おきつねさまと銀座の和菓子
我が家の庭のはずれには小さなお社がある。
言い伝えによるとこのお社を守るために我が家はあるらしい。あるらしいというのは別にお社の宮司でもないからだ。お社の脇にたつ既に文字の読めなくなった石碑の裏に『永暦』と彫られており、これが本当なら西暦1160年からお社があることになる。まあ、お社自体は江戸時代に建て直されたらしく、あいにく文化財等には指定されていない。
お社の中にはしめ縄の張られた石が鎮座している。狛犬や狛狐、神額もなく、特に何が祭られているのか分からないが、昔から毎朝お揚げを2枚供え、土曜日の夜は稲荷寿司を2個お供えすることになっていることから、稲荷神か玉藻前が祭られていると言われている。
我が家は一応旧家ということになっているが、戦後の農地解放で大部分の農地を手放したため、残った土地にアパートやら貸家を建て、週末に入場料を取って庭園を開放して、なんとかこの家を維持している。なにせ敷地だけで8,000坪、屋敷も蔵やなんやで11棟、隣接する山林が4町歩と年間に払う固定資産税だけでえらいことになっている。家業の不動産業がうまくいってるのは、稲荷神が商売の神様だからだろうと父はいつも言っている。
もの心ついたときから、お供え物を上げるのは俺の仕事だった。どうやら代々当主が、また当主の跡継ぎが生まれた場合は、その跡継ぎがお供えをするのが伝統らしい。ただ当主や跡継ぎが家にいない場合は、代理としてその妻もしくは母がお供えすることになっている。祖父が戦争に行っているときや父が大学に通うため上京しているときは、祖母がお供えをしていたとのことだ。
自分も小学校に上がった時、当主である父からこの行事を引き継いだ。最初に疑問に思ったのは、夕方皿を下げに行くとお供え物のお揚げがなくなっていることだった。カラスかなにかかと思ったが、土曜日の稲荷寿司も翌朝にさげにいくとなくなっているのを見ると、子供心に興味がわいた。
日曜日の朝、お供えをしたとき、張り込みをして、お揚げがどうなったか確かめることにした。最初の張り込み日、お供えをして2時間ほどしてからお手洗いに行き、戻ってくるとお揚げは消えていた。これで、意地になった俺は、次の週も張り込むことにした。両親は気付いていたのだろうが何も言わなかった。後から思うと父も同じことを子供の頃体験したのだろう。
次の週、お供えをしてからお社から少し離れた木の影で張り込んでいると、またしてもトイレにいきたくなった。意地でも我慢してやると思い、半分涙ぐんだ目でお供え物をじっと見つめていると、後ろでガサリと物音がした。びっくりしてあわてて振り返るが特に誰もいなかった。びっくりしてちょっと濡らしてしまったのは、永遠の秘密だ。お供え物に目を戻すとみごとにお揚げは消えていた。さすがにこれには俺もおどろき母屋に駆け込んで、ちゃんとトイレは済ませてから、在宅していた父にことの次第を話した。
『お前もやっぱり気になったか。父さんも子供のころ、不思議に思って確かめたことがある』
父は俺に言い聞かせるように言った。
『お供え物はお社様が召し上がってるんだ。お社様はけっして姿を見せない。どんなに見張っていてもなにかが起きて必ずお供え物はなくなっている。これは昔からのことだ、お前もそのうち納得せざるをえないさ。ただし、このことは家族以外の誰にも言ってはいけないよ』
子供心に父の言葉は脅し文句のように響いた。現実に目の前でお供え物がなくなるのを見て、ああこれはこういうものだなと納得していた。だからといって怖くなったわけではない。昔から庭とお社は遊び場であり、畏怖の対象であったわけではないからだ。友達や幼馴染とよく庭で遊んだが、お社様のことだけは誰にも話さなかった。
小学校から、中学校、地元の高校へと進み、その間も俺のお供え当番は続き、途切れたのは、大学進学のために上京した時だった。高校で帰宅部だった俺は大学でもとくにどこかのサークルに所属するわけでもなく、夏休み丸々帰郷して過ごすこととなり、俺の替わりに父がしていたお供え当番をふたたび俺がすることになったのだ。
