第十六話 試せることを、今全力で。
ここに来たのは、モヤモヤした気持ちを、身体を動かして解消したいと思っただけ。
ティリシアを見かけて相談してみたところ、毎日の会議に彼女も同席していたから、ルードの気持ちを察してくれたのだろう。
ただ、彼らが行っているのは運動ではなく、衛士としての訓練だ。
もしルードが運動は得意と言ったとしても、彼がどれだけ動けるかを知らない状態で受け入れるのは、彼女は危険と判断したはずだ。
その相手を彼女自身がしてくれたおかげで、ルードの剣の腕は素人レベル以下ということが判明する。
剣の訓練などしたことがないと、前もって言っていたこともあり、納得の結果となった。
それだけでは、ルードの良い部分がわからないということもあり、ティリシアは得意な武器があるか聞いたところ、隠す必要もないため答えることになった。
衛士たちには、万が一のために前衛後衛の役割を担う人もいたため、弓を持つ人もいたのだ。
ルードは小さなころから弓を得意としていたことを話すと、犬人の女性は快く愛用の弓を貸してくれた。
ルードが披露した弓の腕前は、訓練された犬人の女性の腕に劣るものではなかった。
「ありがとうございました」
「いえ、お役に立てて光栄でこざいます。これ、家宝にさせていただきますね。あとで予備の弓と交換しないと・・・・・・」
この国では騎士の役割を、彼ら衛士が担っている。
まるで賞状を受け取るように、両手でルードから自らの弓を受け取ると、女性衛士はくるりと踵を返し、ルードに見えないように弓へ頬ずりしていた。
後からレラマリンから聞いた話だが、城勤めしている女性の間では、ルードはいわゆる『大国の王子様』であった。
その上、獣人にとって雲の上の存在であったはずのフェンリルが、可愛らしい少年の姿で現れたものだから、仕方のないことだっただろう。
それはさておき、ルードの敏捷性は、衛士たちでは追いつくのがやっとで、試してはいなかったが、おそらくフェンリルの姿であれば、追うことは叶わないと思われた。
腕力についても、皆は驚いていた。
その細腕からは想像できないほど、強かったからだ。
簡単な訓練のメニューに、海の漁でポピュラーな底引き網に使われる綱を用いた、綱引きというものがある。
身体に一周だけ巻き付けた綱を、隊員同士で引っ張り合うのだ。
「あ、あれ。面白そうすね」
そう言うルードも参加するのだが、一度はあっさりと負けてしまう。
もちろん、負けず嫌いな彼は、こっそりと変化の呪文を口ずさみ、純白でふさふさな耳と尻尾を出す。
器用にもフェンリルの気配を抑えたまま、力だけを増幅させるルードは、あっさりと勝ってしまうほどの力強さを見せてしまったのだ。
ルードが余裕のある笑顔で綱引きを楽しんでいるところに、相手をしていた犬人の男性が額に脂汗をかきながら、必死の形相をしていたのを他の隊員たちが囃し立てる。
そこで勝負は決する。
犬人の男性隊員が前方にひっくり返ってしまった。
ルードの敏捷性と筋力は、見た目の年齢以上のものをもっているのがわかったのだ。
見た目は可愛らしさが倍増した耳と尻尾だったが、相対した者から言わせれば、正直ずるいと思われても仕方なかった。
ここ、ネレイティールズにも、一人のフェンリラが刻んだ〝消滅〟の伝説は言い伝えとして残っている。
犬人や狼人たち、獣人の本能にすら刻まれた上位の種族。
フェンリルという伝説の存在は、恐ろしいものだという先入観があったのかもしれない。
ただ、目の前にいるフェンリルはどうだろう?
