第十八話 認めてもらえなかった。
初めての空の旅にはしゃいでいるエリスを窘めるように、苦笑いをしているクレアーナ。
二人はまるで本当の姉妹のようにみえるだろう。
「ウォルガードに来たときは、イリスさんに乗せてもらってきたのよね」
「そうですね。あのときはまだ『高いところに慣れていなかった』ですものね」
「ば、馬鹿なことを言わないで。馬車みたいに揺れないし。風がこんなに気持ちいいものだって知らなかったんだから」
ウォルガードへ引っ越してきたときは、荷物は先に送ってもらったのだが、エリスはどうしても『地に足がつかないのが怖い』と言って空での移動を拒んでいたのだった。
それがルードたちの話を聞いて、全く怖くないことを知ってからやっと乗る覚悟ができたらしい。
楽しい空の旅も案外あっさり終わってしまう。
城下町の中に降りるわけにはいかないため、レーズシモンの国が見えてきたあたりで降りなくてはならないからだ。
「エライダさん。その辺りで降ろしてくれる?」
「はい。かしこまりました」
それでも徒歩で小一時間はかかるくらいの場所に降りたルードたち。
この距離を歩くのは確かにきついだろう。
「母さん。ママたちをお願いね。僕はキャメリアとエライダさんを乗せて行くから」
「そうね。その方が早いと思うわ」
エリスとクレアーナ、キャメリアには意味が二人の会話の意味がわかっただろう。
ジョエルと人の姿になったエライダは『?』という表情をしていた。
『『祖の衣よ闇へと姿を変えよ』』
ゆっくりとジョエルに見せるように、フェンリラ、フェンリルの姿に変わった母と息子。
久しぶりにフェンリルの姿になったルードに。
「相変わらず、ルードちゃんは可愛いわね。この毛並みもふさふさで気持ちいいわ」
「エリス様。それくらいにしてください。これから発つのですから」
「あ、そうだったわね。もう少し触っていたかったんだけど」
「…………」
その反面、ジョエルの見開かれた目は、点になっていた。
「本当に可愛らしいですね。そうでしょう? エライダ」
「はい。何というんでしょう。保護欲が掻き立てられるというか」
「エライダさんもわかってるわねぇ」
何気にエリスが褒める。
「いえ。私はルード様の使用人であり、料理人としての弟子でもあるのです。……触ってみたいなんて、思っていませんので……」
「ほら、キャメリア乗って。エライダさんも乗ってる間、触ってもいいから」
「ほ、本当によろしいのですかっ?」
「エライダ。程々にしておきなさいね?」
「はいっ。ありがとうございます」
キャメリアがルードの背に乗り、続いてエライダも乗る。
エライダはルードの毛に指を通しながら、感動の表情を浮かべている。
「柔らかい、です。とても、良い手触り……」
そんな三人を見ながら。
「エリス。早く乗ってちょうだい。クレアーナさん、そこで固まってるあなたの叔母様を」
「はい。フェルリーダ様」
「リーダ姉さん、失礼するわね」
「えぇ」
エリスが先にリーダの背に乗り、クレアーナは見かけからはわからない程の力でジョエルを持ち上げ、リーダの背に乗せ、自身も後ろに乗った。
「フェルリーダ様。お願いします」
「えぇ。ルード、行きましょうか」
「はい、母さん」
ルードとリーダは街道の地を蹴る。
一路、レーズシモンの国を目指して。
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「思ったよりも活気があるわね。そう思わない?」
「はい。今のエランズリルドくらいでしょうか?」
「そうね。あ、あの果物珍しいわ」
「エリス様、それくらいにしておかないと。叔母様、ルード様たちが待ってますよ?」
エリスを窘め、ジョエルの手を引くクレアーナ。
彼女の表情は、いつもよりも明るく、そしてとても嬉しそうだった。
敬愛する主人のエリスと、唯一の親族であるジョエルと歩いている。
心なしかいつもより足取りも軽く感じる。
「(ほんと、ルード様は私に沢山の物を与えてくれますね。危なかったエリス様を助けてくれたどころか、二度と会えないと思っていた親族にまで会わせてくれたのですから)」
リーダと一緒に先を歩くルードの背中を見て、そう思ったクレアーナ。
ルードが生まれたときから知っているからこそ、感謝してもしきれない恩を感じてしまう。
執事のイリス、侍女長のキャメリアと話し合ったことがあった。
