第三話 いいなぁ、その身長。
ルードとキャメリアが魔力の枯渇から回復したことで、クロケットの提案で、ネレイティールズの城下町を散策することになった。
宿屋から一歩出たところで、ルードの匂いに反応した犬人族の男女二人が突然仰向けに倒れ、服従のポーズをとってしまう。
そこでルードは左目に魔力を流し、『気にしないでください』と、周囲の人達にお願いをすることで事なきを得たのだ。
気を取り直して、クロケット、キャメリアと共に、町の散策を再開する。
初めての国だから、勿論初めての町。
見る物全てが珍しく、楽しい時間を過ごすことができていた。
だがそこで、またハプニングが起きてしまった。
犬人族は仰向けで〝服従〟をしてしまうのだが、今度の人は違っていた。
一目で分かるほどのその姿。
とにかく大きい。
何が大きいかというと、ルードが常日頃抱えているコンプレックスの大元である、背が低いということ。
何せ目の前で片膝をつき、低く頭を垂れているその初老の男性は、その状態でもルードの目線とあまり変らないくらいの巨躯を誇っている。
ルードのママ、エリスの父、アルフェル。
ルードの母、リーダの父、フェイルズ。
その二人よりもさらに大きく、外側の服装からですらわかってしまう、筋肉質で男らしいその姿。
ルードは一目で『羨ましい』と、思ってしまった。
同時にその男性の頭に見える耳。
それはルードとも縁の深い、毎日のように見慣れている猫人族のものだ。
もちろん、猫人族の皆がしてしまった服従のポーズは脳裏に焼き付いている。
それとは違うのだ。
だから、この男性がルードの匂いによって、反射的に行ったことではないのだろう。
その男性の耳にある、モフモフの漆黒の毛と髪の色。
それはルードのお姉ちゃんであり、婚約者のクロケットのものと全く同じと言ってもいいだろう。
その毛色はクロケットや、ウォルガードにいるヘンルーダ達以外、見たことがなかったから。
冷静に観察していたルードも、このままではいけないと、ある提案をする。
「あの、……大変申し訳ないのですが、ここは人々のすれ違う往来です。周りの方々も驚いているように思えます。ですので、よろしければ場所を変えさせていただきたいのですが?」
ルードは人々の目が自分たちに集まっていることに気づいていた。
先ほどのように、頻繁に能力を使えば、皆、見て見ぬふりをしてくれるだろう。
しかし、ルードはキャメリアに窘められたばかりだ。
同じ轍を踏む訳にはいかないのだ。
ならば、ここは素直に提案するのが一番。
「――はっ、お付きの方でにまでご迷惑をかけてしまうとは。……申し訳ございません。言われるまで気づきませんでした」
「あなた、それ――」
いくら仲の良い、姉妹のように思ってるクロケットの、とはいえ、ルードのことを〝下男〟扱いされたと思ったキャメリアは、冷静ではいられなかっただろう。
早速、訂正させようとするのだが、そこはルードがそっとキャメリアを抱き留める(絵柄としては、キャメリアのが身長があるので、彼女の胸あたりにあたまを寄せる感じだが)。
驚いたキャメリアを笑顔で見上げて、手招きをしてから、耳元でこっそりと囁いた。
『キャメリア、いいんだよ。こんな格好してるからさ、狐人に見えたんだと思う。勘違いさせちゃってるのは僕なんだ。いいじゃないの。それだけ〝偽装〟が完璧にできてるってことなんだから、ね』
そう言って、ぺろっと舌を出し、ウィンクをする。
『(こ、こんな可愛らしい表情したって、……今回だけは許してあげましょう)……わかりました。ここはルード様の案に乗せられてあげますね』
キャメリアは、ちょっぴり納得いかないのか、珍しく拗ねたような表情になる。
時折このように見せる、年齢よりも冷静なルードの姿は、嬉しくもあり、悔しくもあるのだろう。
ルードのことは愛すべき主人であると同時に、可愛らしい弟のように思っていたのだから、キャメリアの心中は少々複雑だったはずだ。
「(さて、どうしたものかな。……そうだ、ティリシアさんのいた、あの詰め所なら)では、僕が知ってる場所へ案内します。この国に来た時にお世話になった方がいるところですから」
ルードは困った表情をしたクロケットに目でサインを送る。
すると、クロケットも思い出したのだろう。
「ですにゃ。あそこならいいと思いますにゃ」
老紳士は、クロケットがそう言うと、深々と頷く。
「あなた様がそうおっしゃるのでしたら、わたくしは従います」
ルードのことを本当に下男だと思っているのか、ルードの提案ではなく、クロケットの言葉だけに返事をする老紳士。
複雑そうな表情をしているキャメリアの、背中をぽんぽんと叩きながら笑顔を見せると、彼女は納得いかなそうな感じだが、無言でルードの後ろを付いてくる。
クロケットは、その老紳士の手を握って、ぐいぐいと引っ張っていく。
クロケットに手を引かれたその老紳士は、何故だかとても嬉しそうだった。
