の前に現れたルード以外の伝説のフェンリル、二人存在する伝説のドラゴン。
それ以上に、千年以上前の昔話でしか聞いたことのない、〝瞳のイエッタ〟までいるのだから。
頭が混乱してしまっていても、おかしくはなかっただろう。
今日は〝べた凪〟と言われる、波があまりたたない海の状況。
リーダたちは今、イリスが即興で作った氷山のような足場の上にいる。
いびつな形のそれは、おおよそ縦横十メートルほどの広さはある。
その代わりに、表面は平坦な状態に作られており、皆はその上に敷かれた敷布に座っていた。
ルードはやはり、魔力を枯渇してしまっていて、まだ目を覚ましてはいないが、わずかに上下する胸の動き、呼吸音からわかるように、落ち着いている。
ティリシアとキャメリアは、ルードたちがこの国に足止めをされていた、今までの状況をリーダたちに説明していた。
現在、穴の下方に位置するネレイティールズでは、魔獣があの場所に居着いているせいで、窮地に立たされてしまっている。
あの魔獣の調査は長い間行ってきていて、誘導しようとしていた船舶への攻撃があったため、魔獣が居座っている間は、行き来ができなかったということ、
今までは、人的被害が起きた報告は入ってはいないため、ルードが襲われるとは思っていなかったこと、
交易目的の商船受け入れが、あの場所でしかできないため、物資が枯渇しかかっていること、
同じように、外気の換気がされていないため、魔道具だけでの循環では限界にきていること、
クロケットが王家の一室で、王女と一緒に待っていてくれていること、
本日行われた作戦行動によって、魔獣の注意を逸らして、キャメリアを海上へ連れて行き、応援を呼ぶ予定だったということ、
もう少しで海上というところで、起きてしまったアクシデントのことなど。
全ての報告を聞いた後、未だ目を覚まさないルードを見て、リーダはため息を一つついた。
「・・・・・・ルードったら。相変わらず無茶をするのね」
ルードを挟んで隣に座るイエッタも、苦笑しつつ、ルードの背中をゆっくりと撫でる。
「状況はわかりました。二人の話は、我がクロケットちゃんから受けていた報告と、ほぼ同じのようですね」
「報告、ですか?」
「それはどのように?」
リーダとイリスがイエッタの両側から、フェンリラ姿のまま顔だけで詰め寄る。
イエッタは、二人の頬を、笑顔で軽々と両手で押しのける。
「近い近い・・・・・・。(我もモフモフは嫌いではありませんがね・・・・・・)あのですね、我は〝見る〟ことができるではありませんか? 秘密というわけではありませんが、あまり公にしていい能力ではないものですので、リーダさんには、こっそり教えておきましょうかね。イリスさんは後でリーダさんから聞いてくださいね」
イエッタは両手でリーダの耳を覆うようにし、慎重には慎重を重ねて、獣語でささやく。
『このようにしてね、ごにょごにょ・・・・・・』
クロケットに口元を鏡に映して独り言を言わせ、その唇を読み取ることである程度の報告をしてもらっていたことを、耳元で囁くように説明をする。
「あら、そんな方法が可能なのですね」
「裏技みたいなものですよ。・・・・・・ですから、我が言ったではありませんか? あの時点までは、ルードちゃんは無事だと。今日この場で行われていたことは、ある程度は〝見て〟知っていましたが、つい先ほどのことは我でも予想できなかったのですよ」
少し離れた場所で、イエッタとイリスの真似をして、正座で大人しくしていたティリシアが、右手を挙げて意見することをを申し出ようとしていた。
「ティリシアさん、だったかしら? どうぞ」
「はい。以前この海域は、とても魔力の濃い地域でした。ですが、魔獣が居座るようになってから、ルード様が言うように、魔力の薄い地域となってしまっていたようなのです」
ティリシアの報告に、リーダはひとつ頷いた。
「確かに、あの魔獣は、わたしに絡みついたとき、魔力を吸収していたわ。ふたりの話と、こうしてルードが倒れてしまっている状況からみて、少々厄介だわね。それでも、あれを何とかしないと、沢山の人が苦しむことになるから、ルードがこんなになるまで、頑張ったのでしょうね・・・・・・」
「えぇ。ルードちゃんは、とても良い子ですから。何もかも自分一人で背負い込んで、頑張ろうとしていたのでしょう。ですが、壁にぶつかり、お友達になってくれた、レラマリン王女を見習って、ティリシアさんたちの協力を得るという。成長した考え方を持てるようになっていたのです。その辺りは、褒めてあげないとですね。リーダさん」
「そうですね。いつまでも子供だと思っていたけれど・・・・・・。ほ、ら。早く目を覚ましなさい。皆が待っているのですからね」
