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火照った顔で俯くサラの頭に掌が優しく置かれた。いつもの感触に顔を上げると苦しそうな表情のレクスがいた。けれどそれはほんの一瞬で、サラの視線に気付くといつものレクスに戻っていた。
柔らかく微笑み、そして手を離した。
たったそれだけのことなのに何故かサラの胸の中はざわめく。
「レクスさ――」
不安を拭うための確認は、無情なノックの音で遮られてしまった。
寝かされていた部屋はアルトマン家客室の一つだった。様子を見に来たメイドが退室した後、すぐにこの家の主がやってきた。形だけのノックで部屋に入ってきた直後から、感謝と謝罪の言葉を大袈裟なほど繰り返している。
護衛二人の犯行については、ひと月前に雇ったばかりで自分は指示していない、と跪き神に祈るような姿勢で訴えていた。通報でやってきた衛兵にかなり疑われたようだ。
ジュードとダグは『傀儡術』によって誰かに操られている、とサラは途中で気付いた。傀儡術や転移術は魔術の中でも難度の高い「高位魔術」で、術者の魔力や力量が高くなくては行使できない。しかも術者は傀儡術を継続させたまま、ダグを通して転移術を発動させている。
ミハエルには魔力がない。だから高位どころか魔術そのものが使えない。仮にミハエルが黒幕だったとして、自分が自宅に呼んでおいて、また別の場所へ連れて行く意味がない。
それに、ミハエルなら娘であるマリカだけは傷つけない。サラは弁明を聞く前から彼が犯行に荷担しているとは思っていなかった。
そう言うと館の主は「あんたならわかってくると思ったよ!」と抱き付いてきそうな勢いで近寄ってきた。驚いて身を引いたサラの前にレクスが割って入ったため、ミハエルは残念に引き下がった。
しばらくして無事だったマリカとアーサーもやってきた。
幸いにもマリカに大きな怪我はなかった。アーサーはレクスに小さな声で「ありがとう」と耳を真っ赤にしながら呟き、恥ずかしそうに目を反らした。
レクスは何も言わなかったが、少年を見るその視線が少しだけ柔らかくなったようにサラは感じた。
その後は衛兵に事情を聞かれ、サラはそこで初めて解術師を狙った事件が起きていることを知った。何で解術師が、と疑問に思う一方、「自分」ではなく「解術師」が狙われていたことに、心の奥で密かに安堵していた。
サラとレクスが解放されたのは太陽が沈みかける頃だった。
「本当にありがとう」
馬車に乗り込もうとするサラに声を掛けたのはミハエルだった。
「仕事ですから――」
「それもそうだが」
ミハエルは玄関先でアーサーと話をしているマリカを遠慮がちに見遣る。
サラもその視線を辿った。マリカはサラの視線に気付くと小さく手を振った。
「あんたは最初からあの子の仕業と知っていたのか?」
嘘を言っても仕方ない。サラは小さく頷いた。
「――何となくですが」
衛兵の前でマリカは罪の告白をした。衛兵達は通報とは別の自首に戸惑っていたらしい。けれどサラが予想した通り、初犯で未成年、しかもいたずら程度の被害だったため口頭注意だけで済んだ。
寝耳に水だったミハエルは動揺し、怒り、そして落ち込んだ。
マリカの処分が軽かったことは嬉しい。けれどミハエルの気持ちを考えると素直に喜べない。彼の父親としての顔を見ることができずサラは視線を落とした。
「――ありがとう」
ミハエルはサラの両手を包み込むように握りしめた。自分に向けられているレクスの視線が鋭くなったことには気付いていないようだ。
「あ、いえ――そんな」
驚きと戸惑いで顔を上げたサラを余所に、ミハエルはぽつりと呟いた。
「私は大事にするという意味を間違っていたのかもしれない」
親として、人として長く信じてきたものが崩れてしまった。苦しそうに歪んでいる表情がそう物語っている。
「あの子は生まれた時からこういう生活をしている。だから裕福な家に嫁いで今まで通りの何不自由ない暮らしが出来れば幸せなはずだ、と信じていた。あの子がこれほど悩んでいたとは気付かなかった。只の反抗期、いや単なる我が儘だと思っていた」
ミハエルは視線を落とし、力なくサラから両手を離した。顔には疲労と失意が滲み出ている。最初に斡旋所で会った時の勢いはどこにもない。
「今まで術師という仕事は全然わからなかったし興味もなかった。私は魔力もないしそういうものには縁遠くて――これは言い訳か」
ミハエルは自嘲気味に笑う。
「でもあんたを見て少しだけわかった気がする。あの子もあんたみたいに何かに真剣に向き合えるなら――」
そう言うと、自分の中で何かを納得させるように大きく頷いた。
「これからたくさん話し合う。とことん話を聞く。それでもしあの子が本気で術師になりたいのならその時は考える。どうなるかはわからないが」
そしてミハエルは明るい表情をサラに見せた。
「ま、うちの娘は可愛いからその前にいい人が現れるかもな」
貴族らしくない豪快な笑い方がミハエルらしくて、サラもようやく表情を和らげた。
馬車の中で向かいに座るレクスの異変をサラは感じ取っていた。元々無口なのでそれ自体はいつもと同じだが、理由のわからない微かな違和感を持ち始めている。
ずっと窓の方を向いていた顔がサラの視線を受け止めた。今までうやむやになっていたから、面と向かうのはあの部屋以来初めてだ。客室での一件を思い出し身体が急に熱くなる。赤くなっているだろう顔や耳を隠そうと慌てて俯く。
隣に移動してきたレクスはサラを覗き込んできた。どうやら具合が悪いと思われているようだ。間近に迫る顔にサラの呼吸は止まる。
「だ、――大丈夫です」
何とか言葉を振り絞る。
顔が赤い理由は別にある。心配させないよう上目遣いでレクスを見た。
レクスは額に触れる寸前の掌を下ろした。安心したような寂しそうな表情に、サラの胸はずきりと痛んだ。
避けられている。
サラの中でそれは疑いから確信になった。
髪を撫でるだけの時もあれば抱きついてくる時もあった。何を言っても触れてくるし、途中で止めることはなかった。困るし恥ずかしいし慣れないけれど、でも嫌じゃなかった。それどころか心地良いとさえ思っていた。
不安と悲しみが一気にサラを襲う。
どうして?
その言葉ばかりが頭の中を埋め尽くす。
今、レクスの顔を見ると涙が溢れてしまいそうで、太ももの上に置いた両手を強く握り締め俯くことしかできなかった。
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俯いてしまった彼女の頭にいつものように触れようとして上げた手は、しばらく宙に留まり、そしてゆっくりと下ろされた。
夜空に浮かぶ月のような金色の瞳はしばらく彼女を見つめていたが、やがて何かを諦めたように視線を窓の外へ戻した。
そこは何もない漆黒の世界だった。




