おきつねさまと神使の罠
さて、我が夫婦の危機を切り抜け、現世での引越しを終えて、大学の後期授業の開始まであと二日と迫りながら、俺はまだ神代と現世の後始末に奔走していた。
東京の家は改修工事が完全に終わり、俺は俺の知らぬ間に運び込まれた荷物の片付けに追われた。
まあ睦月の部屋を用意するのはわかる。まあ、我が嫁だからな。
ちなみに式前だし、俺の経済基盤が安定しないため、同室はしばらく先だ。
・・・・これは俺がヘタレなわけではない。・・・いわゆる、男の矜持というものだ。
まあ、矜持があるとも言えど、あの事件の後、俺は睦月に謝りまくった。
俺と睦月の謝罪合戦とお互い顔を真っ赤にした茹で蛸合戦の場となったが、最初は生暖かく見守っていた玉藻だが、それが2時間に及ぶとさすがにいい加減にしろと叱られた。
さすがに今回の騒動には懲りた。耳と尻尾と神代の常識を軽く見てこの騒ぎを引き起こしたあたり、もはや弁解の余地はない。挙句、睦月との生活にこんな邪魔が入る羽目になろうとは・・・・・。
とりあえず神代の縄張りの中では、己の知らぬ分野についてはちと慎重に行動しようと心に決めた。
「ふむ、邪魔ときた上に、ちと、じゃと。我としては細心の注意を払って行動して欲しいものじゃがの」
傍で、玉藻が呟く。
そう、俺と睦月の新居であるはずのこの家に、玉藻が今回の件を盾に取り、現世の部屋を要求したのだ。
玉藻には本家のお社があるだろう!
毎日と週末のお供えは睦月が持っていくから、何も居座ることないだろう。
「ほう、人前で乳繰りあう神使どもから目を離せと・・・・」
玉藻が冷たく言い放つ。これが玉藻の狙いか。
俺は傾国の美女の深謀遠慮に全面降伏せざるをえなかった。
俺は心の底から睦月との甘い生活への未練に涙した。
まあ、俺と玉藻に睦月、時たま来る桔梗の部屋を用意しても一部屋は余るので、そこを茶の間とした。
屋敷には古ぼけたちゃぶ台があり、本来は新しいテーブルと入れ替えようと思ったのだが、何やら睦月に思い入れがあるらしく、工務店の人に修繕をしてもらい引き続き利用することとなった。
そして、夫婦の危機から、連日、玉藻は我が家の茶の間という稲荷寿司三昧の天国にいる。
当然、今回の不始末により、俺と睦月は雇用主であり、主神であり、不本意ながら救いの”神”である玉藻に頭が上がるわけなく、ここ毎日、「都内の稲荷寿司の食べ比べ」というお供えを敢行している。
まあ、俺が買いに行って、睦月はお茶を入れるだけだが。
おかげで都内の有名稲荷寿司店を軒並み制覇してしまった。この分で行くと一年も経たずに稲荷寿司でグルメ本が一冊出せそうだ。
そして、先ほどの場面に戻る。
「ほほう、裏返しのいなり寿司とは珍しいのじゃ」
玉藻がちゃぶ台の上の稲荷寿司をつまむと口に放り込む。
「おお、柚子の風味の酢飯がたまらんのう」
玉藻が目を細め、稲荷寿司を絶賛する。
しかし、今日は食べ比べの集大成ともいうべき光景がちゃぶ台の上に広がっている。
折り詰めに詰められた稲荷寿司100個である。
連日の稲荷寿司買い求め行脚に疲れ果て、そろそろ玉藻に勘弁してくれと訴えたところ、本日の稲荷寿司100個のお供えを持って、俺の不始末を許してくれることと相成った。
嘘のような話だが、この100個入り、本当に売っているのだ。
俺は日比谷線で六本木まで行くと駅からすぐの店で、この100個入りの稲荷寿司を買い求めた。
油揚げを裏返しして包んでいるのがこの店の特徴で、これが理由で、テレビ局の差し入れなどで使われるので、100個入りの折り詰めが存在するらしい。”裏番組を喰う”というゲン担ぎらしい。これ豆な。
いや、しかし、本当にこの稲荷寿司、どこに消えていくの?
