第二話 今度は僕のせいじゃないよね?
4月10日に書籍版が発売になります。
それまでに最新話を更新するつもりで、なんとか間に合いました。
ルードはクロケットのおかげで身動きが取れるようになった。
クロケットのちょっとした悪戯は続いている。
キャメリアだけに打ち明けた、彼女の新しい能力。
クロケットは平然と、さも当たり前のように魔力をルードとキャメリアに分け与えた。
三人がこの国に落下した際、キャメリアは当たり前のようにルードとクロケットを守ろうとした。
それによって怪我を負ったキャメリアを、ルードは全身全霊で、当たり前のように治癒をした。
ルードもキャメリアも、身体に残った魔力を使い果たして身動きが取れなくなったが、クロケットの魔力の補充によって、それは当たり前のように回避されてしまう。
クロケットがどれだけ物凄いことをしたか、それは多分、キャメリアしか気づいていなかっただろう。
クロケットと同じ、ルードより五歳年上の彼女。
ルードとクロケット、二人専属の侍女になってから、キャメリアは二人を観察してきた。
それは、主人である二人に付き従い、不都合を感じさせないようにするため。
ルードの家の侍女長としてのプライドもあった。
フレアドラグリーナである彼女は、本来、フェンリル、フェンリラの国、ウォルガードの住人ではない。
ルードが自ら友誼を結んだ飛龍の国、メルドラードの王室に務める侍女の一人だったのだ。
女王の姪にあたり、一番信頼における侍女でもあったことから、ルードに仕えるよう言いつけられたのがきっかけ。
彼女の目で、ルードの優しさ、ひたむきさを見たことにより、種族の違うルードに、クロケットに自ら生涯仕えよう、そう思ったのだという。
ルードの執事であるフェンリラのイリスとは、夜を通して何度となく主人の素晴らしさを語り明かしただろうか。
それくらい、ルードを、クロケットを、敬い、慕っていたのだ。
キャメリアは二人とは、長い時間を過ごした訳ではない。
まだほんの僅かな時だ。
だが、彼女は、目を皿にするが如く、二人の動向を注視し続けてきた。
先に挙げたとおり、不都合を感じさせないためでもあったが、要は二人が大好きだからである。
まるで長年一緒に育ったかのように、クロケットとは、姉妹のように仲が良い。
ルードには『お姉さんのように思ってる』と言われたことにより、主人であり、目を離すと無理をしてしまう、放っておけない弟のように思っていたりする。
今回、自分が傷を負い、ルードが魔力を枯渇させてしまう程の治癒の魔法を使って、治療させてしまったことを、彼女は悔いていた。
ルードとキャメリアは、魔力が枯渇したことで身動きが取れなくなってしまった。
自分が身動きが取れず、ルードの身の回りの世話を、一時でもできなかった。
自分のせいで、ルードが動けないほど魔力の枯渇を起こさせてしまった。
それが一番悔しかっただろう。
今は、クロケットの不思議な能力のおかげで、全快に近いほど、体内の魔力が戻ってきている。
キャメリアは、トイレから出てきたルードを見て、クロケットと一緒に微笑んでしまっていた自分に焦り、思わず立ち上がった。
彼女たち飛龍は、固有の能力を持っていて、虚空に『荷物を隠す』ことが可能だ。
虚空から手ぬぐいと水の入った器を取り出し、手ぬぐいを濡らすと、手のひらに熱を集める。
すると、ほかほかに湯気の上がった、蒸されたような手ぬぐいができあがった。
魔力が身体に戻ったからこそ、こんなことも可能なのだろう。
「ルード様。これでお手をお拭きください」
ルードに手ぬぐいを渡す前に、手の平で軽く揉んで、温度の調整をする。
適温になったあたりで、両手の手のひらにそれを広げて、ルードに差し出した。
「キャメリアって、ほんと、大げさだよね。でも嬉しいよ。ありがと」
「いえ、これは侍女の務めでござますから」
