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再び部屋に戻ってきたサラとレクスにアーサーが叫んだ。
「あ、魔女と手下だ!」
ベッドで上体を起こしていた、少し顔色の良くなったマリカがすかさずやんちゃな弟を諫めた。
「少しお話してもいいですか?」
サラの視線にマリカは力強く頷いた。
「悪い魔女はお姉さんと大事なお話があるので、君には部屋から出ていってもらいましょうか」
そう言うとサラはアーサーに向かってほくそ笑んだ。
「嫌だ! 姉上は僕が守る!」
「それは困った。ならば――」
わざと大きく溜息を吐きレクスを見た。
視線の意味に気付いたレクスは、サラを睨むアーサーをあっさりと持ち上げ片手で脇に抱えた。
「くそっ! 離せよ!」
アーサーは手足をばたつかせて暴れる。けれどサラ以外に無慈悲な魔族は、六歳児の懸命な抵抗を歯牙にもかけず部屋を出ていった。アーサーの叫び声が段々と遠ざかっていく。
静かになった部屋でマリカは今まで弟が座っていた椅子に腰掛けるよう、サラに勧めた。
「本当にすみません」
扉を見つめて苦笑するサラに、マリカが深々と頭を下げた。
アーサーの性格からして素直にお願いしても部屋から中々出てくれない。かといって子供扱いして追い出せば姉を守ろうとしている自尊心に傷が付く。サラはあえてアーサーの言う『悪い魔女』になって強引に追い払った。
「彼はあなたのことが本当に好きなのですね」
「母を昨年病気で亡くしてからは特に。きっと寂しいのでしょう」
マリカの言葉に自分の幼い頃を思い出し、サラは視線を落とした。
「体調はどうですか?」
マリカの手に触れてももう痛みは感じない。
「とても楽になりました」
「それは良かった」
サラは自然と笑顔になる。
「明日の夜会には出られますよ」
俯いたマリカの表情は戸惑いと嫌悪を滲ませている。
サラは息を吸うと溜息と一緒に言葉を吐き出した。
「出るのは嫌ですか? 呪術を使うくらいに」
マリカは驚いた表情でサラを見たが、すぐに顔を背けた。
沈黙が部屋を包む。
「何を――言っているのか――」
冷静を装う声は微かに震えている。
「呪術の影響は一番弱い者に現れます。けれどそれは弟ではなくあなたに現れた」
部屋の本棚は魔術書がそのほとんどを占めていた。
「あなたの体調不良は呪術の影響ではなく、不完全な呪術の反動です」
サラはマリカに視線を戻す。見開かれた緑色の瞳は俯いたまま宙を彷徨っている。
「呪術は完全な形で掛けられなければ術者に返ってきます」
「でも――そんなことは」
「基本的なことなので書いてありませんよ、呪術書には」
サラの強い口調に、色をなくした顔で首を横に振っていたマリカは押し黙ってしまった。
「それは持っているだけで罪になります」
個人で所持していて罪に問われないのは解術師だけだ。
「もしまだ手元にあるなら出してください」
しばらくしてマリカはふらつく足取りで机に近づくと、鍵のかかった引き出しから本を一冊取り出してサラに差し出した。
装丁はかなり傷んでおり、開くと中も虫食いや破れて抜け落ちている。標題紙も破り取られており本の書名はわからない。
「私は――」
サラは本から顔を上げた。
「魔術師になりたかったのです」
マリカが溜め込んでいた胸のつかえを吐き出すように声を振り絞る。
「でもお父様が許してくれなくて――特にお母様が亡くなってからは結婚しろと言われ続けて」
涙の滲んだ緑色の瞳はサラを見上げた。
「明日の夜会に行けば本当に知らない人と結婚させられる――そう思ったら私――」
「だからと言って呪術を使っていいという理由にはなりません」
サラはあえて冷たく突き放した。
容赦ない言い方にマリカの顔が険しくなる。
「あ、あなたにはわからないわ!」
「当然です。あなたの本当の気持ちはあなたにしかわからない」
感情論を正論で返されマリカは口籠もる。
「でも――」
まだ言い訳を続けようとするマリカにサラに怒りに似た感情がわき上がった。
「あなたは何も知らない」
その声は知らずに無機質になっている。
「今回は拙い術だったから自分自身が苦しむだけで済みました。でも本当の呪術はこんなものじゃない。他人の命を奪うことだってある」
事の重大さに気付いたようにマリカは青ざめた。
「あなたの呪術で誰かが死んだかもしれないのですよ?」
「私は、そんなつもりじゃ」
そんなつもりはなかった。
知らなかった。
そう言おうとしている口元に、サラの頭は真っ白になった。
「自分のせいで家族が死ぬということが、あなたにわかるのですか!」
見開かれた緑色の瞳から零れる涙にサラは我に返った。
気が付けば椅子から立ち上がり十五歳の少女を見下ろしている。
マリカが呪術を掛けたのではないかと気付いてから、できるだけ感情を抑えるようとした。けれど無意識に顔に出ていたようで、事情を知らないレクスにも心配されていた。
この仕事を請けたのは、呪術で――自分のせいで家族が犠牲になる前に助けたかったからだ。
自分の父親は救えなかったから。
「すみません」
サラは崩れるように椅子に腰をおろした。しばらく重い空気が部屋を覆う。
「本当に軽い気持ちで――魔術を使ってみたかったから、もしちゃんとできれば魔術師の才能があるって認めて貰えるかも知れないと思って――」
口元を押さえて嗚咽を堪える少女の背中をサラは優しく摩る。
「この本はどこで?」
「半年前に街で買ってきて貰った魔術書の中に紛れていて。でも呪術書なんて頼んでいません!」
街で営業している本屋には呪術書は売っていない。しかも書名のない傷んだ本を売ることも買うことも普通なら難しいだろう。
誰かが紛れ込ませたのかも。
サラの中で疑問が生じる。
「私は――どうすればいいですか?」
マリカは恐る恐る尋ねた。
「これから一生後ろめたい気持ちで過ごすのと、罪を認めて穏やかな気持ちで過ごすのと、どちらが良いですか?」
サラは優しく尋ね返した。
しばらくして少女は決意したように真っ直ぐ見返してきた。
「これから衛兵所に行こうと思います」
「過去は消せません。あなたの住む世界では一生言われ続けるかも知れませんよ」
真実も偽りも関係なく噂として流布する貴族の世界。
マリカはそれでも口を固く結び大きく頷いた。
「他人を傷つけた訳ではないし被害もありません。呪術書も意図的に手に入れた訳ではないので、叱られるとは思いますが刑に服すということはないでしょう。でも反省はしてください」
「はい」
真摯な瞳にサラは肩の力を抜いた。
「衛兵所に行くのであれば、これも一緒に持って行った方がいいでしょう」
マリカは震える手で呪術書を受け取る。
ふと、サラは気になったことを尋ねた。
「これを買ってきた人は誰ですか?」
「買ってきたのは――」
その瞬間、部屋の窓から大きな何かが飛び込んで来た。




