第九話 ルードの兄のような人。
ルードは、レラマリンとの情報交換を終えると、客間に戻ってきた。
ただ、ルードにはレラマリンとの話の中で、気になる情報があったのだ。
そのせいもあり、『将来的には東の大陸へ行かなくてはならない』、そう思ったのだが今はそれどころではない。
キャメリアにクロケットの様子を見てもらってきたが、心配はないようだ。
クロケットは甘い物でお腹がいっぱいになり、幸せそうに昼寝をしていたらしい。
キャメリアに入れてもらったお茶を飲みながら、ルードは記憶の奥にある知識を頼りに魔獣の対策を練ってみた。
あの魔獣に似た、海に生息する軟体動物に〝タコ〟という物が確かにあるようだ。
タコはエビなどの甲殻類が好物だと情報があったが、あの魔獣をおびき寄せる事ができる大きさのエビはおそらくいないだろう。
タコは、物陰に潜む習性があるらしく、それを利用した〝蛸壺〟という漁があるらしいのだ。
おそらくあの場所は、魔獣にとって物陰と同じなのだろう。
それ故に居心地がよく、動こうとしないのかもしれない。
魔獣が居る場所からこちらへ来る途中は薄暗い事から、もしあの魔獣の大きさで壺のようなものを作れたとしても、潜んでくれることは難しいだろうとルードは思った。
タコには天敵が存在するらしいが、そのような種類の海洋生物を連れてくる方法などはおそらくはない。
それに情報には、『大きく成長したタコは天敵をも捕食してしまう事がある』とあった。
「……って事は、今までは偶然襲われなかっただけで、僕達も捕食される可能性があるって事じゃないのさ」
ルードはちょっとだけ絶望してしまっていた。
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『ルード様はたまに、独り言を言う事があるのです』
キャメリアはその事をイリスから聞いていた。
ルードの恐るべき発想力、それが発揮されるのは彼の独り言から始まる。
〝消滅のフェリス〟や〝瞳のイエッタ〟と呼ばれる二人の現存する偉人がいる。
そんなフェリスとイエッタがお茶を飲みながら、笑い話をしていた事。
『ルードちゃんはいずれ、〝知のルード〟と言われるほどの賢人となるでしょうね』
『そうね。私とイエッタちゃんの息子だもの。間違いないわよ』
そんな冗談をイエッタが言ったが、フェリスはそれを肯定した話。
ルードが弟エルシードの墓前で見せた、奇跡としか思えない彼の能力を目の当たりにしたイリスの話も聞かされていた。
イリスが雁字搦めとなっていた、実家との間にある枷を解き放ったのも、ルードだった。
この数千年成し遂げなかった、メルドラードの民との意思の疎通を可能にし、救ってくれたのも彼だった。
それだけでもイリスやキャメリアにとっては、尊敬できる主人なのだ。
だからこそ、裏から支える楽しさがあり、彼の行動を妨げてはいけない事も理解している。
「キャメリア、僕ちょっと散歩してくるね」
「かしこまりました。あまり遅くならないようにお戻りくださいね」
『ルードなら匂いを辿って、迷子になる事もない』、そう知っているから安心して送り出せる。
「うん、わかってる。ここは僕がいつもいる場所じゃないからね」
軽い行き詰まりを感じていたルードは廊下を抜け、中庭に出てみた。
そこである匂いに反応し、視線をそちらに移すと、壁伝いに足音を立てないようにそっと歩いているレラマリンの姿を発見する。
基本的にルードはこの国にいる今でも、フェンリルの嗅覚があればクロケットやキャメリアの匂いを辿れば迷子になることはない。
おそらくは、オルトレットやティリシアを含めた側付の者の目を盗み、外へ出ようと画策している最中なのだろう。
ルードは『いい気分転換になるかも』と、彼女の後をつけることに決めた。
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レラマリンは打ち合わせの時の服装とは違い、あの時彼女の隣にいた侍女と同じ服を着ている。
「(まるでプリンを食べにきてた時のレアリエールさんみたいだけど、違うのは装飾品を一切つけていない事かな。でも、変装してないから、バレバレなんだけどね)」
ルードの格好は普段の服だから、目立つ事はないだろうが、彼女に気づかれては面白くない。
狩りをする時のように気配を絶って、そのまま彼女の後を一定の距離を開けてついて行く事にする。