「あちあち。んー、気持ちいい。手がほこほこするね」
そんなルードが向けてくれる愛らしい笑顔が、キャメリアにとって、何物にも代えがたい、ごちそうの一つなのだから。
ルードとクロケットは、キャメリアが淹れてくれたお茶を飲み、やっと一息つくことができた。
ルードもクロケットから魔力を分けてもらい、なんとか動くことができるようになっている。
亡くなった兄から引き継いだ能力のおかげか、初めてフェンリルの姿になったあの日、ルードは面白がって姿を何度も変えてしまった。
その行為が、魔力を消費することになるとは、後からわかったことだったのだが、あの時は本当に焦った。
ルードはフェンリルの姿、要は四つ足で移動することが最初からできた訳ではない。
トイレに行きたくなったあの瞬間。
ルードはリーダに泣きついて、お風呂に連れて行ってもらった。
事なきを得たように思えるだろうが、ルードにとってそれは、屈辱の記憶だったのだ。
あのときの屈辱を味わう訳にいかなかったが為、クロケットに魔力を分けてもらい、こうして自分の足でトイレに行くことができたのだ。
感謝してもしきれない。
ルードの今の心境は、それに尽きることだっただろう。
そのせいか、クロケットが行ったこと。
魔力を他人に分け与えるという物凄いことに、全く気づいていなかったのだ。
それどころか、ルードに必要以上、魔力を分けているにもかかわらず、平然としていることの方が異常なのだが、等のルードはクロケットが大丈夫だと言っているし、顔色も悪くなくいつも通りなので、大丈夫なのだろうと思っていた。
もちろんクロケット本人も、大したことをしたつもりは全くないようだ。
ここにいるキャメリアだけが、驚きを表情に出さず、それでも情報はルードの母リーダと、祖母のフェリス、自分の母のシルヴィネには報告しておかないと駄目だろうと思っていたのだ。
キャメリアは聡い。
頭の回転がとんでもなく速い。
この事実がどれだけ危険なものかもしれない、彼女だけがそう思っていたことだろう。
そうでなければ、侍女など務まらない。
いくらやる気のなかった者とはいえ、ウォルガードに来たばかりのとき、屋敷に最初からいた最強の種族のフェンリラ女性の侍女を頭ごなしに叱ることができるくらい、プライドを持って仕事にあたっている。
そんな彼女が思うのだ、『クロケットの能力は、あまりにも常識を外れている』と。
「ルードちゃん」
「ん?」
クロケットがお茶を飲みつつルードに話しかけてくる。
ここはこの国の親衛隊長、ティリシアが取ってくれた宿の一室。
身分の高い旅行者も利用するらしい宿だったため、調度品もそれなり以上の物が揃っている。
そのせいか、キャメリアが椅子やテーブルを出すことがなかったくらい。
出したのは、使い慣れた茶器だけだったりするのだ。
「ルードちゃんも、キャメリアちゃんも、動けるようになったみたいだし」
「うん。助かったよ。ありがとうね、お姉ちゃん」
「うにゃ。それでにゃんだけど、晩ご飯まで時間あるじゃにゃいですか」
「うん」
「お外、お散歩しにゃい?」
「そだね、時間あるし、いこっか」
「はいですにゃっ!」
よく見ると、クロケットの二本の尻尾が、ぶんぶんと元気よく左右に行ったり来たりしていた。
実をいうとクロケットは、シーウェールズやウォルガードの商店を見て回るのが好きだとルードに言ったことがあった。
ここはルードにとっても、クロケットにとっても、初めて来た国だ。
彼女は町を見て回りたくてうずうずしていたのだろう。
だが、ルードとキャメリアが魔力の枯渇により身動きがとれなかったつい先ほどまで、きっと遠慮していたのかも知れない。
簡単な支度を終えると、ルードとクロケットは部屋を出ていく。
無論、キャメリアは何も言わなくても、二人の後ろをついてくるのだ。
