おきつねさまと八幡の藪知らず
気がつくと俺は茜色の空をしたススキの野原に立っていた。
ここ神代だよな。
俺は空を見るとため息をつきながら独りごちる。
俺の立っているところ10メートル四方を除き、見渡す限りススキの野原だ。あたりを見回すために振り返ると遠くに富士山が見えた。いつも都心から見る富士山よりは多少は小さい気がする。まあ、西も東もわからない状況では、結局どこにいるのかわからないのだが。
周りは小高い丘やなだらかな丘陵、様々な地形が確認できるが見渡す限りススキの穂に覆われておる。そして不思議なことに頬に風を感じないにもかかわらず、ススキの穂が揺れている。
そして茜色の空に浮かぶ満月・・・・・。ってデカ! 普通の月の五倍はあるだろう、あれ。
そういえばそろそろ中秋の名月だったっけ、俺は暦を思い出す。
足元を見ると石畳の参道になっており、その先が丘陵に沿って曲がりくねりながら伸びているのが確認出来る。
いったいどこまで続いているんだろう。
ふと自分がケモミミ、尻尾五本を出した神使の姿であることに気づく。
いつの間に俺なんでこんな格好を・・・・・。
そして、ここで初めて思い出す。根津のおばけ階段で・・・・。
やべ、これが玉藻が言っていた呪か。
俺は耳をピンと立て耳を澄まし、五本の尻尾を拡げる。風のそよぐ音も聞こえず、何も感じられない。奇妙なことにススキの穂が揺れる音さえ聞こえてこない。
とりあえず差し迫った危険と脅威はなさそうだ。
最後に覚えているのは根津のおばけ階段を降りていたという記憶だ。そして今はどこともしれない神代にいる。とりあえず、富士山が見えるということは関東か東海であることは間違い無い。
まあ、ここが神代なら現世に戻ればいいだけなのだろうが、さすがにこの状況は俺の想像の範疇を超えている。神代ならそこにある神社仏閣の鳥居や山門をくぐり、神域から出てしまえばいいのだろうが、どう見ても俺がいるのは神社仏閣の類とは思えない。このだだっ広いススキの野原のどこが神代と現世の境目なのか皆目見当もつかない。
まず、鳥居や山門、祠や社、何ら建物は全く見当たらない。あるのは一本の石畳の道だけだ。まあ、これを歩いていくしかないんだろうが、今回の件、どう見ても俺をターゲットに誰かが何かを仕掛けてきたのだろう、進んだとしても何の邪魔も入らないわけも無いだろう。
俺は玉藻の忠告を思い出す。
いやいやいや、神社仏閣とかで仕掛けられるならわかるけど、住宅街の中のただの石段だぞ。そんなところで仕掛けられるなんて予想がつくわけ無いだろう。不可抗力、不可抗力。
まあ、これでまた玉藻にこってりと絞られそうだ。それに手土産のアップルパイも無くしてしまったしな。俺は根津のおばけ階段の下に転がっているであろう袋に入ったアップルパイを想像する。あれ、腕時計やら財布、お気に入りのアロハもカーゴパンツも収納されていねえええええええええ。
俺はがっくりと膝をつく。
階段下には俺の服と下着、財布時計、携帯が放置されていることだろう。ぱっと見、裸で駆け出したと思われても仕方の無い状況だ。無理、俺の精神はマックスまで削られる。
「この恨みはらさでおくべきか」
とは言っても心当たりがありすぎなんだがな。
「とりあえず進むしか無いか」
俺はいつものごとく両手で頬を叩き気合いを入れると、石畳の道を歩き出した。
しかしまあ歩いても歩いてもススキの野原だ。
ちょい前までは、足袋に草履で歩きまわると足の親指と人差し指の間が擦れて痛かったが、最近は妖力のおかげで痛みを感じることはなくなった。冷房といい、結構妖力って便利だな。もう少し、使い方のバリエーションを増やすために修行するのも手かもしれん。
とりあえず俺をこの神代に招待した奴はすぐに何かを仕掛けてくるわけではなさそうだ。時計がないのでわからないが、一時間近く歩いても特に何かを仕掛けられることはなかった。
あたり一面のススキに中秋の満月、なら神代での月見と洒落込みますか。
そしてなぜにこうなる。
「うむ、そこの妖、直ちに我を現世に返すのじゃ。さすれば、此度の所業には目を瞑ろう。否となれば、我が力思い知らせようぞ」
