一話
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十四歳の少年、清野 一希は、平凡な中学二年生。
容姿にこれといった特徴は無く、学力も平均より少しいい位、運動神経は悪くはない程度。
性格は温厚。誰にでも柔らかく接し、荒事を嫌う。人の為になることは進んでやるのが、彼の個性と言えば、そうかもしれない。
その彼に対する評価は、数十年前までは正しかった。
そう、数十年前の人間社会においては、彼はいたって「平凡」な少年だった。
ーーーーー2040年。
その時代、すっかり過去の遺物となっていた名作映画と同じ現象が地球を襲った。
氷河期の再来。
それは全世界で数億人の死者を生んだ世紀の大災害。
現実は、虚構とは違う。あの名作の様な結果的なハッピーエンドすら無く、氷河期が去った。
残されたのは、崩壊したと形容するが正しき惨憺たる文明の跡。
誰もが絶望に染まり、過去の栄光を懐かしむことしかできずに時間が過ぎて行った。
しかしながら、その中にあって希望を探し求める人達がいた。
彼らは、科学者。人類の叡智と呼ぶべき科学技術を窮地において飛躍的に進歩させた彼らは、時間にして僅か五年で地球に「光」を取り戻した。
こうして、再び地球に文明が息づき始めた。その速度は人類史上最速であり、人々は悍ましい程に発展したテクノロジーに依存していた。
そんなときだった。
「異能」と呼ばれる特殊な力が発見され、あの天災以降初の国際会議が開かれた。
しかしながら、その会議の内容はマスコミの手に渡ることは無かった。
首脳陣達の協議の末、市民が気付かないよう、ヨーロッパのとある研究施設にて、異能の研究は秘密裏に行われることとなった。
その力の強大さが判明するにつれて、EU某国の懸念が高まり、それは一つの行動として噴出した。
「異能の力は危険すぎる。言わばアレは『異端』なのだ。即刻排除すべきだ」
その考えの下、異能排除の措置を強行しようとした某国政府は、その思いを激しく空回りさせてしまう。
異能排除。
その結果は。
ーーーーーヨーロッパという有機体の消滅。
某国に加担した国々を含め、ヨーロッパの計七カ国が国家としての機能を失い、EUは解体。事実上、ヨーロッパという括りはこの世界から消えた。
それは、異能による大量殺戮。
政府による情報操作の甲斐無く、この事実は全世界に伝わった。
あの天災を経た後の情報網の広さと強さが、その凶刃を人類に向けた最初の一歩だっただろう。
人々は異能の存在に驚愕し、恐怖し、そして陶酔した。
人ならざる力の顕現。
ことが知れてしまってからの政府の行動は迅速だった。
研究によって残された異能の欠片を元に更なる研究を進めようとした。
あるいは軍事利用を、あるいは資源の効率化を。
目的も用途も様々ではあったが、目指す地点は同じ。決して踏み入れてはならない聖域への侵入。
もしくは、「人」からの脱却。
恐るべきは科学だ。天災後も絶えることの無かった道徳や倫理という概念的なブレーキを、ワンクリックで粉砕する。
そこに、躊躇など、無い。
誰もが異能に憧れ、その身を捧げては死んでいく。
人体実験のオンパレード。
失敗作が一つの山を為すまで時間はそうかからない。そして、それを踏み台にした「勝者」が表舞台に現れるのも、同じ。
ついに生まれた異能の「チカラ」を持つヒト。
人ならざる、ヒト。
科学が究極の発展を遂げた世界において、科学の及ばぬ位置に立つことは、最早ヒト達の「ユメ」とでも呼ぶべきものだった。
ーーーーーミュータント・プラン。
誰もが狂気的な喜びを胸に秘め、打ち震えた。何処までも背徳的な響きに酔っていた。
何も見えない、何も見ないまま、ヒトはチカラをユメ見た。
数年の歳月をかけて、全ての者が人ならざるヒトとして新たな生を見出していた。そこには、科学という物がありはしたが、終わりの見えた物語に興味を持つ物好きなど何処にもいなかった。
ヒトは皆、異能のチカラを手に入れた。
そして、ヒトの子は、ヒトだった。
この事実は当然のこととして受け入れられた。
かつての異端が、今や世界の中心に聳え立っている。
だからこそ、だろうか。
消えてしまった「異端」のことなど、ヒトの頭には無かった。
ーーーーー清野 一希は、平凡だ。
生まれつき、人としての能力を一つの欠落も無く存在し得た、この時代においては最大の普通。
そんな彼の生きる道が真っ直ぐであるなどと、ヒトが考える筈が無い。
一希は今、見えない手によって壁に押し付けられている。
「か、はっ………!」
息ができないのだろう、苦しげな声を漏らす一希は、目の前の存在に疑問を抱いていた。
ーーーどうして強いチカラを持つ彼らが、チカラの無い僕を甚振るんだ?