彼女は慣れたような動きで、事もなく城の敷地を出ることができている。
城下はシーウェールズのように、色々な種族の人が暮らしているようだ。
レラマリンはまず、魚を串に刺して塩焼きにした物を、硬貨と引き換えに受け取っている。
目の前の犬人の店員の男性は、笑顔で受け答えをしているところを見る限り、きっと行きつけの店だったりするのだろう。
注意深く聞き耳をたててみると。
「どう? 困ってる事はないかしら?」
「食材はまだまだ持ちそうだよ。いつも気にかけてくれてありがとう、姫さん。はい、おつりだよ」
「そう、ならいいの。いつも美味しいものをありがとう」
魚の塩焼きを、店先にあるベンチに腰掛けて美味しそうに頬張っていると、店舗の奥からお茶を持った犬人の女性が話しかけてくる。
「ありがとう。いつも助かるわ」
「いいえぇ。こちらこそ」
お茶を受け取ると、喉を鳴らして美味しそうに飲んでいる。
食べ終わると、ゴミとお茶の容器を渡して礼を言っていた。
彼女は買い物をしながら世間話をしつつ、皆の心配をしている。
穀物商のような店に顔を出しては、穀物などの値段が上がってきてはいないかとか。
まるで御用聞きでもするかのように、笑顔で皆を心配させないようにしているようだ。
気がつくと、彼女は両手にいっぱいの買い物をぶら下げていた。
一人では食べきれない位のお土産を持ち、彼女の行く先は商店の並ぶ場所から少々静かなブロックへ向かっていた。
少々古い感じのする真っ白な建物の扉を軽く叩く。
すると、修道女のような服装をした年配の女性が出てくる。
レラマリンはその女性に、手に持っていたいっぱいのお土産を渡すと、中に招かれて入っていった。
中からは子供達の声がする。
聞いてはいけないと思ったが、予想通りそこは孤児院のようだった。
ルードはリーダがいなければ、同じ境遇だったかもしれないと、少ししんみりとする。
きっと、先程までと同じように、困ったことがないか様子を見に来ているのだろう。
「……お兄ちゃん、何してるの? お祈りは、朝だけなんだよ?」
「へ?」
気がつくと、ルードの足下に、彼の事をしゃがんで見上げる、五歳くらいの男の子がいた。
ルードには見覚えのない種族の子供だろう。
キャメリアのものとは違う、額から可愛らしい二本の角が生えている。
「ままー。お祈りしたい人が来てるよー」
「――あ、いや。そういう訳じゃなくて」
男の子は、建物のドアを開け放ったまま、駆け足で入っていってしまう。
そこには、数人の子供達と、先程いた年配の女性。
〝まま〟と呼ばれた人はこの女性だったようだ。
隣にいたレラマリンが目を丸くして固まっているではないか。
勿論、あっけにとられたルードと目が合ってしまう。
「あ、……ルード君。どうしてここに?」
「いや、その。……ごめんなさい」
結局、ルードの尾行はバレてしまったのだった。
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レラマリンから紹介された女性は、この教会に勤める犬人のシスターであり、この孤児院の院長でもあるそうだ。
レラマリンが沢山持っていたのは、ここにいる子達のお土産だった。
「姫様はいつもこうして、子供達の様子を見にいらしてくれるのです」
「そんな、私は遊びに来てるだけだって」
そう照れるレラマリン。
「あのね、ひめさまはね、おいしーのをもってきてくれるの」
「だよねー」
子供達に揉みくちゃにされて、それでも力負けしないところがネレイドなのだろう。
「どうせお城からつけてきたんでしょう?」
「あはは。面白そうだったから、つい」
「この人は、ルード君といって、私と同い年の交易商人なんです。例の魔獣のために巻き込んでしまって――」
ルードの事を気遣って、フェンリルだとは言わないでくれたレラマリンだったが、孤児院長は犬人の女性。
聖職者の精神力なのか、額に汗をしながらも〝服従の印〟の衝動を我慢している。
きっと、ルードがフェンリルだという事を、本能的に気づいてしまっている事だろう。
狼人の村でもそうだったが、犬人も猫人も、子供達は〝服従の印〟の衝動に駆られる事がないようだった。
ここの子供達にも獣人と人間の子供が交ざっていることから、ルードにもわからない事がこの世にはまだまだあるようだ。
「んじゃ、僕もお手伝いしようかな。台所を借りてもよろしいですか?」
「は、はいっ。どうぞ、お使いくださいまし」