キャメリアが宿の受付で鍵を預けて『さぁ行きますか』と、ルードが一歩外に足を踏み出したときだった。
「あっ、やっちゃ、った……」
それは予想できたことだっただろう。
たまたますれ違おうとしていた、年若い犬人の男性と女性が、条件反射で服従のポーズをとってしまったのだ。
犬人族の男女が二人並んで仰向けになると、目を瞑って両手をお腹の上、胸の上で組んでしまっている。
周りの人には、男女二人が突然倒れたように見えたのだろう。
「――どうされました? 大丈夫ですか?」
二人に駆け寄って、心配し始める人まで出てくる始末だ。
犬人族の嗅覚は、猫人族のそれを軽く超えるものを持っている。
ルードのことがフェンリルだとわかった訳ではないだろうけれど、自分よりも上位の存在の匂いを感じ取ってしまったのかもしれない。
ルードは慌ててキャメリアの後ろに隠れる。
左目の奥に魔力を込めて、一気に白い霧を辺りに拡散させる。
そこでぼそっと『気にしないでください。何かの間違いです……』と、呟いた。
この界隈には、ルードに敵対する存在はいなかったのだろう。
その声に、支配の力による強制力とは違い、『お願いをされた』と、誰もが解釈してくれたようだった。
服従のポーズをとってしまった犬人族の二人も、起き上がると『勘違いだったんだね』と、首を捻りながらも元行こうとしていた方向へと歩いていく。
急に二人が倒れたのを見た周りの人々も、『なるほどね』と、気にしないでくれているようだ。
「ルードちゃん、大丈夫ですにゃよ」
クロケットのそこの声で安心したのか、ルードは魔力を注ぐのをやめる。
すると、辺りを覆っていた白いものが霧散していった。
「う、うん。油断しちゃったかも……」
クロケットにもきっと理解できただろう今の現象。
犬人族の人々は、ルードたちがいる大陸だけでなく、ここから遙か東にあるという大陸にもいてもおかしくはない。
ルードはこれまで、嫌というほど〝困って〟来たのだから。
そんな、ちょっとルードが自己嫌悪に陥りそうになっているとき、キャメリアは後ろを向いて、そっとルードの頭を撫でてくれる。
「ルード様、あまりそのお力は乱用されない方がいいと思います。ですが、此度は仕方ないかとも思います」
自分の主人であるのだが、年下の弟を優しく諭すように、言葉をかけてくれる。
「うん、気をつけるよ。えっと、どうするかな……。あ、そうだ。キャメリアそのまま僕のこと隠しといてね」
「はい、それはよろしいのですが」
「えっと、んー。尻尾は一本、尻尾は一本。――『狐狗狸ノ証ト力ヲココニ』」
ルードは祖母イエッタから教わった、変化の術の呪文を唱えたのだ。
すると、『ぽんっ』という小さな音と、ルードを包む煙が解けたとき、頭には真っ白なふさふさとした狐人の耳と、これまた大きくふさふさな尻尾が現れたのだ。
キャメリアの目の前でこの姿になるのは珍しい。
彼女は目をまん丸にして、ちょっとだけ驚いている。
「ん、これなら勘違いで通る、かな」
本来、ルードの尻尾の数は七本。
だが、流石にそれは目立ちすぎる。
何度か練習することで、ルードは尻尾の数を調整できるようになっていたのだ。
「……ルード様」
「ん?」
「その、可愛らしいです……」
「あはは。ありがと」
聞いたことのある音だったからか、キャメリアの肩越しにクロケットがルードのその姿に気づいてしっかりと見ていたのだ。
「あ、ルードちゃん。白いモフモフですにゃ」
そう言うと、クロケットはルードの耳に手を伸ばそうとするのだが、キャメリアがそれを制する。
「クロケット様、〝それ〟は宿に戻ってからでもいいと思いますが? 今は、この城下町の散策だったのではありませんか? もちろん、私もご一緒いたします。クロケット様ばかりずるいです。――はっ、私は何を……?」
