おきつねさまと引きこもり
さて、神代の常識を知らずに起こした騒ぎのお詫び行脚のはずが、訪れた先で上書きのごとくやらかしてしまった新たな不祥事を知恵と機転で隠蔽して、行脚は続く。
とりあえず、これ以上の稲荷寿司愛好者を増やすわけにはいかないため、境稲荷神社、西町太郎稲荷神社、桜稲荷神社は、俺が黙って頭を下げて、七竈が現世のお持たせを渡しながら、事態の説明をするという手法で乗り切った。
当然他の神社では、たいやきのことはおくびにも出さなかったが、七倉稲荷神社と境稲荷神社の距離を考えるとたいやきのお供え確約がバレるのは時間の問題だろう。
ちなみに七倉稲荷神社の神使である最上は稲荷寿司を馳走されたら、七倉神社内に俺の名を扁額とした末社を建てるなどと血迷ったことを言い始めたので、全力で止めた。そんな物的証拠を残すわけにはいかないしな。まあ、最上のあの浮かれっぷりを見ると、口止めにも限界があるだろう。
そういえば、玉藻が俺の記憶消したことあったな。睦月もできるのかな? できるようなら最上の記憶からたいやきと稲荷寿司の件を消してもらうのもアリかもしれない。まあ、たいやきの記憶ぐらいは残してあげるべきか。
さすがに七竈も俺がやらかすことを警戒して、俺の一挙一動に注目している。
今も桜稲荷神社の細長い鳥居をくぐって現世に戻るのを確認するまでぴったりと張り付いている始末だ。しかし、この鳥居ほんとに細長いな。都心の地価が高いせいなのか元々こうなのか気になるところだ。
まあ、いくら見張られてもやらかす時はやらかしてしまうんだが・・・・。
「いや、その開き直りはやめてほしいのだがな」
七竈がため息混じりに言う。
ありゃ、久しぶりに声に出てたか。
「いや、考えが我の意識に流れ込んできたぞ。お主、時折、独り言を無意識に垂れ流しておるな。神力と妖力の使い方や釣り合いが取れておらんぞ、そういうところもちと用心せい・・・・。今に足元を掬われるぞ」
”今に”どころか、絶賛、掬われまくっておりますが・・・・。
「そういえば、本日、桔梗殿は?」
おお、七竈も桔梗を気にするとは、桔梗にもワンチャンあるか。俺は、七竈の問いに桔梗が来られない事情を話す。
「なんと、桔梗殿は剣術を嗜んでおるのか。どうりで・・・」
いや、何がどうりでなのよ。七竈も武術の嗜みがあって、脚さばきとか体捌きとかに気付いたとかか。
「いや、鍛えられた忍耐がなければ、お主のような歩く・・・・・」
俺は、七竈の聞けば間違いなく心が削られる言葉をシャットダウンすべく、足早に現生への鳥居をくぐった。
次でようやく最後だな。
現世に戻り、蔵前橋通りを西に向かい珊瑚ストリートに入り、北へ向かう。
あっ、花園稲荷神社のどちらの入り口で待ち合わせるか七竈と打ち合わせしなかった。
花園神社には不忍池方面から入る参道と上野公園側から入る稲荷坂という二つの入口がある。稲荷坂の方が千本鳥居のようで雰囲気がいいんだが、隣の五條天神社との配置を考えると、不忍池の方が表参道っぽい。
まあ、いいか。そんなに広い社じゃないし、神使に会うまでに中で合流してしまえばいいだけだ。
上野公園でもふらつきながら稲荷坂から行くか。
御徒町駅を超え、アメ横に入る。
メインは線路の西側なんだろうが、俺は東側の雰囲気も好きだ。朝昼からやっている飲み屋が立ち並び、どんなシチュエーションで着るのかいつも不思議に思う柄のスカジャンとか、夏なのに革ジャンとか俺好みの派手なアロハが売られている。
うぉ、このマッカーサーモデルのA-2ジャケットいいな! 冬に向け購入を考えたが、値段を見て断念した。
そういえば、花園稲荷神社の神使はメンチを所望だったな。ちょうど小腹の減った俺は肉屋直営の飲食店で、メンチとコロッケを買い求める。入口は立ち飲みのスペース、奥はレストランになっている。この暑い時期の昼間にもかかわらず、立ち飲みスペースはいっぱいで、皆、泡だつジョッキを傾けている。うむ、桔梗がいなくてよかった。いたら間違いなく・・・・、いやいや順法精神、順法精神。
俺が買い求めたのはこの店のメンチの中で一番値段の張る匠の和牛メンチだ!
