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昔『貴族街』と呼ばれていた王都の東地区は今でも高級住宅街だ。アルトマン家の屋敷は、それほど大きくないにも関わらずその中でも目立っていた。落ち着いた高級感漂う周囲の建物の中でこの屋敷だけが浮いている。三階建ての屋敷は白い煉瓦に薄青の屋根瓦で落ち着いた雰囲気なのに、門柱や窓飾りや屋根飾り、玄関前の獅子のオブジェは光り輝く金色で、全体の統一感を壊している。
馬車から降りたサラが自分の感性とは合わない屋敷を見上げていると、ミハエルが嬉しそうに話しかけてきた。
「地味なのは嫌いなんだ。気分が落ち込む」
世間では『落ち着いた』とか『上品』という言葉で表現されているものを、ミハエルは『地味』と認識しているようだ。確かに彼の着ている服は『地味』ではない。
「だから少し手を加えてね」
ミハエルは丸い鼻を高くしている。
「はぁ――なるほど」
金色に塗られたものが手を加えた所だろう。サラには勇ましい顔の獅子が、心なしか泣いているように見えた。
真っ赤な絨毯の上を、サラとレクスはミハエルと中年のメイドに先導されて進んだ。
ミハエルは一つの扉の前で立ち止まると小さくノックした。
「マリカ。入るぞ」
躊躇いを含んだ声で扉のノブに手を掛ける。
サラの家の居間よりも大きい部屋の、大きなベッドに少女は横たわっていた。ミハエルが自慢したくなるのも頷ける可愛らしい少女だ。ベッドの脇には彼女とよく似た面差しの少年が椅子に座っている。幸いにも子供達は父親からは緑色の瞳と赤茶の髪の色しか受け継がなかったようだ。
「お! アーサーも居たのか」
「父上!」
アーサーと呼ばれた少年は勢いよく椅子から飛び降り駆けてくる。少年は父親に年相応の笑顔を見せたが、サラとレクスに顔を曇らせた。ミハエルはそんなアーサーの頭に手を乗せベッドに視線を移した。
「マリカ」
心配そうにも娘は父親から目を逸らし上体を起こした。けれど力が入らないのか、もたつくマリカをメイドがすかさず支える。
ミハエルもほぼ同時に手を差し出したが、行き場をなくしたそれは静かにおろされた。
「解術師が来てくれたぞ。これでもう大丈夫だ」
マリカがはっとした表情になった。
サラはその緑の瞳を真正面から受け止めた後、頭を下げた。
「サラ=アシュリーです」
サラの声は硬くいつもの笑顔はない。
マリカは何か言いたげな表情になったが、後ろに立つレクスに気付くと釘付けになってしまった。
ミハエルが口を開いた。
「アシュリーさんの護衛だ。魔族だが心配しなくていいぞ」
「お父様」
凶暴な魔族だが大人しいから心配しなくて良い。
暗にそう言っている父親の失礼な発言にマリカは眉をつり上げた。
ミハエルとしては十五歳の娘を安心させたかっただけなのだが、その娘に諫められるまで己の失言には気付かなかったようだ。
「申し訳ありません」
マリカはレクスに頭を下げたが、当の本人は表情一つ変えなかった。それどころか言葉を発しない魔族に部屋の中を緊張が走る。
仕方なくサラが代弁した。
「気にしていないので、お気遣いなく」
サラが後ろを振り仰ぐと、レクスはそれまでの無表情が嘘のように柔らかく微笑む。
部屋はようやく安堵の空気に包まれた。
サラはベッドに近づくとマリカの腕に触れた。指先に小さな痛みが走り、自然と表情は険しくなってしまった。
「あなたの体調不良は呪術によるものです」
やっぱり、とミハエルの呟きが聞こえる。
マリカは顔色をなくしている。
「このままでは治りませんし、他の人にも影響が出始めます。すぐに解術します。いいですね?」
マリカは涙を浮かべ小さく頷いた。
「姉上を泣かすな!」
突然アーサーがサラに向かって来たが、決死の体当たりは未遂に終わった。
それまで微動だにしなかったレクスが、片手でアーサーの奥襟を掴むと、ベッドの上に躊躇なく投げ捨てたからだ。
「「「「!」」」」
部屋の中にいた全員が驚いたが、その容赦の無さに一番慌てたのはサラだった。
「お前は魔女の手下だな!」
柔らかいベッドの上でアーサーは、驚くサラと無表情のレクスを睨む。
サラはアーサーが泣かなかったことにほっと胸を撫で下ろした。
「悪い奴らは僕が追い返す!」
今度はレクスに向かって行き、再びベッドに放り投げられる。我に返ったミハエルとマリカが、途中から楽しそうになっていたアーサーを止めるまでその攻防は続いた。
「ベッドではなく床に叩き落とせば良かったですね」
「それだけは止めてください」




