閑話 亡国の王女様。
猫人の村、引っ越しの後の話。
クロケットがルードに魔法指導をしてもらっているいつもの光景。
ルードがウォルガードの屋敷にいるときは、いつもこんな声が響いていたりする。
「お姉ちゃん、駄目だってば!」
「うにゃ? うにゃっ! うにゃぁあああああああっ!」
『ぼんっ!』という音と共に火柱が上がった。
今の音はクロケットが火の魔法の制御を失敗して、危うく前髪を焦がすところだったのだ。
それでも彼女は額をちょっと火傷してしまっていた。
ルードは甲斐甲斐しく治癒の魔法で手当てをする。
「『癒せ』」
「すみませんですにゃ……」
クロケットの魔法の技術は練習の成果もあり、ルードも認める程にはなってきていた。
だが、彼女の性格はちょっとだけおっちょこちょいな面がある。
日課の特訓と同時に、定期的に魔力を放出しないと倒れてしまうこともあり、ルードの顔位の大きさの火の玉を手のひらの上で維持させる特訓の最中だったのだ。
その最中に『あにゃ? お客さんですかにゃ?』と意識を他に向けたものだから大変。
かなりの魔力量を放出しているところだったがために、それが暴走するとこうなってしまうのだ。
肌寒くなってきた昼下がり。
そんな二人の微笑ましい姿を肴に、温かい部屋でぬくぬくとお茶を飲んでいる人たち。
数種類のお団子、良く冷えたプリン。
香りのよいお茶を飲みながら息子と娘を見守るお母さんたち。
匙にふるふると震えるくらいに乗せ過ぎたプリンを落とさないように口に運ぶ。
世界最強の魔法使いであり、最強の『消滅』の二つ名を持つ、ルードの曾祖母フェリス。
「あーん、むふーっ。美味しいわ。……それにしても。クロケットちゃんは魔力の制御、苦手みたいねぇ」
口元についたプリンを柔らかな布で拭いてから、自分のお茶を啜る。
ルードの家令でありメイド長を務めるキャメリアの母、シルヴィネ。
彼女はまるでフェリスの姉のような、そんな仕草をしていた。
普段から本当に仲がいいのだろう。
「えぇ。ですが、内包する魔力だけなら。ルード様よりも上、でしょうか?」
最近ルードの執事、イリスが猫人の子供たちの先生のようなことを始めたことからこちらに来るようになったクロケットの母、ヘンルーダ。
飛龍の国メルドラードの王女でありルードの妹分、けだまことマリアーヌはイエッタに連れられて猫人の村で最近友達になった猫人の女の子クロメに会いに行っていた。
ルードがクロケットの面倒を見てくれているから、今は食っちゃ寝さんリーダの世話をしながらお茶を楽しんでいる。
リーダも口の周りに小豆のあんこをちょっとくっつけているものだから、苦笑しながら拭ってあげているのだ。
そのリーダは半分まどろみながらも、あーんと口を開けるとヘンルーダがお団子をひとつ口に運んでくれるのだ。
ウォルガードの現王女でもあり、王太子のルードの母なのに。
まったくもって、こんなときは駄目駄目なお母さんであった。
皆仲が良く、こうしてお茶を飲むことが多い。
ルードの曾祖母イエッタは、狐人の国、フォルクスへ用事があって戻っている。
彼女の送り迎えは錬金術師の弟子入りをしたドラグリーナ、ラリーズニアが一緒だから心配はしていない。
「そういえばヘンルーダちゃん」
「はい?」
「あなた、いつになったらクロケットちゃんに素性を明かすの?」
いつも笑顔のヘンルーダだが、一瞬だけ右の眉がひくっと動いた。
「……何の、ことかしら?」
「あなた、王族。王女様だったんでしょう?」
疑惑かそれとも衝撃の事実か。
今度は左の眉も動いている。
それどころか、彼女の黒い尻尾は『ぶわっ』っと太くなったりしていた。
猫人の尻尾は驚いたり恐怖を感じたり、相手を威嚇したりするとき。
こんな風になったりするのだ。
ヘンルーダの尻尾も『しゅるしゅる』と収まり、平然を装って。
「あら? 何のことかしら? おほほほ……」
眠気に負けそうになっていた、三白眼になっていたリーダですら、ヘンルーダの違和感に気づいていた。
彼女はリーダの前では、このように何かを誤魔化している姿を見せたことはなかったはず。
『そういえば学園にいたわね、こんな感じの子が……』と思いながら苦笑している。
「わざとらしいわね。イエッタちゃんから聞いたのよ。『よかったわね。クロケットちゃんは高貴な血を引き継いでいるみたいよ。ルードちゃんのお嫁さんには申し分ないわね』って。それとね、ヘンルーダちゃんは何か、『猫を被ってる』って言ってたわ。あ、『猫人を被る』だったかしら?」