真面目で、笑顔が可愛らしくて、それでいて負けず嫌いな少年だったのだ。
こうしてルードは、彼らとあっというまに打ち解けることができた。
ルードひとりでは何もできないことがわかっている以上、魔獣へ再挑戦するならこうして人の力を借りなくてはならない。
少なくともルードは、ティリシアを含めた衛士たちと打ち解けていることに安心しただろう。
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ルードは客間へ戻ると、クロケットとキャメリアに相談することにした。
「あのね、お姉ちゃん、キャメリア」
ルードの真剣な表情を察する二人は、頷くだけの返事をする。
「(ですにゃ)」
「(はい)」
ルードは二人の顔を交互に見ると、ひとつため息をついてから、こう漏らすのだ。
「不思議に思っていると思うけどさ、僕らがこうして、ここで呼吸できるのは、ネレイティールズを裏から支えている人たちのおかげなんだ。でもね、それもあとどれくらいもつのか、わからない状況に来てるんだ」
クロケットは、毎晩寝る前にルードの話をキャメリアとする。
彼女が知らないことはキャメリアが報告してくれることもあり、ルードが必死になっていることを知ってくれている。
猫人の村でルードと出会う前のころのクロケットとは違い、今はリーダやエリス、イエッタやイリス、キャメリアなどの家族から色々なことを吸収して、年相応以上になるべく、一生懸命取り戻そうとあがいているのだ。
「近いうちにね、僕はある実験を衛士さんたちの力を借りて、やるつもり。それはね――」
ルードは紙に簡単な図解を書きながら、自分が考えていることを説明する。
エリスと比べると、あまり上手ではない絵を描いていくルード。
それでも二人には十分に伝わっているだろう。
「前にさ、キャメリアと一緒に、マリンさんに連れて行ってもらったときに見た感じだけどね、こう、ここからこうして、こう。そうするときっとね、こっちかこっちにずれると思うんだ」
ルードは紙に簡単な図解を描きながら、魔獣と居座っている穴の部分の説明をしていく。
正直言ってルードの絵は微妙だ。
丸く円を描いて、そこに円筒状のものを描き入れ、足をにょろっと伸ばす程度。
ニュアンスは伝わっているのだろうが、口頭による説明がなければ、何のことかわからないかもしれない。
この辺りは、母エリスがとても上手だが、彼はその才能を受け継いではいないようだった。
ちなみに、リーダも絵は得意としていないらしい。
穴の部分を面積として捉えると、魔獣は全てを塞いでいるわけではない。
海面からの明るさを感じることから、そう判断しても差し支えはないと思われる。
片側に寄り気味になり、その長い足で身体を支えているのだろう。
ルードはもちろん、キャメリアもクロケットも、魔獣の元になったオオダコという生物を見たことはない。
前に見たときは、穴の下から見上げた感じでは、逆光になっていてフォルムまではわからない状態だ。
ルードは、〝記憶の奥にある知識〟にあった絵で見たことがあるから、こうして図解できるのだが、それは円筒に近い形をした頭があり、根元が太くて先の細い足が八本あるように見える。
だが、実際は六本が腕で、二本が足として使われていることなど、無駄な知識は今はいらないだろう。
「魔獣って何故穴から動かないのかがわからないんだ。だからね、僕はこれを試してみようと思ってるんだ」
ルードは、エビに似た感じの形を描いていく。
「魔獣の元になったオオダコはね、エビのような甲殻類をご飯にしてるらしいんだ。あいつは頭が悪いって、マリンさんが言ってた。だったらさ、こういうのにも釣られてくれるんじゃないかなって」
「これは、にゃんですかにゃ?」
「エビだってば。お姉ちゃんも見たことあるでしょ?」
「あ、エビだったんですにゃね」
「んもう。僕、絵が下手なのは仕方ないじゃないのさ」
「そんにゃこと、ありませんにゃ」
「どうだか・・・・・・」
これを穴の下から浮かべていき、魔獣を移動させて、キャメリアに海面へ出てもらう。
そうすれば、少なくとも、リーダかフェリスへ連絡が取れるだろう。
レラマリンとルードの見解には同じ部分があった。
それは『魔獣は頭が悪いと思われる』ということだ。
考えが読めず、本能で動いていると思われる魔獣ならば、こちらの単純な罠になら、ひっかかるかもしれない。
「そう、ですね。何事もやってみなければ、わからないと私も思います」
「でしょ?」
「はいですにゃ」
「お姉ちゃんちょっと、そんなに頭撫でなくてもいいからっ」
クロケットは身を乗り出して、ルードの頭を撫でている。
それはきっと、ルードが頑張っているから、労いの意味も兼ねている、彼女の気持ちの現れだったのだろう
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翌朝、レラマリンとの会議の後に、ティリシアに案内してもらい、ルードは錬金術師の女性に相談へ魔獣について相談に行った。
先日聞いた通り、ネレイドの彼女らは、タバサのように専門を持っていて、一人は魔法と魔道具の作成、もう一人は家畜や生物の飼育が専門家なのだという。
