第一話 僕と同い年だったんですか……。
偶然とはいえ迷い込んだ場所は、ルードが思い描いていたネレイドが治める国だった。
ただその際、キャメリアがルードとクロケットを庇ったことにより、負傷してしまったのだ。
ルードは母であるエリスのときや、祖母であるイエッタのときのように、身体に残る魔力を全て使い切り、キャメリアに治癒の魔法を使った。
その結果、前と同じように魔力の枯渇を起してしまい、自分で動くことは叶わなくなってしまう。
まだクロケットの肩を借りて歩けるのならよかったのだが、今彼女はルードと同じように魔力が枯渇してしまったキャメリアを支えて歩いている。
だから仕方なく今の現状に甘んじるしかなかったのだ。
「ルードちゃん、我慢ですにゃ」
「ルード様、申し訳ございません……」
「う、うん……」
後ろからクロケットとキャメリアの声に応える。
そんなルードは今、いわゆる『お姫様だっこ』の姿で抱きかかえられていた。
「ルード様、もう少しですから我慢してくださいね」
「は、はいっ」
抱えている女性は、ティリシアという背の高い女性。
ルードの困ったような表情が、あまりにも可愛らしく思えたからか、彼女もそんな声をかけたくなったのだろう。
男の子としてちょっと微妙な状態で、彼女の勤務していると思われる詰所に向かってもらっているのだ。
彼女は先頭を歩く、おそらくはこの国の王女と思われるレラマリンを護衛していたのだろう。
何故そう思ったのか、レラマリンの苗字はルードのウォルガードと同じようにこの国の名前、ネレイティールズだったからだ。
ルードの記憶の奥にある知識、この世界で教えられた知識と照らし合わせても、国の名が苗字になるのは王族だけだろう。
間違いなくルードが会ってみたいと思っていた王女に繋がるきっかけになったと思われるのだ。
だが、前を歩くレラマリンはクロケットやキャメリアよりも背が高く、大人びた感じのする女性だった。
もしかしたら、シーウェールズの王太子、アルスレットから聞いた従兄妹の一人なのかもしれない。
少なくともここは、ルードが来てみたかった国であることは間違いはない。
慌てなくともそのうち出会うことはできるだろう。
今は魔力を回復することが先決。
だからこうして、男の子であるプライドを抑え込んででも、我慢して魔力の回復に努めるしかなかったのであった。
「こちらが、私たちの詰所でございます」
やはりティリシアは、騎士か衛兵だったのだろう。
彼女が足を止めた前にあるのは、町の一番外れと思われる場所にある建物だった。
この町はおそらくは城下町と思われるのだが、検閲や入国の審査を行う場所が見当たらない。
ここから見える町には、多様な種族の人々が往来を行き来しているようだ。
きっとここは、シーウェールズのように多種族の暮らす国家なのだろう。
ティリシアがルードを抱えたまま、建物に入ろうとしたとき。
「ティリシア、私はこのまま戻ります。後はいつも通りよろしくお願いしますね」
「レラマリン様、今度は──」
「はいはい。わかってるわよ。では皆さま、ここで失礼いたしますね」
『お忍びとはいえ出歩くのを気を付けろと言われそうになったんだろう』とルードは思った。
ルードはレラマリンに力の入りきらない腕を伸ばす。
もちろん届きはしないから空を切ってしまうのだが。
「あ、その。ありがとうございました」
「いえ、お大事になさってくださいね」
レラマリンは、ルードたちに手を振りながら笑顔でそう応えてくれる。
そのまま踵を返すと、走って行ってしまったのだった。
「ほんっと、あのお転婆……。──こほんっ。いえ、失礼いたしました。ご案内します」
「あ、はい。お願いします(今、お転婆って言わなかった?)」
見た目以上にレラマリンは『活発な女性』だったのだろう。
ルードはウォルガードの外を出歩く際に、侍女のイリスやキャメリアがついて来ることは滅多にない。
普通王族が城下に出る場合は供がつくのは普通だということをルードは知らない。
詰所と思われる建物に入ると、若い男性や女性が踵を合わせ、背筋を伸ばして彼女に敬礼をしてくる。
『ティリシアは案外、位の高い立場なのかもしれないな』とルードは思う。
案内された場所は、この建物の救護室のような場所に思えた。
ルードとキャメリアは並ぶベッドにそっと寝かされている。
