おきつねさまと神使の荒野
俺はこのまま出口を求めて駆け出したくなる気持ちを抑えて、神代では恒例となった現状確認を行う。これもう何回目?。
今回は、周囲はともかく自分の体に生じた異常の確認だ。どうやら影一は俺の体を乗っ取って現世に帰還したらしい。ということは必然的に俺の今の体は影一のものだということだ。
呼吸するのにも問題はない。馬上ながら軽く手足を動かすが、先ほどとは違い、大鎧を着ているにもかかわらず重さを感じることなく動かせた。
俺が俺でなくなるなんて許せるものか。
それにあいつが俺のふりをして、玉藻や睦月、家族たちと・・・。
あいつ影武者というだけあってどこまで俺の姿かたちを真似ることができるのだろうか。
悔しさと焦りのあまり、俺はこぶしを握り締める。革製のゆがけ越しに爪が手のひらに食い込む。
痛っえええええええ。
俺、こんなに握力あったっけ?
俺の感情の動きに合わせたかのように風もないのに荒野のススキが一斉にざわめく。
落ち着け将門、俺は自分に言い聞かせながら、心を静める。大丈夫だ、俺には感じ取れないが、玉藻は俺と睦月の魂が結び合ってると言っていた。俺が俺でないことにかならず気づくはずだ。それに玉藻もあれでも立派なご主人様だ。玉藻や睦月のことを思い浮かべるだけで心に安心感が満ちていく。これも何かの効果なのか?
とりあえず顔の半分を覆っている面頬を外す。紐で結われているわけでもなく、なにやら神力か妖力で張り付いていたのか、あっさり外れる。自分で行使しているにもかかわらず、相も変わらずこの力というのはなんというかその・・・理解に苦しむところだ。
面頬は、馬上から投げ捨て地面に落ちると途端に土くれに変わる。先ほどの土くれに変わった矢といい、いやな予感がひしひしと押し寄せる。平将門公の死んだ影武者たちが泥人形にかわったという伝説が頭によぎる。これちょっとでも気を抜いたら俺の体も土くれに変わるとかそんなこと・・・ナイヨネ。
そんな想像をすると背中に寒気が走る。兜も脱ぎたかったが、紐のほどき方がわからない。結び目を触りつつ、どうやってほどくのか思案しているとスルスルと自然に結び目がほどかれていく。
馬上で手に持つのも邪魔だと考えていると、兜が自然と首の後ろに移動する。
うは、すげえ便利だな、この力。
「なんじゃ、顔はそのままなのか」
ご老公が、面頬をとり、兜を脱いだ俺に声をかける。
おお、すっかり黄門様の存在忘れていた。
どうやら先ほどの影一と入れ替わったわりには顔かたちは元のままらしい。ご老公の言葉を受け、俺はペタペタと顔を触りながら確認する。うむ、さすがにおっさん顔は勘弁してほしい。もし、神田明神に伝わる絵のとおりなら、将門公や影武者はドジョウ髭のおっさん顔のはずだ。
触るとケモミミもあるし、後ろを見ると尾も五本しっかりと鎧から出ているので、影一に妖力を持っていかれたというわけではないらしい。
「これはご無礼を」
ご老公相手にさすがに馬上からだと失礼だろうと思い、俺は馬から降りながら謝る。着こんだ大鎧のガチャガチャする音があたりに響き渡る。
あれ、俺、今すんなり馬から降りたよね。昔、馬事公苑へ桔梗の乗馬体験について行ったことはあるけど、馬なんて乗ったことも賭けたこともなかったはずだ・・・、まあ、食べたことはあるが。
さすがに馬は、俺が降りても土くれに変わることはなかった。轡を握っていなくても俺の傍らで微動だにせずたたずんでいる。うむ、ずいぶん行儀がいい馬だな。
「見苦しいところをお見せしました」
俺は左手に弓を持ったまま、ご老公に向かって一礼する。
「見苦しいどころか、妖、お主、見事な武者ぶりじゃのう。先ほどの弓も大した腕前のようだが・・・」
ご老公が感心したように言う。そこ感心するところなのか?
いや、俺、武芸全般からっきしのはずなのに・・・、あれ、これってひょっとして・・・影一のやつ俺の体に乗り移ったのはいいが、本来の力この体に忘れていったんじゃね?