俺の目の前には七十歳ほどの白髪ちょんまげの矍鑠とした老人が大小二本の刀を腰に差し、六尺棒を槍のように俺に向けて構えながら立っている。羽織袴は金糸で刺繍され、一目見ただけでだいぶ金のかかった装束であることが見て取れる。
いくら俺が敬老精神にあふれているとはいえど、さすがに敵意を向けられたこの状況は腹が立つ。
だいたい第一神代遭遇人が現世の人間とは・・・・。
しかもどう見ても今の時代の人間じゃないだろう。どうやらここは神代ではあるが、時間の流れというものにも問題があるらしい。
「ふむ、人の言葉がわからぬか・・・・、妖には権中納言の位も徳川の名も通じぬか」
老人が少し狼狽したかのようにつぶやく。
「まさかの徳川光圀!!!」
俺が大声を出したのは誰も責められまい。俺の叫びを聞いて、老人が再び六尺棒を構える。
「ほうほう、妖でも我の名前は知っておるのか。うむ、なればはよう我を元の世に返すのじゃ」
まさかの徳川光圀、まさかの黄門様、まさかの三百年の時間差攻撃。
だが、おかげでここがどこかはわかった。
徳川光圀が神代に迷い込み妖とあったという逸話。まさか俺が当事者だったとは・・・・。
”八幡の藪知らず”
どうやら仕掛けてきたのは平将門らしい。
”八幡の藪知らず”
千葉県市川市にある小さな藪だ。江戸時代から一度入ったら二度と出られないなどという伝説がある禁足地だ。そして平将門の墓だという説もある。そんなところに将門公以外の関わりがあるとは思えない。いわゆるオッカムの剃刀だな、これはもう将門公の関与を疑うしかない。
この八幡の藪しらず、いろいろな伝説があるが、その中でも有名なのが徳川光圀のエピソードだ。
徳川光圀が”八幡の藪知らず”に入ったところ出ることができなくなり妖に出会い、元の世界に戻してもらったという逸話だ。
まさか、俺がその話の当事者だとは・・・・。
でも、俺、ここからの出方わからないよな。どうやって徳川光圀に教えたんだ?
「妖、何をぶつぶつ言っておる。話を聞いておるのか」
徳川光圀が構えを解くことなく俺に問いかける。
「お初にお目にかかります。私は、玉藻前様の第一神使たる八代将門と申します。権中納言様には危害を加える気など毛頭ございません。どうか、棍をお納め下さい」
俺は尻尾をことさら広げながら一礼をする。
俺の言葉と礼に毒気を抜かれたかのごとく、徳川光圀公が棍を収める。
「九尾の狐に将門の名か・・・・やはりここは・・・」
さすが、大日本史を表した学者だけのことはある。頭の回転が速いうえに知識も豊富だ。俺の名前からここが平将門公由来の地だと確信したのだろう。
「権中納言様を現世にお返ししたいのは山々ではございますが、実は私も同様にこの神代に飛ばされてきた身でございます」
「なんと、ここは神代なのか?」
光圀公があたりを見回す。
「して、権中納言様におかれましては、いかにしてこの”八幡の藪知らず”に」
俺は光圀公に問いかける。
「うむ、近くを通りかかったところ民どもが藪に入るのを必死に止めるのでな。つい、面白そうなので入ったところこの有様じゃ」
いやいやいや好奇心旺盛すぎるだろう。信心深いあの時代でその思いつきは素直に驚嘆できる。
「お主、妖にしては妙に人くさいのう」
鋭すぎるだろう、黄門様。
「まあ、いろいろありまして、人の身でありながら妖といったところでしょうか」
俺は正直に頭をかきながら言う。まあ、この神代から出るには協力体制が必要だろうからな。それに俺は個人的に藤井紋太夫刺殺事件とか龍安寺の蹲の話を聞いてみたいしな。
「ふむ、お主だけを呼んだつもりじゃったのだが、他にも迷い込んだ者がおったとわ」
突然の声に俺と光圀公は振り返る。
いつの間に来たのか気づかなかった。
そこには黒い馬に乗り、朱色の見事な大鎧を着た一人の武将がいた。
いや馬の蹄の音も鎧の音もしなかっただろう。それに今そこにいるのを目にしても何の気配も感じられない。なんだよこれ。
金色のきらめくV字の前立てに、大袖に誂えられた金色の鵺の姿・・・・・。
おいおいおい、平将門公の登場かよ。




