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第十四話 悔しいけれど、僕だけじゃどうにもならない。

 ルードの母、リーダがよく口にする〝運動不足〟という言葉がある。

 彼女の体型が以前と比べて変化が出るほど、運動をサボっていたわけではない。

 ルードが五歳になるまでは、それこそ毎日のように動き回っていた。


 いずれ必要になるかもしれない鉱物や岩塩などを採取しつつ、食事に必要な野草や肉も、毎日新鮮なものを用意するため狩りを続けていた。

 ルードが歩くようになると、リーダの背中に乗って散歩するのが好きだったこともあり、余計に外へ出歩く時間も増えていった。


 魔力の濃いウォルガードとは違い、シーウェールズなどでは人の姿を維持するのも一苦労だ。

 リーダは魔力の操作を苦手としていたから、目が覚めたあとの暫くの間は、覚醒するまでにやや時間がかかる。

 ルードが大きくなってからは、今まで育ててくれた恩返しというわけではないのだろうが、リーダの世話をせっせと焼く。

 顔を洗わせたり、髪を梳かすのも、食事をさせることすら珍しくはない。


 リーダの意識がしっかりしているときは、ルードに感謝するしかなくなる状態は珍しくはないのだが、当のルードは『好きでやってるのだから』と、笑ってくれる。

 それこそ、リーダの世話をするのが趣味とも言えるくらいに日常化していたりするのだ。

  学園を卒業し、数百年を過ごしてきた彼女が、そんな単調な毎日を退屈だとは思っていない理由の多くは、ルードがいてくれたからなのだろう。

 彼に甘えすぎてしまって、自分が駄目になってしまうような感じを、〝運動不足〟という表現していたのかもしれない。


 同じようにルードは、エランズリルドのあの事件をやり遂げてしまったとき以来、誰かのために何をしたらいいのかを、常に考え続け行動し続けている。

 ルードもここまで何もできていないと、落ち着きがなくなり、苛立ちを感じてしまうのは、母子だからだろうか?

 それとも、何かをやっていないと落ち着かない性分からなのだろうか?

 今で言うところの〝貧乏性〟のようなものなのかもしれない。


 ▼


 夢というのは記憶の整理とも言われている。

 多少の脚色はあるだろうが、全く知らないことを見ることはない。

 ここ数日、目の前にあの魔獣が現れて、何もできないで悔しい思いをする場面で目が覚めてしまうのが続いていた。

 それはとても悔しかったのだろう。

 大好きな家族と離ればなれになり、会うどころか、無事を伝えることすら魔獣に阻まれてしまっていた苛立ちもあっただろう。

 睡眠不足が続き、無理矢理笑顔を作ってはいたが、クロケットやキャメリアにはバレていたかもしれない。


 その小さな身体に抱え込んでしまった大きなストレスを解消するべく、ルードはある場所を訪れていた。

 彼が寝泊まりしている、王城にある客間から見下ろせる場所に、先日レラマリンの姿をみつけて、後を追い始めた綺麗な中庭がある。

 そこからほど近いところに作られた、王家に仕える衛士たちの修練場。


 今、ルードの目の前にいるのは、年若いネレイドの女性ティリシアだ。

 彼女はレラマリンの側近の一人であり、この場所にいる二十人ほどの衛士たちを率いる、ネレイティールズ王国(このくに)の衛士隊の隊長でもある。

 レラマリンの奔放な性格に日々引っ張り回され、後始末をしている苦労人でもある。

 おっちょこちょいで天然さんなクロケットを心配するルードもまた、姉を心配する弟のようで、出来の悪い妹を持つ姉のような彼女とは、似たような苦労をしているようで、親近感を感じることがあったのだ。


