御奉公 apprenticeship(前編)
嘉永四年(1851)、前代未聞の巨大台風が岩手県北上地方を襲った。北上川は過去幾たびか氾濫を起こしてきたが、その時の強烈さは比肩するほども無い激烈なものであった。断片的な僅かの記録に拠れば、奥羽山地は全山が水浸しになるほどの猛烈な豪雨に見舞われ、多くの土砂崩れや崩壊が起こり地形が変わったとされている。特に和賀郷向山付近で大規模な山崩れがあり、大量の巨岩や土砂が支流の和賀川に流入、通常の十五倍にも増水していた川は土石流を起こして一気に北上川との合流地点に流れ下った。土砂は中洲に阻まれる形で堆積、流れが塞き止められ、北上本流は瞬く間に氾濫、ついで行き場を失った和賀川の土手が決壊し、付近一帯凡そ五里四方を泥濘と土砂で埋め尽くした。現在の江釣子村中心部でも水位は三間(5.4メートル)以上に達したとされる。
寛文年間(1661〜1672)よりこの地を開削、代々農業を続けてきた大庄屋、伊藤弥ェ門の美田三千町歩も全て泥濘の下に埋まった。
一、氾濫
嘉永四年(1851)八月晦日、宵の内から異様に蒸暑く、寝苦しい夜だった。裸になって団扇をひっきりなしに使い、何度も寝返りをうつ。蚊遣りを焚いているが、夥しい蚊が容赦なく顔や身体を刺し、痒くてたまらず眠れぬ。明け方近く漸く少しまどろむ。突然どぉ〜んという激しい物音で弥ェ門は跳ね起きた。三十七歳で年初に家督を継いだ伊藤弥ェ門は、隠居となった父親の弥兵衛と共に朝から秋祭りの準備に取り掛かることにしていた。嘉永と年号が変わって以来、打ち続く凶作で疲弊した村民の気持ちを少しでも引き立てるため、秋祭りを盛大に行い、村人全員の参加と多くの出店の招聘を企画するのだ。嘉永四年は新年から異常に雨が多く、陽が差す日は稀だった。奥州南部藩北上郷江釣子村。伊藤弥ェ門は代々この山に囲まれた閉ざされた広い平野で農業を続け、この地を治めている大庄屋である。すっかり眼が覚めた弥ェ門は隣室で寝ている父親を起こした。
「親父。外で凄ェ音がした。何事だんべ」
「何やら庭のぶなの大枝が折れ、屋敷にぶちあたった音みてえだ。強ェ風サ出てきた」
夜が明けると空は黄色く染まって夕焼けのように見えた。黒雲が空一面を覆い、風が強く吹いて葉を散らし、ごうごうと唸りを上げていた。
「いやな風が吹いてる。月が変われば新米の刈り入れが始まる。稲サやられねだろか。不作続きの上今年も又嵐に襲われたんじゃ堪らん。秋祭りどころじゃ無くなる」
「毎年、この時分にゃ、嵐が来る・・」
「空の様子がいつもと全く違う。おとろしい事にならねばええが」
妻の和江、長男の一弥も目覚め心配そうに二人の話を聞く。
息子の一弥は今年八歳になる。赤子の頃より賢く、祖父で家長の弥兵衛に大層可愛がられ三歳になると仕事部屋である表座敷で祖父と父が大庄屋としての仕事をするのをいつも傍にいて見ていた。庄屋傘下の組頭や肝煎衆が始終農作の指示を仰ぎに来る。田起こしや苗代の時期や方法、水量や水温の管理、田植えや刈り取り等々様々な相談が持ち込まれ、天候や農事に実際携わる小作人達の事情を勘案して回答する。返答は即座に行わなければ庄屋としての勤めを果たすとは言えぬ。村の行事の差配も重要な仕事である。弥兵衛と弥ェ門はいつも明確で果敢な措置を言い渡して、村人の尊敬を得ている。幼い一弥はそれを見て学び、時には親を吃驚させる知恵を出した。四歳になると寺子屋に通ったが、師匠である寺の和尚も舌を巻く俊敏さ。庭訓往来などの教化本は勿論、論語を始めとする四書を完全に読み下し、理解し実践するほどで、村人は一弥を江釣子の神童と呼んだ。弥ェ門の妻和江は三十五歳。隣村、石鳥谷の古い造り酒屋の娘で、頗る美人。小町と呼ばれ、夫婦仲は頗る良い。
次第に猛烈な風が吹き始め、大粒の雨が間歇的に叩きつけるように降った。午後なると、風雨は更に激しさを増して狂ったように吹き荒れ、豪壮な伊藤の屋形が持ち上がるように揺れ始めた。
「な、何事じゃ。野分にしては凄すぎる」
ベリベリと屋根の萱が剥がされる音がする。ゴウゴウと軒を叩く雨で外は一寸先も見通せぬ。雨滴はまるで拳ほどの大きさがあるように閉めた雨戸を打ち叩いた。屋敷廻りの樹木の葉や小枝が吹き飛ばされている。冷静な弥ェ門も腰を上げ、家の中で待機している郎党達を呼んだ。
「とんでもない嵐が襲って来たようだ。ものども、油断すな。戸締りを厳重にし、雨戸などは外から板を打ち付け補強せよ。おい。弥作。権兵衛。お前達外に出て様子を見て来い。風に吹き飛ばされんように、常に樹や草に捉まり、這って行くんだ」
「へ、へい。菅笠では吹き飛ばされそうでがんす。蓑を被って行きやす」
分厚い樫の板戸を開けた途端、吹き込む豪雨で忽ち土間は水浸しになる。
「気を付けて行け」
村人の打ち鳴らす半鐘の音が切れ切れに聞こえる。只事ならぬ嵐に村全体が浮き足立っている。
「この嵐じゃ、稲は全滅する」
「うむ。儂もこんな激しい嵐は初めてじゃ。北上が氾濫せねば良いが」
「今出て行った二人にゃ、北上の大川の様子も探って来いと申し付けております。屈強の二人。何とか報告を持ち帰るでしょう」
風雨は一段と激しさを増し、猛烈な轟音で話し声も聞き取れぬ。隣の男に話し掛けるにも大声で叫ばねばならぬほど。滝壷に入ったようである。屋敷は大地震に襲われたかのように、大きく揺れている。外にある厠小屋は吹き飛ばされ木っ端微塵だ。
「おいっ。弥作と権兵衛は未だ戻らんのか?そこで縮こまっている男達。迎えに行って来い。凄ェ嵐だ。皆縄を結び合って飛ばされんように」
戸板の隙間から次第に泥水が侵入し、瞬く間に水は嵩を増して膝下にまで上がってきた。皆、屋根裏へ移動する。五人の男達が互いに腰を太縄で結び合い外に出た。外は足元をどす黒い濁流が流れ、腿上に達する。何処にも地面は見えない。長竿を杖にして進む。礫のような雨で目を開けていられぬ。風に煽られ濁流は飛沫をあげ、泡だって渦巻き作りながら、急速に流れている。男達は流れくる膨大な稲藁が足元に纏わりついて、おぼつかない。
「物見をしよう。何処か遠くまで見通せる場所は無いか」
「此処らはずっと平地じゃ。お屋敷脇の火の見櫓に登ってみるべ」
尺五寸以上の南部赤松の巨木を組み上げた櫓は頑丈な筈だ。助け合いながら櫓に取り付き梯子を登る。二人が上に揚がり残りの三人が下から支える。望楼の上は吹きさらしで、強烈な風雨で吹き飛ばされそうになる。櫓はぎしぎしと鳴って激しく揺れ、倒壊してしまうかも知れぬ。二人は望楼の手摺に太縄で自らを縛り付けた。辺りの様子のあまりの変貌に驚き呻き声を上げた。見渡す限りの美田が赤茶けた泥水に飲み込まれている。屋根に登って助けを求めている村人達がいる。二抱えもある巨木が根元から引き抜け、激しい勢いで家にぶち当たり、忽ち屋形を破壊する。鶏小屋や牛馬が悲鳴を上げ流されて行く。ごうっと地鳴りのような音を立て濁流が全ての障害物を流し去って行く。瞬く間に集落が消え、田畑や森が消えた。吊るされている釣鐘を夢中で叩く。緊急時木槌を鐘の中にいれ掻き回す摺半だ。村人は避難しろという合図である。じゃらじゃら言う鐘の音も風雨でよく聞こえぬ。
「あっ、あれは呉作一家では無ェか。小屋ごと流されている。こっちは治五郎の家だ。屋根の上で何か叫んでいるようだがまるで聞こえぬ」
「様子見に出た弥作と権兵衛は可愛そうにおっ死んじまったにちげえねえ」
泥水は見る間に廻りにある屋形を破壊し運び去る。膨れ上がる水。恐れていた北上川と一の支流和賀川の土手が決壊し氾濫したのである。和賀川は北上との合流地点に幾つもの中州があり、土砂で中州が塞がれると本流の北上の流れをも遮断してしまう。行き場を失った川は溢れ、土手を越え氾濫し、土手をも崩壊させてしまったようだ。和賀側川上流に降った大量の雨は、上流沿岸の水に弱い石灰岩質の山を崩すには充分過ぎたのである。崩壊した膨大な岩石が和賀川に落ち込み、流れ下った土砂が中洲両脇の隘路を塞いだ。北上が氾濫すると矢張り先を閉ざされた蛇行する和賀川の高い土手も耐え切れず決壊してしまった。二つの川の増水して膨れ上がった多量の水が広く拡がる江釣子の平原を呑み込んだのである。五人は命からがら濁流の中を腰上まで浸かりながら屋形の屋根裏に戻り弥ェ門と弥兵衛に報告する。僅かな距離に過ぎないが、五人とも泥だらけのずぶ濡れで、髪はざんばらに乱れ、着物のあちこちが破れて、溺死者のようになっていた。
「北上と和賀が氾濫したようでがんす。見渡す限りの田畑や家作が水没し、家畜、村人が多数流されて行きました。村は殆ど何も残っていねえ。容易ならざる濁流でがんす。この屋形もじき流されるに違ィござんせん。弥作と権兵衛の姿は見えません。流れに巻き込まれてしまったに違ェ無ェ」
予想はしていたものの、報告を聞いて二人は青ざめた。
「何より命が大切。直ぐに山地へ避難しよう。荷物は全て捨て逃げるンだ。目指すは少し遠路であるが横川目の山間。あそこまで逃げ延びれば助かる可能性がある」
「一体この大出水の中、どうやって逃げればいいんだべ」
「大至急材木を集め、筏を作れ」
大号令で郎党達は屋根裏に立てかけてある多量の杉丸太を太い鎹で十数本束ねて頑丈な筏をつくり、中央には横木を渡し帆柱を立てた。まずはお屋形様の弥ェ門、隠居の弥兵衛、妻の和江、八歳になった長男の一弥を乗せ、妻側の壁を鉈で叩き割り、大きな出口を作って送り出す。一弥は恐ろしさのあまり泣き叫んでいる。船頭役と漕ぎ手に屈強な若衆五人が乗り込んだ。忽ち濁流に和賀川方向に流される。
「和賀に入ったら大変なことになるぞ。山だ。山を目指せ」
「身体を筏に縛り付けろ。落ちたら命が無ェ。筏の真中でかたまって居た方がいい。漕げ!死に物狂いに漕ぐンだ」
「おっとう、おっかあ。怖いよお」
「しっかり儂に捉まっておれ。きっと助かる」