俺は思いつきを確かめるために、後ろを向くと弓に矢をつがえ茜色の空に浮かぶ満月に向かってそのまま射る。弓矢の覚えはないはずだが、体が自然と動き一連の動作を勝手に行う。
放たれた矢は、俺が力を込めたせいか、重力、引力を無視して月に向かって真っすぐ飛んでいくとそのまま月に吸い込まれるかのように消え去る。
とたん月も一緒に消え去る。
「・・・」
「・・・」
俺は振り返ると何か言いたげなご老公と顔を合わせる。
「月を射落とすとは、なんという破天荒な・・・」
しばしの沈黙のあとご老公がうなりながら言う。
いやいやいや、俺はただ、影一が持っていた力をそのまま俺が受け継いだのではないかと思って、矢を放っただけだよ。月を消そうなんて微塵も考えていないから。普通、月まで矢が届くはずないじゃん。だいたい月までの距離って・・・38万キロぐらいだっけ。いくら神力だってその距離飛ぶとは思わないじゃん。しかもただの弓矢だよ・・・。
これって・・・、ひょっとしてやらかした?
矢で落ちたってことは神代の月は現世の月と存在自体が違うってことだ。大丈夫、大丈夫、玉藻が迎えに来たら、また乙女稲荷神社の社殿と同じように復元してもらえばいい。俺は自分を納得させる。まあ、現実逃避ともいうが・・・。
「お主の顔はまさに百面相じゃのう。見てても飽きぬわ」
ご老公があきれたように言う。どうやら感情の起伏がだいぶ顔に出ていたらしい。
「声も出ておったぞ」
なんてこったい。どんだけ緩いの俺の口。
まあ、とりあえず現状把握はできた。
影一に俺の体を乗っ取って現世に帰還されたことには腹が立つが、どうやらこの体には俺の魂と神力・妖力に加えて本来影一が持っていた力も備わっているらしい。
なら、乗っ取られた俺の体に入った影一ってどんな力も持ってるんだ。
「それはさておき、まあ、我がここに迷い込んだのも妖、お主のせいではないとは分かったが、どうにかならんものかのう?」
ご老公の言葉に思考の海から引きずりだされる。
伝説ではご老公は八幡の藪知らずで出会った妖によって現世に戻ってきたはずだ。俺が戻り方を知らない以上、戻り方を知っている妖とこれから会うってことだ。なら間違いなく玉藻が迎えに来るってことだ。
「ご安心ください、今少しすれば、わが主が参りましょう。さすればご老公の現世への帰還も叶いましょう」
俺は神妙に答える。
「将門、迎えに来たぞ」
俺の後ろから、玉藻の声が八幡の藪知らずに響き渡ったのはそれから2時間ほどしてからだった。
その間に俺は影一の力を確認していた。
八幡の藪知らずで土くれからあらゆるものを作り出す能力ととんでもない武芸。
それが影一の力だった。
玉藻が迎えに来たのは、俺とご老公とで、土くれから作り出した緋毛氈の上の床几に座りながらこれまでの経緯を話しているときだった。
振り返ると、うわっ、みんな総出かよ。
玉藻に睦月、桔梗に疾風、七竃まで。って睦月なんて恰好しちゃってるの、それ丈が短いほうじゃないか。自分の力でその衣装(メイド服)再現したのか。うは、疾風と七竃の俺をみる視線が生暖かい。
そして、睦月、なに俺を足蹴にしてるのよって・・・。あれ影一だよな。ああ、俺の顔でそんな表情をしてるんじゃない、なんか新たな世界に目覚めた自分を見ているようでムカつく!!
「旦那様、旦那様、旦那様、間違いなく旦那様の魂!」
睦月が俺の体を踏みつけながら、五本の尾を全力で振り回しながら俺の胸に飛び込んでくる。いや、いくら入れ替わってるとは言え、俺の体大事にしようよ。俺あの体に戻るんだけどな~。
あああ、鎧越しでも胸当たってるのわかる。それに魂って見分けつくようなものなのかよ。
「恰好さえ気にしなければよいシーンだとは思うのよ。恰好さえね」
桔梗があきれ顔で玉藻や疾風に同意を求める。
そういえば俺は大鎧の武者姿で睦月はフレンチメイド服姿、茜色の空のススキの荒野で抱き合っている。これほど現実離れした光景はあるまい。
「その、このように凛々しい旦那様も私は・・・」
やはりわが嫁の上目遣いの破壊力は半端ない。
俺としてもこのひと時を思う存分、堪能したいところだが、さすがにいちゃつく前に済ませないといけないことがあるわけで・・・。
「いや、めっちゃ、いちゃついてるから」
疾風が素に戻った野太い声で突っ込む。
俺は、睦月を引き離し、ちょっと待つように告げると玉藻に歩み寄り深々と頭を下げる。
「今回は、その・・・面倒かけてすまなかった。そして、迎えに来てくれてありがとう」
素直に謝る。いくら言い訳しても確かに怪しいところに近づいたのは俺の落ち度だ。
玉藻は鷹揚に手を振ると答える。
「まあ、われもまさかあのようなとこで仕掛けられるとは思わなんだ。仕方あるまい、それにあのアップルパイとかは美味じゃった。大方、あの甘味を買うためにあそこを通ったのじゃろう。ならば仕方があるまい」
すげえ、アップルパイ一つで不問になるとは。つうか俺の体乗っ取った影一、律儀にアップルパイ持って帰ったのか。
「あれっ、なんでお化け階段で仕掛けられたこと知ってるの?」
俺は思いついた疑問を玉藻に投げかける。
「こやつから聞いたわ」
玉藻が地面でピクついている影一を指さす。こいつ傷だらけだけど俺この体に戻って大丈夫なのか? 痛みとかフィードバックしないだろうな。
「安心せい、睦月に癒してもらえばよい。さて将門、ちょうどよい。神力行使の練習じゃ。こやつと入れ替わってみやれ」
俺の心の声を読みつつ玉藻が命じてきた。フィードバックの意味、和訳されて伝わってるのか?
