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11人目の側妃  作者:
第1章 2度目の転機
2/18

 それからしばらく、王宮内は非常に慌ただしかった。

 まだ40代の国王の突然の死である。

 崩御の知らせを携えた伝令は諸外国へ派遣され、国内に早馬が残らない程だった。

 葬儀への参列者は、国内外の王族や貴族合わせて1000人を数え、老宰相の指示の下、家臣は宿泊先の手配や食事の手配、手土産の用意等に忙殺された。

 妃方々も参列者全員に礼を尽くさねばならず、皆疲れの色を浮かべていた。最年長のミノン妃は足と腰にこっそり湿布を貼っている。

 また、国民による追悼式典も行われた。人気の高かった国王の崩御に、何万人が哀悼の意を示したかわからない。国王の肖像画の前には堆く花が積まれていた。

 国王とのお別れが済むと、人々の関心は後継者へと移った。後継者は国王の生前から決められていたため、特に諍いは起こらずに粛々と手続きが進められた。誰もがこんなに早く即位するとは予期していなかったのだが。

 第3代国王に即位するのは、デューク王子だ。

 正妃ミノン妃の長男で、若干23歳。頭脳明晰で運動能力も高く、誰もが認める完璧な次期国王候補。何より、常に絶やさない笑顔で男女問わず老若男女を惹き付ける「人たらし」である。

 サラサラな金髪にアイスブルーの瞳、長身で引き締まった体躯。すらりと伸びた手足はまるでモデルのよう。若い女性たちは皆、彼の外見に魅了される。

 通称「笑顔の貴公子」。

 ――国王崩御から1ヵ月が過ぎようとしていた。

 その間リリーは、至って静かに、大人しく日々を過ごしていた。

 元々他の側妃とは違う点ばかりの彼女である。目立たないように過ごすことには細心の注意が必要だ。

 喪に服している姿をアピールするよう努めて暗い装いをし、とにかく部屋から外出しないように心掛けた。

 「だって少しでも気が緩むと、笑顔になってしまうの」

 実家へ帰れることが嬉しくて堪らない。

 後宮へ連れてこられた日。国王の側妃には、たとえ実の親兄弟であろうと滅多に会うことはできないと教えられた。手紙でさえ検閲が必要とのこと。ホームシックで枕を濡らし続けた日々も、今となっては思い出だ。

 3年振りに会える両親や多くの兄妹。懐かしい我が家。

 そして――彼の人。

 姿を思い浮かべながら、リリーはうっとりと語り掛ける。

 「ジュリア、エドワード様は約束を覚えて下さっているかしら」

 ジュリアは唯一実家から連れてきた侍女だ。腰までの赤毛を2つに結い、小柄な体に後宮侍女の制服を着用している。焦げ茶の瞳とそばかすがチャームポイントだ。

 幼い頃から共に育ち、リリーは妹のように感じている。

「エドワード様は真面目な方ですもの! 覚えていらっしゃると信じております!」

 ジュリアの真剣且つ力強い声音で返事を返してくれる。

 リリーとエドワードの仲を見守り、強力に応援していたジュリアは、3年経過した今でもその信念を曲げてはいない。

 侍女の反応を見て満足そうに頷きながら、リリーは今日も窓から日当たりの良い庭を眺め、優雅にお茶を飲んでいる。


                       ☆


 デューク王子の即位まで10日。

 側妃3人が騎士に下賜されることが決まった。

 知らせがリリーに届いたのは、夕食後のお茶を飲んで一息吐いていた時のことだった。

 窓の外はもうすっかり暗い。

 正式な知らせは明朝届くようだが、侍女間の情報交換でジュリアが掴んできたのだ。

 リリーは眉根を寄せた。

 「まあ、可哀そうに」

 次期国王が即位するための準備の裏で、子を持たない元側妃たちは「如何にして後宮に残るか」を画策していた。子を持つ元側妃2人は王族の一員として、自動的に後宮に残ることができる。