他にもやみつきメンチ、特製メンチとあるが、人間一度良い生活をすると戻れないのと同じで、同じ食べ物でもランクが上のものを食べてしまうと下には戻ってこれないものである。その点をこのメンチはうまくついて売られている。
カレーで言うなら、同じ御徒町西のカレー屋でカシミールベリベリホットを頼むとノーマルのカシミールに戻れないのと同じである。
自分用にメンチを一つとやみつきコロッケを一つ買い込み、店先でほおばる。うむ、この肉汁の旨味がたまらない。そしてこの炭水化物のホクホク感。
七竈と花園稲荷神社の神使・・・・、華蓮だっけ、用にも匠の和牛メンチを2個ずつ包んでもらいレジ袋に入れてもらう。まあ、この暑さなら、それほど冷めないで提供できるだろう。
店を出てガードをくぐり、線路の西側に出る。うんうん、この人混み。まさにアメ横って感じだ。
昔、桔梗が中学時代、将来の夢に「アメ横で朝から飲んでいるような身分になりたいです」などと書いたことを思い出す。原因は桔梗と上野動物園のパンダを見に来たついでに、アメ横で食べ歩きを兼ねて人間ウォッチしたせいだったんだが・・・。まあ、この夢は提出前に気づいた俺が、慌てて書き直させたが。
・・・・・・なんかしっくりこない。
やっぱり玉藻や睦月、桔梗とここのところ毎日のように一緒にいたせいなのだろう。今日のアメ横も玉藻や睦月がいれがカットフルーツやケバブの店をまわれたのに。
心の中を寂しいというか不安というかモヤモヤした感情が渦巻く、あれ、これなんなのだろう。
考えを巡らすうちに無意識に信号を渡り、上野公園に入っていた。
階段を上ると西郷さんの銅像を見ることができるが、上るのは面倒なので、脇の道から花園稲荷神社へ向かう。
途中、右手に清水観音堂と幹がくるっと円になった松が見えてくる。江戸時代の浮世絵に描かれた松を再現したものらしいが、これどうやって育てたんだろう。
程なく、花園稲荷神社の稲荷坂参道に到着する。キャリーケースを提げた大勢の外国人観光客が、鳥居の前と中で写真を撮りまくっている。何、この人気スポット。
写真を撮ってもらいたそうにしている高齢の外国人夫婦の方が見受けられたので、拙い英語力を駆使し、話しかける。
「・・・ドゥ ユー ニード ヘルプ?」
手に持つカメラを指差ししつつ、シャッターを切る仕草をする。
あれ、合ってるかな。
「メルシー!」
おおう、フランスの方だったか。
鳥居をバックに夫婦の写真を撮り、カメラを返すと、お礼の言葉を述べて鳥居の中へ消えていった。うむ、きちんとお参りできるのか気になるところだ。
手に持ったメンチに意識を手中しつつ、鳥居を潜り、神使の姿に変化し神代の花園稲荷神社へ入る。
七竈の姿を探すが見当たらない。ありゃ、やはりもう一つの参道の方で待っているのか。
歩みを進め、鳥居をくぐっていく。
本殿の前に出るが誰もいない。それどころか、本殿の扉は閉ざされており、なんというか人の気配というかこの場合、神の気配というべきか、感じ取ることができない。あれ、ここ間違いなく花園稲荷神社だよな?
俺は本殿前の二体の狛狐を確認する。花園稲荷神社の狛狐は左が玉を、右側が子狐を前足の下に置いているはずだ。うむ、間違いない。独りごちていると背後から七竈に声をかけられた。
「ここにおったか将門。ふむ、稲荷坂から入ったのか」
それよりどういうこと?ここ花園稲荷神社で間違い無いよね?
