Ⅲ
リリーの実家は貴族ではなく、有力な貿易商だった。
いくつもの海を越え、諸外国を渡り歩き、外国語を駆使して活躍する父の姿はリリーの憧れだった。自ずと外国に興味を持ち、語学や文化を勉強し、いつか自分も貿易船に乗って外国を訪れることを夢に見ていた。
優しい両親、多くの兄妹に囲まれ、長女のリリーは何不自由なく生活していた。
ふんわりとウェーブのかかった栗色の髪、新緑の瞳、白い肌。前髪を眉の高さで切り揃え、聡明な雰囲気を纏っていた。
本人が思うよりもリリーに対し周囲からの評価は高く、告白の文が届かない日はなかった。父と兄によってその大量の文が破毀されていたことを彼女は知らない。
唯一届けられた文は、幼馴染である婚約者エドワードからのものだけだ。エドワードは商家の嫡男で、昔から両家は家族ぐるみの付き合いをしていた。
背が高く、ひょろりとしている彼は、決して美男子ではない。だがとても優しく、人懐こい笑顔が、リリーは大好きだった。
エドワードの妻になることは、リリーの人生の決定事項だと思っていた。
17歳になり、そろそろ本格的に結婚の準備をしよう。そんな雰囲気が醸し出され始めたある日、王宮からの使者の来訪により、事態は一変したのである。
住む場所も立場も変わってしまった。突然に。
けれど、リリーは夢を捨て切ることができなかった。
外国を訪れる夢のため、ひっそり勉強を続けた。
後宮では必要な書籍は望めば手に入れることができ、様々な国について造詣を深めることができた。もし他の側妃のように国王におねだりができていたなら、外国へだって連れて行ってもらえたかもしれないが、それは自尊心が許さなかった。
エドワードの妻になる夢も諦めはしなかった。
全く見向きもされない側妃である。もしかしたらその内に不要だと判断し、実家へ帰してくれるかもしれない。
そのために純潔を貫いた。「生理中です」を意味する札を3年間ドアの外に出し続け、あからさまに拒否し続けた。そうでなくても陛下のお渡りは1度も無かったのだが、念には念を入れた。
――忘れ去られた11番目の側妃。
その願いはただ実家へ帰ること。それだけ。
だが、その願いも空しく、人生の2度目の転機を迎えようとしている。
☆
部屋を移動してから、リリーの生活は大きく変わった。
11番目の側妃が次期国王の王妃候補になったという知らせは、一晩で城中に伝わった。
最小限の関係者のみで結婚の準備が進められていたため、城内の多くの家臣にとっても寝耳に水であった。
誰もが驚嘆し、訝しんだ。何故、と。最も不可解に思っているのがリリー当人であることは知る由も無いだろう。
事情はどうであれ、王妃候補が持つ影響力は大きい。場合によっては、ミノン妃のように王宮を牛耳ることさえ可能なのだから。
早速家臣たちは忙しなく動き出した。自己保身に走らねばならない。
「今日は20人です」
ソファの上に積みあがったギフトボックスを数え、ジュリアは手にしていたメモをリリーに手渡した。 送り主と品物のリストだ。
ジュリアは一礼すると、部屋を後にした。
リストに軽く目を通しながら、リリーは小さく嘆息する。今日も、ほぼ同じ顔ぶれだ。
山のような贈り物に悩まされるなど、以前のリリーには想像もできなかった。
「今日もまた一段と荷物が増えたな」
そして、何より変わったこと。
目の前でキラキラオーラを振り撒く男、デュークを見て再び、深く嘆息する。
「夫婦になるのだから、まずはお互いを知らないといけない」
もっともらしいことを述べたデューク王子は、朝食と夕食をリリーと一緒にとるようになった。休憩時間も、暇を見つけてはリリーを訪ねてくる。
2人の様子を周囲は好意的に捉え、温かい視線を向けていた。
そして今、夕食を2人で味わっている。