男達は豪雨にずぶ濡れになりながら暗闇迫る濁流の最中で懸命に漕いだ。いや、漕ぐというより寧ろ急激に流されるため、棹で速度を幾らか押えるのが精一杯。沈んでいる巨石に乗り上げる。傾く筏。中央に建てた太柱にしがみついていた、一弥が放り出され濁流に飲まれた。悲鳴を上げる和江。六十に手が届く弥兵衛が腰に縄をつけて飛び込んだ。孫の一弥を目に入れても痛くないほど可愛がっていた。驚く弥ェ門。弥兵衛は水練が巧みで濁流を抜き手を切って横切り、一弥が沈んだ辺りで潜る。必死で腕を差し伸べ、一弥の着物の端を掴んだ。そのまま浮き上がった弥兵衛が叫ぶ。
「縄を引けェ」
筏上の男達が懸命に縄を引き絞る。弥兵衛が両手で一弥を差し伸べる。一弥は引き上げられて救かったが、弥兵衛は力尽きてずるずると藻屑のように濁流に消えた。
「父上ぇっ」
弥ェ門の悲鳴のような叫びも豪雨の音で掻き消された。
筏は滝壷に吹き飛ばされた木の葉のように揺れ、筏がバラけるか、振り落とされれば命は無い。全員が中央の柱にしがみ付き大声で励ましあった。
夜になって、行く手の見通しは全く効かず、流れを横切っての移動は筏を更に傾けさせ、横転の危険が何度も迫った。流れ下る流木や岩石を躱しながら辛うじて横川目付近の小山に辿り付いたのは夜半過ぎ。全身濡れ鼠で生きた心地がせぬ。食うものは無論無い。僅かに持ち出した金子や衣類、食料などは皆流れに吸い込まれて消えた。ともあれ岩陰に身を潜め、夏場にも関わらず歯の根も合わぬ程冷え切った身体を焚き火で暖める。皆身を寄せ合って夜を明かした。嵐は三日三晩続いた。水が引き始めたのは十日後のことである。弥ェ門一家は被害が少なかった横川目の小作人、熊川与左衛門の屋形に身を寄せ、衣類や食料などの施しを受けた。しかし、先に老齢の弥兵衛は溺死。一緒の郎党、五人の内の三人は極度の疲労から命を落としていた。別の筏で逃げた郎党達は何れも行き方知れずで、恐らく皆死んだようである。江釣子三千所帯一万五千人のうち、生還したのは僅か九千人足らず。五人に二人が死に絶えたのである。水の引いた後の惨状は目を覆いたくなる。至る所流木や巨岩が累々と連なり、削られた表土は人の頭ほどある石塊で覆い尽くされていた。草木は一木一草も残されていない。巨岩には流された家の残骸や樹木や枯葦などが纏わり付き諸所で醜怪な山を築いている。辛うじて痕跡を残しているのは小高い場所にあった樹齢二千年を誇る杜に囲まれた神社だけで、神殿は屋根を飛ばされ、礎石や柱数本の残骸だけが残った。道や水路は痕跡さえ伺えぬ。荒涼とした大地を眼前に弥ェ門は、一弥を救うため溺死した父弥兵衛と、疲労死した郎党三人の菩提を弔い、溜息を吐くだけだった。生き残った小作人達九千人は既に大半が逃散し、村に残ったのは弥ェ門一家三人と、郎党二人総勢五人と数十人の村人のみ。一万五千人の村人が居住した江釣子村が消えてしまったのである。弥ェ門はこれからの暮らしの目途が全く立たないため、郎党二人に暇を取らせた。大庄屋だった父親も流されてしまった先祖代々の墓所に収めることが出来ず、立ち木を削って家のあった辺りに手作りの卒塔婆を立てたのみ。
「とうとう我ら三人だけとなってしまった。三人だけとは言え、食って行くのは容易ではあるまい。第一田畑を戻すには想像を絶する時間が必要であろう。最早、一弥。お前を養って行く力は残されておらぬ。お前ももう、八歳。奉公に出て僅かでも良い、給金を生活の足しに送ってもらわねばならぬ」
「お父っぅ。いやじゃ。おっかあと離れる位なら、飢え死した方がましじゃ」
「一弥。何を申すか。儂は由緒ある江釣子伊藤家二十二代当主である。やがてお前も当主を継ぐことになる。生きていればこそ、荒れ果ててしまったこの地を復旧し、元の美田に戻すことが出来る。それまでの辛抱だ。爺様は己の命と引き換えに、跡取であるお前の命を救った。堪えてくれ」
「旦那様。一弥はたった一人の息子です。一弥を見知らぬ土地に奉公にだす位なら私が、身売りをしてでも助けてあげたい」
「バカなことを言うでない。儂とて一弥を手放すのは身を切られるように辛い。然し、三人で生き抜くのは無理だ。奉公に出ることは決して悪いことでは無い。他人の飯を食うことにより広い世界が開けるのだ。そう考えここは耐え忍ぼう」
母親の和江は一弥を抱きしめて離そうとしない。弥ェ門も又和江の肩を抱き涙に咽んでいた。与左衛門の小さな子供が泣いている。母親が懸命にあやすが泣き止まぬ。ひもじいのだ。たった一合の粟粥を与左衛門一家五人と弥ェ門達三人で分け合うから、空腹が満たされることが無い。和江はその有様を見て決心した。
「・・・一弥。聞き分けておくれ。私は弥ェ門殿と共に、石に噛り付いても、この地を元に戻して見せます。例えどのような苦難が待っていようとも。お前も辛かろうが耐えて耐え抜くのじゃ」
「おっとう、おっかあ」
一弥は父母に縋り付いて泣いた。只でさえ食うのがやっとの末端の小作、与左衛門にこれ以上迷惑を掛けるわけにはいかぬ。一弥を身売りしその金で当座の暮らしを立てていかねばならぬ。心を鬼にしてそう決心した。二百年もの長きに渡り、この土地を守り育ててきた。大庄屋の地位に甘んじることなく、村人の生活を守り、米作り一筋、品種の改良や収米の拡大に工夫を重ね、村は漸く豊かになりつつあった。そんな伊藤家が自分の代に村が壊滅し、父親を失い、我が子を奉公に出さねば立ち行かぬ。祖先に申し訳が立たぬ。情けなさと不運さで泣くしか無い。
弥ェ門は毎年米を買い付け、江戸表まで廻送する宮古の豪商、和賀屋徹兵衛のことを思い浮かべた。和賀屋は三陸で取れる鮑や海鼠、鱶鰭などを一手に買い占め、江戸や上方、ひいては韓や唐にまで幅広く商う海産物問屋であった。先々代より南部藩米御用の鑑札を受け、今は奥州各地伊達、南部、佐竹、津軽など藩からの依頼を受けて、百姓から年貢米を集め、江戸や大阪に送る奥羽随一の地回米問屋として名を馳せている。その財力は奥州各藩をはるかに凌ぐ大商人だ。和賀屋の手代が江釣子村に米を買い付けに来る時は、弥ェ門自身が下にもおかぬもてなしをするのが習いとなっていた。例年だとこの時期、村々に豊凶や出来具合の検分に手代が回ってくる。伊藤家は先々代より和賀屋に米を納めており、和賀屋も江釣子の質の良い美味い米を珍重し、奥州最高の米作農家として遇していた。弥ェ門は和賀屋徹兵衛には、先年一二度会ったことがあり、年に何度かの手紙の遣り取りをしている。弥ェ門には未曾有の大災害に会って何もかもを失った。一人息子の一弥を和賀屋へ奉公に出し、報酬を得る以外の手立ては残っていなかった。心配事もあった。一弥は生まれて間も無く乳母の手で育てられたが、大庄屋の跡取として何不自由無く甘やかされた為、何事も一人で為すことが出来ず、自分の思い通りにならぬことがあると、泣き喚いて助けを呼ぶ我侭な性格だったのである。此の侭では江釣子三千世帯を統べる長としての役割りは果たせないと密かに愁いていた矢先である。一弥が他人の飯を食い、厳しく鍛えられれば、立派な男に生まれ変われるかも知れぬとも思った。
二、ご奉公
九月半ば、例年より少し遅れて和賀屋の手代重蔵が江釣子にやってきた。重蔵は二十代半ばの若さで手代に立身したやり手の青年である。和賀屋の半被の上に縞の道中合羽、菅笠、樫の細杖を持ち、固く縛った荷物を振り分けで肩に背負っている。引き締まった体躯と機敏さを伺わせる眼差しで、浅黒く日焼けしていた。重蔵は村に入りその惨状に目を疑った。整然として美しい稲穂が立ち並ぶ筈の、自慢の美田は消え失せ、泥濘と石塊、流木に埋め尽くされた大地は、地獄を思わせる。生きるものの姿はミミズや蟻はおろかカラスや雀さえ無く、雑草も生えておらぬ。あたり一面死臭が漂い息もつけない。瓦礫の中で煙が立ち昇っている場所がある。死人を焼いているのである。老婆が一人、自分の住んでいた家の痕跡を求め、残骸を漁っている。
「婆様。以前この付近に住んでおられた、伊藤弥ェ門様はご無事でしょうか?ご無事なら何れにおられるか、ご存知無いでしょうか」
「へえ。儂は弥ェ門様の小作の一人の婆でがんす。此度の洪水は前代未聞のごっついものでがんした。儂は今年九十になるが、こげな激しいヤツ、聞いたことも無ェだす。多くの村人が命を落としました。儂の一家じゃ、儂だけが生き残った。家も田圃も何ンにも無ェ。死んだ方がましだったかもしんねえ。弥ェ門様かぁ。運良く助かっただぁ。何でも横川目っちゅう集落で生きちょるってえ噂ば聞いた」
重蔵は被害の少なかった花巻の山間部まで戻り、馬を雇って、苦労を重ね瓦礫だらけの荒地を縫い、僅かばかり畑地が残った山間の横川目集落に辿り付いた。
「確かここは熊川与左衛門の屋敷。荒れ果てている。どなたかおいでではありませんか。和賀屋でございます」
襤褸をまとい無精ひげで覆われ、汚れ切った男が折れ曲がった杖をついて出てきた。頬は落ち窪み、襟の間からは浮き出た肋骨が見える。
「重蔵殿か。弥ェ門でござる」
「ひっ。や、弥ェ門様?窶れ果てておられる。どうされたのですか?」
去年までの弥ェ門は傘下三千所帯の頂点に立つ、威厳と自信に満ちた、恰幅の良い大庄屋であった。今目の前に居る男は乞食と見間違える痩せ衰えた男だ。確か三十代のはずだが、六十を越した老翁に見える。
「どうされた、こうされたでは無いぞ。儂の傘下の小作人達六千余人が北上の氾濫、大洪水で流され命を失った。残った九千余は不毛のこの地を去って他村に移るか、親類縁者を頼って何処かへ逃げていった。この村に残っているのは我等家族三人と村人五十人余のみである」
「そ、それは・・・」
重蔵は悲惨な江釣子に絶句した。
磊落で豪放の筈の弥ェ門も此処まで言うと涙に咽んで先が続けられない。この地で農業一筋に生き、村人達から慈父の如く慕われ、村を統括してきた。藩の覚えも目出度く五代前より大庄屋の称号と苗字帯刀を許されている。今重蔵の目の前にいる人物は年一万五千石以上の収穫を誇った伊藤家当主の面影ではまるで無い。与左衛門が出てきて宥める。
「弥ェ門様。いくら悔やんでも仕方あるめえ。もう済んだことだ。天災じゃ、諦めろ。して、立ち直るんじゃ」
何度も繰り返されたであろう遣り取りは重蔵の涙も誘った。招じられ二人は与左衛門の屋敷に上がった。座敷の隅にはあの江釣子小町で名高い弥ェ門の妻和江と神童と呼ばれる嫡男一弥の姿があった。母子は弥ェ門同様に継ぎはぎぼろぼろの着物を着て痩せ衰えて蹲っている。
