ふたつめ
「依頼人来ないですね、所長?」
「まあこんなもんさ」
ボクがこの探偵社に来て、早一週間がたっていたが、それまでに来た依頼は、初日の一件のみだった。結局この一週間、ボクはよくわからない資料の整理や、事務所の掃除をしてすごしていた。
特筆すべきことといえば、所長はPCで報告書のようなものをまとめたり、本を漁って調べ物をしていたりしているのだが、その間ずっとヨミとべったりなことだろうか。
「…(ぺろぺろ)」
「っ、くすぐったいぞ?ヨミ」
ヨミはずっと所長に抱きついて、首筋をなめたり、頬ずりしたり、時には所長の若干はだけたブラウスの襟元に手を滑り込ませたりしていた。
さすがに最初は目に毒だと思ったが、最近はほんとに猫と飼い主に見えてきて、人間というのは状況に慣れるものなのだとだと実感していた。
「さてと、そろそろ今日も上がり時間だな」
所長が言ったので時計に目をやると、すでに時刻は17:00を回ったところだった。一般的な探偵の営業時間というものをよく知らないが、ここは結構自由で、朝は9時までに出勤すればよく、また大体17時を過ぎるとそろそろ帰ろうか、となる。
まあ所長とヨミは事務所の一室に居住スペースがあるため帰宅するのは僕だけであるが。
…なんというか、ボクは拍子抜けしていた。
実際にここに入るまで、探偵というものは他の職業とはまったく異なるものと考えていたし、なんというか、期待や不安の入り混じったものが(まあこれは新入社員なら誰でも感じるものかもしれないが)あったのだが、雑用ばかりこなして、依頼はほとんど来ないし、これで本当に給料をもらえるのかと少し不安になるくらいだった。
そんなことを漠然と考えていると、一瞬ピクリとヨミの体がこわばったように感じた。
「…すまんな春見君、今日はまだこれからのようだ」
所長が言ったすぐあと、事務所のドアがノックされる音がした。この探偵社は一応電話予約という形をとっているが、時々こういう飛び入りの客が来るらしい。それを入社時に聞いていた、ボクは、
「はい」
と、何気なくドアを開けた。
そこには一人の女性が立っていた。背丈はボクより低い…160cmといったところか。黒く長い髪、薄い紫のワンピースを着ている。いやそんなことはどうでもよかった。どう考えても異質なことがひとつあった。
全身ずぶ濡れなのだ。もちろん雨に降られたのではないはずだ。今日の天気予報は関東圏どこも晴れ、雲が出る地域すら珍しい快晴の予報だった。
「…ミコ所長は、います、か」
彼女は今にも消え入りそうな声で、そういった。
ボクは突然のことに呆然としていたが、その声にはっと我に返り、
「い、今ふくもの、タオルを持ってきます!」
とあわてて洗面所に向かおうとしたが、
「いいよそのままで、どうせ拭いてもきりがない」
所長が止めた。
「久しぶりだな、霧雨、今日は何用だ?」
キリウ?彼女の名前だろうか。拭いても意味がないって?いやそんなことよりまず、
「所長、知り合いですか?」
「ああ、彼女はキリウ、まあヨミと同じ超能力者、いや彼女の場合は怪に近いモノだな」
あやかし?妖怪ってこと?だめだ、頭がついていかない。
「なんかようかい?ってことですか」
「…何を言ってるんだお前は。とまれ中に入れてやれ、それでも客だ」
そういわれて入り口に放置してしまっていた彼女を招き入れた。
気休め程度にタオルを重ねて椅子にかけた彼女に、所長は先と同じ質問を重ねた。
「今日は何の依頼だ?また水が止まらなくなったか?」
どうも本来彼女もずっとずぶ濡れということはなく、まあもちろんそれでは生活に支障をきたすし自身の能力をコントロールできるはずなのだが、たまにチカラの制御がきなくなってしまうことがあるらしい。
「…それは、そうなんだけど、」
彼女はまた、注意しなければ聞き逃してしまいそうな声で言った。
「お兄ちゃんを、さがしてほしいの」
「…ふむ、行方不明ということか」
キリウはこくりとうなずいた。どうやら数日前に仕事で出て行ったきり、彼女の兄が帰ってこないというのだ。
「心当たりは何かないのか?」
所長が聞くが、
「…」
キリウはふるふると首を横に振った。ボクは、このこの反応の仕方はヨミと似てる気がするな、となんとなく思った。
「ヨミ、見てみてくれるか」
所長が言うと、それまで所長に隠れるように位置していたヨミが少し身を乗り出し、キリウを睨付けるようにしてジッと見た。
「…三日前…別れ際…何か、言ってる」
!!思えばこの一週間、特に依頼もなかったので、ヨミの力を見るのはこれが初めてだった。…本当に見えてるのか。
「…そういえば、お兄ちゃん、出かけるとき…『じゃあな』っていってた、いつもは、『いってきます』なのに…?」
…どういうことだろう。単になんとなく言い方を変えただけか、それとも?