「……キャメリアちゃんの意地悪、わかりましたにゃ。あとで一緒に、じっくりモフモフするですにゃっ!」
「それは確定なのね、それもキャメリアまで一緒とか……」
そう言うか言わないか、同時にルードの手を握って、クロケットは前を向いて歩き出すと、空いてる手の指で前を差して言うのだ。
「美味しいものが、珍しいものが待ってるのですにゃ。ルードちゃん、行きますにゃっ」
ルードの手を引いて、クロケットはずんずんと進んでいく。
時折、犬人族の人が二人とすれ違う。
そのとき、驚いたように振り向くのだが、ルードの耳と尻尾を確認すると、ほっとしたような表情をして、また目的の方向へ歩いて行く。
狐人の姿は見ることは少ないが、フェンリルのような反応はされない。
「(これで変に騒がれることはないでしょ。ほんと、困るよねぇ……)」
騒ぎをなんとか回避することができて、ルードはほっと胸をなで下ろす。
この国は、海底とはいえ、海洋種族のネレイドが治めているだけはある。
周りの店をちょっと覗いただけで、魚介類の加工品などが数多く見ることができるのだ。
一緒にいるクロケットは、宝石や貴金属、服飾などの店には目もくれず、そんな食品の店ばかり気になるように見えた。
ルードは長い間、クロケットと一緒に買い物をしてきたが、どんな国にもある宝石などの店に彼女が一度も立ち寄ったのを見たことがない。
そんな話も聞いたことがなかった。
今着ている立派に見える服は、実はクロケットのお手製だ。
多少難しい部分があったとしても、ルードのママ、エリス専属の侍女、クレアーナに手伝ってもらえば作れない服はないそうだ。
なにせ今、ルードが着ている服も、クロケットとクレアーナの合作。
ルードは小さな頃から、市販の服に袖を通したことがない。
小さい頃は、クロケットの母、ヘンルーダが作った服を着ていたからだ。
「うにゃ、あれ、美味しそうですにゃ。――すんすん、あっちから良い匂いがしてきますにゃっ」
「はいはい。逃げないからゆっくり回ろうよ」
「はいですにゃ、全部見て回るんですにゃっ」
そんな風に、今で言うところのウィンドウショッピングをしながら、あれこれ試食をして、気に入った物は購入し、キャメリアに隠し持ってもらう。
「お姉ちゃん、そんなに食べたら、晩ご飯食べられなくなるよ?」
クロケットは、口をもごもご動かしながら振り向くと、ごくりと飲み込んで笑顔でこう言うのだ。
「大丈夫ですにゃ。甘い物と、魚介類は別腹ですにゃっ!」
「……本当かなぁ」
そんなときだった。
ルードたちの前方から大きな姿をした人が近寄ってくる。
その人は徐々に距離を詰めてくると、ルードが見上げるくらいに大きいことがわかった。
ルードたちの目の前に着たと思った瞬間。
その場に跪き、頭を垂れてしまっていた。
その大きな身体の人は、よく見ると猫人族のように思える。
「(あれ、僕のせいじゃないよね? 僕、狐人の姿のはずだし……)――あの、どうかされましたか?」
「――まさか、このような場所でお目にかかれるとは思いませんでした」
ルードはキャメリアの顔を見て、『知ってる?』という表情をする。
するとキャメリアは、首を横に振った。
改めてその人を見た。
その人は老紳士で、身なりもしっかりとしている。
何やらイリスのような姿をしているようにも見えるのだが、それよりもルードは違うところに驚いた。
その老紳士は、クロケットの右手を両手で優しく下からすくい上げるようにすると、自らの額に当てた。
彼の頬には、涙が流れていた。
老紳士が頭を垂れていた対象は、クロケットだったのだ。
「もしやと思いますが、貴女は〝ケティーシャ〟の王家の方ではございませんか?」
きょとんとしているクロケットは、いつも通り、いつもの調子で飾ることなく老紳士に答えた。
「うにゃ? けてぃーしゃ、ですかにゃ? よくわかりませんにゃ……」