「いや入れ替わるって、やり方わからないって」
かといって影一にやらせるのも腹が立つしな。今後のことも考えると俺が力を行使して戻るのが一番だろう。
「まず、お主の力でお主の体に入った影一の魂に触れるのじゃ。われの考えを読もうとした時と同じにやればよい」
玉藻の言葉に俺は、俺の体の中にいる影一の考えを読もうと・・・と思った瞬間、俺は自分の体に戻り、地面に転がっていた。
「痛たたたたたたた」
全身を激痛が走る。とたん睦月が走り寄ってくると俺の手を握る。嘘のように痛みが引いていき、切り傷、擦り傷までふさがっていく。
「ふははは、愚か者め、この体に戻り、力さえ取り戻せば、わが力はここでは万能じゃ、おぬしらなんぞ・・・」
俺の目の前に立つドジョウ髭のおっさんが三流悪役真っ青の台詞を吐く。
「取り戻してないぞ。お前、自分の姿を見えてみろ」
玉藻の冷静な突っ込みに影一が自分の体を見る。
「げええええ」
人間って本当に驚くとあんな発声するんだ。ってあいつ人じゃないか。
まあ、褌一丁のおっさんの姿見て、げええええって言いたいのはこっちのほうだ。桔梗、手のひらで目をふさいでいるが指の隙間から覗いているのバレバレ。目の毒だから見るのやめなさい。
「ふんぬ、ふんぬいぬ」
影一がなにやら神力・妖力を行使しようと気張っているが、どう見ても便秘に悩むおっさんにしか見えない。見苦しいな、俺は泥で影一を包み込むように小さな蔵を具現化させる。これイメージすれば力が行使されるのか。
意識したつもりはなかったんだが、どうやら俺は影一の力を奪ったまま自分の体に戻ってきたらしい。
「おのれ~~~~、ここからだせ~~~」
蔵の鉄格子のついた窓から影一の顔が見える。鉄格子に手をかけ、喚き散らしている。泥からでも鉄格子ができるとは、まるで錬金術だな。
「これ、俺が影一を土くれに戻して、この八幡の藪知らずを封印しちまえば問題なくね? 影一の力がここ八幡の藪知らずで限界知らずなら、そのくらいのことできそうな気がするんだが・・・、こ~~~~う、ぷちっとつぶして・・・」
俺は影一が入る蔵を縮めていく。
「やめい、将門。さすがにそこまですれば神田の将門公がだまっておるまい」
玉藻が俺をなだめすかすように言ってくる。あれ、なんか自分の思い付きだったのに何か違和感感じる。
「冗談だって・・・」
俺は心の中の違和感を無視すると、影一を取り囲む蔵を消す。
「影一、お主今では、人よりちょろっと強いだけの妖にすぎん。もう少し将門が力を行使すればお主は泥人形と化すわ。まあ、ここでお主がいなくなればこの八幡の藪知らずを司るものがおらぬようになってしまうが、さすがにそれはまずいのでのう。どうじゃ、二度と将門に手を出さぬと誓うか?」
玉藻が褌一丁で座り込んでいる影一に問うが、影一は黙ったままだ。
「司るものがいなくなるとどうなる?」
俺は玉藻に聞く。
「ここは、もともと神代と現世の存在があいまいな場所じゃ。このようなやつでも管理するものがいなければ、神代と現世が頻繁につながり、人が神代に、妖が現世にあふれるであろう。まあ業腹じゃが、将門よ、がまんするのじゃ」
「・・・。さすれば、われの力を返してくれるのか?」
影一が俺に問う。俺はそれを受けて玉藻を見つめると玉藻がうなずく。
「誓えば返そう」
俺は玉藻の同意を得て了解する。
「わかった、誓う。わが主、平将門公にかけて誓おう、今後、神使殿には手を出さぬと」
影一が溜息をつきながら答える。
俺は過ぎた力はいらないと自分に言い聞かせつつ、影一へ力を返すことをイメージする。当然俺の力はそれには含まれないよう十分に注意を払う。一瞬めまいが俺を襲うが、脇に立つ睦月が支えてくれた。体の中から何かがごっそり抜け出ていく感触だ。
クラクラする頭を振りながら、再び影一を見ると、鎧武者姿に戻っていた。離れて佇んでいた馬が影一の傍らに歩み寄ってくる。