それは、悪意など微塵も含まない無垢の疑問。
至って普通な、疑問。
意識が途切れる寸前、一希を押さえつけていた見えない手は霧散し、一希は地に落ちた。
「異端者めっ! 二度と来るな!」
名も知らぬヒトによる理不尽の行使。一希はフラフラと立ち上がると、覚束ない足取りで教室へと向かう。
既に授業は始まっている。
後ろの扉から入室した一希に、嫌悪と侮蔑の視線が注がれる。
「あ、異端だ」
「しーっ、聞こえちゃうって」
「別にいいじゃん。どーせ何もできないんだし」
「それもそっかー。てゆーか、異端だ、とかダジャレ?」
「うわ、寒っ。やめてよー」
一希の耳に届くのは嘲笑う声。
「遅刻か。いい身分だな」
教師から投げられるのは、無理解という刃。いや、彼も分かっているのだ。それは人としては、見過ごせないことなのだと。
ーーーーーイジメ。
一希は何のチカラも持たずしてこの世に生を受けた。それは、ヒトにとってはあり得ない現象。
故に、異端。
そしてそれ故に、イジメ。
一希は自身がイジメられる理由を知っている。しかし、その上で、さっきの疑問が繰り返し頭に浮かぶのだ。
ーーーーーどうして、と。
教師として、イジメは注意をしなければいけない行為の筆頭だ。ヒトがヒトをイジメるなど、それは反道徳的な行いだ。
だが、ヒトが人をイジメるのに、何の問題があると言うのか?
一希は異端なのだ。排斥されて当然なのだから、それをどうこうするつもりは無い。
ヒトたる教師の、認識だった。
授業を終えてからの一希は、更に苦痛を強いられる。
家に向かう道すがら、通り過ぎるヒト達からかけられるのは、罵倒と嘲笑だけ。
一歩進めば見えないムチが肌を打ち、二歩進めば見えないライターが服を焼き、三歩進めば見えないナイフが腕を切りつける。
一希の心は、憔悴し切っている。それでも彼は、決して折れはしない。解けない疑問を持ち続けているから、折れない。
突如として一希は強い衝撃に吹き飛ばされ、路地裏へと転がった。
「ぐぁ! はっ………ぁ!」
痛み。襲ってくる痛みは鈍く、一希の身体を蝕んでいく。何処からか大きな笑い声が聞こえてきた。小さくクスクスという声も聞こえる。
一希は地に伏せ悶えながら、泣いていた。
ーーーーー何で彼らは、僕にチカラを向けるんだ?
