第七話 もしかしたら、できるかもしれません。
王女レラマリンは、真っ直ぐで遠慮の無い性格だったようで、早速ルードとクロケットの二人との間に友誼を結んだ。
彼女は、『力を貸して欲しいの――』と、早速お願いをする。
本来であればウォルガードとネレイティールズとの間に、友好等を結ぶべきなのだろうが、今はそんな遠回りしている状況下ではない。
ルードの正体がフェンリルであることを知った彼女は、同時に目の前の優しげな少年である彼が強者であることを悟る。
異性とは言え、初めてできた同い年の友達。
ルードは、彼女のお願いが自分に可能なことであれば、できるだけ力になろうとするはずだ。
だが彼女の『力を貸して欲しい』というお願いは、『一緒に考えて欲しい』というものだった。
遠慮のない性格でありながら、強者であろうルードに、彼女は、ただ『助けて欲しい』と頼るばかりではなかった。
そんなレラマリンを、ルードは好ましく思っただろう。
「素直に言えば、私たち、ネレイティールズ王家の者は、特別な力を持っているわけではないんです――」
彼女たちネレイドとネプラスは種族柄、水魔法を使える。
勿論その中には、卓越した者もいただろう。
だが、その魔法自体、海中にいる魔獣に対しては、あまり効果が期待ができないそうだ。
本来水魔法は、水を操作するためのもの。
海洋生物や水生生物には、いくら水で責め立てようとも効き目が弱い。
今問題になっているのは、この国の入り口に、魔獣となった海洋生物が陣取ってしまったことにより、何人も出入りが不可能になってしまったということ。
以前は一月ごとにその生物は捕食のためか、移動していた。
だが、今回も同じ期間で動いてくれるとは限らない。
大国の王太子であるルードとその一行を、偶然とはいえ巻き込んでしまい、そのうえに、この場所に閉じ込めてしまっているのだ。
そもそも、海洋生物がネレイドの治める国を害すること自体、初めてだった。
そのことは、古い文献にすら、記されてはいなかったのである。
「ルード君、クロケットさんには、本当に申し訳ないと思ってるの。海洋国家でありながら、海洋生物にやり込められてしまうとは、王家の誰も思っていなかったはずです。こうしてルード君と出会うことができたおかげで、フェンリルという存在を目にするのが初めてであると同様に、――世の中、広いということなんでしょう。恥ずかしいとしか言えませんね」
クロケット同様、明るい性分であるはずのレラマリンが、少々自虐的な表情を見せていたことで、此度の問題が、長期間に渡ってネレイティールズ王家を苦しめていることだと、ルードにも理解できただろう。
「そうでしたか。僕も実は、どうやってこの国へ落ちてきたか、わからなかったんです。ですが、魔獣のことならもしかしたら、お力になれるかも、しれません」
「――ほ、本当なの?」
先ほどまで暗い表情をしていたレラマリンが、テーブルから身を乗り出し、ルードの右手をその両手で強く握り、期待に満ちた明るい表情になっている。
クロケットと同じくらい背の高い彼女が、勢いよく乗り出したものだから、ルードはつい、驚いてしまう。
それはそうだろう、友達とはいえ、相手は女の子。
自分より身長がある故に、目の前に彼女の胸元が迫っているのだ。
目線を斜め下に外し、なるべく見ないようにしながら、いつものようにルードは笑顔でこう答えた、
「あくまでも、『かもしれません』ですよ? この目で見てみないとわかりませんし――」
「ルードちゃんにゃらきっと、大丈夫ですにゃっ!」
「ちょっと、お姉ちゃん……」
「ふふふ。羨ましいわ。――私も、ルード君と同い年なのだから……」
「だ、大丈夫ですにゃっ。レラマリンちゃんにゃら、きっと」
何やら、違う話で落ち込んでしまうレラマリン。
それを慌てて慰めようとする、クロケットだった。
勿論、ルードには意味がわかっていないだろう。
レラマリンは、女王と王配である両親に、現地の状況をルードに見せに行く許可をもらうと、執事のオルトレットが御者を務め、ルード達を馬車で現地に案内することになった。
「近いのだから、歩けばいいのに」
そう言う彼女を、いつも同行する王家親衛隊長のティリシアが窘める。
「たまに女王様の許可をお取りになったかと思えば、それですかっ? ルード様たちに迷惑がかかるとは思いませんか? ただでさえ――」
「はいはい。私が悪かったわ」
「本当、わかってらっしゃるのかしら……」
レラマリンとティリシアを見えているルードが、楽しそうにしている。
ルードの目には二人が、まるでクロケットを窘める、キャメリアのような感じに見えたのだろう。
積極的にぐいぐい来るあたりは少しだけ、シーウェールズの王女、レアリエールにも似ているところがある。