先ほど敬礼していたティリシアの部下と思われる女性が、お茶を持ってきてくれたようだ。
一言も話さず、敬礼して部屋を出ていく。
「さて、改めてご挨拶させていただきますね。私はこの国の王家親衛隊の長を務めさせていただいています。ティリシア・ローゼンバルグと申します」
ティリシアは騎士や兵士ではなく王家の親衛隊、それも隊長だったのだ。
家名があるということは、おそらくは名家か貴族の出なのだろう。
「あ、はいですにゃ。ルードちゃん。どうしましょ……」
「お姉ちゃん、無理しなくていいよ。すみませんこんな格好ですが」
ルードは身体をクロケットに支えてもらいながら、ベッドに座っている状態。
キャメリアは自分で身体を起すことができないようで、顔だけこちらを向いている。
「いえ、構いません。お二人とも身動きが取れないのですから」
「ありがとうございます。僕の名はフェムルード。フェムルード・ウォルガードと申します。ルードとお呼びください。こちらは僕の婚約者でクロケット。隣にいるのが、僕の家の侍女長をしてもらってるキャメリアです」
「ですにゃ」
「このような恰好で、申し訳ありません……」
ルードに続いてクロケットと、自力で上半身を起しているキャメリアも挨拶をする。
すると、ティリシアが呆然としているのが一目見てわかってしまうのだ。
丘に打ち上げられた魚のように、口をぱくぱくしながらルードを見つめている。
「ウォルガードというと。あ、あの『消滅』の……」
『消滅のフェリス』の昔話はここでも有名だったのだろう。
「あははは。僕の曾祖母の話は結構有名なんですね。すみません、そのウォルガードです。一応僕も『お忍び』ですので、あまり大げさにしないでいただけると助かります」
ところが、ティリシアは椅子から立ち上がって、ルードに向かい深く腰を折ってしまったのだ。
「た、大変失礼いたしましたっ!」
「だから、大げさにしないでください……」
苦笑するルード。
直立不動のまま緊張した表情のティリシア。
二人を交互に見たクロケットは。
「ルードちゃんもこう言っていますにゃ。そうしていただけると嬉しいですにゃ」
「りょ、了解いたしました」
椅子に座り直すとティリシアはお茶を一気飲みする。
『ふぅ』とひとつ大きく息を吐くと、この国に起きている事態を説明してくれたのだった。
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「なるほど。その魔獣が悪さをしていて、僕たちは巻き込まれてしまったということなんですね」
「はい。誠に申し訳ございません」
「いえいえ。ティリシアさんが悪いわけじゃないですよ。でも困ったな……。僕はこんな状態ですし」
「元々この国の周りの海域は、魔力が多かったのです。しかし、その巨大な魔獣が魔力を吸い上げてしまっているようでして、私共も困り果てているのが現状です。魔獣が眠るとされているひと月に一度の日だけ、外に出られるチャンスがあるということなのですが。ただ、ここと海面を繋ぐ大洞窟の入り口に陣取ってしまっていて……」
ひと月に一度ということは、これから三十日程外へ出ることができない。
だとしても、バカでかい海洋魔獣が道を塞いでしまっているということらしいのだ。
その魔獣をどうにかしないとウォルガードに戻ることすらできない。
状況が認識できると共に、ルードは頭を抱えてしまった。
「元々この国は、東の大陸にある数か所の国と交易をしていまして──」
それで多様な種族がいるということらしい。
シーウェールズから東にかなり来た場所に小島があったことは確かだ。
ということは、ルードがまだ見ぬ国や人々が東にはあるということ。
急に嬉しくなる気持ちをぐっと堪えて、ルードはこれからどうするかを考え始める。
幸いルードが腰につけていた小さな鞄には、必要数以上の金貨が入っている。
これは必要になったとき、買い物をするためにいつも持ち歩いていたのだ。
ルードは腰にある鞄から金貨を取り出す。
「あの、この国でもこれ使えますか?」
「はい。大丈夫です。金貨はどの国が発行したものでも、利用できますので」
「よかった……。僕、シーウェールズにいる人から聞いたのですが。とある人に会いに来たんです。おそらく、レラマリンさんの妹さんだと思うのですが……」
「いえ。レラマリン様にご姉妹はいらっしゃいませんよ?」