「ふむ、お前のとこは兄と二人暮らしであったな…、あの兄がお前を一人残していくとも思えんが…」
「所長はそのお兄さんと面識があるんですか?」
「ああ…前に彼女が同じような症状になったときに連れてきたのが兄貴だったんだ」
「なるほどそれで、キリウさんの能力も知っていたんですね」
ボクは所長に聞いた。
「ふむ、まあそのときは確か兄に恋人ができたとか何とかだったな」
「…!」
キリウが顔を赤らめふるふると首をふる。それは言ってほしくなかったのだろう。というか探偵なりの守秘義務とか何とかはないのだろうか。まあ僕のここの一員であるからまったくの部外者ではないのかもしれないが。
「まあつまり今回の制御不能もそういうことさ」
「…!」
キリウがはっとした表情になる。つまり兄がいなくなったことのショックで能力が暴走しているということか。
「ということで、キリウのブラコンを直すか、兄貴を見つけるかせんとな」
所長がかかと笑う。キリウはますます赤くなっていた。
「さて問題は今回ばかりはヨミのチカラだけで即解決、といかないことだな」
僕は思うところあって所長に言った。
「えっと、そのお兄さんの写真かなんかを見て、ヨミちゃんにお兄さんの行動をたどってもらえば解決じゃないんですか?」
「まあそれもやっては見るが難しいだろう。こないだの犬探しみたいにいなくなってすぐ、まあ一日二日なら問題もないのだがな、今回は三日前だ。時間が空くほど難しくなるのさ。さっきも『何かいっているのは見えた』が『何と言ったか』はわからなかっただろ?」
「…」
ヨミがうなずく。そういえば、
「って見えるだけじゃなくて声とか音も聞こえるんですか?」
「鮮明な記憶ならな、聞こえるらしい」
ヨミが再度うなずく。ほんとにどうなっているんだろうこの能力。
「写真、あるか?」
所長にそういわれて、彼女は兄の写真をおずおずと差し出す。そこにはしゅっとした感じの美青年が写っていた。どことなくキリウに似ている。
「ヨミ」
ヨミがじっと睨付ける。
「…バス亭?駅?…駅名は…」
「見えたか、どこだ?」
「N駅?かな」
「N駅…H県か?少し遠いな。まあ行ってみるしかあるまい。他には何か?」
「…だけ」
「そうか、まあ三日でこれだけ見えれば良いほうか…。よくやったなヨミ、目的地はわかった。では行くぞ。春見君も準備したまへ」
「へ?い、今からですか?」
「善は急げだ。これでもクイックレスポンスが心情なのだよ、私は。30分で支度をしたまへ、貴様のアパートも近いしできるであろう?」
それからボクはアパートに戻って必要最低限の着替えなどを持って、事務所に戻った。ぎりぎり30分。
「遅いではないか春見君、では行くぞ」
「ちょうど30分ですよ。そういえばキリウさんはどうするんですか?ずぶぬれのまま電車には…」
いっていやな予感がした。
「春見君は確か、免許を持っていたな?履歴書にあったぞ」
「く、車で行くんですか!?明日になっちまいますよ、今から、H県なんて。クイックレスポンスはどうしたんですか!」
「依頼主第一だろ?仕事だぞ」
「…車はあるんですか?所長が車に乗ってるとこ見たことないですが」
「観察力が足らんぞ君は、裏の駐車場を見たことがないのか?」
裏には確か…確かに車はあったが昔のアニメに出てくるような小さいやつだったような…
「あ、あれ所長のですか?あんなんで行くつもりですか」
「正確には探偵社のものだな。それとあんなのとは何だ失礼な。れっきとした四人乗りではないか」
「荷物が入りませんて!」
「トランクがあろう私らのは入ったぞ?…まあもういっぱいだったが」
「ボクの!ボクのは!?」
「小さいことを気にする男はもてんぞ?」
もう何を言ってもだめなようだった。しょうがなくボクは本当に最小限の、変えのパンツとシャツをかばんに入れていくことにした。
