第十九話 作戦行動(ミッション)。 その1
毎日の日課になっているレラマリンとの朝会議も佳境に入り、昨日の実験の結果を報告したところだ。
今朝の会議は、ネレイティールズ王室執事長のオルトレットも同席してもらっている。
ティリシアと並んで、ルードとレラマリンの会議を聞いていたが、彼はなぜ自分がここに呼ばれたのか、わかってないだろう。
「今日このあと、先ほど説明した方法を、実行に移そうと思っています。それでですね、オルトレットさんとマリンさんに、お姉ちゃんのことをお願いしようと思っているんです。ひとりで待ってもらうのも寂しいと思うので、仲の良くなったマリンさんと一緒にいれば、僕も安心ですからね」
ルードの言葉は、二つの言葉を暗に示している。
レラマリンには、危険だからついてこないで欲しいということ。
オルトレットにはいざというとき、クロケットを守って欲しいということ。
うまくキャメリアと一緒に脱出できれば、その足でウォルガードへ行き、リーダとフェリスに相談をして、魔獣の退治を行う予定だ。
ルード自身は、戦うことに特化した能力を有していないと自覚しているからこそ、これが今取れる最善の方法だと思ったのだろう。
単純な膂力であれば、オルトレットやフェンリルの姿のルード、ドラグリーナの本来の姿に戻ったキャメリアが、おそらくは今この国にいる人の中で最強の部類だと思われる。
だが、魔獣がいる場所は海中だ。
陸上で、大空で強い種族とはいえ、水の中ではどうにもならない。
だからこそ、昨日まで、知恵を絞ってできることを色々と試してきて、やっと成果をあげることができていた。
今日の作戦行動に、侍女であるキャメリアを、クロケットの傍に置かないで連れて行くということも、ルードにとって苦渋の決断なのである。
それにオルトレットは、ルードと二人きりで話したときに、クロケットの魔力総量の異常性に気づいている。
いくら彼女が王城内にいるとはいえ、ルードがすぐに迎えにこれるかは未定である。
ルードがいないときに、クロケットの身に何か起きようとしていたならば、オルトレットは必ず身を挺して守ってくれる。
自分が傍にいられなくても安心できると、ルードは信じているのだ。
「僕がいない間、・・・・・・お願いします。オルトレットさん」
「かしこまりました、ルード殿下。この命に代えましても、お守り致しますので、ご安心ください」
正直な話、オルトレットにとってクロケットは、ルード以上に大事な存在だ。
だからこそ、二つ返事でルードの申し出を受けたのだろう。
「ありがとうございます」
オルトレットの返事を聞いて、肩の力が抜けたのか、ルードの表情に少しだけ安堵の色が戻っている。
「では、後のことはよろしくお願いします」
そう言うとルードは席を立ち、精一杯の笑顔をレラマリンに向ける。
ルードは軽く会釈をすると、踵を返して部屋を出ようとする。
キャメリアも静かに一礼をし、ルードの後ろをついて行く。
「ちょっとルード君――」
レラマリンは、『留守番して欲しい』という、ルードの言い分に納得いかなかったのだろう。
テーブルを両手で叩き、その場に立ち上がり、文句を言おうとする。
ルードはその音と、彼女の声に反応し、足を止めて振り向いた。
そのとき、ティリシアがレラマリンの言葉を遮った。
「姫様っ、ここはご自重くださいませ。お願いですので、クロケット様とご一緒に・・・・・・」
さすがのティリシアも、いざというときにレラマリンを守り切ることは難しい。
それはルードだって同じだ。
苦しい声を絞り出すようなティリシアの声。
いつもの窘めるようなものではないことが、レラマリンにもわかったのだろう。
ルードと愚痴を言い合い、共感しあった、〝何もできない〟という悔しさを奥歯でかみしめるように、言葉を飲み込んで、椅子に座り直した。
天井を見て、ひとつ深く息を吐くと、気持ちを切り替えたのか、レラマリンは穏やかな表情になる。
ただ、ルードを見ていると、少々不思議な気持ちになってくる。
「私の国のことなのに。自分のことではないのに。なぜルード君は、そこまでしてくれるの?」
今までルードが一人で突っ走ってきたことを、レラマリンは知らない。
彼女にとってルードは大切な友だちではあるが、自分の国の賓客でもある。
いくら、伝説の存在であったフェンリルだからといって、ウォルガードの王太子だからといって、目の前にいるのは同い年の少年だ。
ルードと同じように、将来この国を背負う立場の、王女であるレラマリンには、理解に苦しむところもあっただろう。
「僕のたったひとりの友だちが、窮地に立たされているんです。この国の人たちにも、危険が迫っているかもしれません。それにここには、僕の大切なお姉ちゃんもいるんです」
「でも、ルード君がそこまですることは。・・・・・・私が、何もできないのが、いけないのだけれど」
レラマリンの言いたいことは、ルードにも十分に理解できている。
魔獣には一度負けているのだから、というだけの意地の問題ではない。
「あー、うん。オルトレットさんに聞いたことない? マリンさんも。〝正義の味方〟のお姉さん二人の話」
「えぇ。小さなころ、よく聞かせてくれたわ。強くて、さっぱりしていて、深い緑色の綺麗な髪をした、とてもかっこいい、お姉さんたちだったって」