「へ? 僕、僕と同じ年の王女様がいるって」
「そうでしたか。レラマリン様は先日十五歳になられましたので、ルード様と同い年だったのですね」
「え……。僕、冬が明けたら十六ですよ?」
それはずるい。
ルードは思ってしまった。
なにせレラマリンは、ルードより顔一つ背が高いのだ。
確かにアルスレットも姉のレアリエールも背が高い方だ。
シーウェールズ国王も王妃も同じ。
フェリスを除けば、ルードより背の低い人は、けだまや猫人の子供たちしかいないのだ。
理不尽。
不公平。
ルードは誰を呪ったらいいのかわからなくなってしまっただろう。
「ほらほら、ルードちゃん。機嫌をにゃおしてくださいにゃ」
「う、うん……」
ティリシアも、ルードが自分の身長にコンプレックスを持っていることに気づいただろう。
そんなルードをほっこりとした視線で笑みを浮かべて見つめるクロケットとキャメリアを見て。
『ルードはなんて可愛らしいんだろう』と思ってしまったことだろう。
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「では、王家より使いが明日には来るかと思います。ごゆっくりお休みくださいませ」
一礼して部屋を出ていくティリシア。
ここは先ほどの詰所ではなく、彼女に紹介してもらった宿の一室だ。
どっちにしても長期滞在を余儀なくされたルードたちは、滞在する場所をどうにかしなくてはならなかった。
そこでティリシアに紹介してもらったのがこの宿。
少し高めだが、しっかりとした造り。
身分の高い旅行者も利用すると言われていたので、余計な詮索はしないでくれるらしい。
ルードとキャメリアがこんな状態なこともあって、今はどうにもならないのだ。
「どっちにしてもさ、僕とキャメリアは魔力が回復するまで大人しくしてなきゃならないんだけど」
「ルード様、申し訳ございません」
「いや、僕たちを守るのにさ、無理しちゃったんでしょう?」
「ですにゃね」
「ルード様も、私のようなものに貴重な魔力を──」
「キャメリアは僕の大事な家族だよ」
「……はい。ありがとうございます」
ルードには言い返せない。
レーズシモンの一件で、ルードはキャメリアも姉のように思っていることを知ってしまったから。
「キャメリアちゃんもゆっくりするといいですにゃ。ごはんは私が食べさせてあげますにゃよ?」
「そんな……。屈辱です……」
「うにゃ?」
二人に奉仕することを生きがいとしているキャメリアは、つい口に出してしまったのだろう。
別にクロケットに優しくされるのが嫌なわけではない。
世話をさせてしまうことに対して、悔しいと思ったのだろう。
「そういえばルード様」
「ん?」
「この国に来た後ですが、身体から魔力が抜けていく感じがしたのです」
「キャメリアもそうだったんだ。僕も少し身体がだるいような気がしたんだよね。きっと例の魔獣のせいかもしれない。お姉ちゃんは大丈夫?」
「うにゃ? 私は余裕ですにゃよ? 有り余ってるくらいですにゃ」
いつもの習慣で、暇なときは指先に火を灯して魔力を消費するのを忘れない。
最近は大気中から水分を集め、その水の珠でお手玉のようなことをして遊んでいるときもあるくらいに、クロケットの魔法の腕は上がってきている。
ただ、ルードと比べてしまうと、まだまだだと思っていた。
せいぜい料理に転用できる程度。
キャメリアから見たら、クロケットも大概なのであった。
「でも困ったなぁ。このまま何日寝てなきゃいけないんだろう。明日にはここの王家から使いが来るって言ってたし……」
するとクロケットは目がすーっと細くなり、口元に悪い微笑みを浮かべていた。
何か悪いことを考えているかのように、にやりと笑っていたのだ。
「ルードちゃん」
「ん?」
「魔力を回復するのにいい方法がありましたにゃ」
ルードはクロケットが浮かべていた微笑みで察することができた。
「それってもしかして……」
「はいですにゃ。私が倒れたあのときの方法ですにゃ」
「……でもさ」
「ルードちゃん。キャメリアちゃんが動けにゃいですにゃよね? おトイレ、私が連れて行っていいのですかにゃ?」
ルードにとって、初めての屈辱の日。
初めてフェンリルの姿になって、身動きがとれなかったあの日のこと。
自力でトイレに行けなくて、リーダに連れて行ってもらった風呂場で粗相をしてしまった辛い思い出。