すでに半分ほどの稲荷寿司が、玉藻の胃袋に消えている。というのに食べるペースは落ちるわけでもなく、お腹も・・・・・。
「むっ、将門、また、不埒なお・・・・」
すいません、すいません、すいません。
事件以来、俺、謝りぱなっしである。
「旦那様、お茶を」
睦月が玉藻による斬罪タイムをぶった切るべく、タイミングよくお茶を出してくれる。
うむ、できた嫁だ。さらには、玉藻には緑茶、俺には番茶をとそれぞれの好みで出し分けるとは気が利いている。ういういうい、俺の心は睦月の想いで満たされる。
睦月と俺の前には、八個入りの稲荷寿司の折り詰めが置かれているが、俺の分は手付かずだ。さすがに玉藻のあの食べようを見せられるとこちらの食欲が失せる。
「将門、それ食べんのなら、われが貰うぞ」
口の周りに米粒をつけまくった玉藻が、手を伸ばす。
俺はそっと稲荷寿司の折り詰めを玉藻に押しやり、玉藻は奇しくも煩悩の数だけ、稲荷寿司を腹に収めたのだった。
フィーバータイムが終わり、お詫び行脚の打ち合わせである
「まず、根津神社だが、さすがにそちらは行きづらいと思うてのう。われと桔梗とで先に参って三枝には詫びておいたぞ」
玉藻の言葉に俺は桔梗の説明を思い出す。
玉藻が十尾全開で威圧感を発し、傍に境内にいた鳩をつかんだ疾風と小狐丸の鯉口を切った桔梗が控えてるってどう見ても詫びじゃないだろう。俺は主神に虚偽報告をせざるをえない三枝に同情した。
「まずは、乙女稲荷へ参るが、それから先は手分けじゃ」
玉藻が仕切る。さすがに、今回は俺もやらかした後なので、何も言う気はない。
「湯島には我と睦月、疾風で参る。そちは七竈とともに境稲荷神社、七倉稲荷神社、西町太郎稲荷、桜稲荷神社、それと花園稲荷神社に詫びに行ってまいれ」
五箇所もあるのか。
つうか桜稲荷神社って神田明神すぐそばだよね。そんなとこまでバレてたのか。
まじ神田にバレなくて助かった。疾風だけでなく結界を張ってくれた七竈にも何らかの礼をしないと。
「まあ、詫びと言っても疾風と七竈によって話はついているようなものじゃ。将門、そちも七竈がついておる限り馬鹿な真似はすまいしのう・・・。睦月をともに行かせなんだは、さすがに話が話しだけに恥ずかしいとだろうにな」
いや、俺だって恥ずかしいから。
「そち、お詫び行脚の際、神使の格好で現世を歩き回れるか?」
玉藻が俺を呆れ顔で見る。
「・・・・・・・・・・」
俺は不忍通りから上野公園、中央通りを抜けて蔵前橋通りを歩く神使姿の自分を想像する。
無理、無理、無理、いや、絶賛無理。これなら、秋葉原でマリオカートのコスプレをしたほうがまだマシ!
「乳繰り合うのは大丈夫なのに、そちらがダメとは・・・。人の世の判断基準は斯様に不可解じゃな・・・・。良いか、睦月が感じた羞恥心はそのようなものをはるかに超えていたのじゃぞ」
俺はがっくりと頭を垂れる。
睦月が傍から俺の手を握ってくれる。おおう。俺は顔を真っ赤にする。
「旦那様、そ、その、後で・・・」
ういういういうい、うんうんうんうん。
「いちゃつくのはいいが、話を進めても?」
玉藻が口の周りの飯粒を舐めとりながら、呆れたような視線を飛ばす。
「いいか、乙女稲荷で待っておる疾風と七竈にまず詫びたら、将門には七竈と一緒に稲荷神社を回ってもらう。まあ、あやつらはまだ現世を歩くことは出来んから、各お社の前で合流ということになる。それにあやつらなら神代の常識に通じているから、将門のお目付け役にはぴったりじゃろ」
まあ、このことが救いだろう。人形町の食べ歩きを疾風に約束したが、さすがに玉藻や睦月との結びつきと違って、強い結びつきのない疾風は、俺を介して具現化はできないらしい。
俺は、ホッとしたが、桔梗が根津神社を訪れた時、「時間の問題よ」と疾風がつぶやいていたわと気になる報告をしてくれたのを思い出す。
しかし、具現化したがるオカマ神使や、男装した神使が神代の常識に通じているって、それ常識に喧嘩売ってるから。なんで神代はそっち方面に寛容なくせに、尻尾絡めるとかはダメなのよ。おかしくね?