「重蔵殿。儂からのたっての願いがござる。息子の一弥を和賀屋さんに奉公させて貰えんじゃろか。儂等見てのとおり着る物も食い物も無い。日々与左衛門の慈悲に縋り、施しを受けている。一弥は其方で煮ても焼いてもいい。何卒身請け金五十両、用立ててくれまいか。これを元手に復興の足がかりを掴もうと思う」
「小僧を雇うには私の一存では参らぬものですが、主人徹兵衛はじめ和賀屋一同、弥ェ門殿には長年大層お世話になっております。宜しい。幸い米買い上げ代として今丁度五十両持参しております。連れて戻り、和賀屋で立派な男に育てましょう」
「有り難いことです。よしなにお願い申しあげます。おい、一弥。お前も挨拶せぬか」
「宜しゅう願います。一所懸命勤めさせて頂きます」
「流石賢いお子。立派な挨拶だ。育て甲斐もあるというもの。私は明後日にも宮古に戻ります。宮古へは一端奥州街道にて盛岡に出、それより宮古街道を進みます。途中難路続きで一弥殿には厳しすぎるかもしれませんが、これもご奉公の始まりと考えてくだされ」
「いかほどの日数を要するのでしょうか?」
「左様。奥州道中は成田の一里塚より花巻、馬町、渋民、御堂、金田一で五泊。宮古街道入り口は城下西の新穀町惣門から入る。ここに関所がある。通行手形が必要だ。じゃが困ったの。水沢の代官所も寺も皆流されたから手に入れることは出来ぬ。事情を話し、和賀屋への奉公ということで何とか通して頂こう。惣門からの宿場は高畑、去石、門馬、袰岩崎、茂市、花原、宮古である。奥州街道とは異なり全行程険路続きの山道。十日はかかろう。晴天続きであれば恐らく十五日程度で辿り付くが、昨年は雨天が多く、二十日掛かった」
「まあ、そんなに。大丈夫でしょうか」
「私も父に連れられこの道を辿ったのは、確か十二歳の時。一弥殿はまだ八歳ですが、身体つきは頑丈そうに見える。きっと辿れます。私が一緒です。歩けなくなれば負ぶってでも参りましょう」
相談がまとまり、その夜は同情した与左衛門が別れの宴を張ってくれた。宴といっても萎びた野菜の煮付けと麦飯、水杯のささやかなものである。母は息子との別れがつらく、不憫でならない。ずっと一弥を抱きしめていた。翌々日、与左衛門が一弥に着ていく古着を与え、重蔵と共に出立となった。
「達者でな」
「一弥。水や食べ物に気を付けておくれ。お前は今日より一人親元を離れ、働きに出る。たった一人の息子を知らぬ土地、知らぬ人々の間に追いやらねばならぬ気持ち、いつか解ってくれると思います」
「母上」
大勢の女中に囲まれて何不自由無く育ち、何処へ行くにも誰かがついてきた。そんな一弥がただ一人、親元を離れ見知らぬ異境に奉公に出される。働くことがどういうことか解らなかった。
「さあ、出立だ。遅れるな。しっかりついて来い」
「父上、母上。是まで育てて呉れたご恩、決して忘れません」
「行け。重蔵殿はいらいらしておられる」
早足で健脚な重蔵の後を走って懸命に追いかける荷物を背負った一弥の小さな姿を見て、和江は又泣いた。弥ェ門は致し方ないのだ。許せと自らに言い聞かせた。
平坦で広い奥州道中は宿場も整備されていて、さして苦労することも無く盛岡城下に着くことが出来た。盛岡は藩主がお住まいだけあって、殷賑を極め、大きな商家や蔵が立ち並び、南部藩御重役の屋敷も数多く見受けられた。お城は北上川と中津川を堀として利用、見事な石垣と三層櫓の美しい白亜の城が街道より間近に見える。城を通り越して南に折れる。長屋門を巨大化したような黒板塀の惣門がそそり立っていて、そこが遠野や宮古方面に抜ける脇街道の関所となっている。道中手形は無かったが無事関所の通行を許され、二人は北上川を渡って宮古街道に入った。周りの景色は一変した。街道とは名ばかり。聞きしに勝る厳しい難路で、狭く曲りくねった山道を登ったり下ったりの連続。一弥は先を行く重蔵を懸命に追いかけて歩いた。二日目。梁川の一里塚から蟇目宿を過ぎて、沢筋を離れて両側が熊笹に覆われた細い山道に入った。ここで重蔵から手甲と脚半を付けてもらい、新しい頑丈な草鞋に変えてもらう。途中菅竹の密集している薮を掻き分けて登らねばならぬ長い山道があり、手足を傷つけぬよう備えるのである。ここから区界峠まで五里二十一丁。一気に三千尺まで登りつめるのだ。木の枝に捉まって身体を持ち上げる。息が切れ喉の奥がくっ付きそうに乾いてくる。竹薮に入ると全く見通しが利かず、迫り来る鋭い枝葉を両腕でこじ開けるようにして、いざるように一歩づつ進む。そんなきつい山道も重蔵は速度を緩めず、どんどん先に行ってしまう。姿が見えなくなると泣きそうになり、歯を食い縛って追いかけるのである。竹の吸筒の水はすぐ空になり、重蔵から水は一口だけ口に含めと何度も注意された。疲労困憊、切り傷だらけ、足に血豆を作って夕刻やっと峠についた。峠からは圧倒的な樹海の向こうに山頂が鋭く尖った兜明神獄が秀麗な姿を見せた。
「この道はな、五十集の道といって三陸で取れる魚介や塩、鉄などを盛岡まで運ぶ道だ。帰りは米を背負った行商人が行く。峠は北上の支流梁川と三陸に下る閉伊川との分水嶺になっている。どうだ、見晴らしが良いだろう。今登ってきた道とここから急峻な渓谷まで降りる道が街道随一の難所だ。一弥。良く頑張った」
遠く峰峰が重なり、夕日に霞む姿を見ると、親鳥に慈しまれ大事に育てられた雛が突然見知らぬ外界に放り出されたような気がする。
峠から少し下ったところにある粗末な茶屋で熱い茶をご馳走になり、ひと心地ついた。その日はこの茶屋に泊めてもらうことになった。重蔵が切り傷の手当てに持参の軟膏を塗ってくれ、嬉しかった。
複雑に重なった岩盤を踏み越えて行く急な下りは滑りやすく、捉まる枝や竹もなく、何度も滑って腰や足を打つ。岩の僅かな窪みに指を掛け、全身を支えて腰をつきながらそろりと下る。曲りくねった巖だらけの道をかなり下ったと思うと沢筋に出た。膝が笑って両足はがくがくする。密集する笹薮から真っ直ぐ白樺が何本もそそり立ち、色づいた山紅葉の真紅の葉が、薄暗い渓谷を鮮やかな色彩で満たしていた。狭い沢を何度か渡渉する。凍るように冷たい沢の水は乾きを癒し、不安な気持ちを和らげてくれる。やがて両側が切り立った巖、断崖は深く切れ込んで眼下数百尺に細い激流が岩を食んで飛沫を上げている渓谷に出た。道は断崖の岩を人の手で僅かに掘り窪めた、辛うじて足を乗せられる一尺足らずの狭い足場が途切れ途切れに続く最大の難所である。人呼んで羚羊落し。急峻な岩場で生きる羚羊さえ、足場を誤れば絶壁から落下してしまう恐ろしい場所だ。谷あいから冷たい風が吹き上がってくる。恐る恐る慎重に一歩づつ垂直に切り立った岩に両手を付き剥りながら進む。切れ込んだ沢に丸木の桟橋が懸かっている。手がかりもなく細い丸木を渡るのは至難のわざ。先に渡った重蔵に手を差し伸べてもらい、飛び込むように渡る。足場が足がかりの窪みだけで足場を作れなかった場所がある。岩に太い鎖が取り付けられている。鎖に伝って窪みに爪先を入れ進まねばならぬ。岩から滲み出た水で濡れた鎖や足場は滑りやすく、少しの油断も出来ぬ。
「鎖に捉まっているときは、身体を岩から放せ。落ちたら死ぬぞ」
重蔵が叫ぶ。びょうびょうと寒風が吹き上がり、生きた心地もせぬ。一弥は目を瞑り震えた。谷川の激しい流れの音は轟々と響き、あの恐ろしい水害を思わずにはいられぬ。途方も無く長く辛い恐ろしい道だ。岩場を三刻(六時間)かかって漸く抜けた。
辛い山道はまだまだ続いた。一日中巖や太い木の根が連なる獣道のような暗い、道とは言えぬ踏み跡を辿ることもあり、旅人と行き交うことは稀だった。雨が降ると更に辛かった。雨水が蓑を通して肌に沁み込み、道は滑って歩きにくく、旅なれた重蔵でも迷いそうになった。霧に巻かれ少しだけ先を行く重蔵の姿さえ定かに見えぬ日もあった。野猿か猪であろうか、獣の唸り声が聞こえ、姿を見ることもある。天空に巨大なイヌワシが飛んでいた。一弥は恐ろしくて重蔵に縋った。峠を幾つも越し、とても宿場とは思えぬ小さな集落で宿を借り泊めて貰ったりした。丸一日歩いても、誰一人行き合う人もおらず、人家も無い険しい山道を辿ることもしばしばだった。そう言う日は岩陰や小祠で野営し、糒と味噌で飢えを凌ぐ。一人で旅をする重蔵が信じられぬ。夜は心細く、重蔵に抱きついて寝た。
「重蔵様。毎年このような難儀な旅をして江釣子まで来られているのですか」
「左様。毎年来ているから慣れたものだ。例年であると帰りは遥かに厳しい道のりとなる。馬を雇い米を積んで行く」
「江釣子米全部をですか。それに馬ではあの恐ろしい岩場は通れないと思いますが」
「まさか。お試し米と言ってな、その年に取れたばかりの新米を三俵、持ち帰って作柄を見る。あとの米は北上川を船で仙台まで。その後は海路で宮古へ運ぶ。道は我等が通った道とは違う遠回りの迂回路を使う」
「米は江戸へ運ぶのでしょう。何故仙台から直接運ばないのですか?その方がずっと近いではありませんか」
「馬鹿だなあ。お前百姓のくせに何も知らんのか。いいか、お前達百姓が作って出すのは玄米だ。これを乾燥させ精米して初めて食える米となる。そうした作業を行うに適した広い搗き米場がある宮古で無ければならぬ。それと宮古は風待ちすることの少ない良港だ。水深が深く千石船も容易く波止場に寄れる。米問屋というのは各村の収穫量により決まる年貢の貢租を代官所の指示に従い行って、藩と幕府に納めている。江釣子は収量凡そ一万五千石で年貢は約四千五百石、一万一千二百五十俵となる。内約七千八百七十五俵を幕府に納める。江釣子だけでだぞ。各村で召し上げられる米の総量は膨大だ。和賀屋では年間二十三万俵もの米を江戸に送っている」
「想像できません。和賀屋さんは雇い人はいかほどおいででしょうか」