しばらく運転し、高速に入ったところでボクはたずねた。
「しかしH県に行ったとして、どうやって探すんですか?所長はH県に行ったことあるんですか?ボクは初めてですが」
「ふむ、頭を使いたまえよ、もう少し。それでも名探偵ミコの第一助手であろ?」
「第一も何もボクしかいないじゃないですか助手は。そもそもヨミちゃんが探偵みたいなものだし…」
「口答えばかり達者だな、春見君は。まだ気づかんのか?」
「へ、ってああそうか、ヨミちゃんの能力を使えばいいんですね」
「まあそういうことだ。ただ、チカラの乱用は負担になるからな、聞き込みと織り交ぜて範囲を絞っていくことになる」
しばらく、というか数時間運転して、H県に入りN駅に向かう。結局というか当然というか途中で日が変わってしまったが、PAで休憩を挟みつつなんとか明け方にはH県に到着できた。
「所長…どこかで休憩を…なれない高速で…へとへとです」
「だらしがない助手だな」
「ってあんたらずっと寝てたじゃないですか!助手一人に運転させてからに!」
「はぁ、さっさと宿に行くぞ。朝風呂くらい入れるだろう」
…くそう、いつかぎゃふんといわせてやる…。って
「旅館かなんかとってるんですか?よかったあ、風呂もなし休憩もなしで早速捜索かと」
「ん?そうしたいならばそれでもいいがな、春見君が支度しているときにネットでちょちょいと予約しておいたのだよ。平日だし空きは問題なかったからな」
それから僕らは駅から少し離れた、といっても車で十数分のところだが、旅館にお世話になることになった。
いつの間にか、キリウの放水現象が収まっていることに僕は気づいた。
「あれ…」
「ホントに君は観察力がないな、だいぶ前から水はおさまっておるよ。私たちの協力を得られて精神的に安定したのであろう」
「それはよか…ってやっぱり電車で来ればよかったじゃないですか、したら昨日のうちに着けたんじゃ!?」
僕の叫びも無視し、みんなはぞろぞろと宿に入っていく。くそう。
ボクたちは朝風呂を浴びた後、旅館の朝食をとりながらこれからのことを話した。
「えっと、まず駅の辺りからですよね」
ボクが言った。昨日駅が見えたということはまずはそこからだと考えた。
「ふむ、実は昨夜ちらと駅の横を通ったときに見ておいてもらったのでな。その分析からだ」
「…さすがですね、所長」
「われわれは君と違って頭が回るのだ。それで見えたのは私鉄に乗る彼の姿だった。今日はそれに乗って行き先を探る」
言われっぱなしなのは癪だが、そこまでわかっているのなら話は早い。
「わっかりました。では早いところ飯を済ませていきましょう!」
「まあまて、私らはもう一度風呂だ。急いてはことを仕損じるぞ?春見君」
言ってる事がころころ変わるなこの人は、と思ったが疲れているのは確かだ。所長たちが風呂にいる間、ボクも少し休憩をさせてもらうことにした。
「あーいいお湯であった。三人で貸しきり状態だったし最高であったぞ、春見君。君も入りたかったろう?あれでヨミはなかなかのものだからな」
「何いってんですか!冗談言ってないで捜査に行きましょうよ」
「ふむ、まっことまじめだけがとりえのようなやつだな春見君は。ま、そろそろ出かけるとするか」
それからボクたちはヨミが見たという私鉄の駅に向かった。
「でも、何駅までかはわからないんですよね。またヨミちゃんに?」
「いや、あまり多用はしないほうがいい。いざというときに倒れられてはことだからな。…ときに春見君は格闘技は得意かね?」
「えっと、それはどういう…。いやあまり得意ではありませんよ。何かできたら面接のときに話してますよ」
「ふむ、ならば覚悟しておいたほうがよいかもな…、何があってもうろたえず、そのときの最善と思える行動をせよ」