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キャメリアは今、大急ぎでウォルガードへ向かい、けだまやフェリスに『ルードは無事だから安心して欲しい』と、報告をしに行っている。
キャメリアが知る限り今までのことをリーダに報告を終えると、イエッタに指示された、足りないと思われる物資や、タバサが開発したという魔力回復促進の薬を持ってきてもらうように頼んである。
それをルードに服用させ、少しでも意識の回復を促すつもり。
そうしないと、リーダが安心して動くことができないからだ。
だから今はひとまず、キャメリアの帰りを待つことになったというわけだ。
足場のようになっている氷山の厚さは、前の倍ほどになっている。
この状態であれば、沈むようなことは暫くはないだろう。
フェンリラでいる必要がなくなったイリスは、人の姿になり、アミライルと二人でリーダたちの世話をやこうとしていた。
魔獣の始末が残っていることから、リーダはまだ、人の姿には戻っていなかった。
ウォルガードなど魔力の濃い地域以外では、この後のことを考えると、フェンリラの姿でいた方が楽。
リーダは、うつ伏せになっているルードの頭を自分の肩口に乗せて、守るように寄り添っている。
たまにルードの首元へ鼻先を突っこみ、すはぁと深呼吸。
ルードの存在を身近に感じられるのか、安堵しきった目をしている。
つい昨日まで、ルード成分が枯渇してしまっていて、子供のようにだだをこねていたとは思えないくらいに、リーダの表情は穏やかなになっている。
同じ母親のエリスはここまでにはならない。
お腹を痛めて産んだ彼女は、ある意味放任主義。
違うとすれば、年齢だろうか?
同じ長寿の獣人とはいえ、エリスの十倍以上生きているリーダは、ルードに固執している。
口には出さないが、ルードがいるから毎日が充実している。
けだまも、クロケットも可愛いが、ルードが一番なのだから。
「そういえば、イエッタさん」
「何かしら?」
「イリスエーラから聞いたのですが。あの魔獣を壊してしまうと、ルードが困るというのは、どういう意味でしょう?」
「あぁ、あのことですね。あの魔獣、こちらで何と呼んでかわかりませんが、我がはタコと呼んでいて、海に棲む軟体動物でなのです。あのように見た目はけっして良いものではありませんが、実は、とても美味しかったりするのですよ・・・・・・」
「・・・・・・はい?」
あの魔獣を食べるという発想は、リーダにはなかっただろう。
敷布を敷いただけの、いびつな足場の上で、きちんと正座をし、右手のひらを頬にあて、何かを思い出すようにするイエッタ。
「そうそう、リーダさん。我が知っていることなのですが、魔獣討伐の参考になるかと思うのですが」
リーダは聡い。
間違いなく、イエッタが〝見る〟能力を使いまくって、集めた状況の考察なのだと理解しただろう。
「はい、お伺いいたします」
イエッタが言うには、現段階ではあくまでも仮定で、詳しくはルードの知識がすり合わせをしてくれるだろう、という予想。
魔獣という存在の定義はこうだ。
『偶然、または自然に、その生物が魔力を多く取り込み過ぎると、魔獣化することがある』というものだ。
魔獣かどうかを見分るのは難しく、巨大化するものもあれば、力が強いもの、または狂暴化する個体まであるといわれている。
此度のケースでは、魔獣になる前の個体は元々、エビのような甲殻類や小さな魚などを主食としていた軟体動物だったはずだ。
今現在の魔獣の大きさを予想すると、八本はあるとされている手足を広げると、軽く全長三十メートルを超える。
あたまの大きさだけでも直径五メートルほど、高さ七、八メートルほどはある。
「そういえばタコって、頭をひっくり返せば、大人しくなるって何かで見た事があったわね……」
あのような大きさの頭を、どのようにひっくり返せばいいというのだろうか?
「一番いいのはね、あのタコの頭の後ろ。その付け根あたりから、こうひっくり返すのよ。そうすると、内臓があらわになるのね。それを処理すれば、きれいに締めることができるのだけれど。あとはねぇ、我も何分、千年以上前の、いえ、もっと昔の記憶なものだから……。そう、うん。確かね、目の間が急所になっていて、そこに鋭利な刃物で何度か深く切ることで活〆をすることができたはずよ。目安はね、あのどす黒い色が、一気に白くなるくらいだったと思うのだけれど……。時間というのは、酷なものね……」
ルードの〝記憶の奥にある知識〟と、肩を並べてしまうほどのイエッタの知識。
それだけ豊富な知識をどこでどう手に入れたのだろうか?