「筆頭番頭、二番番頭、三番番頭以下手代三十人、担ぎ仲士、米搗き、撰米人、俵職など諸職方百五十人、女中、小僧、手伝い合わせ総勢四百五十人の大所帯。これを束ね指揮されているのが七代目安芸河徹兵衛様。南部藩会所穀物取締のご要職にもついておられる。御歳四十六歳。奥方里枝様二十二歳、お子様梨菜様三歳のご一家。徹兵衛様は男盛りで普段は沈着冷静だが行動を起こすと勇猛果断と聞いている。我ら手代は滅多にお顔を見ることも適わぬ言わば雲の上の人。私の受け持ちは村々を回って米を集め、それを宮古まで回航する。勿論米の品質に精通していなければならないし、狡賢い百姓に騙されぬよう胆力も持たねばならぬ。体力も必要だ。米俵四俵は担ぐし、大八車を遣う場合は二十俵載せて引く。お前はまず体力をつけねばならんな。幸い和賀屋は海産物と米問屋。食い物は有り余るほどある」
辛い旅路は一弥を否応なしに鍛えてくれた。初めての旅で江釣子から一歩も外にでたことの無かった一弥も、旅先で大勢の人と交わり、見たことの無かった他郷の風光に触れ、新たな出発に意欲が沸いてきた。始めはべそばかりかき、歩く速度が遅くいつも重臓に叱られていた。旅の終盤の今気づいたのは、辛い旅を重ねる内に自然と度胸も体力もつき、歩く速さも重蔵からそう遅れずに済むようになったのである。何でも自分一人でやらねば誰も助けてくれぬ。知らず知らずに依頼心が減り、心も身体も成長していた。
和賀屋の一通りの説明を聞いて一弥は身を引き締めた。翌日、袰岩崎を発った二人は三ツ石の狭い屈曲した山道を通り、茂市の宿に着いた。ここは閉伊川と刈屋川の落合に開けた宿場で、宮古へは平坦な川沿いを進めば良い。二人は宿で湯に浸かりゆっくり体を休めた。宿場は賑やかで客引きの男や宿場女郎達の甲高い声が遅くまで続いた。嘉永四年十月五日。二十一日間掛かった道のりも漸く終わろうとしていた。空は抜けるように青く、木々の葉が黄ばみ始めている。広い閉伊川に沿って街道を進むと次第に潮の薫りがして来た。町は繁華で大店や巨大な町屋が櫛比し、夥しい人が溢れている。着飾った女や威勢の良い漁師の叫ぶような話し声に気後れを覚える。高札場のある四辻を過ぎると眼前に宮古湾が拡がった。白砂の向こうに吸い込まれるような濃い蒼い海が伸び、対岸にはびっしりと黒松の林が見える。湾内には沢山の漁船や、一杯に帆を膨らませた巨大な千石船が浮かんでいた。一弥は海を初めて見てなぜか涙が出た。閉伊川川口近く、瓦を載せた黒板塀が折れ曲がり乍ら十町あまり延々と延びている。塀の内側は見たことも無い大きな白壁の蔵が数十も連なり、本屋は間口五十間を越す本瓦葺きの二層建築。幾棟もの建物が渡り廊下で繋がっている。一弥はこの建築群の巨大さに度肝を抜かれた。ここが和賀屋なのだ。敷地は五万坪余にも及ぶという。藍地に白抜きで大きく丸に和と抜かれた半被を着た大勢の奉公人達が引きもきらず出入りしている。大八車に米俵を積み上げた男達が汗をたらして引いて行く。米俵を担ぐ男達、道路に水を撒いている女。皆忙しそうに店を出入りしている。地面から軒下まで繋がる十間幅もある和賀屋と書かれた暖簾を潜ると、百五十坪程の土間があり、奥は五連の帳場。大勢の手代や番頭が座り、算盤を弾いたり、帳面をつけたりしている。重蔵は番頭に戻った挨拶を済ますと慣れた様子でぐんぐん奥に進んで行く。帳場の裏手に式台がある。式台から先は板間で其処彼処に米俵が山になって積み重ねられ、米と俵藁の匂いが充満していた。
「一弥。こっちだ。何をぼやっとしている。早く来い」
「は、はい」
足を濯いで板間にあがると、長い廊下が続く。左手は手入れに行き届いた見事な庭園。何度か角を曲がり進むと、造作に一際贅を尽している部屋が連なっている。
「一弥。これから先は奥と申して、徹兵衛様ご一家のお住まいになるお部屋である。普段我々が立ち入り出来るのはここまでだ。徹兵衛様のご都合を伺いご挨拶に伺う。その前に儂の部屋に来い。その服装や髪型でお屋形様の御前に出ると甚だ礼を失する。女中に頼み整えさせよう」
「何から何までご親切に有難う存じます。ご恩は生涯忘れません」
「その口上はお屋形様や番頭様の前で致せ。おい、この部屋だ。入れ。太吉。気の利いたお女中を一人ここへ寄越してくれ」
重蔵は通りかかった小僧の太吉に命じ、部屋に入った。六畳ほどのこざっぱりした部屋で小さいながら床と押し入れがが付いている。
「まあ、座れ。長旅ご苦労であった」
「重蔵様はこのように立派な部屋を与えられていなさるのですか」
「うむ。手代に取り立てていただいたのが昨年で和賀屋に勤めて十二年目のことだ。それまでは大部屋で雑魚寝だった」
暫くすると小僧に呼ばれた年嵩の女中お兼がやってきた。
「重蔵さん。何か御用ですか?」
「うむ。ここに座っている小僧は一弥と言ってな、故あって遠く和賀の江釣子という村から連れてきた。お屋形様にここで働けるよう頼むつもりだ。身だしなみを整えてくれ」
「へい。しかし汚いお子ですの。手間がかかる」
「そう言わんでくれ。大恩ある人の息子だ」
お兼はざっと一弥の面体や身丈を確かめると、出て行った。半刻ほどして浅黄色の着物や足袋、半纏などを持ってきてくれ、濡れ手拭で乱暴に手足や顔の汚れを拭き取ると乱れた髪を梳ってくれた。
「ま、ちっとは格好ついたかの。大旦那様の御前に出るにゃ、まだまだじゃが。ほれ、はよこの着物着ろ。あれま、結構似合うじゃ無ェか。馬子にも衣装とはよく言ったもんだ」
「お兼さん、序にお屋形様の都合を聞いてきてくれ」
「人使いの荒ェ手代様だ。重蔵どんは」
重蔵は仕事に出、一弥は為す統べも無く一人部屋にいた。お兼が運んできてくれた昼飯を食って、襖の隙間から眺めると、入れ替わり立ち代り大勢の丁稚や小僧、手代たちが忙しそうに働いているのが見えた。このような大商家で田舎百姓の小倅である自分が勤まるのだろうかと不安が兆してきた。甘えられる両親から遠く離れ、ただ一人生きていかねばならぬ。大勢の奉公人達に可愛がられ、仲良くやっていけるだろうか。不安は段々と広がって我慢出来なくなり涙を浮かべていた時、慌てて重蔵が戻った。
「おい。一弥。お屋形様がこれから会ってくださる。急げ。お前泣いているのか。涙を拭け」
先ほど行った奥の座敷引っ張られるように連れていかれる。おどおどしている一弥に重蔵は小声で注意する。
「おい。きちっと挨拶するのだぞ。お屋形様は厳しいお方だ」
重蔵も久しぶりに大旦那にお目にかかるというので緊張を隠せない。座敷の襖の前に平伏し声をかける。
「じゅ、重蔵でございます」
「入りなさい」
中から威厳のある重い声がする。そっと襖を開ける。絢爛豪華な十五畳の居間である。三間幅の床の間。土をそのまま焼き固めたような大ぶりの花器に色取り取りの秋の花が無造作に生けられている。表の障子は開け放っており、秀麗な庭園が見える。巨大な岩組み、枝振りも見事な山紅葉、流れを引き込んだ清流。築山にはどうだんや山笹の大刈り込み。芝庭は緩やかに下って遠く南部黒松の林がありその先は白砂の浜と紺青の海に連なっている。徹兵衛は脇息に拠り、如何にも高価な黒い紬の着物で床の前でゆったりと座し、黒い天目茶椀に淹れた茶を喫していた。細身であるが、貫禄があり、挙措一つ一つが威厳に満ち、眼光は射るように鋭い。
「重蔵か。江釣子の方を回ったそうだな。此度の嵐はどうであったか」
「は、はい。北上川が氾濫、あの辺りは大洪水に見舞われました。語るも無惨な荒れ果てた大地が広がる地獄のような様相でございました。最早誰も住んではおりません」
「左様であったか。幸いこの宮古では左程の被害は出ずに済んだが。気の毒のことじゃ」
「お屋形様。じつはここに連れて参ったは、かの地江釣子村を治めていた伊藤弥ェ門殿の嫡男一弥にござります。弥ェ門殿からどうかこの和賀屋に奉公させてくれと懇願され、私と一緒に戻った次第でございます。私の一存で身請け金五十両を渡してしまいました。お屋形様の了解も受けず申し訳ございません」
「良い、良い。和賀屋にとってははした金。弥ェ門殿は無事であったか。弥ェ門殿には先年大層世話になった。彼奴の作る米は我らが扱う米の内でも格別な品質である。一弥と申したか。利発そうな面構えじゃ。今日から和賀屋の奉公人となって良い」
「あ、有難う存じます。一弥。お屋形様に挨拶せんか」
「わ、和賀江釣子、伊藤一弥と申します。米商いのことはまるで解りませんが、一生懸命学び勤めさせていただきます」
「ふむ。若年でありながら立派な挨拶だ。流石弥ェ門殿の息子。今幾つだ」
「八歳でございます」
「そうか、八歳か」
沈思していた徹兵衛。暫くして眦を上げ、女中を通し奥へ声を掛ける。
「里枝。梨菜。ここに入って来なさい。引き合わせたい人物がいる」
床の間横の襖が静かに開き、女中に傅かれた奥方様とご息女様がゆるりと入ってきた。奥方様は目にも鮮やかな真っ赤な総縫い取りの打ち掛けを纏い、長く伸ばした黒髪。白い肌は雪のようで見たことも無い美貌。ご息女は母親似の大きな目と愛らしい口元。頬ずりしたくなる可憐さである。幼児なのに小紋の入った絹の長着を着て帯を結び、長い髪に髪飾りをつけている。一弥は密かに息を飲み、嘆息していた。物語で読む天女のような美しさ。江戸城大奥の姫君も斯くも美しくは無かろう。銀の鈴を鳴らすような涼やかなお声を発する。重蔵と一弥は平伏する。
「徹兵衛殿。会わせたい人とは此方に畏まっているお子ですか。ま、利発で可愛らしいお顔。どなたかしら」
「うむ。宮古より幾つも山を越した彼方に江釣子という村がある。そこで旧くより庄屋を勤められている、伊藤弥ェ門殿の嫡男、一弥という。故あって本日よりこの和賀屋で奉公することとなった。梨菜の遊び相手に丁度良かろうと思い、お前達を呼んだ」
「ま、そうですか。梨菜。お前同じ年頃の遊び相手が居なくて、詰まらなそうでしたね。一弥さん。こっちへ来て。梨菜の手を取ってみてくださらない」
「そ、そんな、勿体無く眼が潰れます」
「お母様。梨菜この人優しそうだから好き」
「そう。良かった」
「決まった。一弥。明日より梨菜の守役を勤めてくれ。重蔵。それで良いな」
「は、はぁ。有り難いことでございます」
「お屋形様。誠に有難うございます」