デュークの指示で用意された丸い小さめのテーブル。長方形のテーブルだと2人の距離が開いてしまうからという理由に、侍女たちは頬を赤くして興奮した。
「手に手を取り合って微笑み合っていた」だの「人目も憚らずに抱き合っていた」だの、噂は尾鰭を付けて広がっていく。それもこれも、2人が会う時は決まって侍女や家臣を下がらせるデュークのせいだ。否が応にも周囲は詮索する。
だが、実際の2人にそんな雰囲気はない。
リリーが問えば、「いつもキラキラしているのも疲れるから」という自己中心的な理由が返ってくる。 王子はオンとオフを使い分けるタイプだ。
オフの時のデュークの意地悪な笑みを、国中の女性たちは知らない。
デュークはナイフとフォークを皿の上に置くと、積まれた贈り物を見て苦笑する。
これまで挨拶さえろくにしなかった家臣が胡麻すりを開始し、部屋中が贈り物で溢れ返っている。広い部屋へ移動したというのに、すでに控室は満杯だ。
初めは1箱ずつ丁寧に開封していた。
リリーは舶来物が好きだと調べた送り主は、こぞって外国から贈り物を取り寄せた。隣国で流行っているお茶やお菓子、大きな羽の付いた帽子、ふわふわした手触りのウサギのぬいぐるみ、ビーズでデコレーションされた手鏡。
「なんて素敵なのかしら♪」
リリーはうっとりと目を細めた。書物で読み、いつか手にしてみたいと思っていた物ばかり。実際にこの目で見られるなんて。しかも、プレゼントしてもらえるなんて!
賄賂は良くない。けれど、ちょっとくらい恩恵に預かりたい。
「まあ、こちらも素敵~!」
だが、甘かった。
3日後には、うんざりした調子で机に突っ伏した。
「また……帽子ね。こっちはウサギ……もう、ウサギばかり15羽目ね。飼育係になれそう」
流行っている物、人気がある物。リリーへの贈り物を探す手段が同じなのだろう。同じ物ばかりが届く。何個も、何個も。
かといって有力な家臣からの贈り物を無碍に処分も出来ない。仕方なく控室に置いておいたが、ついに今日満杯になり、リビングにまで浸食した。
「荷物だなんて。素敵な贈り物には違いありません。ただ、こうして毎日続けられては困りますが……」
「そのリストは?」
「送り主の方々にお礼状を書いているのです。何をどなたから頂いたかをメモに書いてもらっています」
「全員分か?」
「宛名のあるものに関しては、一応。お陰で寝不足です」
デュークは席を立つと、荷物と言い切った贈り物を物色し始めた。仕方なくリリーも付き合い、横に並ぶ。
きっとどれも高価な品に違いない。
華やか過ぎて仮装道具のようになっている帽子を手に、デュークはニヤリと笑う。
「馬子にも衣装だ。被ってみるか?」
「結構です」
ツンとそっぽを向く。馬子扱いされたことなど初めてだ。
2人で過ごす時、基本的にラフな格好をしている。リリーにも堅苦しくない格好で構わないというので、動きやすいワンピースを身に付けている。
王宮にいるだけで緊張するリリーにとっては、ありがたいことだ。
「まあまあ、怒るな。おっ、こっちは呪いの人形か。手が込んでいるな」
面白そうに手に取っている人形は、茶色い髪と緑の瞳をした、フェルトを用いたお手製のもの。胸元に釘が打ちこまれている。見ているだけで痛み出すような気がして、リリーはそっと胸を押さえた。
「手紙も来ているな。『美しくもなく、体も貧弱。次期王妃にふさわしくない』だと」
読むか、と渡される手紙の受け取りを拒否する。
王宮に移動したと同時に、元側妃たちからの嫌がらせも始まった。これまで眼中になかった11番目が次期国王の王妃候補になったのである。面白い訳がない。
後宮から王宮への立ち入りは制限されているため、彼女達からもまた様々な贈り物が届く。宛名は無いが送り主は想像に難くない。勿論、怖いので敢えて自ら開封はしない。