あの瞬間を思い出すと、なぜかトイレに行きたくなってしまう。
『あのとき』とはクロケットが魔力酔いで倒れたときのことだろう。
ルードにも色々思うところはあったのだが、そんなことを考えている余裕などは最早なかっただろう。
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実はルードがトイレに行ってるほんの少しの間、クロケットとキャメリアでこんなやり取りが行われていたのだ。
「キャメリアちゃんも、どうですかにゃ?」
クロケットは自分の唇に人差し指をあてて、片目をつむりウィンクをする。
「いえ、私たち女の子同士ですから、それはちょっと……」
キャメリアは苦笑しつつも、今は身動きがとれず、二人の世話をできないのが心苦しく思っていた。
「ほんの冗談ですにゃ。――んっと、確かこんにゃ感じだったようにゃ……」
クロケットは同じく苦笑しつつ、何やらもごもごと口の中で呟く。
すると、『前に一度だけ成功したんですにゃよね……』と言うのだが、何のことだかキャメリアにはわからないだろう。
「あ」
クロケットの口から嬉しそうな声が漏れる。
「キャメリアちゃん、じっとするですにゃ」
それはきっと魔力の流れを感じ取れるものにしか感じられない現象。
「ここにゃら口の中にも染み込んでいくと思いますにゃ」
クロケットは両の手のひらをキャメリアの頬に沿える。
「あ、温かいものが頬を通ってきます……」
頬から内側へ。
温かいものが、口の中から喉へ落ちていく。
不快なものではなく、とても心地よい感じがしたはずだ。
きっとキャメリアにも初めての感覚だっただろう。
クロケットがしたこと。
それは、手のひらに魔力を集め、キャメリアに分け与えたのだ。
「どうですかにゃ?」
クロケットはキャメリアの背に手を添えて、身体を起す手伝いをした。
「っ!」
なんと、今まで動かすことが難しかった身体が徐々に動くようになっていたではないか。
クロケットとルードは案外似たところがある。
それは『いいかげんでありながら、天才肌であること』だろう。
思い付きでやってみて、時に、とんでもないことをやらかしてしまう。
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ルードはトイレから出てきて安堵の表情をしていた。
「ふぅ、間に合った……。もうあんな思いしたくないからね」
「お帰りにゃさいですにゃ」
「んもう。トイレから出てきて『お帰りなさい』はないでしょ、お姉ちゃん。それよりも、大丈夫? 気持ち悪くなってない?」
ルードは経口摂取によりクロケットから魔力を分けてもらうことにしたのだ。
『気持ち悪く』とは、マナの枯渇による具合の悪さはないかということ。
「大丈夫ですにゃ。──ルードちゃんのことを、こう。思ってるだけで、胸の内側から溢れてくるみたいにホコホコと湧き上がってくるんですにゃよ?」
クロケットはその、たわわな胸に手を当てて答えるものだから、ルードはつい目を背けてしまう。
「う、うん。嬉しいよ。僕もお姉ちゃんのこと、大好きだからね」
「はいですにゃ」
ルードがトイレから出てきたとき、キャメリアはもう身体を起すことができていた。
それを見て驚いただろう。
「キャメリアって回復早いんだね。種族の違いもあるのかなぁ……」
そんなルードを見て、クロケットはキャメリアの耳元にそっと呟いた。
『ルードちゃんには内緒ですにゃよ?』
『わかってますよ。本当に困った人ですね』
クスクスと笑うクロケットとキャメリア。
二人を見たルードが不思議そうに聞くと。
「女の子だけの秘密ですにゃ」
「えぇ、そうですね」
まだルードには秘密にしておきたい。
そんなクロケットの悪戯心に気づいたキャメリアも、ちょっとした共犯。
「(別に悪いことをしてるわけじゃにゃいですから。いつかちゃんルードちゃんにも教えますにゃ)」
ルードが見ていないときに、クロケットは数回に分けて魔力を分け与えたところ。
そのおかげか、キャメリアはその日のうちに全快して動けるようになった。
ルードとキャメリアの二人に魔力を分け与えておきながら、クロケットは具合悪そうなそぶりも見せず、平気な顔をしている。
クロケットのこの不思議な能力はキャメリアにもルードにもまだ説明できないのだろう。