安堵し二人はお屋形様の居室から退出し、重蔵の手代部屋に戻った。
「一弥。良かったな。格別の思し召しだ。丁稚奉公では無く、梨菜お嬢様のお遊び相手に選ばれた。気張って勤めるのだ」
「はい。私如き田舎者にお嬢様のお相手務まるでしょうか」
夕方になると徹兵衛の触れが既に主だった人間に伝えられたと見え、お兼がやってくる。
「番頭様の言いつけがありました。大旦那様直々のご指示があったそうで、一弥のこれよりの居室は奥近くの一部屋が与えられます。一弥の身の回りの世話などは私が行うよう申し付かりました」
「お兼さんがついていただけるなら、安心だ」
「よ、宜しく願います」
「部屋に夜具や水屋、小箪笥などはもう運ばせました。明日より食事は小僧達大勢と一緒に台所で食べるのでは無く、奥様、お嬢様とご一緒に奥で取るようにとのご沙汰でございます。さ、部屋に案内します。ついてお出でなさい」
お兼に付いて行くと話通り、奥に通じる幅広の廊下の突き当たりに一弥の新しい部屋があった。部屋を出て右に回ればすぐに奥向きだ。部屋は掃除の行き届いた小奇麗な長五畳で、腰高障子を開けると小さな坪庭があり、その坪庭に面して文机、水屋、小箪笥が置いてある。衣桁や座布団、火鉢までもが用意されていた。
「大旦那様のお優しい心配りに感激致しました」
「特別のことです。きっと、大旦那様はお前のことを余程気に入ったに相違ありませんね」
箪笥の中には着物が詰っている。文机の上には宮崎安貞「農業全書」、佐藤 信淵「農政本論」、大蔵 永常「広益国産考」など貴重な農学書が積み上げてある。徹兵衛が江釣子村大庄屋の跡取である一弥に農業の学問に励むよう自分の書籍の一部を貸し与えてくれたに違いない。そう思い当たると、一弥は涙が滲んできた。書物を捲ってみれば、難しい漢文が並んで、今は未だ読むのは困難だが、このご恩に報いるため、絶対読みこなそうと心に誓ったのである。お兼は新しい着物を着せてくれたり、手水や湯殿の場所、奥に呼ばれた場合の心得など細々した事を懇切丁寧に教えてくれた。
「何かあったら、何でもいい、必ず私か重蔵さんに相談しなさい。一人で悩んでいたら良くありません」
一弥は和賀屋一家や奉公人達が皆優しくて親切なのに驚いた。やはり上に立つ徹兵衛の指導育成が行き届いているからであろう。このように手早く色々な準備が整ったことに大店の伝統と力を見せ付けられた気がした。お兼は尚も暫く部屋で世話を焼いてくれたが、用事があると言って出て行った。一人きりになると、急に寂しさと不安で一杯になり、父母のことや江釣子のたおやかな風景を想い起こしていた。お兼とは違う女中が夕食を運んできた。夕飯を掻き込むと長旅と境遇の激変に疲れがどっと出て、布団を敷いて眠った。次の日は早く起きた。手水を使い、顔を洗い終えて部屋に戻ると、お兼が顔をだした。
「おはようございます」
「はい。おはよう。今朝から大旦那様ご一家と一緒に食事をすることになります」
お兼はそういうと寝巻きを脱がせ、新しい着物を出して一弥に着せてくれ、子供らしい髪型に結ってもらう。帯を締め足袋を履くと大店の子供に相応しくなった。
「あら、可愛いわ。もう八歳だから可愛いって言われるのは恥ずかしいかな」
奥女中がやって来る。
「一弥さん。朝餉の支度が整いました。お越しください」
座敷は昨日徹兵衛と面会した部屋と異なり、更に奥の十畳間。周りの襖には、宮古の浄土が浜を題材にした襖絵が描かれ、華やかだ。中央に朱塗りの箱膳が四つ並んでいて、隅には四人の奥女中が控えている。
「こちらへお座りくださいね」
奥女中達はお兼ら表の女中と着ている物や物腰がまるで違い、皆美しい。後ろの襖が音も無く引かれ、爽やかな笑顔を浮かべた徹兵衛、里枝、梨菜の三人がゆっくり入ってきて座につく。一弥を加え四人が横一列に並ぶ。一弥は下座の端だ。奥女中たちが素早く立って、各人に給仕を始める。朝粥、焼物、お造り、吸い物、卵焼き、炊き合わせ、煮しめ、香の物など豪華な献立が美麗な器に美しく盛られ次々と出てくる。
「さ、頂きましょう」
徹兵衛の一言で皆一斉に箸をとり、一弥も倣う。梨菜様は三歳のはずだが、器用に箸を遣い、零したり卓を汚すことが無く、行儀が良い。真似をしながら一弥も慎重に箸を運ぶ。頗る美味である。一弥は故郷では父母が食べるものも無く、ひもじい思いで日を過ごしていると思うと胸が痛んだ。
皆笑顔は絶やさないが食事の間お喋りはしないようだ。ゆっくり朝食を摂り、芳醇な煎茶を喫して初めて徹兵衛が口を開く。
「一弥。緊張せずとも良いぞ。お前も家族同様に振る舞いなさい。梨菜。今日からここにいる一弥が兄のようにお前の面倒を見てくれる。読み書きを教えてもらいなさい」
「良かったわね。梨菜。お兄ちゃんが出来て」
「乳母や女中では歳が違いすぎるし、身分が違うから遠慮が多い。その点一弥は安心だ。弥ェ門殿からしっかりとした教育を受け、行儀作法も礼儀も問題なさそうだ」
「徹兵衛様。それは買い被りでございます。田舎者故粗相もあるかと存じますが、お貸しいただいた書物を読んで学問をし、お兼様などより礼儀作法を学んで、皆様へ失礼の無いよう勤めさせていただきとうございます」
「うむ。しっかり励め。朝早く起き、毎日木刀素振り百回、米俵担ぎ上げ百回、学問書素読百頁を架す。心身を鍛え梨菜の師、友として相応しくなってくれ。梨菜は一弥の言うことを良く聞き、しっかり学びなさい。たまには一緒に遊ぶのも良いだろう」
徹兵衛の笑みを浮かべて落ち着いて話す内容は厳しいが、含蓄があり、引き込まれてしまう。一弥はこの言いつけをきちんと守り、学問と共に体力をつけ、お嬢様に接することで優しい心と気持ちを持てるよう努力せねばならぬと思った。
「里枝。儂は是より代官所に伺候する。夜はお代官様と会食するので、お前達だけで夕食を摂り、先に休みなさい」
南部藩宮古代官所は和賀屋から僅か三町ほどの距離であるが、徹兵衛は駕籠を仕立てさせた。格式を考えてのことである。紋付羽織り袴で威儀を但し、代官所門前で訪いを告げると、厳しい中間が門扉を開いた。代官の屋敷は藩の蔵二棟を控えた荘重な構えで、代官が町人達と面会する座敷は、広い庭に面した十二畳。徹兵衛が下座につくと、太り獅子でテラテラに額を輝かせた代官、森井健悟衛門が供を連れて現れた。森井の家は代々代官職を勤めている。健悟衛門は禄高こそそう高くは無いが領民から多量付け届けがあり、内証は豊かで自然横柄な物言いである。
「おう、徹兵衛か。息災そうだの。如何した」
「はい。身体だけは至って頑丈で風邪一つ引いた試しもございません。森井様。本日はご相談があり参上しました。先月この南部藩北上川流域付近を襲いました、野分の被害のことにございます。先日、江釣子村に手代を遣わしたところ、かの地は洪水で全滅、村民は大勢が死に、残った村人の大半が離散し、荒れ果てた大地が広がっているのみとの報告を受けました。和賀屋の年間の米取り扱い量は約二十三万俵。野分による被害で江釣子その他地区の米は全く収穫できず、恐らく十五万俵にも届かぬと懸念されます。更に此度の被害の甚大さを考えますと、来年以降も同様の収量となるかと思われるのでございます。幕府・藩に取りまして誠に由々しき次第。森井様より藩ご重役に諮っていただき、救援の策を講じる必要がございます」
「江釣子の惨状についてはとうに報告が上がっておる。放置すれば恐らく数十年は草木も生えぬ荒撫地となるそうな。藩では江釣子を亡所として廃村にしてしまうか、幕府に願い出て救恤の手立てを差し伸べるか、喧喧諤諤の論議が沸騰、纏りが付かぬようであった」
「幕府としても放置できぬ筈。将軍家は徳川家慶公。執政には英明との聞こえが高い阿部正弘様が大老として先年ご就任されたと聞きました。年貢米が少なくなれば、旗本、御家人達に支払うお蔵米も減ってしまうわけで、幕府は必死になって我ら米屋へ米の調達を迫るはず。然し我らとて無い袖は振れません。亡所の指定には賛成出来かねます。年貢米の減少は幕府存亡に掛かり、絶対に避けなければならぬことでございます。又、亡所としてしまえば、未来永劫日本一と謂われた江釣子米は二度と食することが出来ぬからでございます。彼の米は将軍家、幕閣、旗本諸氏より大変ご贔屓に預かり、新米のころになりますと、各家より問い合わせが殺到するほどでございます。何卒、江釣子復旧に幕府、藩一体となり取り組んでいただきたい」
「無礼であろう、徹兵衛。米問屋風情が儂のみならず藩や幕府の施策にまで口を挟む。許されることでは無い。いいか、復旧には莫大な出費を強いる。藩の普請奉行のお見立てでは、七十万両を下らぬ費用を要すという。貧窮な南部藩で賄えるような金額では絶対無い。幕府だとて、財政逼迫の折、左程の金子を拠出する余裕が有るわけが無い。それにの、昨今、我が国の豊かな資源を狙う諸外国、オロシャ、エゲレス、アメリカ、スペインなど列強各国が好餌と付け狙い、彼等は強大な軍事力を背景に日本国近海に出没、安寧を脅かすようになった。ご大老は早くから事の重大性に警鐘を鳴らし、昨年各藩に対し、国を防備する施策を実行するようにと通達を出した。我が藩も海防の為この宮古にも台場や砲台を設け、軍事教練を始めたのである。この為の経費は莫大で、とてもたかが農民の救済に藩費を当てる余裕など無い」
「たかが農民、と仰せられましたか。聞き捨てなりませぬ。国防は我が国の自給が尤も肝要だと存じます。食料が無ければ暴虐非道の毛唐になど立ち向かえる訳もございません」