『従姉妹だからなのかな?』とルードは思っていた。
ルード達は正装だったこともあり、宿泊している宿に寄ると、『濡れてしまっても構わない服装に』と言われ、そんな服装に着替えてから再度出発。
馬車に戻っても、二人のやりとりは続いていて、そんなほのぼのとしたものを眺めていたら、いつの間にか馬車が止まっていた。
車内の窓にかかる薄いレースを避けて見てみると、そこは見覚えのある場所。
初めてレラマリンと出会ったところであり、ルード達が落ちてきた場所でもある。
客車から降りると、やはりあの場所に間違いは無い。
あの時は余裕がなかったが、今はその違和感に気づいていた。
ルードの目の前に広がる砂浜と波打ち際。
本来水平線があるはずの場所に、海水の壁が見えているではないか。
「レラマリンさん」
「ルード君」
「はい?」
「もう、お友達なんですから、『マリンちゃん』って呼んでくださいね?」
「……ちゃん付けはちょっと。マリンさんで勘弁してください」
「仕方ないですね。それで我慢してあげます」
「いや、そうじゃなく、その魔獣が居る場所なんですが」
「そう、それなんです。クロケットさん」
「はいですにゃ?」
「場所が場所だけに、申し訳ありませんが、クロケットさんにはここでお留守番していて欲しいん――」
「わかりましたにゃっ」
笑顔のクロケットは、レラマリンに二つ返事で答える。
これからのことは、遊びではない。
だからこそ、空気を読んで留守番に同意したのだろう。
「オルトレット様、申し訳ありませんが、クロケット様をよろしくお願いいたします」
一瞬緩みかけた表情を正し、キャメリアの申し出を受けたオルトレットの表情には、ふにゃりと細められただらしない『爺馬鹿』のような、目だけ残っていた。
「――喜ん……、了解いたしました」
それを見たキャメリアは、苦笑をかみ殺し、ルードの後ろにすっと立つ。
「ルード君。私からあまり離れないように――」
その場ですとんとドレスを落とし、脱いでしまったレラマリンに、ルードは慌てて背を向ける。
「ち、ちょっとマリンさんっ。な、何をしてるんですかっ!」
「大丈夫。水着を着てるのよ、――ほら」
ルードの手を引っ張って自分の方に向かせる。
ルードの目に入ったのは、上下に分かれた、レラマリンの青い水着姿。
ルードの背中越しにレラマリンは、脱いだドレスをティリシアに渡す。
呆然としていたルードが見ていると、徐々にだが、腰から下が変化が現れる。
その姿は、憶えがあった。
「ルードちゃん。あの時のレアリエールさんみたい……」
「うん。そっくりだね……」
それはルードとクロケットが、ウォルガードに引っ越す前に見た、レアリエールの姿に似ていたのだろう。
まだ足は人の姿をしているが、腰下から伸びる、綺麗な羽衣のようなひれの一部。
「ルード君。では、行きましょう――」
「あの、私もよろしいでしょうか?」
ルードの後ろに控えてきた、キャメリアが一歩前に出る。
「キャメリアさん、でしたね? ……えぇ、お願いします」
レラマリンはルードから、キャメリアが飛龍の一族、フレアドラグリーナだと紹介されていた。
同時に、ルードが彼女に留守番を言いつけなかったことも、それを物語っている。
それ故、自分より遙かに強い種族であり、初めからついてくると思っていたのだろう。
レラマリンは笑顔のまま、海へ足を進める。
すると、ルードたちの周りを大気の層が包んだかのような、大きな気泡ができる。
まるで大きな柔らかいクッションの上に乗っているような状態で、一緒に移動していくのだ。
「レラマリンさん、これって?」
「えぇ、水魔法による、水流の操作ですね。私たちはこうして、気泡を維持したまま、外の海から商船を受け入れて、こちらへ導いているのですから」
もう既に、海の中に潜った状態になっている。
それなのに、呼吸は十分、視界まではっきりとしているではないか。
これが、大海原のど真ん中にありながら、交易の拠点となっているこの国に住む、ネレイドたちの秘密の一端なのだろう。
海の中を暫く進んだだろうか。
海面まではまだまだ遠いと思われるが、目の前には僅かに光の差す部分が見えてくる。
ルードの目の前には、三人が落ちてきたと思われる、珊瑚礁帯があると説明された。
そこには、深く大きな穴があり、本来であればそれを通って、ネレイティールズへ来る通路のようなものになっているそうだ。
その大穴は、大きな商船一隻まるごと、余裕で通れるくらいの大きさだという。
「ルード君。見えますか? あの、周りの珊瑚礁に擬態した、茶褐色の大きな魔獣が」
その大穴の半分くらいの大きさ程の、茶褐色でところどころ擬態で黒ずんだ、大きな球体の陰から長く伸びる、足が大穴の端まで届くくらいの奇妙な生き物と言うより物体に見えるもの。