「そのための教育じゃ。しかと学ぶが良い」
突っ込む気力も失せた俺に玉藻が追い打ちをかける。
「稲荷神社の神使どもじゃが、手土産を忘れるでないぞ。口止めの条件は”現世の美味いおもたせ”なのだからな」
俺は神代では信仰心や主神への忠義心より食べ物が重視されることを神代の常識に付け足した。
さて、明けて翌日、お詫び行脚の始まりである。
まあ、お詫びと言っても実情は”口止め”に対するお礼の部分が大きい。とは言っても、俺がやらかしたのは事実で、すでに真相は疾風により神使たちには知れ渡っている。
まあ、このシチューエーションにぴったりのおもたせといえば・・・・。
「おぬし面白い菓子を知っておるのう。ふむ、あんこが多く、一見、大味に思えるが、上品な甘さじゃ。これは砂糖から違うのう。それに、あんだけではなく中になにか入っておるな」
玉藻が、箱から二つ目の最中を取り出すとかぶりつく。
よかった。玉藻が絶対に手を出すと思って、一箱余分に買ってきておいて。
俺と睦月も箱の中の最中に手を出す。
話には聞いていたが、俺も食べるのは初めてだ。
『切腹最中』
新橋駅からほど近い和菓子の老舗で売っている最中だ。
その時は買わなかったが、一度羽田空港のANAフェスタで見かけたこともある。
ちなみにこの物騒な名前の菓子の起源はお店が浅野内匠頭が切腹した場所にあることにちなむらしい。
パリッとした最中にはみ出しているあんこ。見た目重めな感じだが、あんこの中に求肥が隠れているので、口当たり自体は重くはない。
祖父と父から、この菓子のことは聞いていたが、俺も学生のうちに実際に買い求め、お詫びに伺う羽目になるとは思わなかった。
祖父も父も、社会に出てやらかした初めての失敗のときは、切腹する気概で謝罪をという意味で、この最中を持って先方に行ったと言っていたが、まさかその話がここで役立とうとは。
まあ、現世の作法だが、神代にも通じるよな。神使たち皆食い時が張っているようだから。
「うむ、問題なかろう。これなら、神使どもも納得するじゃろう」
玉藻のお墨付きもいただけたようだ。
「まあ、事実、腹切るぐらいの仕出かしだったしのう」
玉藻がニヤリと笑う。
勘弁してよ、本当に許してくれる気があるのかよ。
自宅を出て、根津神社摂社の乙女稲荷神社へ向かう。途中、根津のたいやきで玉藻のご機嫌をとることを忘れない。神代の常識に疎い神使でもこれぐらいの心配りはできるのだ。
ちなみに桔梗は実家に帰省しているため、今回の行脚には不参加である。帰りの新幹線で食べるよう大丸地下の弁当コーナーで奮発して極味弁当を買ってやったのだが、車内でハンバーグとステーキの匂いが充満して他の客の顰蹙を買ったらしい。すまん。
なんでも、地元道場の剣術お披露目の会で演舞をするらしい。最近では、小狐丸を肌身離さず持ち歩いているらしいが、本人が精通していると言い張る銃砲刀剣類所持等取締法で捕まらないか心配だ。俺は、幼馴染が前科者にならないことを切に祈った。ちなみに玉藻でなく、八幡様にだが・・・・・。
最中を食べた直後にもかかわらずたいやきを五個片付けた玉藻は、茶が欲しいなどとわがままを言いつつ、鳥居の前で手を一振りすると神代に入り込む。俺も神力を行使して、神使の姿に身を変えると、手に持った『切腹最中』の”神代”での具現化に意識を手中する。どうやら、収納されず、神代にうまく持ち込めたらしい。携帯や時計がダメで食べ物や包装紙が大丈夫ってどういう基準なのか? 考え始めた俺を玉藻が急かす。
「はよ歩かぬか。それと万が一のことを考えて尾と耳を出すのは禁止じゃ」
玉藻のもっともな言葉に、睦月が絶望の表情を浮かべる。
睦月と手をつなごうにもお持たせの袋が・・・・。
あああ、いや、あとでゆっくりとね、睦月。
「だあーーーーーつ、キリキリと歩かぬか! この神使ども!」
どうも、信用できないのか、玉藻は俺を自身の右に、睦月を左に配し、後ろを監視できるように二歩ほど下がって、歩き始めた。
神橋を渡ると左に曲がり、満開のツツジを見ながら、睦月が飛び込んだ鳥居の一本南の鳥居から乙女稲荷に参内する。
さすがに鳥居は三人並んで潜れないので、一列になるが、先頭を俺、真ん中を玉藻、最後尾を睦月と、全く俺が信用されていないフォーメションで拝殿まで進む。
そして待ち受ける満面の笑顔を浮かべたオカマ狐と渋いヅカ狐。