帰郷して実家に顔をだし、地元で剣術の道場を営んでいる幼馴染の家にお土産を持って行くと残念なことに家族でグアムに出かけたと、道場で門下生と稽古中の師範代が教えてくれた。
有楽町の小さな雑居ビルにある和菓子屋のおもたせで、1ヶ月前に予約を入れてようやく手に入れた一品だった。和菓子好きの幼馴染には受けるだろうと思って気合をいれて買ってきたのだが、内緒で驚かそうと思ったのが裏目に出てしまった。帰りは2週間後、和菓子は冷蔵で2日しか持たない。残念だが自宅で消費するしかないだろう。幸い6個入りだ、祖父母と両親、俺で夕食後に消費すれば問題ないだろう。
帰宅すると土曜日だったので、稲荷寿司をお供えしてくるよういいつかった。本当に気まぐれだったが、俺は稲荷寿司2つを大きめの皿に移し、茶色の稲荷寿司の脇に笹の葉にくるまれた緑色の和菓子を1つのせた。俺は勝手口から出て、庭を横切りお社へ向かう。7月の上旬なので日は長い。西の山の向こうに陽は既に沈んでいるが、夜の7時だというのにあたりはまだ明るい。
空になったお皿をさげ、稲荷寿司と和菓子を載せたお皿をお供えする。しゃがみながら両手をあわせ商売繁盛・家内安全とつぶやきながらお祈りする。本当なら2礼2拍1礼なんだろうが、昔からこれで済ませている。お供えを終えて戻ろうときびすを返すと同時にガタリと音がした。振り返るとお社の扉が半開きになっており、皿の上の稲荷寿司と和菓子が消えていた。
おお、久々にみたな~と思いつつ、半開きの扉を閉めると俺は母屋へと戻った。
そして翌日から奇妙な出来事が始まった。
日曜日の朝、あらたにお揚げをお供えして戻ろうとしたところ、頭に何かコツンとぶつかった。振り返って足元を見るとクヌギの実がひとつ落ちていた。これがあたったのだろうが、ここにはクヌギの樹がない。振り返りついでに供え物をみるとお揚げがなくなっていた。
更に翌日の月曜日、今度の奇妙な出来事は夜に起きた。寝ていると急に頭を敷布団に打ち付けた。起き上がってみると枕が部屋の端に飛んでいた。
ここまで来るとさすがに分かる。間違いなくお社様の仕業だろう。心当たりはお供えした和菓子だ。どうみてももう一度お供えしろということだろう。だが、これは出来ない。なんといっても1ヶ月目からの予約が必要なのだ。とりあえず和菓子屋に予約の電話を入れてみるが、やはり1ヵ月後だ。とりあえずキャンセル待ちがでたら連絡をしてもらうことになった。
木曜日になるとさらにエスカレートした。実の縁側との境のガラス障子に白い影が映るようになったのだ。それも、じっと見つめていると出てこない。視界の端にガラス障子が目に入るタイミングで白い影が縁側を横切るのだ。
その晩、食事の時に父と祖父に尋ねてみた。
『お社様のお供え物にお揚げと稲荷寿司以外のものもお供えしたらどうなるのか?』
祖父と父は顔を見合わせると、お互いに声を発した。
「考え付きもせなんだ」
「それは、考えなかった」
親父が言った。
「もしかしてお揚げと稲荷寿司以外を供えたのか?」
『先日の和菓子を稲荷寿司と一緒に・・・』
俺はそれと一緒にここ数日起こっている現象について話した。
「蔵の中にある書付に何か残ってるかもしれん」
祖父が言うと。
「とりあえずお社さまが怒ってることはあるまいな」
父が心配そうに切り返す。
俺が和菓子も無くなっていた旨、話すとホッとしたようため息をつく。
「おそらく和菓子が気に入って、無心しとるんじゃろう」
和菓子は予約せねば手に入らぬこと、また、一応キャンセルを待っているが、キャンセルが無ければ1か月はかかることを家族に伝えた。
「仕方あるまい。取り急ぎそれまでは様子見じゃ」
そしてとびっきりの異変は日曜日の朝に起こった。
いつもの通りお供えにお社に向かうとお社の前に、腰まで伸びる金色の髪と頭の上にけもの耳を生やし、白と朱の巫女服に身を包んだ少女が腰に手をあてまさに仁王立の状態で立っていた。