一人では解けよう筈の無い問いかけは、痛みに抗うかのように反復される。どうして、何故、何で。
「君、大丈夫かい?」
スッと、白い手が差し出される。一希は顔を確認しようと目線を上げるが、滲んでいてよく見えない。
「どうして何もしないんだい? 君の力があれば、あんなの微風と変わらないだろう?」
一希は思った。この人は何を言っているのだろう、と。僕にチカラなんてあるわけ無い。
口を開くも、声は出ない。衝撃で上手く息ができていないせいだ。
「ふむ、困ったね。まだ気付いていないのかい? それとも、何かが邪魔をしているのかい?」
それは、そうかもしれない。一希の心にあるのは純粋無垢の疑問。穢れなく、決して消えない一希の心の汚れ。
一希は、これが消えれば何か分かるのだろうか、思った。
それなら、このクエスチョンマークを早く消し去りたい。そう、強く思った。
「なら、今夜、町の外れにある廃病院に来るといいよ。そこで、君は、君の力に気付くだろうから」
一希は何も言えないまま、白い手に引っ張られて立ち上がった。
「ありがとうございます。あの、あなたは……」
一希の目には、ただ汚れた建物の壁だけが見えている。目の前に居た筈の誰かは、いない。
「僕の、チカラ………?」
一希は謎の人物の言葉を反芻しながら、苦痛が待つ路地へと歩み出た。
家に着く。玄関を開いて中に入るが、聞こえてくる音は無い。
リビングのテーブルには書き置きがある。「遅くなる」という文字。
一希はその紙を丸めてゴミ箱に投げ入れると、自室にこもった。
一希は、両親から見ても異端だった。故に両親は一希に対して碌な施しをしない。
まともな食事を与えず、顔を合わせればチカラの餌食にする。
単純に言って、虐待だった。
一希は自室のベッドの中で無力に泣いた。無力を嘆いた。
そして、そのまま眠りに落ちていった。
空腹で目を覚ました一希は、自室を出て適当に菓子を口に含む。
両親が帰っていることに気づいている一希は、そっと家を抜け出す。
「廃病院………」
一希は帰り道で逢った人の言葉に従って町の外れへと足を運ぶ。
もう町は暗い。街灯の明かりを頼りに一時間ほど歩き、やっと目的地に辿り着く。
「あの、誰かいませんか………?」
声は虚しく響く。人のいる気配はしない。
「あの、誰かいませんか!」
一希は廃病院の中に踏み入る。それは、あの消えない疑問への反抗だった。
「誰かいま、ぐっ! あ、ぅっ………!」
「おいおい、誰かと思えば異端のガキじゃねーか」
一希は突然に宙に吊り上げられ、首を絞められる。もがくも、無意味。
「何でこんなとこにいんのか知らねーけど、どーでもいいか」
「サンドバックだな、ハハハッ!」
「実験台だろ〜?」
「バカ、どっちも変わんねーよ!」
ゾロゾロと柄の悪い男達が集まり出す。
「がっ、ぶっ、ぁああああ!!」
数度の不可視の殴打の後、感電。全てが一希に襲いかかる理不尽。
ーーーーー何故。
一希の胸中に、ドス黒い感情が渦を巻く。
ーーーーー何故、こんな目に。
拘束を解かれ、地面に叩きつけられる。這いつくばる一希に男達は容赦無くチカラを振るう。
ーーーーー何故、僕だけがこんな目にあわなくちゃならないんだ。
「ひゃはは! お次はこいつかな〜?」
男達の中でも一際派手な装飾をした男が、その掌に火球を生み出す。
躊躇うことも無く、彼は一希に向けてその火を放った。
脅威が迫る。
そこにあって、一希は全身に走る痛みのために身動きが取れなかった。
ただ、伏せるのみ。
ーーーーーあぁ、ここで終わりなのか。
一希は、諦めていた。
しかし、同時に思っていた。それは、彼の心で反響し続けていたからこそ、思ったこと。
それは、渦巻く感情とともに溢れ出す。
ーーーーー何故………
「知りたいかい? なら、教えてあげるよ」
廃病院に、若い男の声が響く。
一希は顔を上げる。火球は、もう無かった。その代わり、一人の男が立っている。
「あ? んだよ、テメーは!!」
「いやはや、醜いね。チカラに溺れてご満悦とは、ヒトはここまで落ちぶれてしまったのか」
「………バカにしてんのか? 何様のつもりだ、おい!!」
挑発を受けて逆上した男の手に、新たな炎が生まれる。その大きさは、先程の五倍以上。
「クックック。何様かって、そんなの愚問じゃないか」
その猛威に対し、嘲笑を浮かべる謎の男。
「ーーー私は『王』だよ。さぁ、穢れたヒトよ、【死にたまえ】」
ドサリ。
自らを「王」と呼ぶ男の、たった一つの命令。
ただそれだけで、周囲にいた男達は、糸の切れた操り人形のように崩れ落ち、こと切れた。
「え……… な、何が………?」
「クックック。王権に逆らえる者はいない、ということだよ。君を除いてね………」
愉快そうに顔を歪ませる男は、一希に手を差し伸べる。
「よく来てくれたね、清野 一希君」
一希はその手を取る。
引っ張られるようにして立ち上がると、男の後ろに人影を見た。その数は、六。
「ようこそ、私達『異端者』へ。世の異端たる君を、私達は歓迎する!」
ーーーーーそれは、三度目の世界の鼓動。
人知れず楽園に佇む木に住まう蛇が、舌を出して嗤った。
次回の更新は未定です。大分先になると思いますので、「人外さん」の方をよろしくお願いします。