「(それじゃバレバレですって……)ありがとうございます」
材料を吟味して、足りない物をささっと買ってきたルード。
「(キャメリアがいたら、あれこれ出してもらうんだけど。仕方ないか)」
ルードが簡単に作れるもの、要はいつも作り慣れていて、特別な材料を必要としないもの。
「ルード君、これって大丈夫なの?」
子供達に混ざりながら、プリンを食べつつルードに質問してくる。
「シーウェールズでは定番商品だし、ウォルガードで大量生産してるから。レシピの公開はしないけど、そのうち類似品が売り出されるんじゃないかな。――それよりさ、城を抜け出して、こんな事をしてたんだね」
「そうよ。言ったじゃないの。私は王女だからって、何ができる訳でもないの。きっと女王になったって同じよ。こうしてね、皆が困ってないか、聞いて回るくらいしかできないの。国は、商人達の集まりにとても似てるのよ。小さな商会を、人を増やして、扱うものを増やす。ほらね? 国みたいになるでしょう? だから今、何が足りないかを教えてもらってるような感じなのよね。私はルード君みたいに、何でもできるわけじゃ――」
そう、レラマリンは言うのだ。
こうして聞き取りをしたところで、自分だけで解決できるわけでもない。
魔獣の被害が良い例だと。
けれど、人に頼るのは悪いことではないと思ってる。
王城に務める人々に支えられて、今の王家がある。
彼女は、『決断だけは、私達がしなければならないんだけどね』と笑う。
「あのね、ウォルガードには学園があるんだけど、それに通ってた訳でもないし。王太子として、教育された訳でもないんだ」
ウォルガードの学園に、レアリエールが留学している事。
ルードはシーウェールズ王家と、どんな関わりがあったか等をレラマリンに教えた。
シーウェールズへ移り住んだ後に、菓子職人としてプリンを売り出した事。
レアリエールに料理人として雇われそうになった事等を、笑い話のように言って聞かせる。
「あはは。そうだったの。あのレアリエールお姉様なら、やりかねないわね」
レラマリンは、十年程前にシーウェールズに行き、一度だけレアリエールとアルスレットに会った事があるそうだ。
ほんの僅かな触れあいだったが、とても羨ましく思ったのだという。
「でしょ? 大変だったんだから。それにさ、僕は、アルスレットお兄さんに、周りの国の事を教わったんだ。それくらいかな? 母さん達に何かを教わった訳じゃない。僕もね、周りの人に助けられてるばかりなんだ」
ルードは今まで、自分自身で何とかしないとダメだと。
レーズシモンで大失敗をしているのに、また、一人で先走ろうとしてしまっている。
だからこそ、レラマリンの姿勢は、青天の霹靂だったのだろう。
王女だから、王太子だから、人に頼ってはいけないなんてことはない。
出来ないことを、可能にするなんて、王家は神様じゃないんだから。
「え? ルード君って、アルスレットお兄様と、親しくしてもらってるの?」
「うん。とても優しいお兄さんだよ。僕みたいな弟が欲しかったって、小さい頃から、結構大変な目にあってたって、話してくれたよ」
「アルスレットお兄様って、シーウェールズを継ぐのよね。でも、もっと知りたいの。ね、ルード君。教えてくれる?」
「いいよ。僕が知ってる事ならね」
周りの子供達も、興味ありそうに集まってくる。
この国とは姉妹関係にあるシーウェールズの話など、なかなか聞けるものではなかったのだろう。
それも、ネプラスの王子様の話だ。
「僕なんかよりさ、背が高くて、とてもかっこよくてね――」
ルードには兄弟がいた。
兄は左目に、弟は右目に宿っている。
どんなときも二人はルードを助けてくれた。
同時に、この世界で優しくしてくれた、年齢の近しい人はアルスレットが初めてだっただろう。
エルシードの事を話してくれたのも彼だった。
ルードはまるで、自慢の兄の一人であるように、彼の事を話す。
「レアリエールさんはね、最初、すっごい我が儘に思えたけど、とても優しいお姉さんみたいな――」
「レアリエールお姉様の事はもういいわ。それよりも、アルスレットお兄様の事をもっと教えてくれる?」
「あー、うん。あのね――」
レラマリンも兄弟姉妹がいない。
だから興味があるんだろう、ルードはそう思った。
ルードが感じた通り、アルスレットはとても苦労人に思えた事など。
レラマリンはとても興味ありそうに、子供達と一緒に、ルードの話を聞いていた。




