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私の王国

作者: 新士 悟
掲載日:2016/03/16

     1


 日本語を勉強してきた。

 なぜならわたしの母は物語を日本語で綴ったから。

 母の物語は様々な言語に翻訳され、中国語、韓国語、ロシア語、フランス語、そして英語を母語とする人々の記憶に照らされた。言語の壁を越えていく度、物語は国境を移ろっていった。

 まるで病のようだとわたしは感じる。移ろい続け、変形し、性質を変容させ、そして文字として昇華する際には、まるで別物へと変化してしまう。そんな物語の営みを、わたしは病という存在に重ねてしまう。

 わたしはイギリス人として英語を母語としてきた。そのことには誇りを感じている。わたしはこの王国を愛している。しかし、わたしの本当の王国は「日本」に存在するらしい。

「日本ってさ、テーマパークがすごいらしいよ」

 小学校時代、外国への関心が強い友人がそう教えてくれた。

「テーマパークってオルトン・タワーズみたいなの?」

「ぜんぜん違うよ。確かにオルトン・タワーズは楽しいけれど。でもね、日本のそれは規模が違うの。なんたって国全体がテーマパークなんだもの!」

 クールジャパン。アジアのコンテンツ大国。

 ――王国。

 わたしの日本への印象は、小学校の教室の一番後ろの席で交わされた会話によって決定された。

 和食、歌舞伎、相撲、落語、わびさび。アニメ、漫画、小説、ゲーム。日本が所有するコンテンツを国際的戦力として活用したクールジャパン戦略。その果ての果て。文化王国、日本。

 そして、母の物語は日本というプラットフォームにおいて重要な位置を占めているらしい、ということを後のわたしは知る。母は日本人で、現在わたしと共に暮らしている父はイギリス人だ。二人はわたしが幼いころに離婚している。そんな母の職業を教えられたのは、わたしが中学生になったばかりのことだ。

 情報源はまたもやあの女の子。

「ねえ、この作家ってあなたとどこか似ている気がしない?」

 見せられたのは、日本の小説の英訳本。その著者近影。そこに写っていた女性は、最近、父の書斎を掃除している際に偶然発見した写真の中で見た記憶があった。そう、父と手を握るかつての母の姿と女性作家の顔は、みごとに一致していたのだ。

 母は日本でも五本の指に入るほどのベストセラー作家だった。王国の一角を担う存在。そんな人物の血がわたしの身体の中を巡っている。そのことに心が僅かばかり躍った。

「ねえねえ、ここ見てよ」

 友人が指し示すのは、本の一番後ろ、あとがきのページ。

『この物語は、わたしの娘へと宛てたものなのです。彼女がこの物語を読んで、笑顔になってくれることを心から望みます』

 ――その言葉が、わたしが日本語を学び始めるきっかけとなったことは、言うまでもないだろう。母の物語を、母の使う言葉で読んでみたい。そしていつか、「わたしの王国」へと訪れることが将来の夢の一つになった。





     2


「『I』は日本語で『わたし』。もしくは『ぼく』、『おれ』」

「いっぱいありすぎて分かんないよ……。しかもこれだけじゃなくて、カンジってのもあるんでしょ?」

「日本語にはまだカタカナもあるよ」

「うひゃー、大変だ」

 時が経ち、十六歳となり、わたしと彼女は親友となっていた。

 クラスの端っこで外国語を勉強する二人の女の子。それが私たち。うちの学校は寮制で、すごく広いグラウンドがあって、女子も運動に熱心。だけど、わたしと彼女は引っ込み思案だから、運動はもちろん、チェスやダンスもからっきし興味がなかった。

 だから空き時間には一緒に日本語を勉強した。リーディングはだいぶ身についたけれど、ライティングも、ヒアリングも、スピーキングもまだまだだった。いつか文化の帝国へ旅行することが、わたしたちの目標であり、約束。


 努力の成果はだんだんと身に表れてきた。日本語で会話することも、簡単な単語をかき集めればどうにか可能となった。

 父にはこの努力は内緒にし続けた。いくらわたしでも、父を思い遣ることはできる。昔の妻を思い出させることは、ただの嫌がらせだ。なのでわたしは、ライティングが身についたときも、ヒアリングが身についたときも、スピーキングが身についたときも、父には報告しなかった。努力への賞賛を求めるようなことはしなかった。

 だから被害は最小限にとどまった。

 わたし一人が傷ついて済んだのだから。

 ただ……。親友に気を遣わせてしまったことだけが、今でも胸を痛める。





     3


 それはネットメディアに掲載された日本人の少女へのインタビュー記事だった。

 『私のお母さんの仕事は、物語を書くことです』から始まる日本語の文章。これを読めるのも、必死に勉強してきた成果だ。

 彼女は日本でも五本の指に入るベストセラー作家の娘だった。

 インタビューの中で彼女は、母親の書いた物語が自分自身に宛てられたものだと知ったのは、中学生になったばかりの頃であったこと、その想いに幸せを感じていること、母の功績に誇りを感じていること、などを語った。

 彼女の年齢は十六歳。わたしが生まれ、父と母が離婚した二年後に誕生した計算になる。そう、母はわたしが一歳の誕生日を迎える頃にはすでに家を去っていたのだ。そのことをふいに思い出した。思い出し、涙を流した。

 いっぱい勉強したけれど、漢字の書き取りだけは苦手だった。

 だからいつまで経っても「I」を「私」と書くことができない。

 もしかすると、これからも叶わないのかもしれない。



 それから数年。王国へはついぞ訪れていない。


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