クレアーナは家令のような存在として一生裏から支えると、二人に宣言していたのである。
似たような性格の生真面目三人娘は、お互いを認めあい、協力してルードの家を盛り上げていく約束をしていたのだった。
「(ルード様。ありがとうございます)」
だからこそ、言葉には出せないけれど、改めてルードに感謝することしかできなかった。
そんな楽しい散歩もレナード商会へ着くと終わりである。
やっと普段通りの状態に戻れたジョエルは、皆を商会の奥へ案内する。
「ジョエルさん」
「何だい?」
「僕、お土産があったんです。日持ちしないものもあるので、ここで出してもいいですか?」
「いいですか? って。どこにそんなものを持ってるって言うんだい?」
「キャメリア。お願い」
「はい。ルード様。ジョエル様、こちらに出してもよろしいでしょうか? 量が量ですので、倉庫があればそちらがいいかとは思います」
「あ、あぁ。倉庫はこっちだよ。何を出すって言うんだい?」
「はい。色々とございます。全て、シーウェールズでルード様がご購入されたお土産にございます」
ジョエルに連れられて、ルードとキャメリアだけが倉庫にやってくる。
キャメリアは隠していたものを取り出すと、ひとつ、またひとつとジョエルの前に積んでいく。
ジョエルは最早、驚きを通り越して呆れてしまっていた。
「ルード君、これって?」
「はい。キャメリアたちドラグリーナは、男性のドラグナも一緒なのですが、物を隠すことができます。キャメリアあたりでも馬車を数台。エライダさんたちヒュージドラグリーナでしたら、十数台は隠せると聞いています」
キャメリアが『これで全部でございます』と出した荷物は、レナード商会の店先に並ぶ商品よりも多かった。
「鮮魚などは日持ちがしませんから、皆さんで食べてくださいね」
「……これだけの物をもらってしまっても、いいのかい?」
「はい。僕もそこそこ稼がせてもらっています。エリス商会はご存知でしたよね? 今そこで扱ってもらっている物の半分は、僕が考案したものですから」
ジョエルも噂では知っている。
新しい菓子。
新しい女性向けの商品が、シーウェールズやエランズリルドで流行り始めているということまで。
ウォルガードのエリス商会から、しっかりと髪油は自分の分、購入してきていた。
それくらい驚いた商品だったのである。
もちろん、ルードから振舞われたプリンなどの甘い菓子も、言葉が出ないほどの物だった。
「では、ジョエルさん。話の続きを聞いてもらえますか?」
「……あ、あぁ。聞こうじゃないか」
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「──ということで、これが僕が描いたものです。ただ、陸路の商人さんたちのことまで考慮に入れていなかった僕の失敗でもあります。それは反省しています」
「……なるほどね。ルード君の話はわかったよ」
「では?」
ルードは期待する表情になる。
だが、ジョエルの答えは違っていた。
「……駄目だね」
「そう、……ですか」
「いや。確かに、クレアーナに会わせてくれたことに関しては、感謝してもしきれない。エリスレーゼさんも、ありがとう。クレアーナを家族として迎えてくれて。だけどね、話は別さ」
「はい……」
「ルード君。あんたの考えは甘かった。そりゃ、嘘をついたり、料金をふっかけたりする糞のような商人たちは自業自得だよ。救ってやる必要なんざ、これっぽっちもありゃしないさ。ただね、真っ当な商人たちにもいずれ空路の煽りはくるだろう。そのあたりはどう考えているんだい? それが解決できないって言うなら。この話はなかったことにするしかないね」
「はい……」
ルードはまた落ち込んでしまいそうになる。
ここであのときの『力』を使ってこないルードを、ジョエルも認めてはいるのだ。
「ルード君は、大国の王太子だというじゃないかい。そんなんで人を導けると思っているのかい?」
さらに追い打ちのようにルードを突き放すような言葉をかける。
リーダは見ていられなかった。
それがある意味、ジョエルがルードを思って言ってくれているのは理解できていた。
リーダが口を開こうと、ルードの手助けをしようとしたとき。
「リーダ姉さん。ここは私の出番なの」
「エリス……」
「横から口を挟んで申し訳ありませんが、ルードに商人としてのことを教えていなかった私にも責任はあります」
