おきつねさまとメイド姿の神使
土曜日の早朝、起きると家の長屋門を開けに行く。
門を開けると、ちょうど鉢合わせた庭園見学の受付業務を兼ねているシルバー人材センターから派遣された庭師の老人と挨拶を交わす。老人は庭の清掃と長屋門脇の受付で、見学料の徴収と説明コースの時間調整を行っている。
我が家の庭の見学料は200円のまま据え置かれ、俺の説明とお社の見学が含まれたコースだと400円にすることに決まった。ちなみに母と祖母は庭の外れにある茶室で茶と茶菓子を振る舞うことを計画中で、見学料のさらなる値上げを狙っているらしい。
「おはようございます。八代様」
掃除のためお社へ向かうと、皿を持った睦月が挨拶してきた。どういう理屈か分からないが、お社に供えた睦月の分のお供え物は、皿ごと消えて、分社に転送されるらしい。おかげで、毎朝、皿を返却するためお社を訪れるのが睦月の日課らしい。
最近は、俺に対する程度もやわらかくなった。最初のツンケンとした態度はなりを潜め、いちおうそれなりの敬意は払ってもらえてるようだ。
うむ、やはり巫女姿のケモミミ娘には癒される、これでメイド姿ならさらに・・・。ゲフンゲフン。
「ああ、おはよう」
不埒な考えを飲み込むと俺は、箒を手にし、お社前の小さな石畳を掃き始めた。まあ小さなお社だ、そんなに掃除には時間はかからない。最も秋になると周りは銀杏やら紅葉やら落葉樹ばかりだ、掃除は大変だろう。
「八代様、先日、本山へ玉藻前様の神使たる眷属になったとの報告に行ってきたのですが・・・」
睦月が少し険しい顔で話しかけてきた。
睦月の話によると、屋敷神として守護する家を守れなかったのを責められることを覚悟で、本山に報告に行ったのだが、ちと風向きが違ったらしい。
「神使の皆が、私はともかく八代様をも侮っておるのです」
ふむ、それは初耳。まあ、偉いのは玉藻であって俺ではないし、ただの人間だしな。それに睦月、お前も最初は俺を侮っていたような気がするが・・・。
「まあ、仕方ないんじゃないのか。偉いのは玉藻であって俺ではない。それに俺は人間で、しかも仮の神使だしな」
まあ、本山の神使とかにもあったことはないしな。それに、将門公の神使に脅かされとあっては、確かに面白くないだろう。俺だって、本物の鵺を見たらビビってしまうだろうしな。
「しかし八代様は、その、将門公の・・・・」
睦月が恐る恐る言った。
やはり怖いのか将門公が。
「う〜ん、まあ元の魂は同じとしてもな、あちらは神様、こちらは人間。まあ、そういうこった」
俺は、掃除の手を休めることなく言った。
睦月はじっと下を見つめると顔を上げて言った。目が涙ぐんでいる。
「その、私は九十年前の大地震で守るべき一族をなくしました」
おお、いきなり重い発言。90年前というと関東大震災か。
話によると睦月は一番下っ端の地狐という位の妖狐で、この位の妖狐は、家の片隅に小さなお社が建てられるとすると修行を兼ねて本山から遣わされるとのことだ。
「お屋敷と皆様はお守りできたのですが、皆様、避難先で火災に巻き込まれて・・・・」
屋敷守りである睦月は、その地から離れられず、一族を守りきれなかったというわけか。
その後、屋敷は貸家となり、主人が度々変わるため、睦月は守護する一族を定められなかったらしい。
「将門公が祭神から外されたために、あの地震を起こしたのは周知の事実です」
神界の常識なんだ。
「将門公を恨んでいるのか?」
「神が神力を行使するのは仕方がありません。どのように不条理であろうとそれが神意なのですから。でも本山の神使たちは何もしなかったのです。あの地震で、数々の屋敷神が守護する屋敷や人たちが亡くなりました。その時、我々は本山に願いましたが、何ら加護を与えてくれませんでした、恨むとしたら本山の神使達でしょう」
当時は将門公が怖くて、積極的な支援ができなかったのだろう。
しかし、胸糞悪くなる話だな。神界も俗世と変わらんな。
「多くの地狐が、力を失い、野狐に変わりました。私も屋敷が残っていいなかったら野狐になっていたでしょう」
睦月はうつむきながら言葉を重ねた。
「三十年前に将門公が祭神に復活しても、私は呼び戻されずもせず、そのままでした。玉藻前様と八代様が現れなければ、屋敷が朽ち果てると同時に私も野狐になっていたでしょう。ありがとうございます」
睦月が俺に頭を下げた。
なんだか面映い。
「将門公が怖くて面と向かって文句も言えず、神力がありながら、弱いものに八つ当たりするような稲荷神や神使は許せないか?」
俺は言った。
さすがに神使達はともかく主神たる稲荷神のことは悪くは言えないのだろう。
睦月は何か言いたそうだったが、唇を噛んで、下を向いた。
世の中は不公平かもしれない。でも、何もしなければ状況は変わらない。けれど、どんなに努力しても、どうにもならないときもある。
そんなときに、神に頼るのだろう。そしてその神に力があるのに救ってくれないのが分かったら何を思うのだろう。
そりゃ、すべてを救えとは言わない。努力もしないで救いを求めるやつもいるしな。
でも救える力があるのにそれを行使しない、というのは気に入らない。人間でもそうだ。助けを求められれば、たとえ結果がどうなろうと手を差し出さないって言うのは俺の主義に反する。俺の脳裏に勝気な幼馴染の姿が過ぎった。
「睦月、俺は人間で、仮の神使でしかないし、将門公と魂の根源は同じかもしれないが、今では別の存在だ」
俺が将門公の行いの責任を取ることなどできないし、屋敷神たちの願いを聞き届けることもできない。
それでも、ここは言っておくべきだろう。
「お前が玉藻の眷属で神使である限り、玉藻前様の第一神使たる、我、八代将門は、そなた睦月を全力を持って、守護することをここに誓う」
何気なく右手を差し出すと、当然とばかりに睦月が、俺の前で手の下に頭が来るよう跪く。なんとなしに睦月の頭に手を置くと睦月の周りにキラキラした粒子が舞い始めた。
おお、玉藻が睦月に名を与えた時と同じエフェクトだな〜と思っていると、傍から玉藻の叫び声が聞こえた。
「将門、お主何をしておる?」
玉藻が慌てている。
「いや、睦月が本山の神使どもに虐められたというから守ってやろうと思って・・・」
玉藻が顎が外れたかのようにポカンとしている。視線は俺ではなくどうやら睦月に向かってるらしい。
振り返り、正面を見るとそこにはメイド姿の睦月がしゃがんでいた。
「えええええええええええええっ」
俺の絶叫が響き渡った。