リーダは感心してしまう。
「そうだったのですね。それで、あれを壊したら、ルードが悲しむ。なるほど、悲しむかもしれませんね」
「えぇ。美味しいのですよ。ぬめりを取った後、軽く湯がいて、ぶつ切りにして、おしょう油をつけて食べるの。あのコリコリとした食感と、深い味わいがなんともね・・・・・・」
イエッタの話を聞いてしまったリーダは、ごくりと生唾を飲み込むほど、興味を持ってしまったようだ。
「それは、美味しいのでしょうね。あら、いやだ・・・・・・」
フェンリラの姿だからといって、リーダは少々行儀悪く、前足で口元を拭う仕草をする。
「タコはね、処理が大変なのよね。塩を振って、揉みしだいて、ぬめりがとれるまでひたすら・・・・・・。あ、そうそう。冷凍したタコを解凍すれば、汚れと一緒にぬめりも落ちるとどこかで・・・・・・」
イエッタとリーダは、既にあの魔獣を食べる気になっている。
ティリシアには、長年苦しめられてきた、あのグロテクスな魔獣を食べるなど考えもしないだろう。
それより何より、見た目で少し無理、だと思っていたかもしれないが。
イリスは、ルードやイエッタが作ったものは、美味しくないものがないはずと、表情には出さなかったが楽しみで仕方がないと思っていたりするのだ。
よだれが出そうな話の中、もの凄い音を伴って近寄る深紅の姿。
少し通り過ぎたあと、上空を旋回しながら戻ってくるキャメリアの姿があった。
先ほどまで、豪快な音を立てていながら、音を立てずに着地をする。
矛盾だらけの伝説の存在、これが我が家のドラグリーナだった。
「食料を沢山積んでまいりました。メルドラードのときのように、炊き出しをするのですね?」
「あははは。そうね。ルードが目を覚ましたら、きっとそうなるでしょうね」
「ほほほほ。そうですわ。我もそう思いますよ。えぇ」
挙動不審なリーダとイエッタ。
「タバサさんから、例のもの、預かってきたかしら?」
「はい。これでよろしいのでしょうか?」
タバサより預かった、錬金術師の無理をするときに使う薬の一つ、魔力回復促進薬が届いたようだ。
キャメリアから瓶を受け取ろうとしたのだが、リーダの目に入るのは自分の肉球。
リーダは困った。
「あらどうしましょう。このままだとルードに飲ませることができないわ・・・・・・」
イエッタもイリスも、リーダがすぐに人の姿へ戻らない理由を知っている。
それは先程、怒りに身を任せて、フェンリラの姿になってしまったがため、ドレスが残念な布きれへと変貌を遂げてしまったからである。
変化の呪文を唱えるたった数秒を待つことすらできなかったのは、仕方のないこととはいえ、今変化を唱えてしまえば、リーダは素っ裸なのである。
もちろん、キャメリアはアミライルから状況の報告を受けていた。
「アミライル、リーダ様の着替えは積んできましたか?」
「どうぞ。キャメリアお嬢様」
「その〝お嬢様〟、やめて欲しいのだけれど・・・・・・」
アミライルからリーダの着替え用ドレスを受け取る。
「とにかく、お着替えを済ませて、ルード様へ薬を飲まされてはいかがでしょうか?」
「えぇ。そうさせてもらうわ。ほんと、もっと落ち着かなければならないというのに。わたしも、まだまだね・・・・・・」
イリスが一度フェンリラの姿になると、まるでティリシアの水魔法のように、豪快に吹雪のような現象を巻き起こし、あっという間に簡易的な小さな小屋を作り上げてしまう。
変化の呪文を口ずさみ、人の姿になると。
「フェルリーダ様、こちらでお着替えくださいまし」
「ほんっと、イリスエーラったら、大げさなんだから。ルードは寝ているのだし、ここにいるのは女性だけ。別に――」
「いいえ、そういうわけにはまいりません」
「リーダ様。イリスさんの言う通りです。あなたはルード様の――」
イリスとキャメリアの目は笑ってはいなかった。
苦笑するイエッタにルードをお願いすると、リーダは仕方なく、とぼとぼとイリスに促され、キャメリを従えて、小さな小屋へ入っていく。
「はいはい・・・・・・。まるでイリスエーラが二人いるみたいだわ」