「・・・・うむ、まあ、間違い無いんじゃが・・・・。ここを司る神使の華蓮はのう・・・」
七竈が遠くを見るような目つきをする。
とりあえず美人で内気というのは聞いている。それと七竈、俺にやらかして欲しくなければ可及的速やかに、具体的に、状況を説明してもらおうじゃないか。
「まあ、この件に関してはやらかすような余地はなかろう。こちらじゃ将門」
七竈が踵を返し、不忍池方面からの参道に向かって歩き出す。参道を左に折れると鉄の扉が目の前に現れる。二体の狛狐が扉を守るように配置されている。本殿前の優しげな狛狐と違い、こちらの狛狐は扉の前に立つ者に鋭い眼差しでガンを飛ばしている。
あれ、ここって穴稲荷だよね。昔はこっちが花園稲荷神社だったけど今は跡だって・・・・。
「この中じゃ」
七竈が手を一振りするとその右手にロウソクが現れる。扉をくぐると洞窟になっているようだ。入ってすぐに左に折れるとあたりを数本のロウソクの灯に照らされた小さな祠が現れる。
「華蓮殿、本日は乙女稲荷神社と我が駒込稲荷神社での不始末を玉藻前様の第一神使たる八代将門とともに詫びに来た」
七竈が祠に向かって話しかけているところを見るとこの祠の中に神使がいるのだろう、でも顔も見せないってちょっと失礼じゃないか? 神代の常識以前の問題だろうこれ。
俺のムッとした感情を感じ取ったのだろう、七竈が苦笑しながら俺を促す。
「この度は、我が不始末の詫びに参りました。どうぞこちらをお納め下さい」
俺は最中とメンチの入った袋を祠の前に置く。
詫びの言葉がぶっきらぼうになったのは、仕方ないよね。散々、神代の常識知らずとか責められたのにこんな対応されたんだから。
睦月は美人だと言っていたが、こんな態度をとるなら性格に難があるとみた。一応ご近所なのにこりゃ苦労するな。
不意に祠の中央に黒い闇のような穴が現れ、その中から白い手が伸びて最中とメンチの入った袋を掴むと、闇に消えていく。
ひいいいいいいいいいい、怖すぎる。ホラー映画のワンシーンのような光景に俺はあとずさる。
しばらくすると黒い穴から最中の包装紙やら袋、メンチの袋が飛び出してくる。おいおいポイ捨てかよ。
俺は、手に持ったレジ袋からメンチを取り出すと七竈に渡し、ゴミを拾い上げるとレジ袋にしまう。
「おお、これが華蓮が言っていたメンチというものか。なかなかに美味じゃのう。表はサクサクで中が肉になっておるのか・・・。鶏肉と違ってこってりしている感じがたまらんな。これはクセになる」
絶賛する七竈にため息を吐きながら聞く。
「これって、俺みたいな人間ごときに合わせる顔などないってこと?」
俺は黒い穴の現れた祠を指差しながら、お山の神使どもの傲慢さを思い出す。
「違う、違う、華蓮はここしばらく誰とも会おうともせんし、お山にも詣でることはないのじゃ」
指についたメンチの油を名残惜しそうに舐めながら、七竈が事情を話し始める。
「華蓮は美しい上に、優秀な神使でな。ここ花園稲荷神社で捧げられた信仰心を真摯に受け止め、祈願成就に繋げることが得意でのう。おかげであのように多くの鳥居を奉納されたのだが・・・・・」
七竈が話し始めると祠の真ん中に現れた黒い穴が消えていく。自分の話は聞きたくないというわけか。
「最近、異国人の参拝客が増えたのだが・・・」
俺は先ほどの外国人観光客を思い出す。
「参拝客がお願いをするのはいいのだが、皆、日の本の言葉じゃない、異国の言葉でお願いするのだ。別に稲荷神を信仰しているわけではないし、参拝の作法もいい加減な異国の人の願いなんて軽く受け流せばよかったのだが、彼女は真面目すぎでな、異国の人が鯖、鯖、言うけど鯖なんて求めてどうするのかしらとか相談を受けたこともあったぐらいだ」
だんだん読めてきた。
そして多分それはフランス語の挨拶だと思う。
「異国の言葉の勉強をはじめたり、言葉でなく心の願いを聞くために神力を磨いたりしてたのだが、実際は不満とかがたまっていたようだ。ある日ちょっとしたことが原因で切れてしまってな、それ以来、穴稲荷に引きこもったまま出てこないのだ。お山との連絡は狛狐がとっているし、ここら辺の神使たちとは多少は話しができるからなんとかなってるのだが、初見の人に対しては先ほどの有様じゃ」
俺としては、そのちょっとしたことが激しく気になる。
「本殿ならひっきりなしに異国の人が参拝に来るが、現世では穴稲荷は時間を限って鍵を開けている上に、普段から鉄の扉で閉められてるから、開けてまで入ってこようとする異国の人はおらぬのでな。すっかり異国人嫌いになった華蓮は、ここにこもりっぱなしっというわけじゃ」
穴稲荷が実は引きこもり稲荷とは。
現世の常識でも引きこもりは問題視されるが、神代でも引きこもりは問題視されているようだ。
不謹慎だが、俺は久しぶりの現世と神代の価値観の一致に安堵した。
本話でのさらなる睦月成分の不足お詫び申し上げます。作者もそろそろ睦月成分が不足してまいりました。
張った伏線を回収するどころか、放置する羽目になりそうな気配もありますが、皆様にお楽しみいただけるよう書いていきたいと思います。
そしてちょっと思いついてしまったのですが、桔梗を主人公にして成年後の「おきつねさまと飲み歩き」などというスピンオフが頭の中よぎったのですが、いかがなものでしょうか?