ヘンルーダはひとつため息をついて。
「イエッタ様ですか。仕方のない人ですね……」
「クロケットちゃんはルードちゃんのお妃になるのよ? それならヘンルーダちゃんはルードちゃんのお母さん。私とも家族になるじゃないの。隠し事はよくないと思うのよねぇ」
フェリスはわざとらしく、にたりと笑みを浮かべる。
「それにね、ヘンルーダちゃん。私も色々な国を見て回ったのよ? 猫人さんには、黒髪の種族って聞いたことがないの。シルヴィネちゃんはどう?」
「いいえ、ありませんね」
ヘンルーダは肩をすくませて『降参』の意味を表した。
「そこまでわかっているなら仕方ありませんね。別に隠すつもりはなかったんです。ですが、人によって滅ぼされた国の血を引いているなんて、あの子にはいいことがないと思ったんです。それに、私が王族。王女だったからといって、今のあの子には全く関係のないことです。ルード君と結ばれて、幸せになってくれることの方が大切なこと、じゃないのかしら?」
『ほほぅ』という表情のフェリス。
元女王とはいえ、凛とした態度で言い負かされた気がして何やら悔しそうな表情を一瞬していた。
すぐに『ん?』と思い出したように。
「言ってくれるわね。確かに間違ってはいないわ。……黒髪の猫人さん。そういえば、聞いたことがあるわ。確か、ケットシーだったかしら?」
ふにゃりと苦笑するヘンルーダ。
「そこまで知っているなら、聞かなくてもよかったではありませんか。面白くない話ですよ。もう、かなり前の話。あれはまだ私が──」
ケットシーとは、猫妖精種とも言われる、猫人の中でも祖と言われ、珍しく魔力の高い種族だったそうだ。
それ故に、人間以外を人と認めない国では狩猟の対象となってしまった過去があったという。
ヘンルーダのいた国でも、人との争いで王家は崩され、ヘンルーダと将来を誓い合った従弟。
身の回りの世話をしてくれた家人たちを連れて、落ち延びた先があの集落だったわけだ。
彼女の夫であるクロケットの父は、身体が弱く病弱で、クロケットと彼女を残し、病で世を去ってしまった。
「──そんな訳だったのです。これはクロケットにも話してはいません。村の皆は、クロケットが魔法を使えないことから、落ち込ませないために人前で魔法を使わないよう、魔法を教えないようにしてもらってきました。まさか、クロケットが魔法を使えるようになるとは思っていませんでしたけどね。ルード君には感謝以外なにもありませんよ……」
フェリスはヘンルーダの手を握って、ぼろぼろと涙を流してしまっていた。
シルヴィネは彼女の目を拭い、リーダはヘンルーダの肩を抱いていた。
「たいへんだったわね……。わかるわ。うん、うん……」
フェリスにつられて、リーダとシルヴィネも涙を浮かべている。
リーダのただひとりの友人だったヘンルーダに、こんな過去があったのか。
余計なことを一切話さない、それでいてリーダを支えてくれた彼女だったから。
「あの人もね、生まれたばかりのクロケットを抱いて、笑って息を引き取ったのよ。間に合ったの。それだけで、私も嬉しかったわ……」
クロケットが憧れた『にゃ』の語尾を使う王女様のルーツは、母のヘンルーダだった。
ここに居る皆は、ルードを中心として心が救われている。
リーダとあの日、出会わなかったらこんなことにはならなかった。
あの出会いは、皆の縁を繋ぐためには、必然だったのかもしれない。
「そういえばヘンルーダちゃん」
「なんでしょう?」
「『にゃ』って言わないのね?」
「あら。あれはね、王女だけが公の場で使う神聖な言葉として、王家に伝わっていたの。それをクロケットにおとぎ話として聞かせていたのよ。今更公の場に出ない私が使う訳ないじゃないですか」
コロコロと笑うヘンルーダを尻目に。
「……いつか言わせてあげるんだから」
と、フェリスはジト目で言っていた。
「うにゃぁあああああああっ!」
「あ、また暴走しましたよ」
「ホント、仕方ないわね。ルードちゃんも頑張ってるのに」
「あの子、魔法のセンスないのかしら……」
「大丈夫よ、リーダだってなかったんだからね。でも立派になったわよ?」
「フェリスお母さん、わたしを引き合いに出さなくても……」
こんな感じでちょと湿っぽい、それでいて最後は笑顔。
お母さんたちの昼下がり。
おしまい