同じ猫人だから。
ルードがそう言うから、クロケットは安心しているのだろう。
もちろん、早く事態を収拾させて、ルードとの町の散策へ戻りたい、彼女もそう思ってるはずだ。
クロケットとの身長差、それは物凄いものだった。
ルードが見上げてしまう程の高さがある、老紳士の背中。
「(いいなぁ。僕もこの人まででなくていいから、身長、欲しいよ……)」
ルードはその背中を見て、つい、ため息をついてしまっていた。
▼▼
ルードもそうなのだが、フェンリルや狼人族、犬人族や猫人族は嗅覚が鋭いため、〝一度通った道〝であれば、迷うということは少ない。
匂いという情報の蓄積により、目隠しをされて連れてこられでもしない限り、迷子になることはないのだ。
それはクロケットも例外ではなく、家で留守番している時などは、ルードが帰ってきた瞬間、彼の匂いで特定し、一番に出迎えることなどは珍しくもない。
今もこの国の親衛隊の長ティリシアに案内された詰め所へ、匂いを頼りに迷うことなく一直線に歩いて行けるのだ。
詰め所へ到着すると、入り口にいたのはティリシアの部下の女性が見えた。
ルードが軽く会釈をすると、今日の事だから覚えていたのだろう。
彼女が笑顔で答えてくれたことを確認すると、足早にクロケットよりも前に出て、小声でお願いすることにした。
『先ほどはお世話になりました。申し訳ないのですが、部屋を貸していただけないでしょうか?』
その女性も理由が理解できたのか、小声で返してくれる。
『はい、ルード様。では、ご案内いたしますね』
ルードを見た後、クロケットが手を繋いでいる老紳士を見たのだろう。
何故かその女性は踵を鳴らし、直立不動で敬礼をした後、ルード達の案内を始める。
ルードは、『もしかして、知り合いなのかな? しっかりとした身なりをしてるからね』と、程度にしか思っていなかった。
「こちらです。ご自由にお使いください」
会釈して出て行く先ほどの女性。
見覚えのある部屋に案内されたルード達。
途端、老紳士はまた、クロケットの足下に片膝をついて深々と頭を下げてしまっていた。
「先ほどの無礼をお許しください。わたくしは、今は亡き猫人族の国、ケティーシャ王国の王家に、執事としてお仕えさせていただいておりました。名をオルトレットと申します。できれば貴女のご尊名をお聞かせ願えないでしょうか?」
クロケットはそんな対応をされたのは初めてだっただろう。
だが、ウォルガードで慣れてしまっていた。
それに、王太子のルードの婚約者という意識もあったのだろう。
笑顔でいつも通り、答えてしまうのだ。
「うにゃ? オルトレットさんですかにゃ? 私はクロケットという名前ですにゃ」
名を教えてもらったことが、どれだけ嬉しかったのだろうか。
目元に涙を浮かべながら、半分男泣きを堪えつつ、オルトレットは、次の言葉を繋いだ。
「クロケット様でございますか。わたくしめにお教え願えて、光栄に存じます。お一つだけお教え願いたいのですが。もしや、クロケット様は、ヘンルーダ・ケティーシャ王女殿下とご縁がございませんでしょうか?」
ルードは驚いた。
その名前に聞き覚えがあるどころではなかっただろう。
もちろん、キャメリアもそうだ。
同時に、『今は亡き猫人族の国』という言葉も気になっただろう。
ルードとキャメリアは、こっそりと言葉を交わした。
『ヘンルーダさんって、王女様だったの?』
『私も驚いています。確かに品のある方だとは思ってはいましたが……』
そんな二人の動揺を余所に、クロケットはいつもの調子で、ほんわかと答える。
「うにゃ? ヘンルーダ……、お母さんの名前そっくりですにゃ? でもでも、お母さんが王女様にゃわけ、にゃいですにゃ。名前が似てるだけで、誰かと勘違いしてるのですにゃ」
ルードとキャメリアは心の中で、『そのままだよ(ですよ)っ!』と、瞬時にツッコミを入れたことだろう。
勿論、クロケットの的外れな謙遜にも似た天然さん加減なその言葉は、当のオルトレットの耳には入っていない。
オルトレットの涙腺は決壊してしまう。
完全な男泣き状態。
「――そうでしたか。やはり……」
『コンコン』と、ドアがノックされた。
「失礼いたします。親衛隊長、ティリシア・ローゼンバルグです。入室の許可をお願いできないでしょうか?」
「あ、はい。どうぞ」
老紳士は不思議に思っただろう。
ティリシアの声に、下男だと思っている少年が応えたのだから。
ドアが開く。
深々と一礼をして、ティリシアが入ってきた。
「フェムルード様、失礼いたします」
「ルードでいいって言ったじゃないですか。ティリシアさん」
「はい。そうでした。ルード様、お取り込み中のところ、申し訳ございません。何やら、オルトレット殿がお見えになったと報告があったもので……」
オルトレットはティリシアの顔を見て、表情を柔らかくする。
ルードはそれを見て、二人は顔見知りだと判断しただろう。