「え、えっと、はい」
いつも何を考えているかわからない所長が突然まじめなことを言うのでボクは狼狽してしまった。
「で、これからどうするか、だったな。キリウはここまできて何か思うことはないか?」
所長がキリウに話をふる。ボクは正直キリウに期待できるとは考えていなかったのだが、
「…ここ、しってる、かも」
ボクの考えは、いい意味で裏切られた。キリウがここを知っている?しかしよく考えてみれば彼女の兄がここに来ているということは何かしら二人に関係のある場所なのかもしれない。
「…電車、のろう」
キリウがそう促したので、ボクたちはとりあえずその私鉄に乗ってみることにした。ちょうど始発の駅なので、行き先に迷うことはない。問題はどこで降りるか、だ。
電車に揺られ一時間ほど、周りの景色は、都会からだいぶ田舎道、というか若干山道に入っているようだった。
「まだ、ですかね。このままだと終点まで行っちゃうんじゃ」
路線図を見ると半分ほど駅を通過したようだ。となるとさらに一時間ほど乗っていたら終点まで行ってしまうのではないだろうか。
「ふむ、駅名を見てみろ、春見君」
いわれて乗っている路線のこれから行く方の駅名を順に見てみた。
「えっと…特に変わったところは内容に思いますが…」
と思ったが、終点の駅名が気になった。
「雨の杜?ここですか?」
「ふむ、そういうことだったのだな。そこはおおよそ田舎も田舎、どが付くほどの田舎だよ。はじめから気づけたかもな、これなら、行くべきところは。ふむ、私もまだまだだな」
所長が一人ごちた。ボクにはぜんぜん意味がわからずたずねる。
「どういうことなんです?」
「もっと自分で考えろ、といいたいがまあさすがに知らないことを考えたところで無意味だな。…そこにはおそらくキリウたち兄妹の一族の村があるのだよ」
「…!」
キリウの体がびくっとはねる。何かわかったのだろうか。
「最初に私はキリウを怪のようなものだといったな。その一族がそこにいるのだよ」
「え、っとでも電車でいけるようなところに?そんなの聞いたことない…」
「ふふ、春見君、もうちょっと頭をやわらかくしたまえ。いいかい?時代というのは変わるものだ。そしてそれは人間だけのものではない」
ということは…
「ここらには小さな村落がいくつかある。そのことが怪、まあ厳密には怪そのものではないが、彼らが一族を維持するため都合がよかったのだろうな。その中のひとつとしてごく普通の人の集団であると思わせ生活をしているのだろう。近くに路線が引かれても、他の村と同じように受け入れ、むしろそれを利用し易を得ているかもしれないな」
なるほど、いやしかし、それはわかったが、
「でもなんでいまさらキリウの兄がその村に?今まで特に何かあったとかではないんですよね?」
「ま、そこは私にはわかりかねるが、おそらくはチカラだろうな」
「能力…水を出すあれですか?」
「ふむ、正確には操るのだな、水を。もし体内の水を出すだけではすぐに干からびて死んでしまう。キリウは大気中の水分をある程度操ることができるのさ」
「でもあの、ずぶぬれになっていたとき、天気は晴れでそれほど湿度は…」
言いかけて思った。まさか
「ふん、晴れとはいえ少しくらい雲があったはずだ。それを喰ってしまったのだよキリウが。おかげでわが町は快晴だったろう」
そんなバカな、そんな天候も操るほどの能力だって?
「ふふ、もちろん平時はそんなことにならぬように制御しておるよ。でなければ乾燥注意報が出っぱなしになってしまう」
「そんな冗談ではすまないでしょ!」
「まあそう熱くなるなよ。今の問題はキリウの兄、瑞雨がどうして村に呼ばれたかということだ」
所長はさも当然のように『呼ばれた』といった。つまりそのズイウは村に呼び戻されたってことか?