「返す返すの無礼な物言い。許せぬ。たかがと言って何が悪い。限りある資金は自ずと優先順位が出る。そんなことも解らんのか。和賀屋の頭取が聞いて呆れるわ。今を去る三十年前、オロシャの軍船ディアナ号艦長ゴローニン中将は我が御用商人高田屋嘉兵衛等を蝦夷地国後で捕らえ幽閉し、オロシャ国に連行した。オロシャだけではないぞ。阿蘭陀風説書に拠れば亜米利加は近々我が国に海軍提督ペルリ中将率いる艦隊を派遣、開国を迫るとの噂があるという。欧米列強が挙って虎視眈々と我が領土を狙う由々しき事態である。さすれば、軍備乏しき我が国など一溜まりもあるまい。忽ち蹂躙され占領されて紅毛人の奴隷となってしまう。金華山沖には外国の捕鯨船がしばしば出没、目撃されている。十年前、土佐の漁師中濱万次郎という男が遭難のあげく米国捕鯨船に助けられ、本年漸く日本に戻ることが出来た。彼らは日本近海に生息する鯨を一網打尽にし、しかも鯨油のみを取って肉は廃棄してしまう。彼らは身体中に剛毛を生やし、赤鬼の如き醜塊な巨人で獰猛だと聞く。危険極まる人間たちだ。和賀屋も毎年大量な米や海産物を江戸に送っているはず。その廻船が外国船に捕獲されるかも知れぬ事態であるぞ」
「このような商売を手掛けておりますので、今お代官様が仰せのこと、耳に入っております。日本は島国で四周を海に囲まれており、海防は我が国の生死を決する枢要な施策に間違いございません。然しそれとこれとは次元を異にする共に解決せねばならぬ事項でございます。なんとしても遣り果せねばなりますまい」
「くどいぞ。徹兵衛。海岸防禦は既に決まっている。貴様米問屋であろう。米屋が百姓を助けるのは道理がたつ。まずは自前での救済を考えろ。藩や幕府が乗り出すのはその先だ。一々斯様な嘆願を聞いていた日にゃ、身体が持たん。去ね。バカ者」
森井代官との面談が不首尾に終わり、釜石の料亭幸楼への招待も取り止め、気落ちして屋敷に戻った。
「お帰りなさいませ。お代官様と会食のご予定ではありませんでしたか」
「うむ。その予定で釜石の料亭を予約しておいたのだが、会談は甚だ不首尾での、会食は取り止めた。それでどうだ。梨菜は一弥と仲良く遊んでいたか?」
「それはもう、とっても睦まじく遊んでおりました。梨菜は実の兄のように慕っております。一弥は梨菜に絵草紙を読んで聞かせていました。身振り手振りを交えて話すと、梨菜は笑って大喜び。教え方がとっても上手です」
「それは良かった。代官所は江釣子救援を拒否した。儂は何としてでも助けたい。救援準備が整い次第手代の重蔵を連れ、江釣子に出向く」
「まあ大変。でも殿は何故そのように江釣子の復興に全力を傾けようとなさるのですか?足りない米は被害に遭わなかった他村を督励すれば済みそうな気が致しますが」
「里枝。お前には詳しく話していなかったが、実は儂が和賀屋の家督を継いだ八年前、天保十三年(1843)のことだ。三千石の新米を四艘の千石船に満載し、宮古から江戸を目指し出航したのは確か九月十日。半島を巡りトドヶ崎の難所を越そうとしたとき、予想もしなかった突然の大津波襲来で、船は全て座礁、沈没した。積荷の米三千石は海の藻屑と消えてしまった。儂は和賀屋を継いだばかりで途方に暮れ懊悩した。責任の重大さから一時は自死しお詫びしようかとさえ思った。ところがこの悲報を耳にした江釣子村の伊藤弥ェ門殿は、傘下の村々に呼びかけ、自家で消費するための米三千石を掻き集め、儂を助けてくれたのである。彼等は僅かな雑穀を食し、年を越した。この恩義は生涯忘れ去ることは出来ぬ。今窮状にある弥ェ門殿をお救いできねば、何の面目あって生きられよう。和賀屋の将来は無いのである」
「そうで御座いましたのか。一弥さんを梨菜の守役に抜擢されたのは、そのような事があったからですね。徹兵衛殿。渾身を傾けて弥ェ門殿の苦境をお救い申しあげましょう。和賀屋の身代がどのようになろうとも、全ての財力は弥ェ門殿の為遣ってくださいまし」
「里枝。良くぞもうした。元よりその覚悟である。お前には苦労させると思うが堪えて欲しい。それにしても腹が減った。女中ともに飯の用意をさせてくれ。そう、給仕は一弥にさせよう」
徹兵衛は一弥に給仕をさせながら、代官所との談合の首尾や、自分の決心を話した。一弥は眼を輝かせた。
三、救援
徹兵衛は一番番頭の利兵衛を呼び、当座の救米五千俵、馬引三十匹、手伝い人夫三百人を至急集めるよう申し渡した。次いで沖船頭阿部十郎兵衛に対し、千八百石積み明神丸を仕立て、出帆の準備を命じた。和賀屋裏手の波止場は俄かの出航命令にごった返し、毎夜遅くまで荷を運び込む仲仕達の喧騒が続いた。更に、重蔵を呼んで詳しく江釣子の被害状況を聴取すると、和賀屋取り扱いの海産物二百貫、野菜五百貫、木綿、太物、薬種、茶、砂糖、陶磁器類、古着などの生活用品、土砂一万袋、鋤鍬五百丁、もっこ三百、手押し車百台、大八車五十台、木材五百石を集め船に積み込むよう指示をだした。番頭、手代、小僧、女中等和賀屋全雇い人総出で必死に事に当たり、準備が整ったのは発案から僅か五日後の十月三十日。快晴で爽やかな秋風が吹き絶好の船出を迎えた。明神丸の胴の間は雑多な荷物が満載され、巨大な二十四反の大帆が巻き上げられると、岸を離れ出航した。艫の船室には徹兵衛、手代重蔵、力の強い担ぎ士、搗き士達俄か人夫が乗り組んでいる。宮古を出帆した明神丸は三陸の出入りの多い海岸を南下、追波より北上川を遡って北上、黒沢尻鬼柳番所沖に達したのは出航から五日後。平田船に乗り換え徹兵衛、重蔵は番所に出向くと、破壊された水沢代官所より役人が出張し詰めており、挨拶を交す。
「お役人様。此度の水害誠に恐れ入る次第でございます。被害の尤も激しかったと聞く江釣子に出向き、検分した後、当面の村民の活計を立てるべき救恤の品運んでまいりたく存じます。何卒関所通行の便儀宜しくお願い致します」
「和賀屋殿。早速の救恤、有り難く申し受ける。代官所からも役人を派遣し援助致そう。この鬼柳は和賀川南岸で比較的被害が少なく、和賀川と北上川に挟まれた扇状地である江釣子は全滅した。彼の地に立ち入るのは容易では無い。一端和賀川を遡って岩崎宿に出、対岸の藤根に上陸する必要がござる」
「江釣子の伊藤弥ェ門殿が横川目熊川与左衛門宅に疎開されていると聞いております。私の大恩人でございます。一刻も早く弥ェ門殿にお遭いしたく存じます」
「然らば、この代官所同心の水野が先導致す。南部馬であれば何とか横川目まで到達できるであろう。荷や手伝い人夫は平田船に移し変え、順次運んだら良かろう」
「ここに連れてまいりました手前供の手代重蔵は一月程以前、奥州街道を通り江釣子に馬で達しております」
「はい。道無き道で岩石、流木など累々と積み重なっておりましたが、泥濘に埋まりながら何とか到達できました」
一同三人は選り抜いた頑強な南部馬に騎乗、苦心惨憺の末、横川目熊川与左衛門宅へ到達した。途中に見る洪水被害の惨状は筆舌尽し難く、想像を絶していた。馬はしばしば膝を泥濘に没し、石塊は蹄を傷つけ、馬を何度か替えねばなら無い。一木一草なき原野の如き瓦礫に埋もれた地平は、恐山の地獄を思わせた。あちら此方で村人達が洪水で命を落とした人々を弔うため、石塊を積んで線香を立て伏し拝んでいる姿が認められた。死者を哀悼する泣き声が響く。横川目集落に到達できたのは夜半過ぎである。集落と言っても五軒の農家が山間に寄せ集まって立っているだけだ。同心の水野が声を掛ける。
「頼もう。水沢代官所同心水野一郎左でござる。熊川殿宅に江釣子伊藤弥ェ門殿が疎開されたと聞く。弥ェ門殿はご在宅か」
「お役人様。私が弥ェ門にございます。む、な、なんと、そちらは和賀屋徹兵衛殿。お久しぶりでございます。斯様な醜態をお見せするのは憚られます」
「弥ェ門殿。辛かったで御座ろう。家族同様の小作人六千余名の命が奪われたと聞きました。しかもお父上様までもが、非業の死を遂げられたのは。なんとお慰めすれば良いのか、言葉が見つかりません。おう、貴殿のご嫡男一弥殿、お預かりしておりますぞ。誠に聡明なお子で、我が娘の遊び相手になっております」
泣き崩れる弥ェ門の肩を徹兵衛は優しく支えた。天下の豪商和賀屋徹兵衛がこのような田舎の百姓を訪ね、励ましてくれる。更に膨大な救恤品を運んで来てくれたと聞き、弥ェ門は何度も徹兵衛に手を合わせた。
「弥ェ門殿。私は八年前、貴殿より受けた恩義、一日たりと忘れたことございません。あの自らを犠牲にした救助こそ、私が米商いを続けてこられた所以でございます。今苦境の極みにある貴殿をお助けしなかったならば、徹兵衛末代までの笑い者になりましょう。そんなに拝まれたら困ります。恩返しでございますよ」
翌日から続々と救恤品や土地復旧の道具や和賀屋の半被を着た職方や人夫などが到着、やっと復興の手がかりを得た。ちりぢりとなった村民も序序に戻り始め、二ヶ月振りに江釣子に歓声が響いたのである。村人達は流木などを使って粗末な小屋をつくり、そこで生活を始めた。徹兵衛は重蔵に命じて被害の全貌の調査を開始した。粗方の土地は二尺から多いところで三尺もの表土が削りとられ、石塊や砂利で埋まっている。作業は石塊を取り除き、新たに遠方から土を運んで客土しなければならぬ。徹兵衛は運搬の便を考え、まず長大な木桟橋を縦横に築かせた。村人と人夫を三手に分け、一は石塊の除去、二はそれを捨て場へ、帰りに山土をに運搬、三は客土と土均し、道路、水路の復旧とさせた。各班百名。牛馬を使っても一日で一反歩がやっと。十日で一町歩。全三千町歩の復旧には十年以上の年月が必要なのである。北上川、和賀川堰堤の決壊箇所の修復、何処ともなく流されてしまった江釣子神社や崩れた墳墓の修復、やらねばならぬことは山ほどある。一月たった。徹兵衛は十日ほどで宮古に帰ったが、重蔵と職方、人夫達は残って奮闘した。土入れが完了した場所に麦の苗を植えると皆がほっとした。水路もごく一部であるが復旧、水が通った。仮設の番屋暮らしの続いた、弥ェ門以下農民達も漸く明るい眼差しになって、まずは弥ェ門の屋形を建てることが決まった。是までの巨額の経費は全て徹兵衛の持ち出しである。重蔵と人夫達が宮古に戻ったのその年の押し詰まった十二月末。早速徹兵衛に其の後の復旧の出来高を報告した。
「ご苦労であった。もう大丈夫だろう。村人も殆どが戻り、土地復旧に精を出しているのだな」
「はい。遅々とした進捗に始めはやきもきしておりましたが、今は軌道に乗り速度も速くなったのかと感じます。既に三町歩ほど復旧が適いました。弥ェ門殿は来年新米が出来た暁にはいの一番にこちらへ届けたいと申しておりました」