「おや、ティリシア殿。どうかされましたか?」
「どうかされましたか、じゃありませんよ。ウォルガードの王太子、フェムルード・ウォルガード殿下に会いに来られたんですよね? それなのに、何をされているのです?」
オルトレットは、ぽかーんとした表情になってしまう。
それもそうだろう。
フェンリルの大国、ウォルガードの王太子が、目の前にいる狐人族の少年だとは思っていない。
それどころか、下男扱いをしてしまっていたのだから。
オルトレットは慌てて立ち上がり、二歩程下がると、改めて片膝をついた。
「このオルトレット、一生の不覚にございます。気づかなかったとはいえ、フェムルード殿下を下男と勘違いし、このような大失態を犯してしまいました。大変申し訳ございません。どのような処罰もお受けします。――が、しかし、その。ウォルガードというと……」
「あ、すみませんね。僕、今、偽装してるようなものなんです。普通の姿で歩いているとですね、犬人の方々が、僕の匂いに反応してしまうもので……」
そう言って、後ろ頭をかきながら、ルードは苦笑してしまう。
「僕には、狐人族の血とフェンリルの血、この身体に両方流れているんです。それで騒ぎにならないように、勘違いで済ますように、今はこの姿になっていたんですね。少々お待ちください、今証拠をお見せしますね。『祖の衣よ闇へと姿を変えよ』」
呪文の詠唱と共に、ルードを一瞬、闇のような黒い霧状になり全身を丸く包んでいく。
その霧状のものが晴れると、そこには、純白のフェンリル。
ルードの本来の姿のひとつが、あったのだ。
「これが僕。フェンリルの姿です。おわかりになりましたでしょうか?」
クロケットは慣れてしまっていたのだが、オルトレットは大変だっただろう。
ルードの放つ、フェンリルとしてのの威圧感。
それに負けてしまうと、この巨躯で、あの服従のポーズを取ってしまうからだ。
そこは長年、男として、執事として生きてきた、最後の防波堤のような矜恃だっただろう。
「こ、これは凄いですね。わたくしも、過去に一度、同じような気配を持たれた女性とお会いしたことがあります。ところで、フェムルード様」
「ルードでいいですよ。僕の母は元第三王女のフェルリーダ、曾祖母は元女王のフェリス。狐人族の母はエリスレーゼ、曾祖母はフォルクスの大公、イエッタ。これである程度理解していただけるかと」
ルードは笑顔でそう答えると、元の姿へ戻っていった。
「なんと、『消滅のフェリス』様、『瞳のイエッタ』様の……。道理で尋常でないご様子が……」
「あははは。それは僕が凄いんじゃなく、曾お婆様二人が凄いだけですから」
ここでも二人の二つ名は有名のようだ。
その証拠に、ティリシアの顔が真っ青になってしまっている。
「ご謙遜を。ルード様もかなりのものでした。先ほどまでの姿、確かに偽装、でございますね。不躾で申し訳ないのですが、ルード様。その、クロケット様とはどのようなご関係でしょうか?」
「あ、はい。僕の家族であり、大切なお姉ちゃんであって、その、僕の婚約者なんです。僕はまもなく十六歳になります。十八歳になったら、その、けっ、結婚する約束になっていまして……」
「ですにゃ」
真っ赤になって照れてしまったルードを、後ろからクロケットが優しく抱きしめた。
「そうでしたか。それは、とても、ありがたく、思います。あの、超大国、ウォルガードの王妃様に、なられるのですね。良い縁を結ばれました……」
「そんにゃ、王妃様だにゃんて……。私は、お嫁さんにしてもらうんですにゃ。ね、ルードちゃん」
「うん」
そんな、ちょっとほのぼのとした空気になったおかげか、ティリシアが落ち着きを取り戻す。
「あの、オルトレット殿。ここへは、何か用事があって来られたのでは?」
あまりの出来事に、オルトレットも失念していたのだろう。
「そうでございました。わたくしは、このネレイティールズ王家にお世話になり、執事長を任されております」
「(なるほどね、それで、イリスと似た感じの服装、佇まいがあったわけだ)そうでしたか」
「はい。わたくしどもの、女王陛下と王女殿下より、ルード殿下へ、是非にお越しくださいとのことをお伝えすると同時に、明日、わたくしがお迎えにあがると伝えに来た次第でございます。……が、このような――」
「それはもういいですって。三人で伺ってもよろしいのですか?」
ルードは苦笑した。
「はっ。そちらの……」
「彼女も僕の家族で、お姉ちゃんであって、僕の家の侍女長のキャメリアです」
「そうでございましたか。わたくしと同じような匂いのする女性だと思っておりました。クロケット様、キャメリア殿もご一緒にお越しください」
キャメリアは、ルードの言葉に反応して『お姉ちゃん、お姉ちゃん』と呟きながら、頬を赤く染め、両手で顔を隠すように照れてしまっていた。
相変わらずルードからお姉ちゃんと呼ばれるのは嬉しいのだが、まだ慣れていないのだろう。