 貴族出身の彼女たち。自身の繁栄が、家の繁栄にも繋がる。

 国王の告別式後。彼女たちは次期国王へのアプローチに躍起になっていた。次期国王の妻になろうと考えたのである。

 元々前国王に見染められた側妃方は、姿形が美しい。女の武器の上手な使い方も熟知している。

 ある者は、デューク王子の姿を見つけると驚く程の速さで近付き、腕にすがりつき、甘えた声で喋り掛ける。ボディータッチと上目遣いも忘れない。

 またある者は、読んでいて恥ずかしくなるような、愛の言葉を並べた手紙を毎夜送る。隙があれば返事を頂きに行くという口実の下、夜這いを掛けかねない勢いだ。

 元側妃8人からの昼夜問わずの総攻撃。

 デューク王子に同情し、リリーは嘆息した。逃げ続けるのも辛かったことでしょう。

 一方の下賜される元側妃たちは嘆き悲しみ、食事も喉を通らない様子らしい。

 「さて、この調子だと私たちが実家へ帰される日も近いわね」

 ティーカップを空にしたリリーは、スクッと立ち上がった。すぐさまジュリアがカップを下げてくれる。

 「気は早いけれど、もう荷造りを始めておきましょう」

 クローゼットから大きなトランクを引っ張り出すと、ベッドの上にポンと投げた。

 焦げ茶色の革製のトランクは、こちらへ連れて来られた際に持ってきた物。見た目に反して軽く、持ち運びに便利な代物だ。

 ふふふふふ~ん♪

 鼻歌を歌いながら、キャビネットの中の小物をトランクに詰めていく。

 元々それ程多くない荷物。ドレスを除けばトランク1つに全て収まると思われる。

 実家に帰ることを夢見てイメージトレーニングし続けていた荷造りは、順調そのもの。本やアクセサリーが、まるで収納場所を最初から決められていたかのように、迷いなく次々と収まっていく。

 「ジュリア、あの櫛はどこへしまったかしら?」

 「さあ」

 突然の男性の声。荷造りする手を止める。

 いや、聞き間違いに違いないと思いつつ、ゆっくりと振り返る。

 「……え?」

 側妃の部屋に男性が入ることは不可能なはずだ。後宮内は騎士が常時警備をしている。それに侍女の目だってある。ジュリアが入室を許すはずがない。

 だが、居たのである。

 振り返った先に居たのは、金髪に碧眼の若い男性だった。いつからそこにいたのか、入口のドアに背を持たれ、腕を組んでいる。シャツにズボンのみのラフな格好だ。

 整った顔、澄んだ瞳――吸い込まれそうになるような錯覚を覚える。

 そして、どこかで会ったことがあるような、既視感。

 「リリー?」

 男が名前を呼んだ刹那、はっと我に返る。男の顔をきつく見据える。

 「どなた? なぜ私の名前を?」

 早口に問う。警戒し、手にしていたブランケットをギュッと握りしめる。もっと武器になりそうな物を掴んでいれば良かったと、後悔をしても遅い。

 「俺のことがわからないのか?」

 質問には答えずに、男はリリーに歩み寄る。一歩一歩と。

 勝手に入室したことに対して悪びれた様子もなく、男はまるで自室のように悠然としている。武器の類は持っていないようだが。

 男の行動を目で追いながら後退りする。2人の距離が狭まらないように。

 けれど、それ程広くない室内で、あっという間に壁にぶつかってしまう。

 これはまずい。冷や汗が背を伝う。

 壁際に追い詰められたリリーの前に立ちはだかると、顎を掴み、男は顔を近付けた。

 「悲鳴を上げて人を呼びますよ?」

 怯えていることを悟られてはいけない。

 挑むように新緑の双眸を細めるが、男は怯むどころか楽しむように唇の端を上げる。

 「ヒントは、舞踏会だ」

 「……はぁ?」

 男の姿を凝視する。つま先からてっぺんまで。整った顔立ちと長身で均整の取れた体。目つきは鋭いが、女性なら誰もが見惚れるに違いない。

 リリーははたと気が付いた。記憶の中の人物と重なるが、纏う雰囲気があまりに違う。

 つい疑問形になってしまう。

「先の舞踏会で私と踊って下さった方……?」

 ――前国王は祝い事が好きだった。誰かの誕生日、何かの記念日の度に盛大に舞踏会が開かれていた。

多くの若い男女が招かれていたが、リリーは常に壁の花だった。

 ダンスは嗜む程度には踊れる。だが、エスコートしてくれる男性がいないのだ。声を掛けようとする男性もいたが、周囲の者が耳元で何かを囁くと、顔を青くし去って行ってしまうのだ。

 最初の頃は寂しさを感じたものだが、慣れた頃には自主的に壁に寄り添うようになった。華やかな衣装を着た側妃たちの優雅なダンスを眺めているだけで、お腹いっぱいである。

 そうしてお開きが近づく頃、いつも必ず1人だけ、リリーに声を掛け、ダンスに誘ってくれるのだ。

 爽やかな笑顔が素敵な、貴公子。キラキラ眩しくて、一度も顔を直視できずにいた。

 目の前の男は、わざとらしく爽やかな笑みを顔に貼り付け、少しだけ眉を下げた。

 「その前も、そのまた前も……ずっと俺と踊ったというのに」

 「失礼致しました。雰囲気があまりに違っていたので気が付きませんでした。恰好も。ですが……」

 何故、ここに――?