この空間を維持する魔道具も、古くからこの国で改良が続けられているのだそうだ。
彼女らは土地柄海洋生物にも詳しく、ルードの魔獣に対する考察を聞いた。
そこで、魔獣の元になったと思われる海洋生物について、ルードが思っていた〝タコ〟の生態と、ほぼ違ってはいないとの見解を出してくれた。
勿論、事件が解決したらタバサと会わせてほしいと言われ、その約束はしてあったりするのだ。
複雑なものを再現することは、錬金術師のタバサがこの場にいないから相談することはできないが、ひとつだけできそうなものがあった。
ルードやイエッタがいたとされる〝日本〟という場所は、この地に似た環境の島国だったとされている。
そこでは、海で様々な漁をしていたという記録があった。
この世界にはない技術であり、発達した漁具というものがあったそうだ。
オオダコを食用として狩猟対象にしている国は少なく、ここネレイティールズでも食べることはないのだという。
それは餌木という疑似餌で、タコなどの海洋生物が好んで捕食するエビに模したものを作り、それを擬似的な餌に見えるようにして、漁を行ったというものがあった。
比較的加工がしやすいフォルムをしており、ルードでも指示をすれば形作ることができそうであった。
色は問題ではなく、その形と動きに騙されるようだとあった。
人程の大きさで〝餌木もどき〟を形作っていき、鼻先にはロープを結ぶ輪を取り付ける。
頭を若干下げるようにバランスを取るよう、腹の部分にはバラストを設置する。
尻尾の部分に、船舶に使用する錨のようなものをつけて、一応完成。
これを内底より浮かばせて、浮力を利用して、動いているようにみせかける。
それで魔獣を少しでも誘導できないか、という試みを行うことになったのだ。
最初のうち、内底に浮かべてテストしてみたのだが、バラストとのバランスが悪く、その場に留まってしまうなどの問題があった。
海面へ浮上させるまでに時間がかかってしまっては、魔獣の元へ送り込むのも難しくなってしまう。
別に捕獲しようというわけではなく、魔獣の注意を逸らして、海面へ上がることさえできれば、ルードには魔獣への対策もできると踏んでいたのだ。
何度か調整することで、思ったバランスへ持っていくことができ、今こうして最終テストをする段階になっていた。
「もう少しそっちです。はい。そうそう」
ルードが指示をしつつ、衛士たち五人がかりで〝餌木もどき〟と呼んでいる疑似餌を操作している。
疑似餌はロープを緩めると、腹の部分にあるバラストのおかげか、お尻を上にしながらゆっくりと浮上していくようだ。
ルードは、内底から数十メートルの位置、更に上へ位置したところにある、ぽっかりと空いた空間に来ていた。
穴の隙間から覗く明るさから、やはり魔獣は片方に寄っていて、穴全体を覆っている訳ではないように見える。
ルードは目が良くて、ここからなら魔獣が視認できていた。
水の魔法制御に長けているネレイドの魔法使い四人で、ルードを四方から囲むように空間を作ってくれたのだ。
さすがは大型の船舶をまるごと気泡で包み、ここまで移動させるだけのことはある。
ルードの指示で、一緒にこの空間にいる衛士たちが大型の疑似餌を操る方法をとっていた。
「そのままゆっくりと浮上させます。もし、僕が危険だと判断したらですね、すぐにロープを切断しますので」
「「「「「了解」」」」」
この魔獣は、ルードたちが見に来て以来、一向に動く気配がなかったそうだ。
一日数回に分けて、調査をしていたというから、間違いはないのだろう。
あれだけの大きな身体、餌を食べないでどうやって維持できているのだろうか?
移動することがないから、消耗も少ないのだろうか?
あの後詳しく聞いたことがあった。
ルードたちが始めに訪れた小島には、確かに大きな船着き場に見える、不自然な入り江があった。
あの位置から魔獣のいる穴までは坂道のようになっていて、水の制御により気泡で包んで、商船を通していたらしい。
普通であれば、穴の位置から垂直に降りて行き、内底へ下ろして船着き場へ誘導していたそうだ。
ルードたちが落ちた理由は、通常であれば絶対に破れることのない内底が、何らかの原因で壁が薄くなって穴が開き、その位置に吸い寄せられるように文字通り〝落ちて〟いったのだろう、という見解だった。
元々魔力の豊富なこの国だが、海水中から僅かずつ集められる魔力で動いている魔道具により、内底の圧力が維持されているとのこと。
こうして呼吸できているこの空間も、実は魔道具により循環させているからこそ人々が生きていられる。
彼女らの見解では、あの魔獣が来てから、徐々に状況がおかしくなっていたいうことらしい。
定期的に換気をしなければならない状況下で、一ヶ月以上間換気を行わなかった事実が今までなかった。
どちらにしても、あと半月もしない間に、今まで保たれていた均衡が崩れてしまわないとも言い切れない。
こうして何でも試せるものは、試しておかないとじっとしてる方がおかしくなってしまう。
そんなあり得ない状況に陥っていたのだった。