それが、大穴の縁、半円状態の片側に、ゆりかごのように鎮座して、もう片側に複数ある触手を伸ばして通せんぼしてるようにも見えなくもない。
「あれが、魔獣なんですか?」
「えぇ。少々不気味で、気味の良いものではありませんね。元は、海洋生物のオオダコというものなんです。それが、どういう理由か、魔獣となってしまったという報告を受けていまして」
「はい」
元々はこの大きさの半分までしか育たないはずのオオダコという海洋生物だが、魔獣となったことでここまでの大きさとなってしまった。
ルードはいつものように記憶の奥にある知識で情報を集める。
ミズダコというものに似ているようで、全く同じ種類ではないだろうが、ルードがいた世界では、比較的ポピュラーな生き物だったらしい。
ルードはキャメリアを見る。
いつもの彼女とは違い、目を丸く開いて呆然としていた。
おそらくは、初めて見る生き物だっただろう。
端からみると、グロテスクで、物凄く大きい。
目のような物が見えるが、どこを見ていて、何を考えているのかもわからない。
そう、それはまるで人間達や獣人達が、キャメリア達、ドラグリーナを見たときのように。
ルードは『やっぱりね』と、苦笑する。
「あのオオダコが、邪魔をしてるという訳ですか?」
ぐにゃりとゆっくり動くそれは、ルードから見ても、とても不思議な生き物だった。
「えぇ、そうです。元々は一週間に一度、餌の捕食のためにあの場を離れていたようなんです。それが徐々に伸びて、今では一月に一度動くか動かないかと報告も入ってしまいました。ですから、一月後に、ルード君が外に出られる、という保証もなかったりするんです……」
確かにそれは困ったことだ。
外から来る商船の受け入れもできず、引き返してもらうことになってしまうだろう。
その間、備蓄した資源はあるにしても、もしかしたら枯渇しないとも限らない。
それより何より、ルード達がいつ、帰れるかわからなくなってしまっているのだ。
「うん。これなら僕、なんとかできるかもしれません」
「それはどうやって?」
「この気泡、魔力は通りますよね?」
「えぇ、大丈夫です」
「で、あれば、マリンさんだけの秘密にしてくださいね? これはフェンリルの中でも珍しい、僕だけが持つ力なんです」
「わかりました。お母様にも話しません。約束します」
「ありがと、マリンさん」
そう言うと、ルードは、深く深呼吸をする。
この魔獣の大きさは、前に、イリスの実家をまるごと覆った時以上。
馬鹿げた大きさだったりするのだから。
両目を一度閉じると、ルードは右目を手で覆い、左目の裏側に力を集める。
左目だけ開けると、慣れたように、白い靄を広げていく。
それはあっという間に、目の前の巨大な魔獣を覆ってしまった。
『そこをどけ』
ルードは魔獣に命令した。
だが、おかしい。
何度も何度も、獣で練習して、自信のある『支配の力』。
「……あれ? 『どけって』。『邪魔だからどいてよっ』」
レラマリンには、ルードが何をしているかわからなかっただろう。
キャメリアは再び、目の前で起きている事実に唖然としてしまう。
ルードの左目の力が効かない。
ルードは、力を霧散させる。
白い靄は一瞬で消えるのだが、ルードの表情は何やら納得のいかないものになってしまっていた。
「ルード君。今、何をしたの?」
「……僕の今の力は、僕に対して敵意等を抱いている対象に対して、あの白い靄で覆っている一定の間だけ、命令できるんです。そうで無い場合は、お願い程度にしかなりませんけどね」
「――そんなことができるのね。そう、それでさっき」
「はい。駄目でした……」
肩を落とすルードの背後から、キャメリアは両肩にそっと手を置く。
「ルード様、私達の時のように、お話が通じるかもしれません」
「あ、そうかも。やってみる」
しゅんとしていたルードの表情が少しだけ明るくなった。
ルードは人が話すことはできないとされている種とも、話すことができる。
それはキャメリア達、言語の通じなかったドラグリーナに対してもだった。
熊やその他の獣にだって、難しいながらも、何を言いたいのか感じることができ、何とか意思を伝えようと思えばできなくもなかっただろう。
しかし、試してみたのだが、魔獣であるオオダコは、まったく耳を貸そうとしない。
「マリンさん。……もしかしてこの魔獣って」
「はい。ルード君の様子を見ていたらなんとなくわかっちゃった。そうね。元々は海洋生物の中でも、頭の良い種なのですが、魔獣となった今、とても【頭が悪い】ものになってしまったんだと思います」
要は、頭が悪いから、『支配』も、会話もできない。
こうして、ルードの脱出計画のような試みは、振り出しに戻ってしまったのだった。