「確かに、返してもらった・・・。しかし、おぬしらも甘いのう。われはほかの影どもの情報ぐらい吐き出す羽目になるかと思っていたが・・・」
力のない影一の言葉に玉藻が笑う。
「お主のおかげで、将門が神力の行使を覚えおったわ。これからほかの影どもが来ても、逆に力を奪うことはあっても、将門の体を乗っ取ることなどもう出来なくなったわ」
あれ、それでもほかの影が来る可能性はあるわけね。
俺はがっくりと肩を落とした。
「さて、現世に戻るぞ。将門、これだけの迷惑をかけたのじゃ、うまい菓子を期待しておるぞ」
おいおい玉藻、ずいぶん気軽に言うな。
「簡単なことじゃ。我が力を行使するだけで現世の知森神社につながる。おぬしも一度でも現世での知森神社を訪れていれば自力で戻れたろうに・・・。もっとも影一の体に入ったままでは現世での具現化は出来んじゃろうが・・・」
となると戻るのは千葉県市川市か。駅から近いのが救いだな、なんとか電車で自宅まで帰れるだろう。
だが、戻るのはいいが、その前にやることがある。
「玉藻、相談なんだが、このご老人、300年の時を超えてこの神代に呼ばれたらしい。もとの時代と場所に戻せないか?」
俺はご老公を玉藻に紹介する。
「かんたんなことじゃ。月読命に頼めばよい。だいたいこの者がここに呼ばれたのもおおかた月読命のせいじゃろうな。まったく月読命もきまぐれでのう、ここ以外でも時々時を超えて迷い込むやつがおるのじゃ。・・・そういえば月が見えんが・・・。うむ、何かあったか。疾風、七竃、なにか伊勢や出雲から聞いておるか?」
「とくには」
「なにも」
疾風と七竃が首を振る。
いや~んな予感。
「あ~~玉藻、時を超えて現世に戻るのに月って関係あるのか?」
俺は恐る恐る、そして心の奥底を悟られないように玉藻に尋ねる。
「うむ、神代に迷い込む人のうち、時代を飛ばされてきたというのはかなり珍しいのじゃが、これは月読命が司る時の流れというのがちと乱れて起きるものでのう。あやつに話を通して正しい時の流れに乗せねばならぬのだが、月を通してしか月読命とは繋ぎがとれぬのじゃ。あやつは神代といっても、ここ「常世の国」とは違う「夜の国」を支配しておってのう、まあ、月読命にとっては月がわれらの国と夜の国を結ぶ社みたいなものじゃ」
ヤバイヤバイヤバイ、超絶ヤバイ! また俺やらかしたらしい。
「え~~~と、仮の話だけど、月が弓矢で射られて消えちゃったりしたら、どうなるかな~~~って」
うむ、さりげなく、さりげなく。
玉藻がカラカラと笑う。
「面白い冗談じゃ。神代で月読命に弓曳くような阿呆がいるものか。天照大御神や素戔嗚尊でさえ逆らえんのに・・・。だいたい月読命の力を侮りすぎじゃ。たかだか弓を射かけられてぐらいで月が落ちるものか・・・」
玉藻は俺の言葉を笑い飛ばす。
「落としたぞ。こやつ」
ご老公が空気を読まず俺を指さす。
まて! あっさりばらすんじゃねええええええええええ。そこは空気読んで黙っておこうよ。どうやって切り出すか考えていたところだったのに。
「「「「「えっ」」」」」
玉藻、睦月、疾風、七竃、影一の声がハモる。
一陣の風が八幡の藪知らずを駆け抜ける。
これ、俺の力っぽいな。
「「「「「本当に?」」」」」
一同の視線がご老公に集中する。
再びハモる。
「うむ、那須与一もかくやという見事な一矢であった」
黄門様がうなずくと視線が一斉に俺に向く。
「・・・」玉藻
「・・・」睦月
「・・・」疾風
「・・・」七竃
「・・・」影一
「ごめん」
あっ、玉藻泡吹いて倒れた。
影一なに駆け出して逃げてるのよ。馬よとまれ!俺は念を飛ばす。あっ、落馬しやがった。
疾風、七竃って、あんたらもなに這いずりながら逃げてるんだよ。
「旦那様にもしものことがあれば私も後を・・・」
涙目で俺に縋りつく睦月。それ重いいいいいいいい。
「将門、荒事? 荒事なら任せてよね」
桔梗、その剣呑な目つきやめなさい。
八幡の藪知らずからの帰還はもうしばらく先になりそうだ。