「全く反論はできません」
元側妃の言うことはもっともだ。自分でもわかっている。
視線を落としたと同時に、目の前の手紙がグシャリと握り潰された。驚いてデュークを見上げると、怒ったような顔で手紙を見つめていた。
「ふさわしいかどうかを決めるのは、俺だ」
笑顔の貴公子がこんな顔をすることもあるのかと驚く。
だが、今更だとも思う。
2人きりの時のデュークは外面からは想像できない程、ラフで高慢だ。「ブラック王子」とリリーはこっそり呼んでいる。
紙屑となった手紙をポイと放ると、もう一度荷物に向き直った。
「お料理が冷めてしまいますよ」
付き合い切れないと踵を返した。席に腰掛けようとしたその時、突然鎖骨の辺りに冷たさを感じた。
はっとして身じろぎすると、「動くな」と静かな声が背後から降ってくる。
シャラン――。
胸元に煌めく、ネックレス。
デュークが付けてくれたプラチナの鎖は三重になっていて、ダイヤモンドが散りばめられている。大き過ぎない宝石は、洗練された上品さを放つ。
「……素敵」
思わず零れる。ネックレスをそっと指で持ち上げる。宝石の輝きに魅了され、うっとりと眺める。
「よく似合っている」
視線を移すと、デュークが頷いている。満足げに目を細めながら。
「これは……?」
もしかして、王子からの贈り物だろうか。目で尋ねると、悪戯に微笑み返された。
「荷物に紛れていたぞ」
苦笑している姿に「ごめんなさい」と小声で呟く。
リストに名前があっただろうか。身の置き所がない。
「いや、悪戯心で宛名を書かなかった俺が悪い。不幸の手紙と一緒に置かれているとは思わなかったが」
苦笑するデューク。さりげなく気遣われ、心が軽くなる。
再びネックレスに視線を落とす。まるでリリーのために作られたかのように、違和感なく胸元で輝いている。
デュークはどんな顔でこの贈り物を選んでくれたのだろう。
「敢えて国内の職人に作らせたんだ。この国の贈り物も負けてはいないだろう?」
得意気だ。舶来物が贈られる中、敢えて国内のアクセサリーを選んだのは、この国を誇りに思っているからに違いない。
リリーは何度もコクコクと頷いた。
浮かんでくる笑顔を隠すことなく、リリーはデュークを振り向いた。
「ありがとうございます。大切にします」
じわじわと顔が赤くなっているのは気のせいではないだろう。照れ隠しをするように、リリーを再び後ろを向かせる。エスコートし、椅子に腰を下ろさせる。
お礼を言われて赤面するなんて、意外と可愛い面もあるのね。
リリーの笑顔に照れているとは思いも寄らない彼女は、王子を極度の照れ屋さんだと位置付けた。
ほんのり頬の赤いデュークも向かいの席に戻る。
話題を変えるかのように、コホンと咳払いを1つ。
「ところで、明日は何の日だ?」
「デューク様の国王即位式が執り行われる日です」
新たな国王を祝福するため、アドリアーノ王国が一丸となり、総力を挙げて準備をしてきた式典だ。遠方からの客は前泊しているようで、心なしか城内が気ぜわしく、賑わっている。
勿論、明日はリリーも出席する。
「なら、祝福の乾杯くらいは付き合ってくれるだろう?」
悪戯っぽくグラスを差し出すデューク。リリーが受け取ると、王子自らシャンパンを注ぐ。驚き、慌ててボトルを受け取ろうとするが、構うなと制される。
王族とは思えない程、自由な王子様。もしかしたら、一般市民であるリリーに合わせようとしてくれているのかもしれない。自惚れかも知れないが。
彼の優しさに、自然と頬が緩む。
グラスを掲げる。
「おめでとうございます、デューク国王陛下」
「ああ」
2人だけの小さな乾杯。
王子として最後の晩は、静かに更けていった。