Ⅰ
「このままで良いのかしら」
ぼんやりと窓から庭を見下ろしながら、リリーは思いを口にしていた。
庭師がせっせと花壇に花を植えている。花の色さえ、リリーの目には留まらない。
冷めた紅茶のカップは、口も付けられず、テーブルに載せられたままだ。
――国王の即位式から10日。
前国王の崩御という悲しみを吹き飛ばすよう、式典は豪華絢爛に執り行われた。
城の中で最も広いセレモニーホール。色鮮やかな花が幾多飾られ、広間はリボンで装飾されていた。国内外から招かれた多くの来賓達は皆着飾り、式典に華を添えている。
リリーは王族席に参列していた。ミノン妃をはじめ、多くの王族が参列している最端に腰を下ろす。
不思議なことに、元側妃として参列しているのは3人のみだった。
後に聞いたところ、昨晩遅く、数名の側妃が突然実家へ帰るよう命じられ、今朝後宮を後にしたとのこと。「デューク王子、恐るべし……」とジュリアが身震いしていたが、リリーにはピンと来なかった。
リリーは淡いエメラルドグリーンのドレスを身に纏った。レースが幾重にも縫い付けられ、裾がふんわりとしている。栗色の髪は緩やかに上でまとめられ、大きな白い花を挿している。
胸元を飾るのは、あのネックレスだ。
その場にいる誰もが、広間の中央を一心に見つめた。息を呑む。
赤い絨毯に跪き、王冠を頂くデューク。
窓から降り注ぐ陽光の下、全てが煌めいている。
輝く金の髪も、整った容姿も、洗練された動きも。いつも以上に煌めいて美しい。若々しさを感じるのに、威厳をも兼ね備えている。
新しい国王の誕生。
しばらく空席だった玉座に向かい、ゆっくりと階段を上る。高い位置からデュークが参列者を振り返ると同時に、割れんばかりの拍手が送られる。
爽やかな微笑みを湛えたデューク国王。その場にいる誰もがその姿に魅入られる。
リリーも違わず、その内の1人だった。目が離せなかった。
「息を吸うのを忘れてしまいました」と即位式の後、デュークに伝えたら馬鹿にされてしまったが、本当にそう思ったのだ。見惚れてしまったことは、悔しいので伝えないが。
普段の「ブラック王子」と同一人物とは思い難いが、これが本来の彼である。
デュークと視線が交わされる。こんな大人数の中だというのに、リリーの姿を認め、頷いてくれた。
ああ、この人の妻になるのだ。
リリーは誇らしくなり、嬉しくなり、小さく胸を張ったのだった。
――だが、このままで良いのだろうか。
式典以降、リリーは思い悩む時間が増えている。
理由はわからないが、デューク国王の妻になることは決定事項らしい。国王の命令に背く程、リリーは愚かではない。
それに、デュークのことを「夫」として意識し始めている。2人で過ごす時間に比例して、デュークの人となりを知り、少しずつ距離を縮めている。
だが心の中にはまだ、彼の人がいる。
瞳を閉じると浮かぶ、優しげに微笑むエドワード。だいぶ姿が朧げになってしまった。
彼のことを3年間想い続けた。待っていてくれるという約束を信じて。
「このままでは良くないわ」
前に進むためにも、自分の気持ちを整理する必要がある。
このままではデュークにも、自分自身にとっても良くない。
それに、エドワードをずっと待たせておくことも。もう彼の元へ帰ることは叶わないだろうから。彼にも結婚をし、幸せになってもらいたい。
リリーはスッと顔を上げた。
☆
「お願いがあります。結婚の前に、1度実家に里帰りさせて頂けませんか?」
単刀直入。夕食が始まるや否や、リリーは話を切り出した。言いたいことを言い終えないと落ち着かず、食事も喉を通りそうにない。
フォークとナイフを持つ手を下ろし、デュークは片眉を上げた。
「何用だ?今更ホームシックにでもなったのか?」
リリーがお願い事をすることが珍しかったのだろう。あっさり承諾してもらえると思っていたリリーは、動揺した。
「い、いけませんか? 家族に会いたいと思うくらい」
さすがに、エドワードに会いに行くためだとは言えない。
さりげなく視線を泳がせたことをデュークは見逃さなかったようだ。「それだけか?」と更に念を押す。ギクリと体を強張らせたことには気付かないと良いのだけれど。
背もたれに体を預け、両腕を組むデューク。何やら思案している。
「ああ、そういうことか」
彼の独り言。そっと彼に視線を戻す。目が合った瞬間、さらりと口にする。
「元の婚約者にでも会いに行こうと思ったのか」
「なっ何故それを!?」
驚きのあまり目も口も全開だ。デュークは心が読めるのだろうか。
「図星か」
ふんと鼻を鳴らし、ニヤリと微笑んだ。
敗北感。悔しくてリリーは自然とふてくされた顔になる。
「最近ボケッとしていることが多いから何かあると思っていた」
「ボケッとなんてしていません。その……ちょっと考え事をしていたのです。どうして私に婚約者がいたことをご存じなのですか?」
「王妃になる者の身辺調査を行うのは当たり前だ」
確かに。
「それで?俺の妻になるというのに、他の男に会いに行こうとはどういう訳だ。未練があるのか?」
「未練ではありません」
デュークには何も隠し事はできそうにない。素直にお願いした方が賢明だ。
深呼吸し、デュークに向き直る。
「きちんとお別れを言いたいのです。彼は私を想い、未婚のままでいてくれると約束をしてくれました。私が後宮から戻って来る奇跡を願って、待っていてくれると。後宮での鬱々とした日々を支えたのは、その約束でした」
口元に指を当てながら、しっかりと話を聞いてくれる。
「けじめをつけなければと思ったのです。これ以上、彼を縛りたくありませんし、私自身、もう彼を心の拠り所にはできないと。だから、最後に一目会って、ちゃんとお別れがしたいのです」
「……憎いな」
「え?」
あまりに小さなデュークの呟きを聞き逃し、問い直しても「いや、何でもない」と被りを振って答えない。上体を元に戻す。
「わかった。許してやる」
気持ちが伝わった。意外と寛大な心の持ち主ではないかと、リリーはパァッと顔を明るくした。
お礼を述べようと口を開く。
「ありがと――」
「ただし、俺も一緒に行く」
言葉を遮られたことにより、一瞬思考が止まる。
「え?」
「お前が想い続けたという男に会っておくのも悪くない」
一体どこに、元婚約者に会いに行くのに付いて行きたがる婚約者がいるだろう。唖然としている間にベルを鳴らし、執事を呼んでいる。
「それに、お前の実家には1度挨拶に行かなければと思っていたからな。善は急げ、今週中には行こう」
「ええっ!?」
リリーの事などもはや視界に入っていない。
執事が部屋に入るなり、手帳を開き2人で予定の調整を始めている。
こんなつもりではなかったのに。
呆然とした気持ちでリリーは肩を落とした。