 ルードよりも顔一つ分大きな身長の彼女。

 その周りで、見学している部下たちは、それ以上に大きな者たちが多い。

 中にはティリシアのような女性も数人いるようだが、ルードより背の低い人はいないようだ。

 隊員たちは、ネレイドやネプラスだけではなく、大柄な犬人の男性と小柄でもルードより少し高い女性がいるようだ。

 そんな中、彼の姿は際だって小さく見えたことだろう。


 予めルードは、『自分は剣の訓練すらしたことはない』と伝えてあって、ティリシアも隊員たちもそのことを知っている。

 大国の王太子と自分たちの隊長が、修練とはいえ手合わせをするのだから、隊員たちが手を休めて見学することをティリシアは許すことにした。

 ティリシアは、ルードに相対して、木で作られた細身の剣を構えている。

 ルードも同じような剣を真正面に構えて、どちらから斬り込もうかと考えていた。

 ティリシアにお願いして、今朝から衛士たちの鍛錬に混ぜてもらうことになったのだ。

 彼女はそれを快諾してくれて、こうして自らルードがどこまでできるのか、みてくれることになったのだ。


 ルードはシーウェールズに引っ越すまで、リーダと一緒に狩りをしていた。

 その経験もあり、対象の動きをある程度読むこともできるのだ。

 ルードが当時、好んで使ったのは弓であり、それは狩りをする彼にとって一番適していたからだろう。

 その使い方はリーダから教わったわけではなく、〝記憶の奥にある知識〟の図解から読み取って反復練習をし、それだけである程度までは使えるようになってしまったのだ。


 弓に決める際、剣や槍などの武器の知識も読んでみることはあった。

 ただ、それはあくまでもそういう知識だけ。

 手元に武器がなかったからといって、棒を振り回してその鍛錬をすることなどはしていない。

 狩りをするなら弓だけで十分であり、必要がなかったからだった。

 リーダに育てられ、彼女から受け継いだものにより、彼は普通の人種より体力もあり、身体能力に優れた子に育っていた。

 いくらルードが今フェンリルだからといって、狩りをしていたときはまだそうではない。

 ルードがフェンリルとして目覚めたのは、シーウェールズへ引っ越す少し前だったからだ。


 例えば、ルードが支配の能力の鍛錬中に、遊んでもらった熊のような獣。

 あのような相手は、リーダにとって大したものではないとはいえ、子供のルードには危ない存在だった。

 危険な獣の気配を察知し、無理に立ち向かわずに近寄らないようにすることも必要だと、リーダから教えられていた。

 ただ、あくまでもそれは知能が高いものに限られる。

 小さな虫の動きなどは読めるわけがない。

 今回の魔獣のようなものも、正直、わけがわからないのであった。


 ルードの経験という意味では、短くはない期間の狩りから学んだ経験から、〝強い気配〟がティリシアから感じられる。

 ルードとティリシアの間合いは、剣先同士が簡単にぶつかるくらいに近い。

 今回の手合わせは、ティリシアがルードの剣を受けて、彼がどれくらい動けるのかを調べるためのもの。

 ルードはゆっくりと息を吐き、呼吸を整える。


「よ、よろしくお願いしますっ」

「はい。いつでもどうぞ」

「では、いきますっ」


 彼の目が、すぅっと細められた。

 この立ち会いは決して遊びであってはならない。

 ルードは彼女に失礼なことにならないよう、彼女をまた、〝獲物などではない、避けて通れない強者〟として見ることにした。

 ルードはここ最近、城下町での無駄な騒ぎを防ぐためと、ちょっとした鍛錬の意味もあり、自分の気配を薄くしていたのだ。

 だが、今ここには、ついさっきまでの見受けられた可愛らしいルードはいない。

 見た目は同じなのだろうが、ここにいる皆には、フェンリルである彼そのものの気配が感じられるだろう。


 ティリシアは、先程とは打って変わって猛獣のような視線と、何かを見透かされるような冷たい感覚に襲われたのに気づく。

 それはこの場にいた隊員たちも同じ。

 その証拠に、ティリシアの後ろにいた男女の犬人の隊員は、ルードの迫力と匂いに負けて、無意識に〝服従〟のポーズを、してしまっていたのだから。

 彼らの傍にいた隊員は、彼らを慌てて抱き起こす。

 他のものたちからも、ざわめきの声が漏れ始めている。


「(何でしょうね。王太子殿下だからという感じではなく。・・・・・・まるで獣のような何かに、値踏みされているような、そんな感じがしますね。どちらにしても、姫様と同じ年の男の子とは思えないです。これがフェンリルという感じなのでしょうか?)」


