おきつねさまと神使と諱《いみな》
草薙剣。
天叢雲剣ともいわれ、八咫鏡、八尺瓊勾玉とともに三種の神器だ。その昔、素戔嗚尊が八岐大蛇を退治した時にその尾から出てきたという伝承が伝わっている。草薙剣という呼び名は、日本武尊が東国で火攻めにあったときにこの剣で周囲の草を薙ぎ払い、危機を脱した故事にちなんで名づけられた名だ
「草薙剣とはいささか唐突だのう」
玉藻が考え込む。
あれっ、草薙剣って、名古屋の熱田神宮のご神体じゃなかったっけ? 俺の頭にきしめんで名高い熱田神宮の名が浮かんだ。
「あれは伊勢がしつらえた形代じゃ。真の剣は我が壇ノ浦に飛び込んだ時に我の現世の身体ともに失ってしまったのじゃ」
先ほどの俺の不敬な発言をスルーした安徳天皇が、俺の心を読んで応える。
そういえば安徳天皇は祖母の二位の尼とともに源平の戦いのおり、壇ノ浦に没したのだっけ。話が重すぎて話しかけづらいというかどうやって話していいのか分からない。確かに安徳天皇も今は神なのだろうけど、見た目は六歳の子供なのだ。
俺の心を再び読んだのか安徳天皇は話を続ける。
「そのように心配してくれるのは嬉しいが、我もすでに神籍に昇ってはや八百年余りじゃ。見た目は現世を去ったときの童のままじゃが、すでに神としても一人前の仕事をこなしておるのじゃ。それに神籍を得たことで、現世への執着などすっぱりと忘れたわ」
安徳天皇はカラカラと笑いながら言う。
でも玉藻は神籍得ても美味しい物への執着心、半端なかったよね。
「将門、声に出ておるぞ」
ちょっと怒った声で玉藻が俺を突っつく。
「まったく、少しは真面目に聞くのじゃ。言仁よ、話を続けてもらおう」
玉藻が安徳天皇を促す。
「我は入水してから五年ほどで神籍に昇段し、天照大御神にご挨拶したのじゃが、その時に初めて草薙剣を失ったことを知ったのじゃ。天照大御神は我が剣の行方を知っていると思ったらしいが、我も剣を抱いて海底に飛び込んだところまでしか覚えておらぬ。そしてしばらくは剣がどうなったかはわからぬままじゃった」
八咫鏡と八尺瓊勾玉もともに安徳天皇と沈んだのだが、こちらは源氏の兵が無事回収したらしい。
「三十年ほどして母上が亡くなり、神籍に昇られ、お会いした時に話を聞いて納得がいったのじゃ。どうやら叔父の平高房が我とともに沈んだ草薙剣を引き上げて、そのまま持ち去ったらしい。大原で暮らしていた母上に叔父上からその旨の文が届いていたとのことでようやく事情が分かったのじゃ」
凄げえな神代。隠された歴史の謎がこうぽんぽん出てくるとは。
「本来なら御神体である草薙剣があればその周りが神域ということになり、社の有無にかかわらず神代へのつながりができるはずなのじゃが…」
安徳天皇が肩を落としながら言葉を続ける。
「皆で日の本中を探したのじゃが、剣の気配が微塵も感じられなくてのう。あげく叔父上も見つからないときてな、叔父上は一族を滅ぼした源氏を相当恨んでいたらしから、意趣返しに剣を鋳つぶしてしまったのかと疑ったくらいじゃ」
でもさっきの話からすると今は所在がわかっているってことだよな。
「三百年ほどして確か永正の時かのう。亡くなった叔父上が落ち延びた先で社に祀られて神籍を得てな」
平高房はどうやら地方に落ち延びて隠れ里を造り、そこで源氏に見つからないようにひっそりと暮らしていたらしい。
「叔父上が見つかった以上、これで剣の行方も分かると思ったのじゃが…」