「疲れたであろう。四五日ゆっくり休め。ところで梨菜はすっかり一弥になついて、一日中離れない。夜も一緒に寝たいとせがんで困る。近頃は一弥が読み書きを教えている」
「それは、それは。ではお言葉に甘えて休ませていただきます」
嘉永五年(1852)が明けた。和賀屋では大晦日の夜、主人家族、番頭、手代が打ち揃って浄土が濱に出向き、海に上がる初日の出を見て、黒森山に登り、古くから漁民、農民達の篤い信仰を受けて来た黒森神社に参拝する習いになっている。一弥と梨菜は正月用のよそ行きの着物を着せてもらい、大喜びである。里枝様は髪飾りも麗しく、薄くお化粧なさり、艶やかな赤絹の総振袖。裾模様は大柄な白牡丹。主人夫婦と子供達には駕籠で出発だ。文字通り浄土の如く荘厳な濱の日の出。和賀屋一同が苔むした山の神殿に手を合わせると、新しい力が湧いてくる。
「お前様。江釣子の復興も軌道に乗ったと伺いました。良かったですね」
「此度の出費はかなりのものになったが、我等一同力を合わせ商いに精を出せば、取り戻せぬ金額では無かろう。儂はより一層商いに精魂傾ける。お前や莉菜が美しく、可愛らしいままでいるのが嬉しい。一弥は儂の言いつけを守り毎日身体の鍛錬を欠かさぬようだ。すっかり逞しくなった。学問の精進も目覚しく、此の頃は一弥に教えられることも多い」
「梨菜は一弥にとても良くなついております。一弥を養子に迎えられたら宜しいのに」
「その通りだが、弥ェ門殿が許さぬであろう。只、娘が一弥に嫁入りするのは、喜んでくれよう」
「良き思案にございます」
「は、は、は。未だ遠い先のことだが」
「お前様。一弥は九歳、梨菜は四歳になりました。そろそろ松原佐蔵先生の学問塾に通わせたいと思います。それと米問屋に奉公しているのですから、お米のこと、商いのことを教えて差し上げたら如何ですか」
「うむ。儂もそう考えていたところだ。番頭や手代にそれとなく言っておこう。里枝。お前は大店の女将としての心得や人との付き合い方などを教えてくれ。それとお洒落や肌の手入れなどをな」
「ま、ご冗談ばっかり。ようございます。幼い二人に商いの道の伊呂波を厳しく仕込んで見ましょう。貴方も時には直に諭してくださいね」
松の内が明け、七草粥を祝うと仕事始め。和賀屋は急に活気付いた。一月半ば、幕府勘定奉行配下蔵奉行与力関明乃介が宮古代官所に到着、徹兵衛は呼び出しを受けた。徹兵衛が南部藩会所穀物取締の役職を賜っているからで、緊張して代官所に出むいた。代官森井と与力関が上段で対座している。
「和賀屋でございます。お呼び出しにより只今参上しました」
「ふむ。私財を投げ打っての江釣子村救済、幕閣の耳に届いておる。ご大老阿部伊勢守様より直々のご賛辞を賜った。申し述ぶる。此度の和賀屋徹兵衛の所業、甚だ殊勝である。金三十枚並びに時服十棹を与ふ。然し乍、ご回米の不足は幕府財政を悪化させるのみならず、庶民の飢餓の恐れも惹起している。その方よりの米取り扱いが例年の二十三万俵より八万俵も少ない十五万俵と聞く。三割の年貢を四割に引き上げても各村を督励し、蒐米に勤めよ」
「恐れながら申しあげます。奥羽の水害被害は想像以上に酷く、これ以上の蒐米は一揆を引き起こす恐れもございます。江釣子につきましても、復旧は端緒についたばかりで、三千町歩のうちたった三町歩が回復したに過ぎません。生き残った村民は酷い飢餓に苦しみながら、日夜復旧に励んでいるのでございます。私が齎した救恤米は僅か五千俵に過ぎず、生き残った村民二千人では一月で消費してしまいます。今は近隣の村々より自家消費米を分けてもらい食いつないでいます。米の更なる取立てなど有り得ません。奥羽地方の民は塗炭の苦しみに喘いでいるのでございます」
「黙れ。徹兵衛。江戸では米が暴騰し昨年の五割増し、七割増しの価格だ。お前達米問屋は蔵にしっかり溜め込み、更なる値上がりを待っているのだろう。是までも相当の暴利を貪っているとも聞く。まず今抱えている米を出せ。年貢の引き上げはその後だ」
「左様な不心得の問屋も無いとは申しません。が、こと和賀屋に関しましては、そのようなこと一切ございません。蔵は全て空になり、価格は江戸の皆様の苦しみを考慮し、昨年同様としております」
「控えろ!年明け早々江戸表よりこの蔵奉行与力が出張して参ったのだ。たかが米問屋風情に口答えされるなど許される事で無い。そこへ直れ。貴様の素首叩き切ってやる」
森井は四年前の弘化四年(1847)の宮古での大規模な百姓一揆を思い浮かべた。一揆が起これば大変なことになる。あの時は一万五千もの百姓達が大暴れ、挙句の果て百姓達一人に付き百五十文、計二万二千貫もの見舞金を支払うことになった。森井は監理不行き届きで藩主から厳しい咎めを受けた。又先に徹兵衛の願い出た江釣子救済をにべもなく拒絶した引け目があり、助け舟を出すことにした。
「関殿。こやつを切り捨てたところで何の解決にもなりません。ここは穏便に年貢米を三割五分とし、一ヵ年の猶予を設けたら如何でござろう」
関は代官の提案に憤りを感じたが、道中で見聞した被害の惨状を思うと止むを得ないことだと決断した。
「森井。お主の言い分を聞き届けて遣わす。徹兵衛。年末までにきちっと集め、収めよ」
幕府高官にはっきり意見を申し上げ、険悪な空気となったが、老練の代官森井の取り成しで事なきを得た。しかし年貢五分の値上げ徴収の困難さは徹兵衛の胸に重く圧し掛かった。家に戻ると笑顔の里枝と梨菜、一弥が出迎えてくれた。二人の可愛い顔を見、たわいない会話をしていると次第に癒され、徹兵衛も笑顔を取り戻した。
「お前様。幕府のお役人様はどのような用件でこの地に参られたのですか」
「うむ。江戸の武士、町人達が食する米が不足だから、年貢の供出を三割から四割に上げよとの仰せだ。儂は必死に奥羽の窮状を訴えた。お代官森井様の取り成しでやっと三割五分にしていただいたが、凶作続きの村々にどう伝えたら良いか、頭が痛くなる」
「それは、それは。ご心情お察しします。何か良き思案はございませんでしょうか」
二人の悩みぬいた顔を見ていた一弥が算盤を弾きながら、口を開いた。
「お屋形方様。奥方様。生意気申すようでございますが、米は当分収穫は望めませんが、荒地でも育つ、甘藷、黍、稗、粟、豆、玉蜀黍、蕎麦などの雑穀ならば、是より植え込めば間に合うのではございませんか。確か雑穀の場合、米の倍量納めれば代用できると父から聞いたことがございます。年貢の増加分は江釣子で四百五十石。雑穀ですと九百石の収量があれば良きかと存じます。雑穀類の種は十番蔵に余るほど保管されていると重蔵様から聞きました。和賀屋全取り扱い量は二十三万俵、九万二千石。年貢増分四千六百石。雑穀換算九千二百石になります。これだと可能ではございませんか」
「成る程。その通りじゃ。早く収穫が出来る雑穀を何度か繰り返し収穫すれば、或いは可能となろう。疲弊し荒廃した村々では農民達が飢え死か離村の選択に迫られ苦悩している。一弥の言うように雑穀作りに精を出せば、かなりの人数を救うことが出来る。よし。その案に乗ろう。お前は賢い。気に入ったぞ。明日にでも手代達を種を一杯持たせて、各地に派遣しよう。何やら力が湧いてまいった」
「一弥。良かったわね。今日はご馳走しましょう。梨菜。お兄ちゃんはとってもオツムが良くってよ」
「かず兄ちゃん。お父様、お母様に褒められてあたしも嬉しい」
その夜、洪水後贅沢を控え、粗食で過ごしてきた主人家族の夕食の膳は普段と違う豪華な食材が並んだ。蒸し鮑、鱶鰭の羹、鼻曲がり鮭の焼き物、三陸鮪のお造り、松藻など徹兵衛さえ口に出来ぬ品が大皿に盛り付けられた。徹兵衛には銘酒竜神丸が大盃になみなみと注がれた。
「目出度い。儂は嬉しい。恩義ある弥ェ門殿よりお預かりした嫡子、一弥が懊悩する奥羽を救う妙案を考えた。今日は腹一杯食ってくれ。里枝、お前も飲め」
「一弥は松原佐蔵先生の塾では先生が舌を巻くほどの俊英ぶり。学んだことは全て記憶しているし、鋭い質問に先生が立ち往生することもあるとか。この前塾頭に指名されました。機転が利くのは今の発案で解ります」
「そんなに頭がいいのに、梨菜にはとっても優しく教えてくださるの。何度も繰り返し丁寧に教えてくれるから、お利巧さんになったよ。梨菜まで先生に褒められちゃった」
久しぶりに奥の間に笑い声が響いた。梨菜もはしゃいで一弥に抱きつき、その夜は二人一緒の布団で眠った。翌日から各地各村に散った手代達は、村人達を鼓舞し雑穀類の植付けを依頼した。その年は幸い天候に恵まれ、春、夏、秋と三回の収穫を得た。無事年貢増分を藩及び幕府に収めることが出来た。徹兵衛は与力関明乃介を通じ、ご大老阿部伊勢守から再びお褒めの言葉と金五十枚、白絹二十反、時服十、黄金造り太刀二振りを賜った。太刀は一弥に下げ渡された。
四、越中島
六年が経過した。苦境の年を無事越した和賀屋は、幕府の贔屓もあり、繁盛を重ね、取り扱い量は以前の三割増しとなった。九月に入って、徹兵衛は筆頭番頭利兵衛と見聞のため一弥を伴い江戸に発った。十四歳になった一弥は背丈が六尺近く、筋骨逞しく、聡明で慎み深い青年へと成長していた。江戸深川越中島に和賀屋の出店が構えてある。大川河口にあって、宮古の本店からの米が船で直接荷着けできる。対岸は八丁堀で、大川を遡れば幕府米倉の立ち並ぶ蔵前、日本橋川で行けば日本橋や江戸城も近い。店は間口二十間、奥行き十間の大店で、江戸番頭以下五十余人の奉公人を抱えている。年に一、二度、徹兵衛が訪れるから、本家主人の為、瀟洒な離れが造営され、何時も此処に逗留する。概ね在府は一月にも及び、専属に身の回りの世話をする女中や小女、手代が決まっている。九月十日、徹兵衛一行は江戸和賀屋に到着した。大川を渡る涼風が淀んだ暑気を吹き飛ばしてくれる。ここは良い風が通った。川面には白い都鳥が群れ、水中の魚を啄ばむ姿が見えた。寛ぐ間も無く、次々と厳しい江戸表での商売上の相談が持ち込まれる。江戸番頭は和賀屋本店で長く手代を勤め、江戸に出て番頭に取り立てられた老練で剛毅な権兵衛である。然し枢要な案件の決裁は徹兵衛の指示無くしてはあり得ぬ。半年振りに現れた徹兵衛に決裁を仰ぐ案件は山とある。数日間掛けて主要な決裁を終え、ほっとして離れで休もうとしたところに、血相を変えた権兵衛が飛び込んで来た。