「僕もその話を聞いてね、そうなりたいと思ったんです。ですが僕には、・・・・・・ティリシアさんから聞いてるでしょう? 戦う力がないんです。だから、正義の味方の真似事なんてできません。今回もね、何もできないで終わるかもしれないんです。悔しい思いをして、帰って来るかもしれないんです。でもね、僕はね、・・・・・・尊敬する母さんと同じ、フェンリルなんです。フェンリルは強いんです。フェンリルはね、一度や二度くらい負けたくらいで、諦めちゃいけないんです。強さは腕力や魔力だけでなく、知恵を絞って頑張ることだって、強さなんです。今できることを、精一杯やらないと駄目なんです。僕は、・・・・・・僕は二度と、後悔をしたくはないんです。僕はね、一度だけ、失敗してるから、・・・・・・ね」
それは、レラマリンにも話した、ルードの悔しい思いをした話。
苦笑するルードの表情は、諦めの悪い、男の子の表情そのものだっただろう。
この大陸最強の種族である、フェンリルだから、強くならなきゃいけない。
悔しい思いをしてるから、諦めたくないと、はっきり言われてしまえば。
それ以上、レラマリンは何も言えなくなってしまう。
やせ我慢をする男の子に対して、『いってらっしゃい』と、声をかけるので精一杯だった。
ルードはクロケットの待つ部屋の前に来ると、ゆっくり息を吸い、ゆっくりと息を吐いた。
覚悟を決めて、ドアを叩く。
「お姉ちゃん、僕だけど」
「どうぞ、ですにゃ」
内開きのドアが開くと、穏やかな笑顔の、クロケットが待っていてくれた。
「すぐ戻ってくるからさ、マリンさんと一緒に、待っててね」
「はいですにゃ」
クロケットはルードをふわっと抱きしめる。
ルードはクロケットの背中に手を回し、ぽんぽんと二回だけ優しく叩いた。
「帰って来たら、美味しい物を作るからさ、一緒に食べようね」
「はいですにゃ」
「じゃ、僕、行ってくるね」
ただそれだけを言いに、戻ってきたのだ。
クロケットも、ちょっとだけ力を入れて抱きしめ、ルードを解放して、笑顔を作る。
「いってらっしゃい、ですにゃ」
クロケットは、いつも家でルードが出かけるときのように、笑顔で見送ってくれる。
「では、クロケット様。行ってまいります」
ルードと同じように、キャメリアに歩み寄って、ぎゅっと抱きしめてから、耳元で声を絞り出す。
「・・・・・・キャメリアちゃんも、行ってらっしゃいですにゃ。ルードちゃんを、お願いね」
「はい。かしこまりました。・・・・・・大丈夫ですよ、クロケット。私がついていますから、ね」
この国の窮地は、クロケットにも説明していた。
すぐに戻ってくるつもりだったが、それが一日後なのか二日後なのかは、戻ってみないとわからない。
今回の作戦行動は危険なことだと、ルードもわかっている。
そのため、数少ない戦力の一人として、キャメリアだけを連れて行くと、今朝、二人に説明を終えていた。
シーウェールズや、ウォルガードの家で待つのとは違う。
それでも、ルードを見送らなくてはならない。
それならば、精一杯の笑顔で二人を送り出すしかないのだから。
クロケットも、ここが一番の我慢のしどころだ。
「はい、ですにゃ」
ルードとキャメリアの背中を見送ることにする。
「(キャメリアちゃんが、大丈夫って言ってくれましたにゃ。私はそれを信じて、ルードちゃんの帰りを待つんですにゃ。それが、お嫁さんの努めですにゃ)」
そう自分に言い聞かせるが、閉まったドアにすがりつくように両手をつき、崩れ落ちるように膝立ちになる。
胸の前に手を組み、ドアに頭をつける。
「(ルードちゃんの中にいる、もう一人のフェムルードちゃん。エルシードちゃん。ルードちゃんをお願い、ね・・・・・・)」
待つことに慣れていると思われていたクロケットも、辛い時間を耐えていたのだった。
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クロケットとキャメリアの部屋を出て、廊下を通り、中庭を抜けて裏門へ。
そのまま裏通りから城下町を通って、砂浜へ向かうルードたち。
まだ早朝ということもあり、城下町はそれほど人の姿も見られない。
軒を連ねる商店なども、開店の準備を始めているところは少ないようだ。
ルードが前に、キャメリアは一歩下がって後ろをついてくる。
普通ならば王城から、オルトレットが手綱を操る馬車に乗ってくるところだろうが、今朝は徒歩で向かっていた。
早朝であり、人通りもほとんど見られない状態だから、キャメリアと二人で歩いているとしても、目立つようなことはなかった。
どこにも寄ることはなく、脇目も振らずに歩き続け、中央の通りを抜けて砂浜にたどり着く。
そこには先程、会議の後別れたティリシアを含め、衛士たちが準備を終えてルードを待ってくれていた。
「おはようございます、皆さん」
「「「「おはようございます」」」」
「おはようございます、ルード様。準備はできています。いつでも出られますよ」
ティリシアがそう言うと、ルードは衛士たちに向かってぺこりと会釈をする。
自国の衛士、他国の王太子という立場は関係ない。
ここにいるのは、魔獣を相手にする仲間なのだから。
ところどころ青い染料で染め上げた、布で覆われた餌木もどきも、砂浜から少し先にぷかぷかと浮かんでいる。
昨日、壊されてしまってから、衛士たちと漁師や職人たちが、急ぎの作業で作ってくれたのだ。
その見た目はまるで、ルードが以前、潜って採ったエビの姿に似ていたから。
昨日の餌木もどきよりも更に、エビっぷりに磨きがかかっているから。
改めて目にしたルードは、絶対に成功すると思った。