 「本当に、俺が『誰なのか』わからないのか?」

 呆れたように、半眼で見下ろしてくる。リリーは眉間に皺を寄せ、考える。

 過去に名乗られたことが1度でもあっただろうか、否だ。知らぬ内に怪訝な顔になる。

 それに、名前がわかったところで、後宮に立ち入って良いということにはならない。

 「わからないなら、それでもいい」

 顔が離される。

 男はキラキラ笑顔を意地悪なものへと変化させていた。

 離れた距離に、ほっと胸を撫で下ろす。男に気付かれないように。

 男はベッドに歩み寄ると、整然と荷物の詰まったトランクを見下ろした。荷物を荒らされては堪らないと思い、急いで男の横に立つ。

 「随分楽しそうに荷造りしていたな。まさか旅行にでも行くのか?」

 「いえ、実家へ帰るためです。不要な側妃の今後の身の振りについて、近々知らせが届くかと思ったものですから」

 先程の鼻歌を歌った上機嫌な様子を見られていたのだろう。リリーは潔く開き直ることにした。この男が誰であろうと、今更ごまかしようがない。

 高い身分の者であれば、リリーを優先的に実家へ帰すよう進言してくれるかもしれない。

 だが、そんな期待は一瞬で打ち砕かれる。

 ククッ。

 「何です?」

 男は肩を震わせながら笑い始めた。何がおかしいのかわからず困惑し、自然と眉根を寄せる。

 「自分で不要な側妃なんて言うなんて。自己評価が低過ぎる」

 確かに、他の側妃のように自信を持ってはない。戸惑いを隠せないリリーを見て、尚もおかしそうに笑う男。

 ひとしきり笑うと、満足したようにリリーに向き直った。

 「残念ながら、お前は実家へは帰れない」

 ぽかんとするリリーは、絶望的な宣言をする男をただ凝視してしまう。

 意味も無く、見つめ合う。

 青い瞳に熱が浮かんだのは一瞬のこと。

 その一瞬に魅了されたように、リリーは身動きができなくなった。まるで金縛りにあったかのように。

 男は口元に意地悪い笑みを湛えながら、リリーの栗色の髪をひと束手に掬うと、そっと口付けた。

 「お前は俺の妻になるのだ」

 「…………はぁっ!?」

 突然何を言い出すのだ。

 冷静さを欠いた反応を示してしまい、口元を手で覆う。コホンとわざと大きく咳をして、バツが悪そうに視線を逸らす。

 男は面白いものでも見るかのように、瞳に楽しげな色を映している。

 「決定事項だ。断ることは許さないからな」

 「なっななななな……」

 二の句が継げず、パクパク口を動かしていると、尚も男は笑い続ける。

 何を言っているのですか――と言おうとしたのと部屋のドアが勢いよく開かれたのは同時だった。

 ドアの外に居たのは、ジュリアと老宰相だ。

 ジュリアに助けを求めるように視線を送るが、青ざめているばかりで気付かない。侍女のこのような様子は非常に珍しい。

 老宰相が一歩踏み入れるなり、深々と一礼する。

 「やはりこちらにおいででしたか。城中の者が探しておりますぞ、デューク様」

 デューク様。デューク様。デューク……様?

 「まさか……」

 血の気が引いていく。

 デューク様といえば、次期国王陛下と同じ名前ではないか。

 ゆっくりと男の顔を見上げれば、今までと打って変わって、爽やかな笑顔を浮かべている。キラキラ、眩しい貴公子がそこに居る。

 「すまない、宰相。どうしても自分の口で結婚のことを伝えたかったんだ」

 潤んだ瞳で、申し訳なさそうに眉を下げる。キュンッと効果音が聞こえそうな程動揺する宰相は、赤い顔をしながら「わかって頂ければ良いのです」と口籠る。

 リリーは見た。デュークがニヤリと口角を上げた瞬間を。

 「彼女も了承してくれたよ。見てごらん、早速王宮へ移動する準備を始めてくれたんだ」

 ベッドの上のトランクを指さし、微笑む。

 「違う」と訴えようとするリリーを遮るように。彼女の手を両手で握り、より一層の笑顔を向ける。

 「明日の朝には正妃の部屋へ移動してくれ。この部屋で眠るのは今夜が最後だ」

 そして、そっとリリーの耳元に唇を寄せる。低い声音。

 「逃げられないぞ」

 冷水でも浴びせられたように、硬直する。

 そんなリリーの反応に満足したのか、上機嫌に部屋を後にするデューク。それに続く宰相。

 部屋に残されたリリーは呆然とし、ジュリアが懸命に体を揺さぶっても正気に戻ることはなかった。

 現実逃避、実行中。

 ――とはいえ、次期国王の命令は絶対である。

 数刻の後、現実に戻ってきたリリーにお茶を勧めながら、ジュリアは侍女長に呼び出されていたこと、リリーの結婚と部屋の移動に関する指示を受けたことを伝えた。

 結婚については用意周到であり、もはや口を挟む余地もないという。関係者の中で知らなかったのは、本人とその侍女という状況だったようだ。明らかに故意だ。

 「短い夢だったわ」

 実家に帰れると思い、侍女と小躍りした日が懐かしい。

 遠くを見つめ、受け入れなければならない現実に背を向ける。たくさんの「何故」が頭を過るけれど、問答している余裕はない。

 ジュリアはしくしく泣き始めている。仕えている者が王妃になるというのに、喜ばない侍女は恐らく全世界でこのジュリアだけだろう。リリーの気持ちを最も理解しているからこそ、涙に暮れているのだが。

 「寝ましょう」

 きっと明日には良いことがあるかもしれない。もしかしたら、今夜のことは夢かもしれない。

 いつもより少し早い時間ではあったが、リリーはベッドに潜り込むと、すぐさま意識を手放したのだった。



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