「エリスさん、いいよ。話があるんだろう?」
ジョエルはにやっと笑う。
同じ商人として一目置いている、有名な交易商のアルフェルの娘だと知っているから。
「はい。そうですね。私がルードちゃんのママとしてお尻を拭くなら……。どの商人にも空路を利用できる仕組みなどは、いかがでしょうか?」
「ほう?」
「そうですね。試験的に、ルードはシーウェールズの王家とも交流があります。シーウェールズ郊外に倉庫を作り、そこで物を受け取れるなんて、どうでしょう? ルードちゃんはエランズリルドの国王の甥でもあります。その二か国でまずはその仕組みづくりをさせてみせます」
「なるほどね。それを見て納得いくなら、レーズシモンでも同じ倉庫をあたいが作れば利用できると?」
「はい。輸送費などのすり合わせは必要かと思いますが、一日に数便。三か国を結ぶ交易が可能になるかと思いますが?」
「それが実現できるなら、考えなくもないね」
「ルードちゃん。いずれ人の輸送も考えているのでしょう?」
「うん。そのための竜車だから」
「商人が自ら伝手を作れば、現地に行かなくとも物を輸送することができるようになるでしょう。そうすることで、無駄に時間をかけることなく、盗賊から襲われる心配もなくなると思います。これが私のママとしての責任の取り方です。いかがでしょう?」
「見事だと思うよ。なら、砂糖の値段を、そうだね。三十日後には戻すと約束しようじゃないか」
「三十日。かなりきついかもしれないけれど。ルードちゃん、私も手伝うから、約束できる?」
「うん。僕、頑張るよ」
「よし。これで話は決まった。ルード君。君たちの手腕、見せてもらうよ」
「はい。それでなんですが」
「何だい?」
「クレアーナをたまに遊びに来させてもいいですか?」
「ル、ルード様……」
「あぁ、構わないよ。あたいにとっても、可愛い姪っ子だからね」
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ルードは今、ウォルガードに戻ってすぐ、タバサの工房へ来ていた。
そこにはシーウェールズ第一王女のレアリエールの姿もあった。
「──我が国としても、交易が盛んになるのであれば、ご協力を惜しみません。ですが……」
「何か問題があるんですか?」
「その。私」
「はい」
「学園の単位を落としてしまいそうなんですっ。このままだと、国に戻ることになってしまいそうで……」
「あぁ。そっちですか」
「私も頑張っているんです。ですが、勉強が思いのほか難しくて……」
そんな落ち込み気味のレアリエールを苦笑しながら見ていたタバサが。
「お姫様。あたしがお教えしましょうか? 独学ですが、おそらくはこちらの学園で教鞭をとれるくらいは理解できていると思いますので」
「そうですね。私が思うに、学園の教授職としても十分な知識量はあるかと思いますよ」
ケリーエイラも太鼓判を押してくれる。
「ほ、本当ですか? タバサさん」
「えぇ。その代わり、『あなたのお父様』への書状、よろしいですよね?」
「はいっ。いくらでも書きます。大好きなルード君の為でもありますからっ」
「『僕の作るお菓子が大好き』なんでしたっけ?」
「そ、そんなことありません。今でも……」
「はいはい。タバサさん、悪いと思いますけど、レアリエールさんのことお願いしてもいいですか?」
「いいわよ。ルード君にはお世話になりっぱなしだからね。ルード君がいなければ、今でも兄さんに嫌味を言われる生活だったから……」
実はタバサはレアリエールを妹のように思っていたのだ。
いつか助言してあげようとは思っていたのだが、一国の王女でもあるレアリエールに余計なことは言えない。
今だからこそ、助けてあげられると思ったのだろう。
「ルード様。工房にも建築関係の知識に強いものがいます。魔法を使えば作業効率も上がると思いますので、いくらでも使ってあげていただけますか?」
「助かります、ケリーさん」
「私だってルード様には恩義を感じています。もちろん、工房の皆もですよ」
家庭教師を得たレアリエールから、シーウェールズ国王への書状を書いてもらえることになった。
エランズリルドに関しては、ルードが伯父でもある国王のエヴァンスに頼めばいい返事をもらえるだろう。
こうして、空港のような施設を二国に作る計画が開始されたのであった。