「まあそれももうおおよそわかっておるがな」
「…」
キリウもヨミもずっと所長の話に聞き入っている。キリウに関しては先を察しているのか次第に顔が青ざめてきているように思えた。
「単刀直入に言えば、本当に呼び戻されたのはキリウだよ。キリウのチカラを一族に戻そうと考えたのさ」
「…」
キリウは青ざめたまま何も言わなかった。代わりといっては何だがボクが開口する。
「えっと、この兄妹は今まで二人で生きてきたんですよね。だのにいまさらなんで…」
「簡単さ、おおよそ一族にチカラのあるものが減ってきてしまったのだろう。人にまぎれて生きていたらそちらの世界に生きたいと思うものがでてきてしまった。過疎化は怪の世界でも起こっていたのだろう」
過疎化?村から都会に人が出て村の人口が減る…。
「便宜上怪と言っているが、前にも言ったとおり厳密には怪そのものではない。人間に毛が生えた程度のモノさ。チカラを隠せば普通に人間の世界で生活できるし、何なら子を成すこともできよう。人間と同じに利便を求めれば村から出てゆくのも必然ということよ」
「…じゃあそのまま人間に溶け込んでしまえば」
ボクは言いかけたが、
「そう簡単ではないのだよ。春見君は何とために生きているね?」
「…哲学ですか?たまに考えたりはしますが、よくわかりません」
「ふむ、私はその理由のひとつは、あくまでも多々ある考えのひとつだが、存在することそれ自体ではないかと思う」
「それが今回と何の関係が?」
「一族の存続ということだよ。今村はチカラを持つものの減少で存続の危機にあるのだろう」
それは先ほどの話でわかるが…。
「そこでより強いチカラを持つキリウを呼び戻し、もっと言えば今、一族の男でもっともチカラを持つモノとの間に子を成し、増やせば一族は安泰ではないかね?」
!!
「なっ、そんな、この現代日本で個人の人権を無視したような…!」
「まあそれぞれ見解が分かれるところとは思うが。で兄上のズイウだが、おそらくそれをやめさせるためにここまでやってきたのだろうね。もちろん一族に反するのだから、万一帰ることができないと考えたのかもしれんな」
それで、『じゃあな』と別れの言葉をキリウに残した?そんな、そんな…
「だめですよそんな!兄妹二人幸せに生きてるのに!」
そうこうしている内に、
『雨の杜~雨の杜~、終点です。忘れ物のないように…』
電車は終点に着いた。
「では、行くとしようか」
「所長!」
「安心せい、依頼主第一がわが社のモットーだ。まあ怪の一族と一戦やるのは気が進まぬが、事と次第では仕方あるまい」
そこから村までは簡単だった。ここぞとばかりにヨミは能力を発揮。ズイウの足取りを簡単に見てしまった。本来ならばこの木々が生い茂る道に、右往左往しただろうが。
しかし、ボクはその道のりをとても重苦しく感じていた。一戦…たたかうってことか、まさか、超能力者の怪たちと、何の力もない僕が?電車の中で格闘技について聞かれたが…仮にできたとして能力相手に意味はあるのか?
そんなことを悶々と考えていたら、村落が見えてきてしまった。規模は、一般的な村というものを知らないが、大きくないように思えた。過疎化の影響だろうか。大きい屋敷が一軒と、その半分くらいのが数軒。後はその半分以下、六畳一間のアパート程度の広さの家が十軒ほどだろうか。ただ、なんともいえない異様な雰囲気が漂っているのを素人のボクでも感じた。
押しつぶされそうな重い空気の中、何とか村の入り口に向かう。
「ズイウは…?」
と、村の入り口に倒れている青年を見つけた。
「お兄ちゃん!」
いつもはおとなしいキリウが、驚くほど声を張り上げ、彼に駆け寄った。
ぼろぼろの青年はズイウであった。
切り傷、打ち身、見るからに痛々しいが、命に別状はないようだ。
「…キリウ、何で、ここに…」
彼はそれだけ搾り出すように言った。
「私、お兄ちゃんを探しに、ここまできたんだよ!」
「だ、だめだ…ここにきては」
気が付くと村の入り口の少し置くに十人ほどの男が立っていた。
真ん中には老人が一人。その老人が口を開いた。
「ふふふ、まさか部外者の方々がキリウを連れてきてくださるとは。御礼はしますから、ささ、その子をこちらへ」
ボクは無意識にキリウをかばう位置に立っていた。
「おや、何のおつもりですかな?お宅らは普通の都会人と見受けますが、なぜにキリウをかばいなさるね」
…確かにキリウとボクとは住む世界が違うかもしれない。それに僕には何の力もない。でも、彼女の兄が守ろうとしたこの少女を、守りたいと思うことに、理由なんて要らないと思った。
「キリウ、君はどうしたい?この一族に戻るか、元の、兄妹二人の生活に戻るか」
ボクはキリウにたずねた。キリウは
「お兄ちゃんと一緒がいい」
小さな声ではあったが、確かにそういった。それだけで十分だった。
「うおおおお」
ボクは、とたんに叫びながら駆け出し!