悪いとは思っていても、この神代の常識はなかなか受け入れられるものではない。せめてと思い、俺は不敬な思いを心の奥底深くまで沈み込ませる。まあ、いつかは受け入れるだろう。
「此度は、私の不祥事にて疾風殿と七竈殿には大変なご迷惑をおかけしたことを深くお詫び申し上げます。また、ことの解決にご尽力いただき感謝の念にたえません。ご覧の通り神使としては弱輩の身、これからのご指導をお願い申し上げます」
いろいろ言葉を考えたが、これで行くことにした。睦月の暴走はあくまでも俺が原因、下手に様付けしないのは神使同士は呼び捨てか殿で通すと前もって聞いていたからだ。あまり卑屈になっても好印象は与えられまい。
「特に疾風殿には格別のご配慮を頂きました、ついては、現世での鳥居の奉納、この神代でもお受け取りください」
俺は最後に潜った鳥居を見やる。
疾風との約束通り現世での乙女稲荷神社に俺と睦月で、心願成就記念の鳥居を一本、奉納したのだ。最後に潜った鳥居が新たに奉納された鳥居だ。
登ってくるときには見えなかったが、その鳥居の裏側には心願成就の言葉とともに、右側には俺「八代将門」の名、左には「八代睦月」の名前が書かれている。
式を挙げるまえだが、後で書き加えるのもなんなので、最初から姓を書いてもらったのだ。
うむ、こ、こ、こう、はっきりと睦月の名前を見ると、なんというか、なんだ、面映いといか・・・・・、あああああ自分の顔が真っ赤になるのがわかる。
睦月はと見ると真っ赤な顔で書かれた名前を食いいるように見つめている。
さすが、玉藻、気恥ずかしさのあまり、今にでも駒込稲荷神社に向かって走り出しそうになる睦月の衣の袖を手で押さえている。
いやいやいや、これも立派な羞恥プレイだから・・・・。
疾風はそんな俺たちの有り様をニヤニヤしながら、玉藻と七竈は呆れながら見ている。
ちいぃ、このオカマ狐! これが目的だったのか。
俺は再び疾風の手のひらで踊らされたことに気づいた。
「からかって、ごめんなさいね、でも、やっぱりあなたたち可愛いわ〜」
危うく駒込神社立て籠もり事件を起こしかけた首謀者の謝罪は簡単なものだった。
「うぐっ、えぐっ」
危うく駒込神社立て籠もり事件を起こしかけた実行犯は俺の腕の中で泣いていた。
「さすがにここまで周到に手を回されると我としても抗議せねばのう。こう我の神使を手玉に取られてはのう・・・・」
玉藻が苦虫を潰した顔で、疾風を見る。
いや、もっと抗議してくれよ。睦月泣いちまったじゃないか。
ここで主神の威厳見せなくてどうすんの。さすがに、俺、前回やらかしてるから自重してるけど、もし、玉藻動かんなら俺、神代の常識なんて知ったことじゃないぞ。
「これよこれ」
疾風が鬼の首を取ったかのように俺を見て笑い始める。
「まあ、この辺り、将門は鈍くてのう・・・」
玉藻が首を振りながらため息をつく。
「その、旦那様・・・・」
腕の中の睦月が俺を見上げる。
「苗字をつけていただき、旦那様とその並んで名前を奉納していただき、その、嬉しさのあまり・・・・」
睦月の呟きに俺の思考が一瞬フリーズするが、素早思考を巡らす。
あれ、これって実質夫婦で・・・、心願成就って奉納したことは・・・・・。
「睦月ちゃんは空狐で五尾、将門は神力と妖力が未知数だけど五尾の睦月ちゃんの結界を破るだけの力を持っている。そんな二人の心願成就、しかも乙女稲荷お得意の恋愛の分野で二人に鳥居を奉納までさせたのよ。あなた方の間を取り持った私と、あなたたちの主神が力を持って再建されたこのお社にどれだけの信仰心が注がれたかしら」
疾風がお得意の手のひらを外に向けるおかまチックな笑い声をあげる。
まじここまで計算してたのか?
「これであなたたちと私のお社に強い結びつきができたわ。これで、私が現世に具現化することに何の障害もなくなったってことよ」
疾風の現世への執念に、玉藻、俺、睦月、七竈、ドン引きである。
お読みいただきありがとうございました。
予定ではお詫び行脚編を挟み、人形町編を上程したいのですが、フィールドワークの都合で湯島天神編が先になることもありえます。
書き溜めもなし、思い付きで書き捲る作品でありますが、自分の想いである皆様に笑っていただける作品を提供するというコンセプトは守っていきたいと思います。・・・・ときたまシリアス入りますが・・・・。自らの拙い文才を反省することしきりですが、今後とも、皆様のお心が許す限りご愛読のほどよろしくお願い致します。