「徹兵衛様、利兵衛様。えらい難題が持ち込まれました。長年取引のある米屋越後屋の若主人が和賀屋は質の悪い米を卸していると怒鳴り込んで参ったのでございます」
「そのような与太話は手代がきちっと話をつけろ。手代が持て余したら番頭のお前が解決せい。儂や筆頭番頭が出るような問題では無いぞ。もそっとしゃんとせい」
「権兵衛殿。我等は米の品質には絶対の自信を有しておること、お前も承知しておろう。一米屋の戯言など一々聞かずとも良い」
「ですが、越後屋は性質の悪い博打場の代貸を伴っており、暴れて始末に終えません。何度私が取り成しても主人を出せ、主人以外とは話し合わぬとの一点張り。お屋形様どうかお願い致します」
「お前がそうまで申すなら、致し方ない。いいだろう、儂が話を聞こう。利兵衛、一弥一緒に来い。悪党をどう捌けば良いか教えてやる」
徹兵衛はゆっくり茶を喫し、煙草を時間を掛けて吸うと、やおら立ち上がって客のいる表座敷へ向かった。一弥は興味津々の面持ちで徹兵衛に従う。利兵衛は苦虫を噛み潰した渋い表情だ。
越後屋は本両替の三井次郎左衛門の遠い親戚筋にあたる総兵衛が頭取で、日本橋室町に店を構えている。和賀屋の卸す米を江戸市中に売り捌く。固い商売だが、米相場の高低で売れ行きが左右され、競争相手の米屋も多い。越後屋は主の才覚で商いを伸ばしている大店である。総兵衛には研吾という一人息子がいる。甘やかされ育ったせいか、商売には少しも熱が入らず、身持ちも悪く、博打場や岡場所に出入りしてばかりだ。研吾は店から遊興の金を持ち出して遊んでいたが、或る日総兵衛に見つかってひどく叱られ、二度と店の金が持ち出せなくなった。研吾は一度覚えた遊興が身に染みこんでいて遊びを断つことが出来ない。そこで博打場で顔見知りの代貸、政次郎に相談を持ちかけた。
「代貸。おいら遊ぶ金が欲しい。何か良い手立ては無かろうか」
「そう易々とおあしが手に入るンなら、とっくにこっちがやっている。しかしこれまで博打で随分と金を遣ってくれたお前さんの頼みだ。何か思案せねばならんだろ。そうだな・・・今考える。お前ンところの取引先に金が唸っていそうなところは無いか?」
「米問屋で和賀屋っていう店、奥州宮古が本拠なんですが、越中島に大店の出店を構えております。江戸市中の米屋は勿論、幕府、諸大名から町方まで幅広く得意先を持ち、扱い量は日本一だとか。あそこなら金が唸っております」
「そうか、ではその和賀屋から金をくすねよう。騙りをやるんだ。黙って俺の言うことを聞け」
政次郎は研吾に考えついた騙りの手口を詳しく話して聞かせた。
翌日二人は細工を仕込んだ米俵を子分に担がせ、深川越中島の和賀屋に出むいた。応対に出た手代に政次郎が凄んだ。
「おいっ。お前ンところは酷い米を新米と言って卸してやがる。この俵の中身を見ろや。七割以上が古米、屑米だ。お前ェじゃ話がわからん。話が出来る主人を出せ」
座敷内は畳に長脇差が突き立てられ、中身をぶちまけられた米俵が乱雑に置かれている。俵の前には悪相の代貸が着物から肩を出し、刺青をちらつかせ胡座をかいてふんぞり返っている。傍らに目つきの宜しくない痩せた男が睨みを効かせて凄んでいる。越後屋の研吾らしい。その前に畏まって土下座を繰り返しているのは江戸和賀屋の手代、亀吉だ。
「やっとこさ表れたか。お前ェさんが和賀屋の大旦那かい?」
「いかにも私が和賀屋徹兵衛でございます。お前様、何か和賀屋の卸した商品に嫌疑を掛けられたそうですが」
「おうよ。これを見いや。手前ェんとこじゃ、新米に腐った古米を混ぜて出しとるんかい。七割かた古米だぜ。酷ェ米だ。天下の和賀屋だと。笑わせやがる。お上に和賀屋は古米だらけの屑米を新米と言って売っていると訴えてもいいんだぜ」
「そちらでぶちまけた米が確かに和賀屋が卸したものという証拠がございますか」
「あっ当りめえだ。俵にゃはっきり和賀屋の刻印が押されておる。この後に及んで言い逃れしようてえんですかい。和賀屋の看板が聞いて呆れるわい」
「越後屋の若旦那。大方どっかのしけた女か博打に大金を貢ぎ込んで、首が回らなくなったんでしょう。そうですか、金が欲しいとお顔に書いてある。旦那様。この人達に十両ばかり包んで差し上げたいのですが、如何でしょう」
番頭の利兵衛が徹兵衛の顔色を見ながら伺いを立てる。徹兵衛は許諾の合図にゆっくりと首を縦に振る。
「ば、馬鹿にするねえ。親分、何とか言ってくだせえ」
「やいっ。和賀屋。儂は浅草は花川戸を仕切っている辰五郎親分の下で代貸を預かる政次郎というモンじゃ。田舎モンのお前ェは知る訳もねえだろうが、ここいらじゃちぃっと知られた渡世人じゃ。江戸は日本橋、深川、浅草なんぞの荷揚げ人足は皆俺様の息が懸かっておる。儂が一言和賀屋の荷に手ェ出すなと言えば、一斉に手を引くことになりますぜ。荷が捌けなくなったらお前ェんとこの商売はやっていけめえ。それによ。儂は瓦版の読売にも顔が利く。和賀屋の米は古米まじりの劣悪なシロモノと瓦版が書き立てたらどうする。お前ェんとこの信用は一夜にして地に落ちる。ま、二度と立ち上がれないだろうな」
政次郎の言葉に徹兵衛も流石に顔には出さぬものの内心凍りついた。脅しとは解っても利兵衛と権兵衛は互いに顔を見合す。商売は信用が第一で、世間の評判を落とし一気に瓦解した例は沢山ある。つい先日も和菓子の老舗が製造期日を誤魔化して潰れている。本店での米の仕込みは自ら行っていて絶対の自信があるが、運搬途中の細目は、様々の人手を経るため、不明なところもある。途中で誰かが古米交じりの粗悪品にすりかえた可能性も零では無い。研吾と代貸は和賀屋の面々が怯んだところを見て、嵩に懸かって脅そうとした。奥のほうでじっと控えていた一弥が立ち上がって前に進み出た。
「越後屋の若旦那様。花川戸の親分さん。私は和賀屋徹兵衛の下で米の伊呂波を学んでおります、一弥と申します。発端はこの米俵の中身が新米と申しながら、古米が混じっていたということでございますね」
「小僧。ど素人の餓鬼が出てくる場面じゃ無ェ。すっこんでろ」
「脅しても駄目で御座います。少々調べさせて頂きます」
和賀屋主従は若年の一弥が前に出、居丈高の代貸と越後屋の若旦那を前に怯むことなく堂々と申し述べるのを聞き、固唾を飲んだ。一弥は畳に散らばっている米を丁寧に集めて、小机の上に並べ、子細に見詰めた。それから懐から天眼鏡を取り出し、一粒一粒調べ始めた。一通り検分すると、今度は米俵を起こして、これも天眼鏡で調べ尽くす。
「やい、やい。小僧。何をしやがるんだ」
「皆様。解りました。古米は越後屋さんで後から混ぜられたものでございます」
「こ、小童!何の証拠があってそんな戯言を申す。好い加減なことを抜かすと只じゃおかねえ。覚悟せいや。米俵は此処に運びこまれた時は、きっちり厳重に縄で結んであった。手代の亀吉とかいう野郎が確認しておる。どうでい。動かぬ証拠じゃろ」
「言い逃れでは御座いません。列記とした証拠があるからです。まず、古米には越後屋さんで扱う越後特有の米糠が付着しております。越後米と奥州米では粒の大きさや硬度が違うことは、米屋なら誰も知っていること。古米は全て越後米でした。越後屋の若旦那がそれを知らぬとは言わせませんよ」
「だが、確かに二つの米が俵に入っていた」
「悪あがきはそちら様のこと。いいですか、和賀屋では米俵を縛る時、独特な結び方を致します。イボ結びという棕櫚縄を結ぶのと同じ遣り方です。今ここにある俵は江戸風の乱雑な花結びで、我等は決して直ぐ解けるこんなやり方は致しません。明らかに結び縄を切って、中身を入れ替え、結びなおしたに相違ありません」
「小僧。言わせておけば」
一弥に明白な証拠を突きつけられ、越後屋と代貸はすごすごと引き上げるしか無かった。
「塩を撒いておくれ。それにしても冷っとした。一弥。お前には感心した。あの悪党供をやりこめた。大した胆力だ。それに落ち着いて米や俵を調べるなんて儂にも思いつかん」
徹兵衛は一弥の冷静な判断力と物怖じせぬ行動力に内心舌を巻いていた。
「徹兵衛様。今後は斯様なことが起こらぬよう、米俵の蓋藁と胴体の分かれ目に、和賀屋の印業を捺した和紙の短冊を貼り、開ければその短冊が切れ、何時開封したかが外から見えるようにしたら如何でしょう。短冊の印業は良米の証で、和賀屋の良き宣伝ともなります」
「気に入った。お前は和賀屋に無くてはならぬ人間だ」
後日、越後屋主人総兵衛がしおらしく頭を丸めた研吾を伴い、和賀屋を訪れた。総兵衛は羽織袴の正装で、土間で平伏するように頭を下げた。座敷に招じられ、徹兵衛と面会した総兵衛は、畳に頭を何度もこすり付け謝った。
「この度は、私共の馬鹿息子が此方様に大層ご迷惑をお掛けしました。息子はご覧の通り、頭髪を剃り、謹慎させました。長年のお付き合いにも関わらず、斯様な不始末をお掛けし、何ともお詫びのしようもございません。おい。研吾。お前ももっと頭を下げろ。念のため申し添えますが、このバカ息子と共謀した政次郎は、事が顕れて辰五郎親分の逆鱗に触れ、盃を返されました。処払いになった挙句、上州のヤクザの抗争に巻き込まれ頓死したと聞きました」
「不出来な子供を持つ親は苦労するものです。お前様は息子を少しばかり甘やかして育てたようだ。研吾とか言ったな。もう二度と悪場所に出入りするんじゃ無い。儂と約束せい」
「へ、へい。畏まりましてございます」
「徹兵衛様。貴方様は誠に賢い若衆を抱えておられますな。羨ましき限りです」
「一弥のことか。あの男は宮古の本店で儂の娘を教える師匠である。賢いに決まっておる」
徹兵衛にとって、越後屋の騙りは和賀屋の信用を揺るがす許しがたいことであったが、主人自ら出向いて丁重に謝罪し、本人も痛く反省していることから、今回に限り許すことにした。越後屋はその後も和賀屋との取引が続けられることになった。