 ルードは、ティリシアとの間を瞬間的に詰め、大上段から力いっぱい斬りかかった。

 彼の素早い踏み込みには、隊員には予想以上の展開だったはずだ。


 だが、結果からいえば、ルードはやはり剣には慣れていなかった。

 彼は、斧を振り下ろすような薪割りすらあまりやったことがない。

 家族に元騎士のマイルスたちがいるとはいえ、彼らが剣を振った姿を見たことはない。

 剣を振るという動作を知らないが故に、足運びと腕の振りがばらばらだった。


 初速こそ速かった剣の振りも、何かにひっかかるような邪魔な動きによって、無駄な動きとなってしまう。

 ティリシアは、ルードの剣を無理に受けるようなことはせずに、中ごろに軽く当てると、切っ先に向けて滑らせるようにして、完全にいなしてしまう。

 ルードは乗せてしまった体重を制御できずに、前向きにつんのめるような形で倒れ込んでくるところを、彼女は優しく受け止めた。


 ティリシアがルードから感じたものは、彼の焦りと、フェンリルという存在だったのだろう。

 彼の表情から、何かに悩んでいることや、今この現状を打破したいという、焦りの気持ちが十分に見てとれる。

 年上の女性でもある彼女は、ルードに優しく微笑みかけてくれた。


「大丈夫ですか? 差し出がましいかもしれませんが。今のような悩まれている状態でご無理をなされると、いくらルード様でも、お怪我をされてしまうかと思いますので」

「あ、その。ごめんなさい・・・・・・。わかっちゃうんですね」


 そこには、さっきまでの切羽詰まった〝手負いの獣〟のような気配はなく、彼女が知る可愛らしいルードが戻っていたのだった。


「(無理、・・・・・・か。そっか。僕、無理してたんだ。誰が見ても、そう見えちゃうんだろうね・・・・・・)」


 そう思えてやっと、肩の力が抜けていく感じがしただろう。

 彼の状況が変わったのか、〝服従〟をしてしまっていた隊員は、身体を起こしてきょとんとしているではないか。

 犬人の隊員たちが本能的に〝そう〟してしまったことを、ネレイドたちには理解できなかっただろう。


 ルードは抱き起こしてくれたティリシアに『ありがとうございました』と感謝すると、犬人の二人へ近づき、笑顔で『ごめんなさい』と、順番に手を差し伸べて引き起こす。

 ルードが近づいたことで、予感が実感に変わったのか、二人とも同時に片膝をついて頭を垂れる。


「生きている間に、フェンリル様にお目にかかれるなんて、光栄でございます」

「わたくしも、光栄に思っております。その上、こうして手を差し伸べていただけたなんて、その、嬉しくて・・・・・・」

「そんな。僕は・・・・・・。はい。そう言っていただけるととても嬉しく思います。改めてご挨拶させていただきますね。僕は、ウォルガードの王太子で、フェムルード・ウォルガードと申します。現在、諸処の事情によりまして、こちらの王室でお世話になっています」


 ルードは精一杯の笑顔で、隊員たちに挨拶をする。


「僕はこう見えてもフェンリルです。ですが、曾祖母とは違って、僕は無敵でもなんでもありません。剣を学んだわけではないので、ティリシアさんにこうしてあしらわれることも理解していました」


 笑顔だったルードの目元が、少々悲しいものに変わっていく。

 皆も気づいているだろう、彼が無理に笑顔を作っていることを。

 何か理由があって、こうして自分たちの修練の場にいるということを。


「僕は悔しくてしかたがなかったんです。イライラしていて、眠れない日々が続いているんです。僕はあの魔獣に挑みました。そして、相手にもされませんでした。何が伝説のフェンリルなのでしょうか? あの魔獣に対して、何もできないでいる僕自身を、嫌いになってしまいそう、なんです・・・・・・」


 現在この国に起きている状況がどうなっているかは、隊員たちには周知されていて、各々十分に理解できているはずだ。

 勿論、衛士隊の隊員たちもそうだが、この国の王室を初めとして誰もが、あの魔獣に対してただ、黙って見ていたわけではない。

 ルードと同じように悔しい思いをして、今もどうにかしたいと努力をしている最中なのだ。


「僕は、レラマリン王女殿下に、あの魔獣へ対抗するために、手を貸して欲しいと言われました。僕は最初、あの魔獣程度であれば、簡単に対応できる。そう考えていたんです。ですが、それは甘かった。打ちのめされました。眠れないから、だからこうして、ここで身体を動かしたかった。イライラした気分を解消したくて、ティリシアさんにお願いしたんです」


 歯に衣着せぬ、ルードのその言葉。

 建前など存在しない、ルードの真っ直ぐな気持ちが伝わったことだろう。


「僕は、レラマリン王女殿下にお願いされたことを投げ出したりはしません。今後もあらゆる策を考え、あの魔獣を何とかしたいと思っています」


 ルードは驚いてしまったが、思わず感動していた、レラマリンのあの言葉を思い出す。


「僕は自分に何ができるのかを、改めて見つめ直さなくてはならないと思いました。僕一人で、部屋でウジウジ考えていても、何も出てこないことに気づいたんです。だからお願いです。負けたくないんです。ウォルガードの王太子ではなく、ただのフェンリルの男の子(おのこ)として。再びあの魔獣に、打って出るために」


 ルードがその場でぺこりと頭を下げる。

 お忍びの状態とはいえ、一国の王太子が、衛士たちに頭を下げたのだ。

 驚くどころか、何が起きたのか、理解できなかっただろう。


 彼はどんなに困っていたとしても、楽をする道を選ばなかった。

 真っ直ぐな性格だからこそ、何かを成すために、人を頼ることはなかったと思う。

 でも今は、レラマリンから教わったことがある。


 自分ができることを精一杯やるのなら、自分でできないことは、人を頼ってもいい。

 お金はある、フェンリルの国ウォルガードの王太子という地位もあるが、それを使っていい場面ではないことくらいわかっている。

 必要ならば、手持ちのお金を全て使ってもいい。

 必要ならば、フェンリルであることを使ってもいい。

 ただそれは、自分自身のためではない。


 助けてもらうことと引き換えに、お返しをするためならば、だ。

 だから今のルードには、これだけしかカードがない。

 顔を上げると、笑みを一生懸命浮かべる努力をしたのだ。


「僕に、皆さんの力を貸していただけませんか?」


 彼の少し自虐的で、精一杯やせ我慢をした、爆弾のようなその笑顔を添えられてしまえば、誰が断ることをできただろうか?


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