安徳天皇が言葉を濁す。
ちょっと言いづらい事情らしい。
「その、なんだ。叔父上は一族を滅ぼした源氏をたいそう恨んでいてのう。そして、神代で我ら平氏はなかなか少数派でな。八幡は源氏贔屓だし、東照大権現に至っては源氏の頭領じゃ。平氏の味方と言えば熊野権現か若一王子ぐらいでな。叔父上は源氏のはびこるかような神代とかかわりを持ちたくないと言い張って、伊勢への神籍昇段の挨拶もせずに祀られた社にひたすらひきこもっているのじゃ。あげく陰陽道の結界を張って神代からの侵入をかたくなに拒んでいるのじゃ」
人の代のしがらみ全開だな、おい。安徳天皇みたいに執着心捨てろよ。
だいたいそんなこと許されるのか。たしか神在祭っていう日本中の神様が出雲に集まるっていうのがあったよね。神様になったのにそれに出ないっていいのかよ。
「良いわけあるまい。じゃが、叔父上はおそらく草薙剣を持っておる。皆で追い詰めればあの叔父上のことじゃ、本当に草薙剣を鋳つぶしかねん。誰もが不満を持ちつつも手を出せんのじゃ」
安徳天皇は首を振りながら言う。
「我と母上と婆様は神在祭のたびに肩身の狭い思いをしているのじゃ。我は良い、その、確かに剣を失った当事者だからな。だが母上と婆様に申し訳なくてな。玉藻の神使が人間と聞いて、神代がダメなら人の代から草薙剣を叔父上から奪い返すことが出来るのではと考えたのじゃ」
俺と玉藻は顔を見合わせる。
「まあ、考えはわかるのじゃが…」
まあ確かに神代と人の代を行き来できる俺達なら何とかなりそうだが、玉藻は返事を渋っている。
「神在祭なのだが最近、とみに素戔嗚と日本武尊の責めが特にきつくてのう」
安徳天皇が涙目になる。いやいや、こども泣かせちゃだめだろう神様方よ。
「おおおお将門よ、お主我のことを童と思ってくれるのか。神代では皆我を童扱いしてくれないのじゃ。丸静の子供たちは楽しそうに遊んでいるのに我は毎日毎日主殿で祝詞三昧じゃ。双六も二百年前に母上に禁止されたのでつまらぬ毎日なのじゃ」
安徳天皇は上目遣いにこちらをじっと見つめる。
御簾から飛び出してきた安徳天皇のバリバリセレブオーラにあてられたか、俺と玉藻以外はまた平伏している。そろそろその体勢を維持するのも大変になってきたようだ。皆の身体がプルプルと震えている。
そして安徳天皇の涙ぐんだその上目づかいは睦月と違って別の意味で破壊力があった。
俺は困って玉藻に助けを求める。
玉藻は溜息をつきながら俺に言う。
「将門、こうなったら誰も言仁には逆らえんぞ。こやつの泣き落としは神代随一じゃ」
まあ、確かにこれはかなり効く。
「不肖、玉藻前の神使たる八代将門、首尾通りいくかはわかりませぬが、この仕事、お引き受けしましょう」
俺は安徳天皇に対して頭を下げ承諾の言葉を述べた。
「おお受けてくれるか。さすれば将門よ、そのようにとってつけたような丁寧な物言いをせずともよいぞ。我にとって、そちはご先祖様も同然じゃ。だいたい我の神圧にあてられていないのがその証拠じゃ」
安徳天皇がからからと笑いながら言う。いやいやいや、いくら神圧とセレブオーラ感じないからと言って、小市民の俺がやんごとなき方と対等な言葉を話すのははばかられるって。
「今後は我のことを諱である言仁と呼ぶことを許そうぞ」
無理、絶対無理!
俺の抗議を封殺しつつ安徳天皇はにこりと笑うと高らかに宣言した。