「まて」
所長の出した足に躓きこけた。
「な、所長!何で邪魔を!」
ボクは必死に立ち上がろうともがきながらわめく。
「お前な、チカラもないやつが一人で行ってなんになる。キリウを守ってひっこんでいろ」
所長がヨミとともに数歩、前に出る。
「さて、できれば話し合いで決着といきたいんですがね、もうキリウとズイウのことは忘れて、一族は一族彼らは彼らってわけには行きませんかね」
とたん、老人の後ろにいたもっとも体格のよさそうなのが一人、所長との間合いをつめ、刀のようなものを振り下ろす。
「!」
彼の獲物が所長を捕らえたかと思った瞬間、ガキィっと鈍い音とともにその刀は弾き飛ばされていた。
ボクは一瞬何が起きたかわからなかった。所長は微動だにしていないように見える。
そう、刀を弾いたのはいつも所長の陰に隠れているヨミだった。その手には黒光りするナイフが握られていた。
「…!」
そのまま男を組み伏せ、首元にナイフを突きつける。強い。
「く、かかか、かかれ!」
老人の合図で、他の男共が一斉に所長に飛び掛る!
ヨミは組み伏せた男を一撃で気絶させ、さらに飛び掛ってきた男たちに次々当て身をあびせ無力化していく。
そのヨミをすり抜け、所長までたどり着いた男が一人いたが、ナイフを振ろうがこぶしを振ろうが、所長は簡単にそれをいなしてしまう。
「ふむ、その程度か、それは能力がほしくもなるな。武器で来るということはほとんどチカラはないのであろう」
所長は余裕そうにそういい、格闘していた男たちの最後の一人の拳をあえて受けると、
「ふっ」
簡単に投げ飛ばした。…お見事。
こうして十人からいた男たちすべてを無力化し、再度老人に言った。
「キリウとズイウのこと、忘れてくれますね?」
こうして、兄妹そろってもといた街に帰ってくることができた。
「ありがとうございました」
ズイウは怪我はしているものの、どれも軽傷で、日常生活は問題なさそうだ。
「…お世話に、なりました」
キリウもズイウと一緒に二人の家に帰って行った。
「ふぅ、大変でしたね、今回の依頼は」
ボクは探偵社で彼らを見送った後、言った。
「そうだな、まあこういうこともあるさ」
所長は平然とそういった。
「所長もヨミちゃんもあんなに強かったんですね。ボクなんか何の役にも…」
「ふふ、そう思うなら精進したまえ。それでも相手の未来を見るヨミにはかなわぬだろうがな」
それで理解した。そうかむやみにヨミにチカラを使わせないようにってのは格闘戦で全力を発揮できるようにだったわけだ。
「ボク、がんばります」
彼ら兄妹を想い、ボクはそういった。
「惚れたか?キリウに」
「なっ、ちょ、何でそういう話になるん…確かにかわいい娘だとは思いましたけど…って何言わせんですか!」
「…おつかれ」
ヨミは我関せずという顔でそういうと所長に抱きつく。
「よし今日もたっぷりかわいがってやるからな」
「ミコ、またお風呂一緒に…」
これにて、少し不思議な体験をした今回の事件も終わり。ボクは次の日からまた、掃除と資料整理の平和な毎日に戻っていった。ただ、前と少し違うのは、所長に格闘術を少々習うようになったことだった。